307話 隠された秘密と、新しき《護森巨狼》
《静湖畔の乙女会》で一泊してしまったことに、朝に目覚めたハウリナ、ティッカリ、アンヘイラ、アンジィーは驚いていた。
しかしながら、秘薬・竜の咆哮の効果は本当だったようで、全員体調が見るからに良さそうだ。
そんなハウリナたちの部屋に、《静湖畔の乙女会》の信徒に連れられて、テグスとウパルがやってきた。
「みんな、おはよう」
「お目覚めのようでございますね」
二人も、竜の咆哮の薬効によって、すこぶる元気そうだった。
その上、両者の距離感が昨日に比べて、やや近くなっているようでもある。
ティッカリとアンジィーは二人の様子に、小首を傾げる。
逆に、ハウリナは小鼻を動かした後で、アンヘイラは少し考えてから、事情を察した顔になった。
ハウリナとアンヘイラに何か言われるかと、テグスはほんの少しだけ身構える。
「テグス、お腹減ったです。朝ごはん食べたいです……」
「かなり空腹ですね、実質半日以上は寝ていたようですし」
この言葉に、テグスとウパルを連れてきた《静湖畔の乙女会》の信徒は、朝食の準備をするためだろうか、どこかへと歩き去っていった。
その姿を横目で見た後で、テグスはハウリナとアンヘイラに顔を向ける。
「二人は気がついているようなのに、なにか僕に言ったりしないの?」
思わず尋ねてしまったことに、ハウリナとアンヘイラは不思議そうな顔をする。
「この群れの主、テグスです。テグスのしたことに、なにを気にするです?」
「構わないでしょう、同意した上での行為のようですし。それに今までが健全すぎたのですよ、テグスの他は女性ばかりだというのに」
そういうものなのかなとテグスが首を捻る。
この受け答えでようやく事情を察したのか、ティッカリとアンジィーは納得した顔になり、アンジィーだけは頬を赤くして俯いた。
けど、二人もテグスとウパルに何か言うことはなく、少しの間全員が無言になる。
すると、見計らっていたかのように、さっき立ち去った信徒がここに戻ってきた。
「質素ではございますが、朝食の準備が整いましたので、食堂にご案内いたします」
そう頭を下げながら伝えられて、ハウリナのお腹が小さく鳴った。
「わふっ! ごはんです、ごはんですー」
「あの秘薬で、胃腸が活発になっちゃったのかな~。とってもお腹が減っているの~」
「量を多く取りたい気分ですね、今日は何時になく」
「え、あ、えっと、そうですね、ご飯食べにいきましょう」
ハウリナ、ティッカリ、アンヘイラ、ウパルが喋りながら、食堂へと先導する信徒の後についていく。
テグスは彼女たちに気を使わせていることを自覚し、恥ずかしげに後ろ頭を掻くと、ウパルに顔を向ける。
「昨日のことで何かが変わるって訳じゃないみたいだし、あまり気にしないでいいのかもね」
「はい。皆さんの心遣いに、感謝せねばならないようでございますね」
二人も後についていき、食堂で信徒たちと共に朝食をとる。
信徒たちから多少の視線は感じつつも、テグスはハウリナたちと小声で談笑しながら食事をつづけた。
そうして、朝食の礼に片付けや掃除を行った後には、もうテグスたちの間に流れる空気はいつも通りのものに戻っていたのだった。
《静湖畔の乙女会》を後にし、テグスたちは層を下っていく。
順調に進み、最下層の待機部屋のような場所までやってきた。
テグスたちは首を伸ばし、《階層主》の出る広間――大きな光球がかなりの高さのある天井に浮かび、かなりの広さのある空間には巨樹と草原が広がる光景を見つつ、《護森巨狼》が居ないか確かめる。
「……いないみたいだね」
テグスが意外そうに呟くと、ティッカリとウパルから反応が返ってきた。
「たしか、サムライさんたちが前に倒しちゃっていたし、他の《探訪者》たちもくるだろうし、出現していなくても不思議はないかな~」
「訂正したく思います。《中三迷宮》は日数がかかりますので、最下層へと向かう奇特な《探訪者》は少ないのでございます」
つまり恐らくは、サムライたちか倒した後、テグスたちがやってくるまで、最下層にきた《探訪者》は誰も居ないのだろう。
そこで何かに気がついたように、アンヘイラが首を傾げた。
「それでしたら大変ではないですか、《静湖畔の乙女会》の信徒が使命を果たすことは」
テグスは何のことかすぐには分からなかったが、その使命とは優秀な《探訪者》に付き従い子供を身ごもることを指していると、気がついた。
ウパルもアンヘイラが言いたいことが分かったのだろう、首を上下に動かして疑問を肯定する。
「その通りでございます。ですが、なにも《中三迷宮》二十五層にて、座して待っているわけでもございません。年齢と技能が一定以上となった信徒は、普通の服へと着替えて地上に向かい。信徒とは気付かれぬまま、使命を果たそうとするのでございます」
