41話 《中一迷宮》《第一階層主》
《中一迷宮》を調子良く進みすぎて、テグスとハウリナの背負子の中は、気が付くと一杯になっていた。
そうしてもう一つ気が付いた事が。
階段を降りると、石の回廊の作りもあって本当に小さな小部屋に見える場所の先に、大きく開けた暗い広間が見える。
ここは《小迷宮》の《迷宮主》が出る場所に良く似ていた。
「ここって、十層だよね」
「うっかり着いてしまったです」
そう二人は順調に進みすぎて、何時の間にか十層の《階層主》が出る場所まで来てしまっていた。
ここまで来てしまったと言う事は、今からここから上へと向かったら、恐らく地上に出る時にはもう夜になってしまうだろう。
「この際だから、《階層主》に挑んでみる。それとも上へ向かう?」
「ついでです。倒してしまうの!」
「倒したら、多少の恩恵もあるもんね。じゃあ、挑んでみようか」
「うん、挑むです!」
二人は重くなった背負子を、一度地面に降ろして、装備を整え直す。
ハウリナは黒棍をボロ布で拭いて、戦闘中に滑って落とさないようにしている。
テグスも初めてここの《階層主》と戦うため、用心の為に既に片刃剣を抜いている。
そうして準備が整った二人は、背負子を片手に持って、《階層主》の居る広間へと足を踏み入れた。
高い天井の、石造りの四角い広間を、薄暗い空間が満たしている。
その四隅にある天井と床を繋ぐ石柱。そこに造られた燭台と思われる部分に、突如火が灯った。
合計四つ火の光は、広間全体を十分な光量で満たし、わだかまっていた暗さを消し飛ばす。
そして五つ目の火が、この広間の中央部に立ち上った。
閉じた入り口で待っていたテグスとハウリナは、その熱気と明るさに顔を背けてしまう。
やがてその熱と光が収まり、二人が顔を向けると、そこには一つの人間らしきものがあった。
良く日に焼けた子供のような焦がした小麦色の肌を曝し。剃ったように禿げ上がった頭。張り付いたお面のようでありながら、整った配置の無表情の顔。贅肉薄く引き締まった見た目の身体。伸びる四肢は近世的な比率でなりたっている。
「《魔物》です?」
「そうだよ。名前は《造土擬人》っていう、《深考探求の神ジュケリアス》が人を模して創った《魔物》って話」
一目では人間と区別がつかない全裸のその《魔物》には、良く観察すると人間では無いと判る特徴がある。
それは頭の横に耳が無い事。胸に乳首が無い事。股間はつるりとして、陰部が存在していない事。
最後に、四肢や身体のどこかに必ず、欠けた陶器のような欠損が在り。その場所は、肉の色ではありえない、皮膚と同じく焦げ茶色だと言う事。
二人が観察していると、やおら《造土擬人》が動き始めた。
「ハウリナ、来るよ!」
「わふっ、やっつけるです!」
動き出した《造土擬人》は、酔っ払いのようにふら付きながら二人へと歩み寄ってくる。
だが一歩一歩前に足を踏み出すたびに、酔いがさめるかのように、そのふら付きが収まっていく。
「ハウリナ、行くよ!」
相手の体勢が整う前に攻撃をした方が良いと判断して、テグスは片刃剣を両手で握りながら走り寄る。
その横をハウリナが身体強化の魔術を施した足で追い抜き、一気に《造土擬人》へと肉薄する。
「あおおおおぉぉぉん!」
走る勢いを乗せて黒棍を振り回し、雄叫びと共に《造土擬人》の頭部へと打ちつける。
無防備に攻撃を受けた《造土擬人》の頭部は、ぐにゃりとひしゃげたようになった。
やったという喜色を顔に浮べたハウリナは、潰れた場所がゆっくりと元に戻っていくのを見て、驚愕の表情へと変える。
「下がって!」
