2話 孤児院へ帰宅して
《雑踏区》にある七つの《小迷宮》の内の一つ。
《小三迷宮》として知られる三番目の迷宮の程近くに、《探訪者ギルド》の支店と併設されたテグスが育った孤児院がある。
そこに夕方遅くに到着したテグスは、遠慮無しに支店の中へと入っていく。
「こんばんはー。相変わらず暇そうですね」
「おお~、テグスじゃん。新しい剣を買うなんて、《大迷宮》で随分稼いできた様じゃない?」
「これは依頼達成の報酬で、買った訳じゃ無いですよ。うんしょっと……はい、集めた魔石」
「お、毎回悪いね。《雑踏区》の迷宮だと、この大きさの魔石はなかなか手に入らないから、貴重で良い値で売れるのよ。かなり助かる」
「今の今まで寝床を提供してもらったお礼のお返しには、まだ全然稼ぎ足りないでしょうけどね」
「ははッ。《小迷宮》で間誤付いている悪たれどもに、《大迷宮》を歩く《探訪者》らしいその台詞を聞かせてやりたいよ」
「明日からは『新人探訪者』の仲間入りですけどね」
「ああそうか、明日が誕生日だものなぁ……」
支店の中を通り抜ける合間に、受け付けに居る中年の女性へと軽く言葉を交わしつつ、背負子に括りつけてあった袋を取り出して渡す。
その際に袋から、魔石以外の《中町》で購入した物品は回収して、背負子の中に入れて替えてある。
一方の受付の女性は、テグスの成長に感慨深いものがあるのか、それとも自分に寄る年波を自覚してかしんみりとした口調をしていた。
女性と別れたテグスは、支店の横にある孤児院へ通じる裏口を通り抜ける。
「あー、テグス兄ちゃんだ!」
「にいちゃーん!」
「まだ夕食は食べてなさそうだね」
「うん、まだだよー!」
「兄ちゃんが、美味しい肉持ってくるって、お母さんが言ってたー!」
「じゃあ早く持って行かないとな」
テグスを視界に入れた五歳以下の幼児が、ワラワラと彼に纏わり付いてきた。
それぞれの頭を撫でつつ、夕食の為にテグスは孤児院の中に入っていく。
無論、幼児たちは彼の後に付いて、孤児院の中の調理場へとワラワラと歩いていく。
「ただいまー、レアデールさん。お土産は《大迷宮》の《角突き兎》で良かった?」
調理場の隅で背負子を下ろして、中に居る人に背負子から角が付いた大きな兎に見える生き物を、三匹も取り出して掲げて見せる。
「あら、テグス。ずいぶんと遅かったじゃない。でも、いい兎を持ってきたから許してあげるわ」
「うさぎだー。おいしい、うさぎだー!」
「お肉、お肉ー!」
「ほらほら、あんたたちは夕食の準備の邪魔しない。あっちで遊んでなさい」
「「はーーい!」」
幼児たちを散らせながら、もう大体の夕食の準備を終わらせてテグスの方を見ているのが、この孤児院を取りまとめる女性であるレアデール。
ほっそりとした長い手足を持つ涼やかな面持ちの見た目は、テグスの姉だと言われても納得出来そうなほどに若い見た目だ。
しかし彼女の特徴的な緑色の髪と、人と同じ様な大きさの耳なのにその先だけが葉っぱの先端みたいに尖っているのを見れば、《人間種》のテグスとは違う種族だと分かるだろう。
そうレアデールは樹木の股から生まれ出でたといわれる、稀少な長命種である《樹人族》の女性だ。
「でも、ここに帰ってきたんだから、私の事はちゃんとお母さんって呼びなさい」
「えぇ~……明日から成人になるんだから、何時までもお母さんって呼ぶのは可笑しいでしょ?」
「あら。私にとって、この孤児院で育ったのは全員可愛い子供なのよ」
「じゃあ、歳を取ってお爺ちゃんになっても、お母さんって呼ばないといけないの?」
「当たり前ね。実際に《外殻部》に居る、皆から御隠居って呼ばれている子も、私の事をちゃんとお母さんって呼ぶわよ」
