29話 《小六迷宮》7
《小六迷宮》の十二層へと到達し、新たな《短速驢馬》や他の《魔物》と戦いつつ。
左程苦労する事無く、テグスとハウリナは十三層へとやってこれた。
「十三層って、中層をやや過ぎた辺りのはずなんだけど……」
「いままでで、一番人が多いです」
下層に行けば行くほどに、食材狙いの《探訪者》が多くなる傾向があったが、この層は異常なまでに冒険者の数が多く見える。
「今までのことから考えると。この層には新しく《一眼牛》が出てきて。加えて《蹴爪軍鶏》《剛巻毛羊》《丸転豚》《短速驢馬》も出てくるはずだから」
「それは、お肉のお祭りです」
ハウリナの言った通りに、この層で《魔物》相手の狩りを続ければ、牛に始まり羊に豚と馬や鶏の肉を手に入れる事が出来る。
恐らく金稼ぎと食料確保を目的にした場合、危険度や帰還時間を考慮したならば、この層で魔物を狩り続けるのが、最も効率が良いように感じられる。
その効率をさらに上げるためか、《探訪者》の中には色々な工夫をしている人が居る事が、少し観察するだけでわかる。
テグスとハウリナのように、仲間全員が背負子を持っているのや。身軽な装備の武器持ちを多くして、運搬は筋骨逞しい一人に任せていたり。逆に一人で良い装備を身に着けた攻撃役の後ろに、貧弱な護身具だけの多数の運搬役が付き従っていたり。
いまテグスの横を通った六人の男たちが、仲間らしい人たちから満杯に多種類の肉が入った背負子を受け取ると、引き返して階段で上層へと向かって行く姿もある。
しかしそんな大人数が一つの層に居れば、自ずと問題は起こるもので。
「テメエ、それはウチラが倒した物だろうが!」
「ちげぇよ、お前らはそっちの二匹だけで。この一匹はこっちが倒したんだ!」
少しテグスとハウリナが通路を進んだ場所で、そんな風に言い合いをしていた。
それが一対一なら単なる喧嘩で済むだろうが、一塊十人に及ぶ《探訪者》の集まり同士となれば、もう一触即発な空気が双方から流れている。
「……下の層に行こうか」
「人が多すぎるのも困るです」
諍いがいたるところで頻発しているので、迷宮の攻略目的のテグスとハウリナは、こそこそと人たちの間を抜けて下層を目指す。
通り過ぎる二人に構っている暇は無いのか、すんなりと先に進めるし、通路に出てくる《魔物》は他の《探訪者》が直ぐに片付けてくれる。
なので迷宮の中層を進んでいるというのに、テグスとハウリナは武器を構える事無く、安全に通路を進めてしまった。
矢張り十三層が《探訪者》に人気だったのか、一つ層を降りただけでぐっと人の数が減った。
それでもまだまだ人が居るので、二人は安全に十四・十五と層を下って行く事が出来た。
そうして十六層に到達すると、今までの人ごみが嘘だったかのように、人の影というものが全く無くなってしまった。
「人が居なくて、静かです」
「この層は《短速驢馬》と《一眼牛》しか出ないらしいし。十七層だと《一眼牛》だけらしいから。金儲けの為なら、十六層以下に来ることは無いんじゃないかな」
「なら安心して、馬肉と牛肉が食べられるです!」
「……もしかして、お腹減っているの?」
「かなり歩いたから、お腹減ったの~」
確かに二人は十三から十五層まで歩き通しで。その間は一匹たりとも《魔物》の肉は食べてない。
その道行きを歩く運動量と掛かった時間はかなりあるので、確かにお腹が減ってもおかしくは無かった。
「それじゃあ、適当に一匹《魔物》を狩って、小部屋を見つけて一休みしようか」
「頑張って、獲物探すの!」
空中に漂う《魔物》の匂いを嗅ぐ為か、ハウリナは少し背伸びしてから鼻をクンクンと鳴らす。
テグスも索敵の魔術を広範囲に行き渡るように魔力を多めに込めて使用し。大体の《魔物》の位置と、小部屋がありそうな場所に当たりを付けた。
「テグス、こっちです。牛肉です!」
「この反応が《一眼牛》なんだね」
索敵の魔術を使用し続けた事で、テグスはその反応の仕方の違いで、大まかな《魔物》の種別の判定に成功しつつあった。
しかし危険性のある距離ではハウリナの鼻の方が確実なので、あくまで大まかな区別しか出来ない程度にしか習熟していない。
魔術という魔法に劣る技術に、獣人の鼻並みの精度を求めるのも酷という事もある。
「居たです。牛肉です」
