60話 《中三迷宮》へ
思わない形でテグスとハウリナの関係が多少気まずくなった翌日。
三人は連れだって《中三迷宮》のある場所へとやってきた。
「………………」
一晩経てばケロリと大抵の事を忘れてそうな性格のハウリナにしては珍しいことに、翌日にまで昨日の不機嫌さを持ち越していた。
銀色の毛色の獣耳と、尻から延びているふさふさの尻尾も、どこか毛羽立って見える。
普通ならこんな不機嫌さを振りまく人がいれば、仲間同士が機嫌を直そうとするのが普通なのに、テグスもティッカリもハウリナに別に何をしようとはしていない。
ティッカリの場合は、仲間になって日が浅いために気後れした部分が心にあるのだろう。時折テグスがティッカリに何かしてくれないかと、期待している目を歩きながら向けている。
しかしテグスはハウリナの不機嫌な理由が、例の人狩りの話であるため、自分にはどうする事も出来ない話だろうと、時間での解決を選択してしまっていた。
そんなこんなで、三人にしては珍しいことに誰も口を開かないまま、黙々と《中四迷宮》区画から《中三迷宮》区画へと向かって歩いているのだった。
三人が《中三迷宮》の区画に入ると、今まではどこか道の上で《探訪者》が目に入らない事はなかったのに、この区画に入ってからはぱったりと出会わなくなってしまっていた。
その事について尋ねようとしたのか、ティッカリがテグスへと口を開きかけて、この沈黙を破る発端を作るのを嫌ったのか、口を噤み直してしまった。
そんな仕草を見取っていたテグスは、あっさりとこの沈黙を破る事にした。
「この区画に《探訪者》が居ない事が不思議みたいだね」
「え、あ、あの~、確かに不思議に思ってたの~」
「ハウリナは気にならなかった?」
「……知らないです」
話しかけないで欲しいと言いたげに、ハウリナはぷぃっと横を向いてしまう。
あからさまに無視しようという態度に、ちょっとだけムッとしたテグスだったが、取り敢えず棚上げしておくことにした。
「この《中三迷宮》の特色として、大多数の《探訪者》がその中で寝泊まりして暮らしている事が多いってのがあるんだ」
「寝泊まりするのは分かるけど~、暮らしているってどういう事なの~?」
「そうしないと攻略できないほど、《迷宮》の内部がとてつもなく広いんだよ。それこそ宿があったり、畑で農作物を作ったり、家畜を飼ったり出来るほどだね。しかもだんだんと狭くなっていくとは言え、それが三十層まであるんだ」
「そんなんじゃあ、移動するのに時間がかかって仕方がないの~」
「だから《迷宮》で暮らす必要が出てくるんだよ。下手したら一年中《中三迷宮》から出てこないっていう《探訪者》だって居るって話だからね」
そんな事をテグスとティッカリが喋り合っていると、仲間外れのような形にされて寂しくなったのか、ハウリナの銀の毛色の獣耳が二人の方へ向けられている。
それでも自分から会話の輪に入る程には機嫌が直っていないのか、テグスかティッカリが話しかけてはくれないかと期待しているように、彼女の尻尾が小刻みに揺れている。
しかし二人はその事に気がつかなくて、今日入る予定の《中三迷宮》の事についてあれこれと話し続ける。
なので段々とハウリナの不機嫌な理由が、昨日聞いた人狩りの話から、いま二人から会話を阻害されている事に移って行ったようで。
地面を踏みしめていた足の歩調が変わっていき、最終的に自分を無視する飼い主の関心を引こうとする犬のように、テグスの前をうろちょろし始めるものへ。
そこまでされれば、流石にテグスもハウリナの内心を推し量る事が出来るので、思わずといった風に口元に笑みを浮かべてしまう。
「ハウリナも、段々とどんな場所か気になってきたんじゃない?」
「そ、そんな事は、ないのです」
内心を見透かされた事に恥ずかしかったのか、多少頬を赤くしながら、不機嫌は治っていないと言いたげな態度を取る。
そんな子供っぽい仕草から、思わず孤児院にいる背伸びしがちな女の子たちを幻視して、さらにテグスの笑みが深くなってしまう。
ティッカリも同じ思いを抱いたのか、可愛らしいものを見る目つきになっている。
なのでテグスは、そういう子たちによくやるような行動を取ることにした。