一体彼女は何歳なのかと誰でも不思議に思うだろうが、テグスは女性に歳の話題は駄目だと、当のレアデールに教わった為に迂闊な事は口にしない。
レアデールに育ててもらった恩があるし、実際に母親だともテグスが思っているから尚更だ。
それに付け加えると、テグスは《大迷宮》に潜るようになってから気が付いた事だが、レアデールはかなりの実力があるのだと、彼女の身のこなしの端々に感じられた。
それこそ《大迷宮》の下層で活躍する様な、有名な《探訪者》にも引けを取らない程の。
なので自分の生存本能に従い、テグスはレアデールには極力逆らわないようになった。
でも孤児院の悪ガキ相手でも、レアデールが躾け以外で怒った事も暴力を振るった事も無いので。これはあくまで、テグス個人が用心する為に決めた事だとは付け加えておこう。
「じゃあスープに入れちゃうから、その兎を適度に捌いちゃってくれる?」
「肉を一口大で良いんだよね」
「骨はまた明日のスープに使うから、捨てないでね。あと手を洗って、その錆びた短剣じゃなくて、包丁を使いなさいね」
「はーい」
迷宮内での素材剥ぎの癖で、ついうっかりと腰の箱鞘の短剣を引き抜いてしまったテグスは、慌てて手を洗って包丁を握る。
短剣と包丁の差があるとは言え、長年動物やそれに類似する生き物を捌き続けただけあって、テグスの手際はかなり良い。
あっという間に三羽の大きい《角突き兎》を骨と肉や角に捌き終え、肉を幼児が食べるための控えめな一口大へと切り分けていく。
「火の妖精さん~、美味しく美味しく、お料理を作りましょう~♪ 今日はお肉の入った~、美味しいスープが出来るはず~♪」
それを横から受け取ったレアデールは、自分で作詞したであろう歌を歌い始める。
すると火の気の無かったはずの竈に独りでに火が入り、赤々と燃え始める。
それは《精霊魔法》と呼ばれる、《樹人族》の得意な精霊を用いた魔法。
それを料理に使おうと言う常識外れな光景を見せつつ、取っ手付きの平鍋に兎の皮から取った油を馴染ませた後で、肉を炒めてからスープ鍋の中へと入れていく。
その後で刻んだ萎びた安価な野菜を投入し、お玉でぐるぐるとかき回し始める。
「風~の妖精さん~、固いパンを薄く切って下さいな~♪ 水~の妖精さんは、瓶から水差しに水を移してね~♪ 有り難う皆、大好きよ~♪」
調理台の隅に置かれていた、硬く焼き締められたパンが浮き上がり薄く切られ、優しくバスケットの中に着陸する。
流しの横に置かれている大瓶から、水が独りでに細く立ち昇り、レアデールが掲げた水差しの中へと入っていく。
それはテグスにしては見慣れた光景だが、赤の他人が見たら手品かと驚き、その見事さにお捻りを投げ込む事だろう。
「じゃあ荷物を部屋に置いてくるから。明日の引越しもあるし」
「は~い。夕食の仕度が終わったら、呼びに行かせるからね~」
楽しげに料理をするレアデールから分かれ、テグスは背負子を背負うと、この孤児院にある自分に割り当てられたベッドのある部屋へ向かって歩き出した。
まだ迷宮に入れない幼子たちと、迷宮からお土産を持って帰ってきたやや大きな孤児たちに囲まれて、テグスは慎ましくも騒がしい夕食を取り終えた。
「テグスにーちゃん、だーめーきゅうのお話してよぉ~」
「《中町》のお話でもいいから~」
「ほらほら。あなた達はお夕食を食べたら、歯を磨いておトイレ行ったら、ベットに入って眠るの。そうしないと、テグスみたいに強い《探訪者》に成れないわよ~」
「「ううぅ……は~~い……」」
