56話 《中一迷宮》下層
三人ともに初めて入る《中一迷宮》の下層は、やけにピリピリとした空気が漂っていた。
それは階段の直ぐ近くで休んでいた《探訪者》たちが、軽く会釈をしながら横を通るテグスたちへと向ける視線に、切羽詰ったような感情が混じっている事からも分かる。
彼ら彼女らだって、ここに居るという事は、《晶糖人形》を倒した猛者なのだ。
それなのにそんな目をすると言う事は、どれだけ二十一層以下は危ないのかと、テグスは背筋が寒くなる思いを抱いていた。
「隊列はここまでと同じで。ティッカリが先頭で、次がハウリナの順だからね」
「はい。防御と粉砕ならお任せなの~」
「うん、頑張って倒すです!」
「――じゃあ、頑張っていこう!」
しかしティッカリとハウリナは何時もと変わらない態度で、テグスの指示に元気に従ってくれる。
その事に緊張をしすぎていたと反省をして、テグスはティッカリに道を進むようにと指示を出した。
ここまでの層と同じに見える通路を、ティッカリを先頭に、程よい緊張感を持って警戒しながら進む。
二度ほど角を曲がり、その先へと顔を出したハウリナが急に顔を顰めて、足を止めた。
「どうしたの?」
「すごく臭う体臭がするです」
「他の《探訪者》かな~?」
ハウリナの指摘に、空気の臭いを嗅いでみると、確かに薄っすらと酸っぱい発酵臭に似た臭いがしてくる。
迷宮に潜れば汗みどろになる事が多いため、身だしなみを整える事を諦めてしまう《探訪者》も多くいるので、この臭いの元が人なのか《魔物》なのかの区別はしにくい。
どちらにせよ臭いは通路の先から流れてくるようなので、三人は一応の警戒をしながら道を進む。
「オオォォォ~~~~」
そうして出会ったのは、ブクブクに太った全裸の女性。
いや、迷宮にこんな人がいるはずは無いため。そう見える《魔物》に違いない。
よくよく観察すれば、腹が鳩尾から股間まで切り裂かれていて、そこから胃液のようなものがダラダラと地面へ垂れ落ちているという。生きている人ではありえない姿をしていた。
「ううぅ……気持ち悪いです」
その見た目の醜悪さと、垂れ落ちる液体の臭いの酷さに、戦う前からハウリナが白旗を上げかけている。
「あれが何の《魔物》か知ってるの~?」
「たしか二十一層から出てくるのは、《悪食腫人》か《機械弓犬》だから」
見た目が犬ではないため、自動的に《悪食腫人》であると分かる。
「食肉にもならないし、素材としても使えないね」
「ならさっさと倒してしまうの~」
と無造作に近付いたティッカリに向かって、その太った体躯からは想像できない俊敏さで、《悪食腫人》が飛び掛ってくる。
それにティッカリは驚き、思わずといった風に突撃盾を振って、《悪食腫人》を殴り飛ばした。
すると《悪食腫人》の肉は脆かったのか、白蟻に食い荒らされた倒木のように、殴った場所がひしゃげてしまっていた。
そしてひしゃげた場所から出てきた、青白い液体が顔に掛かり、ティッカリが気味の悪さから悲鳴を上げる。
「うひゃあ、なんか変な液体が付いたの~」
「大変です。これで拭くです!」
「……魔石化しちゃうよ?」
きゃあきゃあと騒ぐ女子二人を横目に、テグスは倒しても臭い《悪食腫人》を《祝詞》を唱えて魔石に変える。
魔石の大きさは《中迷宮》下層の《魔物》だけあり、爪の半分の大きさはあった。
「ううぅ~、酷い目にあったの~」
「こんなのを相手なら、あの人たちの態度も納得です!」
「いや、それは違うんじゃないかな?」
単なる臭い相手なら、あそこまで警戒しているのが変だ。
「考えられるのは。出てくるもう一方の《機械弓犬》か、二十五層以下の《魔物》がよっぽど強いのだと思うよ」
「くさくなければ、それでいいです」
「もう二度と《悪食腫人》とは、戦いたくないの~」
ティッカリが言った通りに、もう《悪食腫人》と戦いたくないのは、テグスも一緒だった。
だがそういう訳にもいかないのが、迷宮という場所だ。
以後も、道を進み角を何度か曲がるたびに、《悪食腫人》と何度も出会ってしまう。
テグスが索敵の魔術での反応を見たり、ハウリナの鼻で居場所を先読みしているのにも係わらずだ。
