38.5話 番外:『裏主』との戦い
テグスとハウリナと分かれたバルマンは、彼が言うところの裏道を進んでいた。
「いやー、ほんとに楽だわ。待っている人も居なけりゃ、態々《魔物》を倒す必要すらねえんだから」
悠々と歩みを進めていたバルマンの、獣人特有の良く音が聞こえる耳に、何かが軋む音が聞こえてきた。
「あん? この道には何も無いって話だったが?」
訝しんで周囲を警戒したが、別に何かが動いている様子は見えなかった。
「ま、気のせいだろうな」
と聞こえていた音がやんだので、気楽に足を進める事を再開した。
そのまま真っ直ぐに進み、先の広間のように開けた場所に、一体の神像があるのが見えた。
「へぇ、随分と良い武器を持っているじゃねーか。帰り際に貰って行っか」
バルマンにも、その像が《技能の神ティニクス》を模っている事は分かっただろう。
しかしその表情や体格に行く前に、像が握っている武器の方に視線が向いているあたりに、彼の人柄が出ている。
その武器を眺めながら、神像の後ろの壁に開いた《迷宮主》へと続く道へと、バルマンが進もうとした。
その瞬間、神像の左側の真ん中の腕が翻り、手の截ち切り鋏がバルマンへと高速で突き出された。
「のわッ。《魔物》じゃねーか、コイツ!」
まさか攻撃されるとは予想してなかったのか、バルマンは大慌てで右手で鋏を迎撃する。
恐らくは身体強化の魔術を使用しているのだろう、バルマンの手爪は鋏を寸でのところで打ち払う事に成功した。
しかし打ち払った瞬間に――ジャキン――と鋏が鳴る。
そして地面の上に何かが転がる。
それは断面の大部分が赤く、真ん中だけ白い物体。外皮に爪という物が付いているモノ。
「ぎゃあああ、俺、俺の指を~~!!」
バルマンが左手で右手を押さえる。
その右手の人差し指が、半ばから切断され、赤い血が流れて、バルマンの手腕を汚す。
「ドドドドゴゴゴゴゴ――」
悲鳴を上げて距離を取ったバルマンを威嚇しようというのか、神像に見える《魔物》――《ティニクス神怒像》が地響きのような物音を立てる。
その音を聞いたバルマンは、指を切断された怒りから目尻を吊り上げた目で、《ティニクス神怒像》の方を見て警戒する。
「――ゴゴゴゴゴゴ、ゴゴン……」
バルマンが見ている先で、何かがはまり込む音を響かせた《ティニクス神怒像》が、まるで人間かのように滑らかに動き、一歩足を彼の方へと出した。
そこで一旦止まったが、次の瞬間にはバルマンへ走り寄ってきた。
「ど、どうなってやがる。コイツは《魔物》じゃないのか!?」
その余りにも滑らかな疾走は、人間が仮装していると言われても納得できるものだった。
そして《魔物》にしては、余りにも熟練された動きをしていた。
なのでバルマンはこの動く神像の事を計りかねたらしく、気持ちを仕切り直す為にか、大きく横へと飛んで距離を開けた。
結果として、その行動はバルマンの命を少しだけ繋ぐ。
飛んで避けた直ぐ後に、バルマンが立っていた場所の床には、大鎌の先端が深々と突き刺さっていたのだから。
その光景に顔を青くしたバルマンは、しきりに目を《ティニクス神怒像》の武器へと向ける。
《ティニクス神怒像》の六つの得物を見て、何を思ったのかは彼だけにしか分からない。
しかしバルマンの準備が整うのを待つ《ティニクス神怒像》では無いようで。
直ぐに走りよって追撃してくる。そして六つの腕で次々に武器を繰り出していく。
その大剣を振り下ろす力強さ、槍を繰り出し引き戻す速さ、手甲での打撃の破壊力、大鎌が刃が切り裂く空気、截ち切り鋏の開いて閉じる音、そしてまだ中身を見せない小壷の禍々しさ。
それらの武器の連続攻撃に、減らず口を叩く暇も無いのか、バルマンは口を閉じて一心に回避を続けている。
だが流石のバルマンと言えど、六本腕の猛攻を無傷で防ぐのには限界があった。
顔へ繰り出された手甲の突きを避けたが、その影に潜んでいた槍の一撃が、バルマンの胸へと迫る。
「ぐううぅぅ、くそがッ!」
掴める速度ではなかった槍の一撃を、身体強化した掌で横に払う。
穂先はバルマンから外れ、代償で掌の骨にまで達する切り傷を負う。
その後も、連続攻撃の影に潜んだ致命の攻撃を、バルマンは手足を怪我するのと引き換えに、自分の命を拾っていく。