今居る孤児院の孤児の中で一番強く、《大迷宮》にも潜るテグスの話を聞きたがった幼児たちだったが、レアデールの言いつけに渋々従う。
幼児たちの就寝を手伝うために、テグス以外の大きな孤児たちも、ぞろぞろと部屋へと向かっていく。
そしてテグスとレアデールだけが、この部屋の中に残った。
「さて、テグス。明日から大人の仲間入りするけど、大丈夫?」
「うん。《大迷宮》で武装コキトの短剣を大分補充したし、クテガンのおっちゃんに餞別の剣を貰ったし」
「住むところは大丈夫なの。この一、二年は家に帰って来たとき以外は、《外殻部》の宿に泊まっていたんでしょ。《雑踏区》の宿に当てはあるの?」
「う~ん、当てはあんまり無いけど。ギルドが紹介してくれる、割高の宿でも良いかなって考えてる」
「そうなの。じゃあお金が足りなく成ったり、怪我したら戻ってらっしゃい。お部屋は無理だけど、軒先は貸してあげられるからね」
「それは優しいのか厳しいのか、判断がつかない提案だね」
夕食に使った食器を洗い桶の中に入れた後で、木の杯に入った水を飲みつつ、今後の話を進める二人。
レアデールは旅立つ子供を心配する母親の顔で、テグスは《大迷宮》にも通う自負を表情に浮べた顔で話し合う。
アレはあるのか、これは準備したのか。こうなったらどうするのか、ああなったらこうしろ。
そんな近い将来の話は長い会話の中で出尽くしたのか、段々と話題が脱線を始める。
「テグスが来た年は、他に子供も来なくて。その後もテグスと同じ年頃の子が来なくてね。しょうがないって《小迷宮》にテグス一人で向かわせる事に、ハラハラした事を今でも思い出すわ」
「逃げ足に自信があるから大丈夫、って言わなかったっけ?」
「あのね。迷宮に行って逃げてくるって言う子に、心配しない親は居ないわよ」
「う~ん、本当に逃げ足に自信があったんだけど。《中迷宮》の突破試験も、足で逃げ切ったのが大きいし」
「でもあの後、私は試験官に渋い顔されたのよ。お宅のお子さんは武器も持たず、一日で《中迷宮》の試験を逃げだけで突破した、大変珍しい子だって」
「だって、子供用の仮登録証の《中迷宮》突破試験は、二つの《中迷宮》の十階層に到達だったから。戦わずに逃げ切っちゃった方が早いかなって思って。でもあの後、レアデ――お母さんにこっぴどく怒られたっけ」
「そうよ。まさか迷宮に武器無しで挑む馬鹿が、家の子に出てくるなんて思わなかったもの。死ぬ積りなんじゃないかって、本気で心配したし~」
「なんであの時の事を思い出して、不機嫌になっちゃうかな」
「不機嫌じゃありません~。呆れているんですぅ~」
過去の出来事を持ち出されては、テグスに勝ち目が無かったようで。
その後もレアデールの攻勢に、テグスはたじたじに成ってしまった。
しかしそんなテグスの窮地に、救世主が現れた。
「おかあさ~ん、おねむできない~。おうた歌って~」
孤児院に居る幼児の中で一番の甘えっ子が、レアデールに子守唄をねだりに起きて来たのだ。
「あらあら。それじゃあお歌、歌いましょうね。どんな歌が良い?」
「う~んとね、う~んと。子ねこのおさんぽ~」
「はいはい。じゃあ抱っこして、寝室に行きましょうね~。テグスは明日、ちゃんと早くに支部に行くのよ。余り遅いと、人で混むから!」
「了解です、お母さん。食器は片付けておくからさ、お休み~」
「おやすみなさい。ほら、テグスお兄ちゃんに、おやすみは」
「おやす~み~」
「はい、おやすみ~」
二人が見えなくなるまで手を振ってから、テグスは椅子から立ち上がって洗い桶の食器を洗い始める。
その手つきは嫌に丁寧で、もうここで皿を洗う事も無いのかと、感慨深く思っているのが透けて見えていた。