ティッカリが理解が追いついていない顔で、質問する。
「っていうことなら、普通の《探訪者》に見える人の中にも、信徒はいるかもってことなの~?」
「はい。ですが、信徒である私であっても分からないよう、偽装しているようでございますね」
「そうなると不便ではないですか、信徒間で意思疎通ができないということですから」
続いてのアンヘイラの疑問に、ウパルは首を横に振る。
「私がこうして信徒だと分かる格好をしていますのは、偽装を修得する前にテグスさまに付き従うようになったからということもございますが、《探訪者》を偽装する信徒に別の人を探すように伝える役目もあるのでございますよ」
いままで変に貫頭衣状の防具に拘っていた背景を知り、テグスは興味深く思った。
しかし、ここまできた目的は、まだ果たせていない。
「さて、意外な真実も分かったところで。《癒し水》を手に入れに行かないとね」
「わうぅ……大きな狼と、戦うです?」
「それは向こうの出方によるかな」
気が進まなそうなハウリナの頭を撫でつつ、テグスは率先して巨樹のある広間へ脚を踏み入れた。
ハウリナたちも後に続いて入ると、春の盛りを思わせる気温を幾分下げるように、少し強い風がこの広間に吹いた。
すると、巨樹の陰から飛び出てくるようにして、居なかったはずの《護森巨狼》が現れ、高らかに遠吠えする。
「ガルオオオオオオオオオォォォォォ!」
その威風堂々とした姿に、テグスたちは襲われても対処できるよう武器を構える。
《護森巨狼》は、遠吠えが広間に響きながら消えていってから、初めて存在に気がついたように、テグスたちへ顔を向けた。
そして何かを言おうと口を開き、何かに気がついたように鼻で匂いを嗅ぎ始める。
どういうことかテグスたちが分からずにいると、《護森巨狼》は興味を失ったかのような態度で、巨樹の横へと引き返していった。
その上、光球の暖かな光で午睡するかのように、地面に丸くなり、前脚の上に顎を乗せて目を瞑ってしまう。
理解不能な状況に、テグスたちは武器を構えたまま顔を見合わせる。
「えっと、これはどういうことなのかな?」
「ちょっと、聞いてみるです――ね、るくと!」
ハウリナが白狼族の黄牙の民が使う言葉で話しかけると、寝ようとしていた《護森巨狼》は目を開ける。
「……ぼらす、きおんぱたり」
前の個体は人懐っこそうだったが、今回の個体はつっけんどんな性格のようで、一言だけしか返してこない。
その言葉を聞いて、ハウリナはムッとした表情をすると、再び言葉をかけた。
「きある、ばたり!」
「みねばたり、きえるばたりどるこ」
「せ、あくぼ、ぷれに!」
「びべらんぷれに、てらぴあくぼ……」
その言葉を最後に、《護森巨狼》は目を瞑る。
以後は、ハウリナがどう言葉をかけても、目を開けることはなかった。
「ふん。この大きい狼、いいやつじゃないです!」
ぷんぷんと怒った様子のハウリナの肩を、テグスはつつく。
「ハウリナ、なんて言ってきたの?」
「竜に勝った人と戦わない、水は好きにとれ、って言ったです。こいつ、森を守るいだいな狼、じゃないです」
このハウリナの評価に抗議するかのように、《護森巨狼》は耳をぱたぱた動かすが、目は瞑ったままだ。
予想外の状況に、テグスは顎に手を当てて少し考える。
「うーん。まあ、良いっていうんだし、《癒し水》をとっちゃおう」
それでも《護森巨狼》への警戒は続けつつ、巨樹の根元にある空洞の中へ入った。
そして《清穣治癒の女神キュムベティア》の像が抱え持つ、六本の《癒し水》を全て入手する。
本当にテグスたちと戦う気はないようで、《護森巨狼》はこの段になってものんびりと寝息を立てている。
なんだかズルをしているようで、テグスは少し気が咎めたが、戦わずにすんだことに安堵していることも確かだった。
だが、一つ問題がないわけではなかった。
「一人二本ずつ《癒し水》を持ちたいんだけど、この六本と使い残しを合わせてて足りないんだよね」
「もう一度、とりにくるです?」
ハウリナの問いに、テグスはそうしないといけないと考えていた。
しかしそこで、寝ていたはずの《護森巨狼》が、ぼそりと言ってきた。
「……みすぬるぬふぉじぇ」
『一回』と『猶予』の古代語に似た言葉を聞いて、テグスは何を言われたのか理解した。
「この対応は一回だけ、みたいだね」
ハウリナもそう受け取ったのだろう、また怒り始めた。
「ふんっ。一回やるなら、またやってほしいです」
「それって、二度目が駄目なのなら、一回目も駄目だった方が良かったって意味かな~?」
「です、です!」
ハウリナが不満な理由を理解しながらも、テグスは再び《護森巨狼》と戦うという気になれず、《癒し水》の補充は今回の六本で終わりにすることにしたのだった。




