40話 《中一迷宮》浅層
紹介された宿は値段の割りに、部屋の扉と物入れに鍵のある立派な宿だった。
連泊するなら、その部屋で持ち物を保管する事も出来るとのこと。
そもそも、どの《中迷宮》に挑むのかは決定していないので、二人は取り敢えず一泊しただけだった。
「おはようございまーす」
「おはようです」
「あら、昨日の可愛いお二人さん。早いわね」
朝食を頂き、宿を出て早速支部に顔を出した二人を、昨日と同じ女性職員が出迎えてくれた。
朝だというのに、寧ろ朝だからか、彼女の陰気そうな表情は相変わらずだ。
「はい。魔法の本を見たいので」
「見たいです」
「慌てなくても、ちゃんと用意しているわ」
どさっと音を立てて机の上に乗せられたのは、テグスの拳よりも分厚い本が五冊もだ。
「……これ全部魔法の本ですか?」
「こっちが五則魔法の本。これが精霊魔法の本で、その補助なのがこの一冊。残りの二冊は魔術の本で、呪文と名前だけだけど全網羅してあるのと、厳選した魔術とその使用法が載ってあるやつね」
「……ありがとうございます」
「……ありがとうです」
「この建物内で読むのよ。読み終わったら受付の上に置いておけばいいわ」
女性職員は、テグスの手の上に五則魔法と精霊魔法の三冊、ハウリナには魔術の二冊の本を置いて、用は済んだとばかりに去っていった。
ポカンとしていたテグスとハウリナだったが、併設されている食堂らしき場所で机と椅子を借りて、本を読む事にした。
朝から読み続けて昼前に達した。
段々と人が食堂へとやって来たので、テグスは今まで読み進めて目星をつけた五則魔法の長い呪文を、購入した粗悪な紙に大急ぎで書き写し始める。
一方でハウリナは、網羅してある方は早々に読むのを止めて、厳選してあるという方を読解力が低いので、ゆっくりと読んでいる。
「よしっと、これで終わりっと。ハウリナはどんな感じ?」
「見て、聞いて、嗅ぐのを強化するのがあったです。あと爪と牙が強くなるのと、棍が強くなるのです」
「どれどれ?」
ハウリナがいま開いている頁には、獣人にお勧めという見出しが書かれている。
そして指し示したのは、『見識強化』『削爪』『頑牙』の魔術。
棍のは別の頁らしく、ハウリナは何枚かを捲った後で、打撃武器欄の『震撃』の魔術を指差す。
「全部覚えた?」
「まだまだです」
「じゃあ紙の余白に、その呪文書いておくから」
「ありがとうです!」
「あの~、そろそろ混んできたので、退いて頂けると」
さあ書くぞと意気込んだ所で、この食堂の店員らしい少女に注意を受けてしまった。
「あ、ご免なさい。えーっと、昼食食べるのでお勧めのはありますか?」
「銅貨三枚の日替わりと、銅貨七枚の満腹定食があります」
「じゃあ――満腹定食を二つお願いします。その間に書いてしまうって事で」
「気にしなくても、お客さんじゃ追い出せませんよ」
恐る恐るなテグスの伺いに、店員の少女は苦笑いすると、注文を厨房へ伝えに行った。
テグスは料理が来るまでにはと意気込んで、ハウリナが選んだ四つの魔術とその呪文を書いていく。
その奮闘は実を結んで、大量の蒸かし芋と肉に、深皿になみなみ注がれた野菜入りスープが来るまでに、全てを書き終える事が出来た。
テグスは借りた本を汚さないように机の端に寄せて重ねると、ハウリナ共々目の前の料理を食べ始め、程なくして食べ終えた。
食いしん坊な二人でも満足できる量と、それなりの美味しさの料理に、二人は満足しながら支部の受付に本を返しに向かう。
「これ、ありがとうございました」
「ありがとうございますです!」
「あら。全部読み終わって、使えるようになったの?」
「いえいえ。とりあえず今日は、ここまでにしようかなと」
「まあいいわ。言えばまた貸してあげるし」
「その時はお願いします。あと《中一迷宮》の《魔物》の情報なんですけど」
「それなら教えてあげるわ。ふふっ、こう見えて教えたがりなの」
陰気な表情の女性職員は、《中一迷宮》に出てくる全ての《魔物》の情報をテグスとハウリナに伝えた。
「と、こんな感じね。《小迷宮》を攻略したのだから、二人は十層に出てくる《階層主》と戦っても勝てるはずね。でも多少でも苦戦したら、その後の階層は慎重に進んで、二十層の《階層主》とは力が付くまで戦わない方が良いわ」
「それはまた何ででしょうか?」
「死ぬからよ。物理攻撃主体だと余計に」
「確か《晶糖人形》でしたっけ。そんなに強いんですか?」
「手強さは大人の獣人並みよ」
その言葉を受けてテグスが想像したのは、襲ってきた獣人のバルマンの事だった。
テグス自身は彼と戦ったという程ではなかったが、ハウリナが鎧や脛当てを傷だらけにしても、足止めしか出来なかった相手だ。
それと同程度なら、挑むのは時期尚早だろうとテグスは考えた。
ハウリナも同じ様な事を考えたのだろう、その表情は普段よりやや硬い。
「ふふっ、そんなに怖がらないでもいいわ。挑まなければいいんだから」