そんな防御の仕方なので、怪我の数が段々と増えていく。
「こんなヤツ、まともに相手にしてられるかッ! 『身体よ頑強であれ(カルノ・フォルト)』!」
このままでは遅かれ早かれ死ぬ事になる、と気が付いたのだろう。
バルマンは四肢を身体強化して大きく後ろに下がると、来た道へと向かって走り出す。
流石は獣人の成人男性だと唸るほどの速度を、バルマンは手足で地面を蹴る事で実現する。
このままではこの広間からバルマンが出てしまうと、《魔物》とはいえ《ティニクス神怒像》だって分かっているだろう。
なのに何を考えているのか、左側の一番下の手に握っていた小壷の中身を、憤怒で噛み締めていた口を開けて飲み干していた。
そして全ての中身を飲み終えた後で、その壷を地面にたたきつけて割る。
更に大剣を空いた下の手に渡し、左右両下の手で握る。そして大鎌を左右両上の手で掴む。
「――『身体よ頑強であれ(カルノ・フォルト)』」
大鎌を振り上げ、槍と鋏の先端を逃げるバルマンへ向け、大剣の切っ先を地面に触れるように構えた《ティニクス神怒像》。
その口からは、信じられない事に、身体強化の魔術の呪文が唱えられた。
呪文の文言が耳に入ったのだろう、バルマンはまさかと言いたげな表情を浮べて後ろを振り向いた。
そのバルマンの視界の中では、恐らく《ティニクス神怒像》が一瞬にして大きくなったように見えた事だろう。
なにせ《ティニクス神怒像》はその一瞬で、彼の背中に触れるほど近くに移動したのだから。
そして《ティニクス神怒像》が上の両手で握っている大鎌を、バルマンへと力強く振った。
「があああああッ、くそ、うで、腕をー!」
その大鎌の切れ味は、《ティニクス神怒像》の強化された膂力も合わさり、凄まじいものがあった。
なにせ振るったと見えた瞬間に、バルマンの右腕を根元から切り落としてしまったのだから。
腕と足で地面を蹴って進んでいたバルマンは、右腕を失った事で体勢を崩してしまい、出していた速度もあって地面の上を転がってしまう。
《ティニクス神怒像》は一度バルマンを追い抜くと、転がる体を足で踏んで、地面に縫いとめるかのように止める。
「ぐおおおおおぉぉぉぉ!」
恐らく踏んでいる《ティニクス神怒像》の足にも相当な力が入っているのだろう、バルマンの悲鳴の間に彼の肋骨が折れる音が混じる。
ここでもうバルマンには、抵抗したり逃げたりするのは無理だと判断したのか、《ティニクス神怒像》は手の武器を全て捨てて、六本ある手で彼の体を押さえる。
そして彼の腹の上に、座り込むようにして乗っかった。
「ぐぞぉ、はなじやがれぇ……」
「――『刃よ鋭くなれ(キリンゴ・アクラオ)』」
首を下の左手で押さえられ、苦しげに言うバルマン。
《ティニクス神怒像》は、唯一手放さなかった武器――手甲に、《ティニクス神怒像》は魔術を込める。
すると手甲に付いた棘の一本一本が、鋭刃の魔術でうっすらと光りを放ち始める。
「や、やめ――」
バルマンの静止の言葉を聞かずに、《ティニクス神怒像》の手甲が付いた腕が振り上げられ、彼の顔目掛けて振り下ろされる。
肉を叩く鈍い音の中に、頬骨を折る渇いた音と、棘が皮膚を切り裂く音が同時に起こった。
この暴行を受け続ければ、バルマンの命が危ないと見た誰でも分かる、そんな一撃だ。
だが当のバルマンは、五つの腕で残った左手と両肩に、胸元と喉を押さえられ、地面へと押し付けられているので、防御する事すら出来ない。
「ぐッ、ぎぃ、や、がぶっ――」
バルマンの抵抗を封じた《ティニクス神怒像》は、憤怒の表情に固定された顔で睨み下ろしながら、執拗なまでに手甲で覆った拳で打撃を加えていく。
それはバルマンの顔が腫れ上がり、破れた頬が血を吹き、ほぼ全ての顔の骨を砕いても止まらない。
やがて暴行をし続けられて、心折れ抵抗を止めたバルマンの喉を、《ティニクス神怒像》はギリギリと絞め始めた。
そしてその圧力に耐え切れなかった首の骨が折れ、バルマンの首があらぬ方向へと曲がる。
四肢を力なく伸ばして絶命したバルマンから、《ティニクス神怒像》が離れる。
地面に落としていた武器を拾い集めた《ティニクス神怒像》は、遺体となったバルマンを振り返る事無く、元居た場所へと戻っていった。