3話 『新米探訪者』の仲間入り
孤児院で自分に割り当てられたベッドで眠れる最後の日を過ごし、テグスは孤児院の誰も起きないほどの朝早くに起きた。
炊事場に用意してあった、こっそり先に起きていたらしいレアデールの作った朝食を味わって静かに食べる。
そして少ない私物が入った背負子を持って、孤児院と併設の《探訪者ギルド》の支部にやってきた。
「おはよう御座います、テマレノさん」
「ん、ああ。お早うさん。どうしたこんなに早く?」
まだ日が昇りきらず、薄暗い中で油灯ランプの光りの下で、何かしらの本を読んでいた壮年の男が顔を上げる。
治安の悪い《雑踏区》の支店では、防犯の面から夜から朝にかけては、このテマレノの様に引退した《探訪者》が、ギルド職員となって受け付け業務をする事が多い。
もっとも、夜遅くまで《小三迷宮》に潜る奇特な人など滅多に居らず。
要するに支部と孤児院の警備員代わりだ。
「今日から十三歳で成人ですから、仮登録から本登録に切り替わるんですよ」
「ああそうか。まったく、あのハナ垂れ坊主がもう大人か」
「それって決まり文句なんですか。《中町》のクテガンのおっちゃんにも、同じ様な事を言われたし」
「あの武器バカと一緒にするな。おら、本登録してやるから、仮証を寄越せ」
過去に鍛冶師のクテガンと何かがあったのか、テマレノは憮然とした態度でテグスの方に厳つい手を差し出す。
その手の平の上に首から仮登録証の付いた皮ひもを外し、余計な事はもう言わずに素直に置いた。
テマレノは木で出来た仮登録証を指で真っ二つに折ると、受付の戸棚から鉄色の板を取り出す。
それのど真ん中に、彫金鏨を判子の様に打ち付けて紋様を刻む。
「ホラよ。新米探訪者の証明の《鉄証》だ」
「ありがとう。早速、近くの《小迷宮》――《小三迷宮》を攻略したいんだけど。大丈夫ですか?」
「待て待て。お前ら孤児院上がりは、どうも生き急ぎがちだな。決まりだから、大人しく規則を聞け」
テマレノは自分の横を指差して、テグスに受付にある椅子に座れと指し示す。
テグスは大人しく、背負子を背から手に持ち替えて、渋々と指示された椅子に座る。
「さて、孤児院出身者が陥りがちな間違いを含めて、色々と教えてやるから耳の穴掃除して良く聞けよ?」
「はーい」
小指の爪で、左右の耳の穴の掃除をざっとしてから、テグスはテマレノの顔をじっと見つめる。
「よし。まず仮登録と本登録の違いに付いてだ。何が違うか知ってるか?」
「違いって言っても、子供用と大人用って事だけじゃないの?」
「チッチッチ、甘い。仮登録は確かに子供用――もっと言えば貧民の子供や孤児用だ。だからこそ、色々と優遇措置が取られているわけだ」
「……別に、何か得した覚えは無いけど?」
「いいや、知らずに得しているのさ」
そう言ったテマレノは、受付の棚から一巻きの羊皮紙の巻物を取り出した。
それを受付の机の上に大きく広げた。
中心に大きく丸が描かれ、それを囲むように正四角形が。更にその外側に、崩れた七角形の線が引かれている。
「ここの地図がどうしたの?」
それはテグスも孤児院で《ゾリオル迷宮区》の地理を学ぶのに用いた、ここの《迷宮都市》の大まかな簡略図である。
《中心街》を表す丸の中心に一つと、《外殻部》を表す正四角形の中に等間隔に四つ、《雑踏区》を表す七角形の線の内側にバラバラに七つの赤の点が書き込まれてある。
この点、一つ一つが迷宮の位置を表していると、テグスは教師役を務めたレアデールから教わっていた。
しかしその地図と、テマレノの言う優遇措置がかみ合わず、テグスは不思議そうに首を傾ける。
「良いか。仮登録証だと《小迷宮》の突破条件は何だったか覚えているか?」
テマレノが先ず指し示したのは、《雑踏区》のとある迷宮の赤い点。
それはテグスがもっと小さい頃に一番最初に入った、この支部から一番近い《小三迷宮》と俗称されている《小迷宮》のある場所だった。
思い出深い場所を指されて、テグスは思わず当時の事を思い出し始めた。
「たしか、《小三》《小四》《小七》の迷宮の最下層へ到達で。《中迷宮》のある《外殻部》の立ち入りが許可された……はず?」
「よく覚えていたな、その通りだ。子供用の仮登録だと、《小迷宮》の最下層到達が三つで《中迷宮》への探訪が許可され。《中迷宮》の内、二つの十階層の到達か、一つの二十階層の到達で、《大迷宮》への探訪が許される」
