44話 《中一迷宮》の《第二階層主》
さて、手前勝手な悪漢たちから逃げる為に、テグスとハウリナは意図せずに、二十層の《階層主》に戦いを挑む事になった。
二人が足を踏み入れた瞬間に、十層の《階層主》と同じ現象を起こした後で《階層主》が出現する。
それは全身が濁った水晶のような物体で作られた、人間の大人よりも一回り大きな、人型の《魔物》だった。
「ハウリナ、出し惜しみ無しで、最初から全力で行くからね」
「うん、全力で速攻で倒すです!」
「『身体よ頑強であれ』!」
「『身体よ、頑強であれ』!」
テグスは《補短練剣》を仕舞った代わりに片刃剣を抜き、ハウリナは黒棍を握り、二人とも背負子を下ろして身体強化の魔術を自身に掛ける。
これは出現した《魔物》――《晶糖人形》が手強いと、テグスだけでなくハウリナも直感したからだ。
陰気そうな女性職員ことルーディムが、名称と共に教えてくれた強さよりも、さらに上だと告げていた。
その直感が正しいように、《晶糖人形》は普通の人間よりも素早く移動し、二人へと近づいて攻撃しくる。
距離が離れていたこと、身体強化の魔術を使用していたことが合わさり、二人はどうにか《晶糖人形》の攻撃を避ける。
そしてテグスは剣を、ハウリナは黒棍をお返しに叩きつける。
「硬い! 『刃よ鋭くなれ』」
「壊れないです。 『衝撃よ、打ち砕け』」
予想以上の硬さに、テグスは鋭刃の魔術を込めての片刃剣でもう一撃。
ハウリナも追従して、新たに覚えた『震撃』の魔術を黒棍に込めて、攻撃する。
その二つの攻撃を、《晶糖人形》は腕で防御した。
片刃剣は甲高い音を立てて、《晶糖人形》の体表を滑って行き。黒棍は重々しい音を立てて、当たった場所に軽い皹を入れた。
ハウリナの一撃で傷を負わせられた事に怒ったのか、《晶糖人形》は腕を大きく振って、二人を遠くへと弾き飛ばした。
「どうやら、ハウリナの攻撃の方が有効みたい」
「なら、叩いて叩いて、粉砕です!」
《晶糖人形》は時間経過で回復する事は無いのか、腕に入った皹が消えていったりはしない。
なのでハウリナに攻撃を任せて、テグスはその隙を作る手伝いと、役割を分担する事にした。
「『身体よ頑強であれ』」
「『衝撃よ、打ち砕け』」
なのでテグスは可能な限りに魔術で身体強化を掛け、片刃剣を使って《晶糖人形》を押し止める。
ハウリナは止まった《晶糖人形》の手足に黒棍を叩き付け、ひび割れの頻度を加速させていく。
そのまま押し込められるかと思ったが、一方的に打ち据えられていた《晶糖人形》だが、唐突に狂ったように手足を振り回して暴れ出した。
「くそっ、大人しくしていろよ」
「壊してあげるです、きゃんッ!」
テグスはどうにか暴れる《晶糖人形》を抑えようと必死になったが、体格の差があるので難しい。
間誤付いている間に、ハウリナの身体に《晶糖人形》の手が当たってしまった。
「ハウリナ!?」
「だ、大丈夫です。かすっただけです」
そうは言うが、痛そうに肩を押さえるハウリナを見て、テグスは彼女と共に一旦距離を取る事にした。
だが距離が離れると、《晶糖人形》は手を振り回し暴れながら近付いてくる。
駄々っ子の仕草に見える行動だが、その振り回す手の一撃は、幼子のものとは比べ物にならない。
「『我が魔力を火口に注ぎ、呼び起こすは噴出する炎(ヴェルス・ミア・エン・フラミング、ミ・ボキス・ラケーテ・フラモ)』!」
このまま近付かれたら不味いと、テグスは炎の壁の五則魔法を使った。
後ろ腰から抜いた《補短練剣》の切っ先が描く軌道上の石床から、炎が立ち昇り二人と《晶糖人形》を隔てる。
そこでテグスは数秒は安全だと、一瞬気を抜いた。
その意識の間断を狙ったわけでは無いだろうが、《晶糖人形》が身体を燃やしながら、炎の壁を突破していた。
「なッ、そんな――」
「テグス、危ないで――きゃわッ……」
