61話 《中三迷宮》上層と十層《階層主》
《中三迷宮》にテグスとハウリナにティッカリが入ってから三日間、宿で休憩を入れる以外の時間を、ほぼすべて馬車の移動に費やしていた。
しかし三人が居るのは、上層の区分である五層目だった。
「もう、馬車の移動はあきたです」
「歩いて移動するより良いよ~。四層の時に荷馬車がボロいから、この突撃盾だと重すぎて壊れる、って乗車拒否されたんだよ~」
「ここの上層は《魔物》が弱いのに、だだっ広い場所に少ししかいないから、馬車で通っていると出会わないからね」
こうして馬車に揺られることに飽きてしまった三人は、この五層からは自分の足で下の層へと向かう事が決まった。
「それでも全く面白みはないよね」
「歩く分、ずいぶんと気がまぎれるです」
「突撃盾を背負子に仕舞ったまま歩いていて、いいのかな~?」
だが実際に歩いてみても、この《中三迷宮》に《迷宮》らしさというものは感じられない。
なにせ《魔物》との遭遇率が低いために、場所が分かっている下の層への螺旋階段に向かって、石畳が敷かれた道を延々と歩き続けるだけ。
さらに言ってしまえば、何故だか《中三迷宮》の高い天井にある光球は、朝と夜で光る度合いが変わり。いま三人が歩いている時は、外の昼かと思うほどに煌々と照っている。
なので歩いていると、ふと《迷宮》にいることを忘れてしまいそうになる。
それでも一から四層までとは違い、人の手で整備されていない土地がちらほらと残っている。
突き出た大岩があったり。低木だけで構成された小さな森があったり。放棄された畑らしき、雑草と麦が混ざり合った四角い場所があったりする。
逆に、今までは幾つもの小さな集落のようなものが点在してたのに、五層に入ってから朝から昼ごろまで歩いているのに、一つたりとも見かけないのが不思議ではある。
「もうそろそろ、お昼の時間です」
「相変わらず、ハウリナの腹時計は正確だよね」
「お昼御飯を食べるとするの~」
「でも、もうちょっとで着きそうだから、我慢してみない?」
テグスの視線の先にあるのは、今までの小さな集落とは違う、もはや村とさえ呼べる規模の、柵で囲まれた人家の集まる場所。
まだまだ遠くに見える人の居そうな場所に、ハウリナは渋い顔を浮かべている。
「わふぅ~、お腹へったです」
「地上で買ってきた干し肉や干し芋あたりは食べつくしちゃったから、いま食べられるのは美味しくない保存食が――」
「早くあの場所に行くです!」
食べ物事情を聞いた途端に、ハウリナは先導するかのように先頭に立ち、黒棍片手に早歩きであの場所へと向かって歩いて行く。
そんな行動を取るハウリナの気持ちも分からなくはないテグスは、しょうがないなと笑み交じりでその後姿を眺めながら付いていき。
ティッカリも同じような頬笑みを赤銅色の肌の頬に浮かべてから、突撃盾を入れて軋む背負子の肩紐を背負い直し、ハウリナの後を追って歩いていく。
そうして三人は時々道なりを走ったりしながら、距離と時間を稼ぎ。
なんとか五層に入ってから三日で、十層にいる《階層主》にまでたどり着く事が出来た。
「木々がいっぱいの、森の中です」
ハウリナが思わず呟いたように、中に入ってみるとそこは森の一角を切り取ったような見た目の場所。
うっそうと下木が生えている中で、一部の太い木は天井に触れても伸び続けて光球に触れそうになっている。
茂る葉で光が遮られて、地面付近は薄暗い。
「《渡樹大蛇》っていう《階層主》が出てくるはずなのに、その予兆がないけど……いや、何か居る」
「木から木へと、移動してるです」
「え、えっ。よく二人とも分かるかな~?」
いままでなら光球が瞬いたりして、《階層主》の到来を教えてきたのだが。それも木々の葉で遮られて見えなかったのか、辺りは薄暗いまま。
しかしテグスは近くに動く気配を感じて、箱鞘からなまくらな短剣を取りだし両手で構える。
ハウリナも感じたのか、頭の上の獣耳が右へ左へと音を聞こうと動いている。
唯一ティッカリだけが察知できずに、左右に目を向けて二人が感じたモノを視界に入れようと頑張っている。
「…………居た!」
じっと動かずに気配を辿っていたテグスは、視界の中にそれが移動した瞬間に、右手の短剣を力いっぱい投擲した。
一直線に飛ぶ短剣は、一本の木を目指して飛んでいく。
やがて短剣が木に刺さったと見えたところで、刺さった場所から赤黒い血がだらだらと垂れ下り始める。
短剣に傷つけられて、テグスには察知されていると悟ったのか、《階層主》――《渡樹大蛇》がその樹皮に見える鱗を蠢かせ、絡みついている樹木から上体を持ち上げて三人を睥睨する。
「あおおおおおん!」
一抱えありそうな木が、そのまま蛇になったかのような姿を視認した瞬間、蛇の睨みなど気にしないとばかりに、ハウリナは地面を蹴って《渡樹大蛇》に飛びかかる。
黒棍を《渡樹大蛇》に振り下ろして当たった。