「それが優遇措置って事。じゃあ本登録だと同じ条件じゃないって訳だね」
「お、冴えてるな。本登録に際して、《中迷宮》への許可は《小迷宮》全ての『攻略』だ。ちなみにだが《大迷宮》への許可は、一つの《中迷宮》の『攻略』か、四つ全ての二十階層に到達だな」
「攻略って《迷宮主》を倒せって事?」
一縷の望みを掛けて尋ねたテグスの言葉を、テマレノは大仰に頷いて肯定した。
それを見て、テグスは大げさに項垂れて、重々しい溜め息混じりの愚痴を零し始めた。
「うへぇ~、こっちは《門番の間》に居る《階層主》ですらヒーヒー言ってるのに。《中迷宮》の《迷宮主》を倒すなんて、夢のまた夢だよ~」
「単独で突破しろ、と言うわけじゃないぞ。同程度の熟練した仲間と連れ立って攻略すりゃあ、四つの中迷宮の二十階層到達は直ぐ出来るだろうよ。最も、そういう《迷宮主》から逃げて《大迷宮》に来た輩は、《大迷宮》の熟練者から下に見られちまうから、余りお勧めはしないがな」
それを聞いて、テグスは《大迷宮》の中に居る《探訪者》でも、随分と実力の差の幅が広いと思っていた謎が解けて、少し納得した。
昨日、テグスが《大迷宮》で出会った人たちを例にすると。
マッガズとミィファの仲間たちは《迷宮主》突破組で。
《門番の間》の前の小部屋で屯していた、テグスを蹴り入れた奴らが逃げた組なのだろう。
そう納得出来てしまうほど、両者の間には隔絶した実力差を、テグスは感じていた。
「それじゃあ、《迷宮主》を倒せる実力が出来てから《大迷宮》に行けって事?」
「お前が《大迷宮》でそれなりの活躍――《中町》に単独で行ける事は分かるがな。あそこまでは《清穣治癒のキュムベティア神》の慈悲で《中迷宮》までのおさらいだぞ。《中町》以降の中層と呼ばれる所から、《大迷宮》は本番なんだ。
お前は《中町》で、誰かに中層に行くの止められなかったか?」
「そういえば……門番の人に『仮登録証を持った者は、ここから先には行けない。本登録してまた来い』って言われてたっけ」
「それも優遇措置と言えるな。普通の《探訪者》には、そんな忠告などしやしないからな」
恐らくテマレノがいま言ったのは、優遇措置の件の中のほんの一部だけだろう。
それほど《探訪者ギルド》は、この《迷宮都市》で育つ孤児や子供たちに眼と期待を掛けていると言う事だ。
意外と知らないところで、色々と優遇措置を受けていたらしいとテグスは察して。こうして今まで無事に生きて来れて、ありがたいという気持ちになった。
「つーわけでだ。テグス、お前がこれからしなきゃならんことは、全ての《小迷宮》の速やかな攻略と、信用出来る仲間を見つけて《中迷宮》に挑む事だな」
「そうだね。でも《雑踏区》で気が合う相手を探すのは、かなり大変そうだけど~」
「不貞腐れるな。《中迷宮》以降で仲間に出来るのは、仲間を誰か死なせた半端者だけで、逆にそういう所に入ると命が危ないんだぞ。むしろ《雑踏区》で見つけた仲間を、一人前の《探訪者》に育て上げるぐらいの気概を見せんか」
「ずーっと独りで迷宮に潜っていたから。誰かに物を教えるのは苦手って、チビたち相手で知っているから、気が重いんだよ~」
「ふんッ。そんな個人の資質までは、こっちの知ったことじゃない」
テグスの愚痴を一刀両断して、テマレノは何か他に尋ねる事はあるかと視線で問い掛けてきた。
テグスは「う~~んとぉ~」と、何かを忘れている様な気がして、本気で頭を捻って思い出そうとする。
「え~~っと……あ、そうだ。魔法だ魔法! 成人になったら、魔法を《探訪者ギルド》が教えてくれるって話だった!」
さび付いた鍵がふとした拍子で開いたかのように、テグスは重要な事を思い出せて嬉しがった。
その姿をみてテマレノは、面倒な事を思い出したと言いたげな、重い吐息を吐き出した。
「いや、まあそうなんだが。魔法の前に先ず教えるのは魔術だからな」
「……魔法と魔術って、同じじゃないの?」
テグスのそんな素朴な疑問に、テマレノはその説明の面倒さを思い描いたのか、凄く嫌そうな顔をしている。
「大雑把に言うなら、魔法はスゴイ、魔術はショボイだな」
「……説明になってないし」
「分かってるよ。バカなヤツはこれで納得するから、一応支部の職員は先ずそう口にする事に成ってんだつーの」
受付の机の上に広げていた地図を巻いて戻し。
続いて別の棚から二冊の本を取り出した。