テグスの大声にハウリナが下がる。
入れ替わりに近付いたテグスが、両手で握っている片刃剣を振り下ろす。
異常な切れ味を誇る片刃剣は、《造土擬人》の肩口から胸元まで両断した。
普通の《魔物》なら致命傷に間違いない。しかしその斬り痕ですら、ゆっくりとだが確実に閉じていく。
このままでは剣を取り込まれると危惧したテグスは、閉じきる前に慌てて剣を引き抜いた。
「叩いても斬っても、直ってしまうです」
「これは、切り離さないといけない類の《魔物》なのかな」
そう愚痴り合っている二人に、ふら付きが無くなった確かな足取りで、《造土擬人》が近づいてくる。
警戒する二人を前に、両方の攻撃が届かない場所で、急に《造土擬人》が蹲る。
「――横に避けて!」
不可解な行動に一瞬だけ判断に時間が要ったが、テグスと彼の言葉を聞いたハウリナは、同時に地面を蹴って横へ跳ぶ。
二人が行動を起こした瞬間に、《造土擬人》は上空へと飛び上がり。そして二人が居た位置の床へと、拳を突き刺した。
重たい物が高い場所から落ちたような音と共に、《造土擬人》は床石を拳と腕の力で叩き割った。
「何て馬鹿力。当たったら一たまりも無いね」
「手が折れているです」
ハウリナが指摘したとおりに、床を殴った《造土擬人》の腕は、押し潰した粘土のようになっていた。
だが《造土擬人》が床から腕を引き抜くと、ゆっくりと元の形に戻り始める。
その戻っていく様子をじっと見ていたテグスは、片刃剣の剣身を指で撫で下ろしていく。
《造土擬人》を斬りつけた時に付着した欠片を指で集めると、それを指で押し潰して伸ばす。
「粘土……いや、水分のある土で出来ているのか」
粘土にしては粒子が大きいが、しっとりとした水分が指に残る土。
その事を加味してよくよく観察すると、《造土擬人》が再生している腕から、粉のようにぽろぽろと土が零れ落ちているのが分かった。
「だとすると、手法的には切離す方向でいく感じかな」
「テグス。倒し方が分かったです?」
「試してみないと分からないかな」
大分潰した腕を元へと戻すために立ち尽くしている《造土擬人》へ、テグスは警戒しながらゆっくりと近づいていく。
ハウリナはその後ろで、いつでも手助けに入れるように身構える。
やがて《造土擬人》とテグスの両者の攻撃範囲が重なる。
今まで止まっていたのが嘘だったかのように、《造土擬人》が行き成り腕を振り回してきた。
「危ッ――たああああああぁぁぁ!」
それを間一髪で避け、お返しにテグスは《造土擬人》の右足を狙い、片刃剣を股下から斬り上げる。
付け根から断たれたその足は、立てて手を離した棒のように地面に倒れると、端からボロボロと崩れ始める。
そして片足を失った《造土擬人》は、平衡を保てずに身体を地面へと倒しかける。
絶好の機会と、テグスが頭を落とそうと、振り抜いた剣を頭上へと持ってくる。
しかし《造土擬人》は、地面に両手を付いた瞬間に、逆立ちする様に足を振り上げ。その勢いを利用して身体を宙に浮かし、手で前方へと跳んだ。
そして軽業師のようにその回転倒立跳びをくり返して、テグスの攻撃範囲から逃れてしまった。
そのまさかの身体能力に、テグスだけでなく補助に入ろうとしていたハウリナさえ、呆然とその動きを見てしまう。
だが避けて逃げるまでは良かった《造土擬人》だが、止まり方が分からなかったのか、この広間の石壁とぶつかり鈍い音を立てて止まった。
頭から壁へと激突し、べっこりと顔がへこんでしまっているが、徐々にその形も元に戻っていく。
「斬り落とした足も、他から融通して再生するのか」
「全体的に、小さくなっていくです」