かと思ったものの、そこは樹木そのものの部分だったのか、乾いた薪を地面に落としたような音が響いた。
「とやああああぁぁ~」
ハウリナの攻撃が失敗したのを見て、ティッカリが両手の突撃盾を構えながら接近していく。
しかし攻撃範囲が小さいと見抜かれたのか、《渡樹大蛇》はするすると木を上っていき、枝を伝って別の木へと移動してしまう。
逃げられたと知ったティッカリは、そのまま《渡樹大蛇》が移った木へと、右の突撃盾で思いっきり殴りつけた。
暴走馬車が壁に突っ込んだような音とともに、殴られた木が前へ後ろへと揺れ。連動してわさわさと葉鳴りが奏でられる。
仮に相手が手や足で掴まっているだけの生き物だったら、このティッカリの一撃で地面に落ちてしまった事だろう。
しかし《渡樹大蛇》は、その長い胴体を木に絡めて落ちることを阻止した。
そうして揺れが収まるのを待っている《渡樹大蛇》の頭に、不意に下からの銀色の光が飛来した。
「――動きが止まれば、狙いやすいよね」
それはテグスが投げた短剣だった。
当たった場所は《渡樹大蛇》の目と目の間。丁度、顔の中央部分に、刃の根元まで埋まっている。
発声器官がないのか無言のまま、《渡樹大蛇》は真っ赤な口内を見せつけるように大口を開けて、痛みを堪えるように頭と胴体の上半分をくねらせる。
「ティッカリ、飛ばすです!」
「は~い、いってらっしゃい~」
動いてはいるが移動はしていない《渡樹大蛇》の姿に、狙い目だと思ったらしいハウリナが、声を掛けたティッカリへと向かって走り寄る。
そしてティッカリは、右手の突撃盾を右横へ水平に伸ばす。
ハウリナの足は地面から離れ、ティッカリの掲げられた盾を踏む。ハウリナの体重で少しだけ位置を下げた突撃盾は、ティッカリの有り余る膂力によって、下げた分を数倍に返すかのような勢いと幅で、振り上げられた。
「あおおおおおぉぉぉん!」
弓から放たれた矢のように、素早く宙を飛ぶハウリナは、先ずその勢いのまま黒棍を下から振り上げて、《渡樹大蛇》へとぶち当てる。
見事に身をくねらせていた《渡樹大蛇》の顎先に決まり、枯れ木を手折った時のと肉を叩き潰した時のが混ざった音がした
この一撃を決めても飛ぶ勢いが残っていたのか、ハウリナは《渡樹大蛇》が巻きつく木の上部にある枝に、天地逆さまになるように足を着ける。
「もう一度、です!」
投げられた勢いを溜めるように、ぐっと足を屈め。
体が独りでに地に落ち始める前に、枝を両足で蹴ってハウリナは真下へと飛ぶ。
そこには顎を砕かれて自失している《渡樹大蛇》がいた。
「あおおおおおおおん!」
吠えつつ、空中で前方に回転しながら、《渡樹大蛇》の頭へと黒棍を叩きつけた。
よほど勢いと力が入っていたのか、《渡樹大蛇》がお辞儀するように下を向き、そのまま木から滑り落ちるように地面へと落ちてしまう。
その横に着地したハウリナは、確かめるように蹴りを一発。
しかし顔面を砕かれて血まみれの《渡樹大蛇》は、蹴られた衝撃で微かに痙攣を口元に発しただけで、確りと絶命していた。
「わふっ、やったです! ティッカリに、感謝です」
「どういたしまして~。でも上手くいって、逆に驚いちゃったかな~」
その場の思いつきの連携攻撃を成功させたのが嬉しいのか、きゃっきゃと喜び合っている。
テグスはそれを横目に一人離れた場所で、使用した二本の短剣を《渡樹大蛇》から回収している。
ふと作業の最中に気になった様子で、テグスは砕かれた《渡樹大蛇》の頭を持ち上げて、口を開けさせて中を見始めた。
「どうかしたです?」
「今までの《中三迷宮》にしてみたら、やけに《階層主》だけ強そうだなって思って」
そんなテグスの疑問は、確かに理解出来る。
なにせここまで、日数がかかった事以外は、弱い《魔物》と数度だけ出くわしただけの、《中迷宮》とは思えない簡単さだったのだから。
「それで何か見てわかったのかな~?」
「いや、全然。毒はないけど、確りと長い牙があるし。鱗だって木の皮みたいに硬いんだから、弱いってことはないと思うんだけど……」
噛みつかれれば腕や足を貫通しそうな長い牙に、叩けば硬質な音を返す鱗は、《渡樹大蛇》が《中迷宮》で現れる《階層主》に相応しいと静かに物語っている。
この事実で判明する事は、《中三迷宮》の道中の簡単さとのちぐはぐさを、よりはっきりと浮き彫りにするだけ。
「考えてもしょうがない事かな、神様の創った《迷宮》なんだし」
「考え事よりも、先に処置してしまうです。晩ご飯は、蛇肉づくしです!」
「全員の背負子の容量一杯余っているから~、ぜ~んぶ持っていけるかな~」
答えを誰が知っている訳でもない疑問を置いて、テグスはハウリナとティッカリと共に、中身が詰まった《渡樹大蛇》の腹を鋭刃の魔術を込めた片刃剣で切り裂いていく。
そこから溶けかかった《探訪者》の物と思わしき剣や鎧が転がり落ちてきて、出現する兆候がなかった事に対する疑問だけは、遅まきながらに解けたのだった。