驚いて一瞬固まったテグスを狙った攻撃を、ハウリナは横合いからテグスに体当たりして避けさせる。
代わりにハウリナの《平硬虫》の甲殻で作られた胸鎧に、《晶糖人形》の振り回した拳が当たった。
その一撃で鎧が木の板だったかのように、砕け散ってしまった。
それでも攻撃の衝撃を吸収し切れなかったのか、ハウリナは息を詰まらせたように言葉を途切れさせ、後方へと吹っ飛んだ。
「くッ、『我が魔力を火口に注ぎ、呼び起こすは火閃の炎(ヴェルス・ミア・エン・フラミング、ミ・ボキス・リニオ・フラモ)』!」
吹っ飛ぶハウリナを追い駆けそうになった目を止めて、《補短練剣》の先を《晶糖人形》へと向け、火閃の魔法を至近距離で放つ。
ドロドロと体表を溶け出させながらも、《晶糖人形》は腕を振り上げ、テグスを打ち据えようとしてきた。
「『衝撃よ打ち砕け』!」
テグスは咄嗟の判断で、右手の片刃剣を手放し震撃の呪文を唱え、拳を握って《晶糖人形》の腕へと殴りかかる。
拳と腕がぶつかり、テグスの手甲からひび割れる音と、炎で焦げる臭いが。
だがその代わりに、溶けかけ脆くなった《晶糖人形》の腕を、完全に砕く事が出来た。
「『衝撃よ打ち砕け』ー!」
ここが決め所だと判断し、テグスは左手の《補短練剣》すら手放して、震撃の魔術を込めた両拳で《晶糖人形》に殴り出す。
当てる場所を決めない、無茶苦茶な殴り方だったが、一撃一撃の度に手甲と《晶糖人形》の体が砕けていく。
そして殴り続けて手甲の寿命が尽きるのと、《晶糖人形》の胴体が砕け散るのは、ほぼ同時だった。
「はーはーっ……は、ハウリナ!?」
《晶糖人形》が動かないの荒い息を吐きながら確認して、テグスは慌ててハウリナの方へと走り寄った。
「ハウリナ、大丈――痛ッ、手が……」
そして地面に横たわる彼女を抱きかかえようとして、両手に痛みを感じて蹲る。
手甲を着けても、硬い《晶糖人形》を殴る衝撃が伝わっていたのか、テグスの両手は真っ赤に腫れていた。
その痛みを歯を食いしばって耐えて、テグスはハウリナを抱きかかえ、耳を彼女の口元へ。
「大丈夫だ、ちゃんと息してる」
呼吸をしている事を確認したテグスは、ぐったりと地面に座り込んだ。
そして少しの間だけ思考停止していたが、このまま座ってもいられない事を思い出す。
この場所に来る事になった原因の、あの《探訪者》たちの事を。
「荷物を集めて、早く地上に戻らないと……」
自分のやるべき事を口に出して自覚したテグスは、ゆっくりとハウリナを床に横たえ、自分のと彼女の分の荷物を集め始める。
その最中で気絶したハウリナを運ぶには、彼女の背負子が邪魔になるので、中身だけ移し変えて叩き壊してしまう。
砕いた《晶糖人形》の欠片は、溶けていない物だけを選別して、少量だけ革の小袋の中へ入れる。
そうして自分の装備を戻し背負子を背負ったテグスは、腫れた手でハウリナを抱きかかえつつ、黒棍を握ってこの広間から出る。
そして二十層の《深考探求の神ジュケリアス》像の前で《祝詞》を唱え、地上へと帰還した。
テグスとハウリナが支部へと入ると、受付に居たルーディムが陰気そうな顔を向けてきた。
「あら、二人ともその格好はどうしたの?」
「二十層の《晶糖人形》相手に下手を打ったんです」
その証拠として、壁の紋様を書いた紙と、《晶糖人形》の欠片を机の上に乗せる。
「倒せたのね、おめでとう。《青銅証》に証を刻んであげるわ」
「お願いします。それとあの噂が本当になりましたよ」
「ふ~ん、でもその様子だと撃退したんじゃないの?」
「何人かを倒して傷も負わせましたけど、人数が多かったので《階層主》の広間に逃げたんですよ」
「それでそうなったのね。どっちを相手にした方が良かったかなんて、終わってから気にするだけ無駄だから、やめた方が良いわよ」
「……気にしませんよ」