通路の影から先を覗いてみると、確かにそこには牛に見える《魔物》が居た。
黒茶の毛並みに、先にフサフサな毛が付いた尻尾。額には二つの小さな角。身体は人間の大人並みに大きくて、脂が乗ってそうに見えるふくよかな体型。
ただしその顔にある瞳は、鼻の上にたった一つだけしか存在していない。
「あれが《一眼牛》だね。あの目の位置じゃ、後ろと横の辺りは見えないんじゃないかな」
「突進をやり過ごし、後ろから攻撃です?」
「欠片を投げて、目を潰せば簡単なんじゃないかな」
テグスは仕舞っていた《転刃石》の欠片が詰まった袋を、背負子から静かに取り出す。
その中から速度が出そうな、適度の軽さと小ささの欠片を一つ指でつかみ出し、テグスは通路の影から飛び出した。
「おいッ!」
「――ブモオオオ!」
「……しッ!」
テグスがそう声を掛けると、《一眼牛》が吠えながらテグスへ向かって突進してきた。
前へと四つ足を踏み出すたびに上下するその頭に狙いを付け、テグスは短く呼気を吐き出しながら、手の中の欠片を素早く投げた。
空中を飛ぶ欠片は、テグスの狙い通りにその一つ眼へと直撃した。
「グモオオオオオ!」
「止まらないかッ!」
眼に攻撃を加えられた《一眼牛》は、狂乱したように首を左右に振りながらテグスの方へと突進してくる。
相手が止まらないと気が付いた瞬間に、テグスは地面と壁を足で蹴りつけて天井近くにまで飛び上がった。
空中に飛んだテグスの足の下を《一眼牛》が通り過ぎる。その時に、軽くテグスの足の先にその角が触れた。
《一眼牛》はそのまま一直線に進んで、通路の壁へと体の側面をぶつけて止まった。
「ブモブモオオオオー!」
恐らく身体に当たったのがテグスだと勘違いしているのだろう。《一眼牛》は頭を左右に振り回して、一心不乱に壁へと角を突き立て頭突きを繰り返す。
《一眼牛》の後ろの地面へと着地したテグスは、静かに左腰の片刃剣を抜いてから足音を殺して近付き。構えてその剣先を《一眼牛》の胴体へと横合いから突き刺した。
「グモモオオオオオ!」
だが突き刺した場所が悪かったのか、《一眼牛》は慌てたように頭の方向を、テグスの居る方向へと向けようとする。
「あおおおおおおぉぉん!」
方向転換の為にほんの少し停滞したのを、ハウリナは見逃さなかった。
雄叫びを上げて存在を報せながら、振り上げた鉄棍を思いっきり《一眼牛》の脳天へと叩き付けた。
頭の骨と鉄の棍が打ち合わされた音が、迷宮の通路の壁に反響する。
「グモオオォォォ……」
「一撃で仕留められなかったです」
《丸転豚》の頭なら一撃でへこませるハウリナの一撃を受けても、《一眼牛》は鼻から血を流していても息がまだあった。
「だけど、これでッ!」
ハウリナの一撃に《一眼牛》はふら付いたように身体の動きが鈍ったので、テグスは素早く剣を抜いてから、再度心臓が在るであろう場所に突き刺した。
突き刺した剣と傷口の間から、噴出すように真っ赤な血が吹き出て、テグスの衣服と鎧を染めていく。
しかしそれが精一杯の抵抗であったかのように、《一眼牛》はふらりと足元を揺らすと横へと倒れた。
「テグス、真っ赤です」
「ちょっと失敗したね。洗っちゃうから、ハウリナはその間に解体をよろしく」
「うん、解体するです」
索敵の魔術を使用して、付近に反応がない事を確かめてから。テグスは背の背負子を床に下ろし、ハウリナから少し離れた場所へ。
「『水よ滴れ』」
そして指を自分の頭の天辺を指すようにしながら、水を出す魔術を詠唱して使用する。
テグスの指先から出た水が、身体や衣服に付いた血を上から下へと洗い流していく。
そうして落とせるだけ血を洗い落としたテグスは、次に別の魔術を使用する。
「『ものよ乾け』」
その魔術はものを『乾燥』させるもので、あっという間にテグスの衣服は天日に干したかのように乾いてしまった。
「水浴び、いいな~です~」
「しょうがないな。次の休憩の時に、ハウリナもやってあげるよ」
「やったーです!」
牛を解体して手が汚れ、内臓をつまみ食いして口元を汚してのハウリナの言葉に、テグスは仕方がないとばかりに約束した。
そうして二人で食べられる最大の分量の肉を、倒した《一眼牛》の各部から切り分けて、背負子の中へと収めた。
残った骨やら内臓やらは、テグスが魔石化した。その時に、ハウリナが消え行く内臓を物欲しそうに見ていた。