「他の《探訪者》もやり過ごす事が多いからだろうけど」
「ううぅ~、地上に戻ったら、絶対に突撃盾を洗うの~」
「テグスの短剣と、ティッカリが臭うのです――」
もう何体目になるか分からない《悪食腫人》を魔石に変えていると、臭いに苦情を言っていたハウリナが、頭の上の獣耳を立てて周囲を確認し出した。
「どうし――」
「シッ。鼻がバカになってて、耳で聞いてるです」
「――『動体を察知』」
棒を握り締めて警戒するハウリナを見て、テグスは直ぐに索敵の魔術で周囲を確認する。
すると今歩いている長い通路の先の角に、何かが潜んでいる反応があった。
それは常にゆっくりと動いている、《悪食腫人》の反応ではないものだ。
テグスは一瞬だけ《探訪者》かもと考えたが、たった一つしか反応が無いので、その可能性を消した。
「……ティッカリを先頭に、何時攻撃されても良いように心構えをしつつ、この通路を進もう」
「はい。分かったの~」
「キリキリと嫌な音がするです」
三人はあからさままでに警戒しながら、ゆっくりと通路を歩き進んでいく。
その歩みが十を数えた時、角から《魔物》が飛び出してきたのは、真っ黒で細身な一匹の犬。
それは三人へと相対しつつ、地面に落ちた餌を食べるかのように、急に頭を地面に下げた。
「背に、弓があるです!」
「だから《機械弓犬》なのか」
「叩き落すの~」
《機械弓犬》と思われるその《魔物》は、背に付いている巻上げ機構のある機械弓から、短矢を三人に向かって放ってきた。
飛んでくる矢を、ティッカリはテグスとハウリナの壁になるように前に立ち、両手の突撃盾を横合わせにして防御して、弾き飛ばした。
「機械弓なら、巻き上げに時間が掛かるはずだ。突っ込むよ!」
「いくです!」
脚力に自信のあるテグスとハウリナは、《機械弓犬》へと全速力で駆けていく。
しかし二人が《機械弓犬》の間を埋める前に、機械弓の二射目を放たれてしまう。
狙われたハウリナは軽く制動をかけながら、黒棍を身体の前で風車のように回して、飛んできた矢を打ち払う。
テグスは彼女の横を通り過ぎつつ、なまくらな短剣を抜いて《機械弓犬》へと放った。
だが手投げするにはやや距離が開きすぎていたのか、《機械弓犬》の鼻面を引っ掻くだけで終わってしまう。
それを走り寄りながら確認したテグスは、もう一本短剣を抜いて、今度は必中距離になるまで投擲を少し待つ。
「『身体よ頑強であれ(カルノ・フォルト)』」
そして身体強化の魔術で投擲速度を上げて投擲し。飛翔する短剣は、一直線に《機械弓犬》へと向かう。
しかしその軌道を見切っていたのか、四つ足で横っ飛びで回避された上に、短矢での反撃を許してしまった。
眉間を正確に射抜く軌道のその矢を、テグスは左手を上げて手甲で防御する。
矢は手甲に当たって滑り、威力を弱めて軌道を変えたのだが、テグスの額の左側に当たってしまった。
「痛ッ、メイピルさんに感謝だね!」
勧められて買った《突鱗甲鼠》の殻の半兜が役割を果たし、テグスは衝撃を受けたものの無傷で切り抜けた。
さらに寄って、《機械弓犬》に肉薄する事に成功したテグスは、片刃剣を抜いて斬りかかる。
だが相手も犬の姿形をしている《魔物》だけあり、咄嗟に四つ足で跳び退いて、皮とその下の肉を少しだけ斬る事しか出来なかった。
「あおおおおおぉぉぉん!」
そこに追いついたハウリナの、黒棍の一撃が振り下ろされる。
だが素早くハウリナの脇を潜って抜けた《機械弓犬》は、そのままハウリナの背後で反転し、機械弓の先を向けてきた。
「とおおぉ~~~~~~」
鎧はあれど無防備な背中を曝すハウリナから、《機械弓犬》の注意を引き剥がす為か、ティッカリが気合の掛け声を上げながら突っ込んでいく。
少し《機械弓犬》は迷う素振りを見せたが、ハウリナの体勢が整いつつあるのを見てか、ティッカリへ弓の狙いを変更した。
真っ直ぐに近づいてくるティッカリに放たれた短矢は、しかし彼女の盾に払われて地面に転がる。
そして前にティッカリが後ろにハウリナと、逃げ場を失った《機械弓犬》は、急に大口を開けてティッカリへと襲い掛かってきた。
恐らくハウリナに比べてティッカリの動きが遅いことが、襲う相手の基準になったのだろう。