ハウリナがこんな風になった事を、テグスは気に病んで居たので、ルーディムの指摘に少しだけ憮然とした表情を作ってしまう。
それを「若いわね」と一言で斬りつつ、ルーディムは二十層に到達した証を、テグスとハウリナの《青銅証》へと刻んだ。
「ほら《青銅証》を返すわ。それと頑張ったご褒美に、怪我が早く治る軟膏を上げるわ」
「良いんですか?」
「いいの。この近辺で作られる薬で安物だし。何時も食事を奢ってくれるお礼よ」
怪我人はさっさと帰れと手を振るルーディムに、テグスは頭を軽く下げて支部から外へと出る。
そうして定宿へと戻っていく最中、テグスはふと気が付いた。
「……ハウリナ、起きているでしょ」
「お、起きてないです~」
「寝てたら返事しないからね。起きたなら下りてよ」
「い、嫌です。このまま運んで欲しいです~」
「うぅ~ん……まあ、いっか」
普通なら問答無用で下ろすところだが、ハウリナの怪我は庇ってのものなので、テグスとしては強く言えなくなってしまった。
なのでハウリナが満足する様に、このまま宿に向かって歩いていく。
その間中、周りからの視線が向けられて恥ずかしいが、これも罰だとテグスは受け入れる。
「ほら、ハウリナ。宿に着いたから」
「残念です。でも、助けてもらった時を味わえたです」
「それで離れたがらなかったのか」
「気絶してたのが、残念だったです」
そうして二人は宿を取り、指定された部屋へと入り、ベッドに腰を掛ける。
「あー、疲れた~。なんであんなに強いかな~」
「硬かったです。速かったです。反則です」
「それに手甲が駄目になっちゃったし」
「こっちも胸鎧が粉々です」
「それは僕が油断した所為だから。その事は本当にごめんなさい」
「いえ、テグスに助けてもらった命です。テグスの為に使うのは当然です」
「あのお陰で倒せたよ」
「役に立ってよかったです」
口々に《晶糖人形》との戦いの愚痴を並べながら、お互いに生き残った事を喜び合う。
「そうそう、怪我が早く治る軟膏ってのを、ルーディムさんに貰ったんだった」
テグスは小瓶の蓋を開け、乳白色の軟膏を指に取り、腫れている手に薄く延ばしていく。
すると痛みが段々と引いていき、酒精を腕に垂らした時のようなすーっとした感触が広がる。
「へー、なんだか効きそう」
「テグス。塗って欲しいです」
「そうだね、塗って――」
視線をハウリナの方へと向けたテグスは、思わず固まってしまった。
ハウリナが上着をたくし上げて、膨らみ始めた胸をさらけ出していたからだ。
「えーっと、自分で塗ってくれないかな?」
「駄目、です?」
そう上目遣いでおねだりされると、負い目もあるのでテグスは弱ってしまう。
その青くなっている胸元を見ると、責められている気がしてさらに弱ってしまう。
「わ、分かったよ。塗るからそのままでね」
「わーい、分かったです」
そんな葛藤を知らない素振りで、ハウリナはたくし上げたまま、テグスが軟膏を塗ってくれるのを待つ。
覚悟を決めたテグスは軟膏を指で取り、ハウリナの胸元に塗り広げていく。
「……んッ」
「ご、ごめん。痛かった?」
「大丈夫です。少しくすぐったかっただけです」
ハウリナの反応に過剰反応したりしながら、どうにかこうにか薬を塗り終える。
「もうなんだか今日は疲れたし、さっさと寝ちゃおうか」
「ふわぁ~、なんだか眠いです~」
「体拭いてからね」
「拭いたら、薬がとれてしまうです?」
「……そうだった。自分の事だけど、考え無しだ」
仕方が無いので、二人はそのままベッドの上に横になる。
するとハウリナは疲れもあったのか、すっと寝入ってしまい。逆にテグスは戦いの興奮が続いて、目が冴えて眠れない。
更に昨日まではなんとも無かったハウリナとの添い寝が、今日に限ってはなんだか拷問のように感じて、眠気が遠くに感じるテグスだった。