「そうなんだ。じゃあハウリナには教えなくても、いいかな」
「わぅ……聞いてあげなくは、ないです」
今までかまってもらえなかった事を思い出して寂しくなったのか、少しだけ悔しそうな表情を浮かべて、ハウリナはそうぽつりとこぼすように呟いた。
それを聞いたテグスとティッカリの顔に、人の悪い笑みが浮かび上がる。
「でもどうしようかな。言わなくても良い気がしてきたし」
「わふっ、テグスが意地悪を言うです」
「でも~、確かに言わなくてもいいかもしれないかな~」
「ティッカリまで意地悪です!」
「だって、ねえ?」
「そうですよね~」
とテグスとティッカリが同じ動作で三人が進む先を指差し、それにつられる形でハウリナも顔をそちらに向ける。
「だってもう《中三迷宮》は目と鼻の先にあるから」
「聞くよりも見た方が早いかな~って~」
「わふッ! 二人とも意地悪なのは変わらないです!」
二人が言うように、直ぐそこにあった《中三迷宮》の入り口を管理する建物へと、ハウリナは肩を怒らせながら向かっていく。
それは仲が良い仲間にイタズラを受けた事に対するもので。
昨日から彼女が持ち越していた憤りは、すっかりとどこかに行ってしまったように見えた。
そうして《中三迷宮》に足を踏み入れた三人を待っていたのは、確かにテグスが言っていた通りの広大な空間だった。
「わふぅ~、広すぎるです。天井も高すぎるです」
「話には聞いたけど~、確かに広い~。《迷宮》の中じゃないみたいかな~」
ハウリナとティッカリが言った感想の通りに、《中三迷宮》一層はこれでもかとばかりに広々とした空間を持っていた。
そこは今までの《迷宮》とは違って、壁など視界を塞ぐものがなかった。
加えて天井は大人が四人連なって肩車しても手が届きそうにないほど高く、遠くに見える一層の壁は歩くのを想像するだけで億劫になるほどの距離がある。
本当に《中三迷宮》に人が住んでいるのか、土の地面をならして石畳を敷設した道が、端に向かってどこまでも伸びているのも印象的だ。
加えてこの空間の隅から隅を照らすように、天井付近から煌々と光の球が幾つも並んで照らしている。
「そこより先ず、降りてくる階段が螺旋階段だって言う事に驚いてほしかったな」
二人から遅れること十数秒、一層の地面に足を着けたテグスがそう愚痴のように呟いた通りに、三人がこの層にまで下ってきたのは螺旋階段状に連なった石の段差であった。
ご丁寧な事に、転落防止のためなのか、外周にはテグスの胸元まである手すりと柵まで付いている。
「テグス、テグス。広すぎです。一層を進むのに一日かかるです!」
「確かに普通に進んだんじゃ、それだけの時間がかかってしまいそうだよね。でも、ほら来たよ」
テグスが指差す先に現れたのは、石畳の上を蹄で踏みながら歩く馬と、連結された荷馬車の車輪が鳴らす音だった。
「ば、馬車まであるの~……」
「こんなに広いんだから歩いて進むだけじゃ、ここに住んでいる人は不便でしょ?」
「それはそうだけど~、なんだか納得がいかないの~」
今までの《迷宮》とはかけ離れた見た目の場所に、どうやらティッカリの《迷宮》はこうある物という価値観が揺らいでしまったようだ。
「安心して。こんな風に人に都合の良い《迷宮》なんて、《清穣治癒の女神キュムベティア》が作ったここだけだから」
テグスが笑いながらそう言った言葉を聞いて、どうしてだかティッカリは腑に落ちたように頷いている。
「……癒しと慈悲の女神さまが御造りになられたのなら、なっとくかな~」
「優しい女神さまでもやりすぎだと思うです」
一方で、それでもハウリナは納得しがたい思いを抱いているようだ。
「お~い、そこの三人よぉ。この馬車に乗って行くのかい?」
階段を降り切った場所で喋り合っていた三人に、近づいてきていた馬車の御者がそう遠慮気味に声を掛けてきた。
「あ、はい。乗せてください!」
「下の層に行くなら、途中で乗り換えがあるから、覚えておきなよ」
「分かったです。お世話になるです!」
「お世話になるの~。《迷宮》で馬車の旅だなんて、変な気分かな~」
そうしてゴトゴトと荷馬車の車輪が奏でる音を聞きながら、三人は一層を進む馬車の上で周りを見ながらの、安全極まる道行を進むのだった。