「ご忠告感謝します。取り敢えず、一度潜ってみます」
「この時間帯からだと、夜までに戻る事を考えたら、精々一から九層までの浅い層までしかいけないわよ?」
「《外殻部》は色々と入用ですから」
「金稼ぎ目的なら、五層からよ。五層から九層までを主体にするなら、袋と水筒があった方が良いわ。どちらもここで売っているけど、買うかしら?」
「お金を稼ぐのに、お金を払わないといけないです?」
「ちゃんと買い取り価格に上乗せされるから、心配しなくても良いわ」
女性職員の薦めに従って、テグスは麻袋と水筒を五個ずつ買って、《中一迷宮》へと向かった。
初めて《中一迷宮》に入るだけあって、最初ハウリナは緊張していた。
《小迷宮》とは違い、《中一迷宮》の通路は石の回廊の様な見た目で、雰囲気からして違っていたからだ。
しかし出会う《魔物》が《小迷宮》に出てきたものばかりで、二層目からは拍子抜けしたような表情を浮べ緊張を解いていた。
過去に同じ様な行いをしたテグスは、それを見て苦笑いを浮べていた。
それを見ていたのだろう、ハウリナは疑問が浮かんだ表情をする。
「テグス。前に来た事があるです?」
「昔ね。この《中一迷宮》と《中四迷宮》の十層目到達で、《大迷宮》へ行く権利を得たから」
「なら、この迷宮の事を良く知っているの」
「いや、ここは一気に十層まで駆け抜けたから。あまり出てくる《魔物》の事は知らないんだ」
過去の自分は無茶をしたものだと、テグスは肩をすくめて見せる。
それをハウリナは不思議そうな目で見ている。
そんな事を話しながら、二人は階段を降りて五層目に到着した。
「黄色い塩が歩いているです」
「あれも《小迷宮》に居た《魔物》だね」
視線の先に居た一体の《黄塩人形》を難なく倒すと、二人はその黄ばんだ塩を麻袋の中へ。
「お金稼ぎ出来るです」
「でも一袋で銅貨一枚か二枚だよ」
「土を取り続ければ、山も崩せるです!」
「……小額でも沢山集めれば、大きなお金になるってこと?」
ハウリナが首を縦に振っていることから、どうやらあれは獣人のことわざで、人間の商人がよく言う『屑銭集めれば金貨に変ず』と同じ意味らしい。
「確かにそうだね。浅い層なんだから、沢山銅貨が得られるわけ無いしね」
「沢山、黄色い塩を集めるです」
金を稼げる相手だからか、ハウリナは気合を入れなおして、テグスの前に立って通路を進み始める。
テグスは《黄塩人形》相手なら、ハウリナの方が効率が良いので、彼女の好きなようにさせる事にした。
そのまま通路を進んでいると、唐突にハウリナが顔をしかめ、テグスの後ろに回ってしまう。
「えっ、どうしたのハウリナ?」
「く、臭いのがいるです。通路の先」
手で鼻を押さえて涙目になっているハウリナを見て、テグスもクンクンと鼻を鳴らして臭いを嗅いでみた。
すると言われて見れば確かにと感じる程度に、テグスの鼻も異臭を感じ取った。
それは糞尿を溜めた壷や、腐りかけの残飯に近い臭い。
人間の何倍も鼻が良いといわれる獣人には、少しだけでもきつい臭いだろう。
「そういえば、五層からは《腐敗鼠》ってのが出るって言ってたっけ」
「ううぅ、臭そうです~」
名前からして嫌な臭いを放っている《魔物》に、ハウリナはすっかり尻込みしている。
人間のテグスからしてみれば、大した臭いを感じるわけでもないので、気にしないで通路を先導して進んでいく。
やがて現れたのは、確かに鼠っぽく見える《魔物》が一匹。
よくよく見れば、体の半分くらいは腐っていて、外に出ている敗れた腸からは糞のようなものを垂れ流している。
鼠といえばすばしっこいのが普通だが、動かす筋肉も腐っているのか、這いずるようにしか動けていない。
なのでテグスは近付く前に、右腰の箱鞘から短剣を抜いて投擲し、《腐敗鼠》を真っ二つにしてしまう。
「あとは回収して――」
「ワレもうこれ等に得るモノ無し疾く御許にお返しする」
「あッ、ハウリナ~」
「……臭かったの~」
勝手にハウリナが魔石化の《祝詞》を一息で唱えて、倒した《腐敗鼠》に刺さっていたなまくら短剣ごと、魔石にしてしまった。
それをテグスが目で咎めると、しょんぼりしながら言い訳をする。
「……次からは、ハウリナは離れた場所で待機だね」
「その方が嬉しいです」
短剣ごと変えたので、通常よりもほんの少しだけ大きな魔石を回収して、二人は通路を進む。
歩いていると他の《探訪者》と何組擦れ違うが、その荷物から《腐敗鼠》の臭いを漂わせていたので、ハウリナが物凄く嫌そうな表情を浮べていた。
その後も臭いのために《腐敗鼠》の素材は諦めたが。二人は《黄塩人形》だけでなく、数体の《玩具兵士》という、ゆっくり動く小さな木人を叩き壊して、中の木の歯車と小型ナイフを回収。うにょうにょ動く《擬蛇触手》という、蛇に似たナニカを数匹斬り捨て殴り潰して、その体液を絞って水筒へ。
そんな感じに調子良く、二人は《中一迷宮》の浅層を下へ下へと進んでいった。