羊皮紙の厚みで本が閉じられないのか、無理矢理金具で閉じられているほどに両方とも分厚い。
「こっちが魔術で、こっちが魔法に関して書かれた本だ。受付職員に言えば貸してもらえる。ただし、支部からの持ち出しは厳禁。持ち出したら、即手配書が回るからな気をつけろよ」
「分かった。それで魔法と魔術の説明は?」
「チッ。お前、相変わらず微妙に頭が良いよな。普通のガキなら、ここで「分かりました!」って言って帰る場面だぞ」
二冊の本を棚に戻し、テマレノはテグスの目の前へ指を伸ばす。
すると『ボッ!』と聞こえる音と共に、その指先から小さな火が出現した。
「この火を出すのは、魔法か魔術か。どっちだと思う?」
「えぇ~っと、魔法?」
テマレノの見事に引っ掛かったと言いたげな表情から、テグスの考えて出した答えは間違っていたようだ。
「残念、これは魔術だ。お前も迷宮内で《探訪者》がやっているのを見だだろう《身体強化》や《気配察知》に《鍵開け》も魔術だ」
「そ、そうなの。てっきりあれって魔法だと思ってた」
「《探訪者》の多くが使える。言い換えるなら、大抵の人間がちょっと学べば使えるのが、魔術の特徴だな。元々は魔法を使えない人が、魔法と似た事が出来ないかを研究して出来たのが魔術だからな」
「という事は、魔法は誰でもは使えないって事?」
「そうだ。才能が無いと、魔法は使えない」
「レアデールがほいほいと魔法使ってたから、誰でも出来るんだと思ってた」
昨日夕食を作る時に、レアデールが使用していた魔法を思い浮かべながら、テグスは意外そうに言った。
テマレノはその認識違いに苦笑する。
「あいつみたいに、樹人族はほぼ全員《精霊魔法》が使えるんだよ。お前は人間だからな、まず魔法が使えたら幸運だと思った方が良い」
「人間って、そんなに魔法を使う人いないの? 迷宮で何人か杖振って火の玉出していた人居たけど?」
「迷宮に挑むのには、そういう稀少な輩も偶にいるさ。まあそいつらは、どこかの国に仕官していて、ここに箔付けに来ているのが多いな」
「ふ~ん、じゃあ先ずは魔術を覚えた方が良いの?」
「そうだな。魔術の方が日常と迷宮で便利なものが揃っているからな。迷宮の攻略に役立つぞ」
「そうなんだ。じゃあ《小三迷宮》に行った後で、魔術の本を借りるよ。それでさ、何か《依頼》無い?」
一通りの説明を受けて納得したテグスは、支部に早起きの《探訪者》の一団がやってきたのを見つつ、そうテマレノに聞いた。
テマレノももうそんな時間かと言いたげに、明るくなった外をちらりと見ていた。
「そうさな。《小迷宮》程度の依頼は在る様で無い様な物ばかりだが……おっと、《小三迷宮》なら《殲滅依頼》が出てるぜ、全階層にだ」
「殲滅って、あれでしょ。階層にいる《魔物》を出来るだけ倒して、死骸はそのまま放置、っていう変わった依頼だよね」
倒した《魔物》からは素材や肉を取り出し、魔石化させるのが普通だ。
大抵の《依頼》も、そういう素材や肉を得る為に、金品を代わりに提供する。
なので《殲滅依頼》と言うのは、一種変わった作業内容である。
もっとも。
「大抵の《探訪者》は《小迷宮》を通過点としか考えてない。素材も依頼するほどの物じゃないし、魔石も砂みたいな屑しか出ないからな。だから倒される数が少なくて、繁殖して《迷宮》から溢れかけるなんてざらだからな。一定期間毎で《小迷宮》では《殲滅依頼》が出されるんだ」
「もしかしてこれも、子供と孤児たちへの優遇措置ってやつ?」
「お、よく判ったな。増えすぎた《魔物》を減らして安全を確保するのさ。しかもその際に打ち捨てられた《魔物》は、若い《死体漁り》たちの重要な収入や食料源になるんだぜ」
「そうなんだ……じゃあその《依頼》受けるから、手続きしてよ」
「おいおい、依頼料を聞かずに了承して良いのか?」
「今まで優遇措置を受けてきた、お礼代わりに受けようって思ってね」
「はぁ……お前は何でそう、お人よしかね。昨日も《大迷宮》で取ってきた魔石を、ぽんと孤児院へ寄付しちまったらしいし」
テグスの将来を心配していそうに独り言を呟きながら、テマレノは《依頼》の処理をして控えをテグスに手渡す。
「それじゃあ、新米探訪者テグス。初依頼と初迷宮の探訪に行ってまいります!」
「おおよ。確り気張って来い」
行った行ったと手でぞんざいに追い払われつつも、テグスは意気揚々と背負子を持って迷宮へと向かっていった。