迷宮内の小部屋へと入った二人は、そこで一休みする事にした。
「テグス、水浴びお願いです」
「そこに立って。いくよ、『水よ滴れ』」
「わきゃ~~!」
テグスの指先から出てきた水を、ハウリナは歓声を上げながら浴びた。
そうして一通り水を浴びた後に、テグスの乾燥の魔術で衣服を乾かしてもらった。
「はふ、さっぱりです」
「じゃあ次は肉だね」
「生なら背の肉。焼くならあばらの肉がいいです!」
「じゃあ先ずは背の肉を渡すよ。あばら肉は温めておくから。『ものよ温かくなれ』」
切り分けて背負子の中に入れた肉から、脂の層がある背の部分の肉をテグスはハウリナに手渡した。
そしてあばらの肉を取り出して、テグスは魔術で温め始めた。
「はぐはぐはぐ。うん~、牛の肉は美味しいの~」
「こっちももう直ぐ温め終わるかな~」
テグスの手にある桃色だった肉が、魔術で温められて薄茶色に色づいてきた。
そうすると温まった肉と骨の髄から、牛の独特な良い臭いがしてくる。
「テグス、テグス~。一つ欲しいです~」
「しょうがないな。はい、どうぞ」
「やった、あばらの肉です~!」
温めて縮んだ肉の分出てきたあばら骨を持ち手にして、ハウリナは大口を開けて骨周りの肉に齧り付いた。
そして嬉しそうに頬を緩めながら、口の中にある肉の味を堪能し始める。
そんな表情を見ながら、テグスも自分好みに温め終わったあばら肉に齧り付いた。
噛んだ瞬間に、口の中に充満する牛肉の香り。
続いて噛み切られた肉の繊維から出てくる肉汁が、テグスの舌を刺激する。
奥歯で噛めば、程よく乗った脂が噛む圧力で押し出され。肉と脂を噛み混ぜ合わせれば、その味に奥行きが生まれる。
たまらずテグスがもう一口、肉を口の中へと押し込めば。また一層の美味しさが口の中に。
恐らく骨髄の味が肉へと移っているのだろう、より骨に近い部分の肉が味わい深くなっている。
「ガツガツガツ」
「はぐはぐはぐ」
その味を知ってしまっては、もう二人の間に言葉は無かった。
手の中に在る温められたあばら肉を、一心不乱に食べ進めていく。
あばら骨に纏わり付く肉の繊維すら残さないように、歯でこそぎ落としながら食べ。食べる部分が無くなっても、骨を味わうように舌で表面を舐める。
ハウリナに至っては、その強靭な顎と歯の力に物を言わせて、あばら骨を端からバリバリと噛んでいる始末である。
「テグス、テグス。もっと食べるです」
「そうだね。じゃあもっと食べようか」
テグスはまだまだ肉が余っているので、こんどは腿の部分の肉を取り出して魔術で温め始めた。
しかし腿肉を温めていたテグスは、ふっと一瞬気が遠くなった。
慌ててテグスが魔術の使用を止めると、意識がハッキリしてくる。
「もしかして……『明かりよ灯れ』」
今の現象がどういうことなのかを確かめるべく、テグスは最小限の魔力で灯りの魔術を使用する。
するとまた意識が遠くなりかけたので、灯りの魔術の使用を止めた。
「テグス、どうしたです?」
「魔力を使いすぎたみたいで、欠乏の症状が出始めたんだよ」
この《小六迷宮》に入ってから、迷宮の通路を歩く時や戦闘時に加えて、休憩時も魔術を頻繁に使用した。
そんな事をしていたら、使用魔力が少ない魔術といえど、誰だって欠乏症状を引き起こすに決まっていた。
しかしテグスは普通の人に比べて魔力量が多いのか、本来ならもっと手前の層で出るはずの欠乏症状が、こんな下層に来るまで出る事がなかったのだ。
「た、大変です。直ぐに休むの!」
それを聞いたハウリナは、肉を食べるのを止めて、慌てたようにテグスを横に寝かそうとし始めた。
「大丈夫。魔力を使用しなければ、段々と回復していくから」
魔術ではなく魔法の教本に書かれていた内容を引用して、テグスは慌てるハウリナを落ち着かせる。
「本当に大丈夫です?」
「大丈夫だって。例え魔力が欠乏したって、人間は死なないよ。それに今は休憩中だから、魔力も回復し易いだろうし」
テグスの言葉を聞いて少しは安心したのか、それでも心配そうにテグスを見ながら牛の背の肉を生で食べている。
ハウリナに心配させてしまった事を申し訳なく思いながら、テグスも温め切れていない腿肉を、ナイフで薄く削ぐようにして口に入れ始めた。
脂身の少ない腿肉は肉の味と香りが強く、あばら肉よりもテグスの好みに合っていた。