急いで生やし直し、義肢のようになった右足の分なのか、《造土擬人》の体は二回りほど小さくなった。
これで倒し方の目処がついたと、テグスが安心したが、それはまだまだ早い判断だった。
「テグス。跳びかかって来ようとしてるです!」
「片足があんななのに、跳べるの!?」
最初にテグスたちに攻撃してきた時の様に、《造土擬人》は蹲るように両足を屈伸させて力を溜めていた。
そして《造土擬人》が両足で地面を蹴ると、今度は放たれた矢のように、真っ直ぐに二人へと突き進んでくる。
二人はお互いに言葉を掛ける暇も無く、攻撃を左右に分かれて避ける。
「明らかに速い!」
「小さくなったからです?」
そう今までで一番素早い動きだった。
それはハウリナが言ったように、小さくなって身軽になったからなのか。それとも生まれ出でて経過した時間で、段々と手強くなっていく特性があるのか。
どちらにせよテグスとハウリナは、手強くなりつつあるこの《造土擬人》を倒すしかない。
「身体強化の魔術を使うよ」
「いつでもいいです」
「『身体よ頑強であれ』」
「『身体よ、頑強であれ』」
このままでは危ないと判断し、二人して運動能力を底上げして、《造土擬人》へ攻撃を加えていく。
しかし《造土擬人》は巧みに手足で黒棍を防御し、テグスの剣は身体の厚い部分で受けて両断しないようにしてくる。
するとその再生能力も合わさって、二人は決定打を決めきれない。
「こうなったら奥の手だ。ハウリナ、少しの間だけ相手をお願い!」
「うん、分かったです!」
仮に時間経過で強くなるのなら、早いうちに決着しないといけないと、テグスは今まで使ってこなかった物を使う事にした。
その準備の時間を稼ぐ為に、ハウリナは一撃の重さよりも、手数で《造土擬人》の動きを妨害するべく、脛当て付きの蹴りも多用して攻撃し続ける。
「実戦では初めてか……」
テグスは後ろ腰から、一本の短剣を抜き放つ。
柄にはボロ布を巻いて偽装しているが、一度抜けば露になった薄青色の剣身が、普通の短剣では無いと物語る。
それもそのはず。この短剣は神の祝福を受けている特別製なのだから。
「杖か祝福された武器に魔力を通し……」
五則魔法の低級魔法を使う手順を口に出しながら、銘を《補短練剣》というその短剣に、テグスは魔力を込めていく。
魔力が充填されると、剣身はより一層青みがかったものになる。
「相手に向けて、呪文を唱える――ハウリナ、足止めして、退避!」
《補短練剣》の切っ先を《造土擬人》へと向けつつ、ハウリナへと合図を出す。
「あおおおおおぉぉぉぉん!」
「『我が魔力を火口に注ぎ、呼び起こすは火閃の炎(ヴェルス・ミア・エン・フラミング、ミ・ボキス・リニオ・フラモ)』!」
ハウリナが黒棍で《造土擬人》の膝を潰して身動き取れないようにし、彼女が退避するのに合わせてテグスの初めての魔法が放たれる。
《補短練剣》の先に渦巻く火が出現し。その火が灼熱の炎と変じると、空気が焦げる匂いを周囲に振り撒きつつ、一直線に《造土擬人》へと殺到する。
逃げることが出来ずに魔法の炎に巻かれた《造土擬人》は、襲い掛かってくる炎の中で踊るように暴れ出す。
だが《補短練剣》から出る炎が収まる頃になると、《造土擬人》の身体は乾燥しきった土の様に、ひび割れを表面に走らせた状態で止まっていた。
そしてそのひび割れが大きくなり、身体全体を覆いつくすと一気に崩れ落ちて、石床の上に焼け土の山となった。
「うっわ、なんでこんなにキツイの。『火閃』の魔法の制御に失敗したかな……」