しかし圧倒的な破壊力を持つティッカリに接近戦を挑むには、あまりにも荷が勝ち過ぎていた。
「ていやぁ~~」
口を開けて喉元を狙ってきたその顔に当てるようにして、ティッカリは右の突撃盾で真っ直ぐに殴りつけた。
すると顔が拉げて首の骨が折れた《機械弓犬》は、殴り飛ばされて地面を転がる間に、腰骨を中心に手ぬぐいを絞ったような姿に。
「ひ、ひどい姿になってしまったです」
「ティッカリが助走をつけて殴ったからね」
地面を転がって丁度足元に来た、ボロ雑巾の見た目な《機械弓犬》を、哀れな目で二人は見つめた。
それに気が付いてないティッカリは、褒めて欲しそうな飼い犬を幻視してしまうほどに、嬉しそうな笑顔を浮べながら二人に近づいてくる。
「ティッカリの防御の厚さが光った戦いだったね」
「それと、破壊力はさすがです」
「えへへ~、そんなこと~ないの~~」
ティッカリは言葉では謙遜しながらも、二人から褒められて嬉しいのか、身体がむず痒いかのように身をくねらせる。
その後で、ティッカリに周囲の警戒をさせながら、テグスとハウリナは素早く《機械弓犬》を解体しにかかった。
「中身がスカスカです」
「ティッカリの攻撃でねじれちゃったのは、胴の中が機械弓の短矢と、装填する機械しか入ってなかったからか」
腹を捌いて中を見てみれば、短矢の少量詰まった小さな箱と、そこから歯車や糸で背の弓へと運ぶ機構以外に、内臓は存在していなかった。
なので先ずその機械群と機械弓を、身体から取り外したのだが。
結果として犬の部分は毛皮がボロボロになった上に、肉も薄くしか付いてないので、素材にも食料にもならない。
そのまま捨てるものなんなので、一応は魔石に変えてみたのだが、《小迷宮》の雑魚並みに小さなものしか出なかった。
「それなりの大きさの魔石が取れるが臭い相手と。金属部品と機械弓が手に入るけど手強い犬。どっちも戦いたくない相手だね」
「犬の方がマシです」
「臭いのは嫌なの~」
「なら可能な限りは、犬を相手にするようにして進もうか」
獣人のハウリナの鼻と耳に、テグスの索敵の魔術を併用し、三人はなるべく戦わずにすむ道を選ぶ。
それでも回避出来ない場合は、出来るだけ《機械弓犬》に当たるようにして、迷宮内を進む。
上層や中層とは一線を画す、二種類の《魔物》との戦いでの疲労が溜まらないようにと、三人は階段で小休憩を挟みながら下の層へと向かう。
そうして出現する《魔物》が切り替わると教えられていた、二十五層へとやって来たのだが――
「ぬおおおおおおぉぉぉ!」
「くたばりやがれ、この骨野郎!」
「矢は効果が無いから、貴方たちが頼りなんだからね!」
植物の蔓の様に機械が絡まった人骨が、剣を持って動いている《魔物》――《絡繰人骨》と、死闘を繰り広げている《探訪者》たちの姿と。
「ぐああぁぁ、なんでこんな珍妙な鳥がこんなに強いんだ!?」
「そりゃあ、厄介な足技に加えて、嘴が鉄以上に硬い所為だろ!」
「しかも脚がやたらと綺麗で良い形なのが、ムカつき具合を加速してるし!」
見た目の姿は巨大な鳥なのに、脚だけは人間そのものな見た目の、変わった《魔物》――《人足巨鳥》に翻弄される《探訪者》たちの姿が広がっていた。
「……対策を整えてから、また来ようか」
「きっと戦えば倒せるです。でも、地上に戻るには今がいい時間です」
「皆さん、頑張っているの~」
明らかにテグスたちよりも人数が多く、それに加えて連携が上手で装備も充実している人たち。
なのに彼らが、その二種類の《魔物》に四苦八苦しているのを見たのと。《悪食腫人》と《機械弓犬》の戦いで心理的疲労が蓄積していた事もあって。
今日は二十五層以下に挑むのは止めようと、三人揃って早々に諦めてしまった。
「今から二十層まで昇らないといけないのかな~?」
「下層は食べ物が出ないので、おいしくないです」
「……だから、二十層に居た人たちはウンザリした顔をしていたのかもね」
二十層以下は、正しく進むも難しく戻るのも厳しい《魔物》しか出ないと知っているなら、あの時の彼ら彼女らのような顔になるのも仕方が無いと、テグスは頷けたのであった。