《造土擬人》を倒したというのに、テグスは嬉しさを見せるどころか、顔色を青くして荒い息を吐きつつ、思わず内心を口に出してしまう。
「テグス。大丈夫です?」
「うん、ちょっと魔力を一気に引き出されすぎただけだから」
心配そうに身体を寄せてくるハウリナに、テグスは力無い笑みを浮べて返す。
それ程に、いま使った魔法で一度に消費された魔力は、練習の時よりも膨大な物だった。
顔色が悪いのがハウリナにも分かるのだろう、彼女は自分の背負子から水の入った水筒を取り出すと、テグスの口に宛がう。
「んぐっんぐっ。ぷはぁ~……ありがとう。大分マシになったよ」
「それならよかったです。んぐんぐっ」
水を飲ませて貰って一息ついたテグスは、目を閉じて身体の魔力の流れを感じ取る。
一気に消費されて空白状態になった場所へ、周りから徐々に魔力が流入し、段々と何時もの流れへと近づいていくのが分かる。
それに伴って、魔力欠乏に似た症状を起こしていた体調が、少しずつ楽になっていく。
「ぷはぁー。テグス、これどうするです?」
「普通は錬金術の素材になるらしいんだけど。魔法で燃やしちゃったから、魔石にしちゃおう」
「なら魔石化するです。ワレ、もうこれ等に、得るモノ無し。疾く、御許に、お返しする」
辛そうなテグスを気遣ってか、ハウリナが率先して魔石化の《祝詞》を唱えてくれた。
そうして出てきた魔石は、灰色の小指の爪大という、《階層主》に相応しい大きさだった。
「回収して、出口に向かおうか」
「地上に帰るなら、入った方に行くです?」
「いや。こっちで合っているよ」
自信たっぷりに言うテグスへ、不思議そうな表情を浮べながらも、ハウリナは従って後ろに付いていく。
そうして《迷宮主》の広間から出ると、一体の像が二人を出迎えてくれた。
「これは、神像です?」
そう尋ねるハウリナの言葉に、自信が無さそうなのは、この像の見た目が《小迷宮》の物とは違うからだ。
短めの髪を全て後ろへと撫で付け、神経質そうな吊り目の、右手に本を左手に杖を持ち、フード付きのローブに身を包んだ、普通の人間の男性に見える姿。
「そうだよ。これはこの《中一迷宮》を造ったといわれている《深考探求の神ジュケリアス》の像だよ」
そうテグスが教えてみたが、ハウリナはまだ疑問が残っている様子だ。
「杖か本を交換するです?」
「交換するのは《小迷宮》の時だけだよ。この像にはまた別の役割があるんだ」
テグスが掌を開いてハウリナに向けると、当たり前のように彼女はその手を握る。
そうして手を繋いで神像の前へ。
「ワレ、この場から地上への帰還を望むものなり」
テグスがそう《祝詞》を唱えると、彼と手を繋いでいるハウリナの周囲に光が満ちる。
そしてその光が消えると、もう目の前には神像の姿は無く、耳にはざわざわと雑踏の音が満ちる。
ハウリナが驚いた様に獣耳を周囲に向け、目も向けて確認する。
そこは《中一迷宮》の出入り口を守るために造られた、建物の中の一角だった。
「こんな風に、《中迷宮》にある神像に《祝詞》を上げると、地上へ送ってくれるんだ。《大迷宮》だと、そこより上の層の何処にでも送ってくれるんだけどね」
「わふっ、驚いたです……」
本当に驚いた様に目をパチパチさせているハウリナを見て、テグスは苦笑してしまった。
「さて、地上に戻ってきた事だし。買い取りしてもらったら、宿に行って休もう」
「うん、お腹も減ったです!」
「じゃあ途中で、何か買っていこう」
「わふっ、串焼きが良いです!」
《造土擬人》に多少梃子摺ったものの、無事に《中一迷宮》から帰還した二人は、意気揚々と《探訪者ギルド》の支部へと向かって歩き出した。