28話 《小六迷宮》6
食事と短時間の睡眠含みの休憩を取ったテグスとハウリナは、《潜跳蝦蛄》の警戒のために石蹴りをしつつ、幾分すっきりとした気分で十層への階段を探す為に通路を進んでいる。
「今までもそれなりに《探訪者》は居たけど、この層から随分と人が多くなったよね」
「みんな大量の肉を持っているのです。歩き難いの」
「こうして狩った肉が《雑踏区》に回るんだろうね」
「お肉が食べられるのは良いことです。もっと人が増えるといいです」
二人が小部屋で擦れ違った、休憩中らしい五人組の《探訪者》たちの全ての背負子には、これでもかと言わんばかりに内臓を抜いた《蹴爪軍鶏》が縄で括られていた。
そして下の層から登ってきたらしい人たちの背には、大きな牛や豚に見える《魔物》が背負われている。
「じゅる。豚肉と牛肉です」
「それは下に行ってからのお楽しみだから」
背負われている獲物に目を奪われがちなハウリナを、テグスは引っ張るようにして通路を進む。
その道すがら《蹴爪軍鶏》に出会う事はあったものの、他の《探訪者》が群がって先に仕留めてしまう事が多かった。
なので、二人はもっぱら《蔓鞭瓜》か《大蜜蟻》を相手にしつつ、下の層から登ってきたらしい《探訪者》を目印にして、十層への階段を探し回る。
「階段があったです」
「じゃあこれを食べながら、ゆっくり降りようか」
通路を塞ぐようにしていた《蔓鞭瓜》を倒すと、その先の小部屋に下への階段があったのをハウリナが見つけた。
テグスは大雑把に《蔓鞭瓜》を短剣で切り分け、一片をハウリナへ渡しもう一片を自分で持って、その階段を歩いて降りていく。
十層からは《剛巻毛羊》という、少し大きめな羊のような《魔物》が出てきた。
しかし多少毛がもこもこしていて斬りにくいのと、巻いた大角による突進以外には特に注意するべき事は無かったので、脅威度は《蹴爪軍鶏》より低くテグスには感じられた。
その上、他の《探訪者》が狙っているようで、テグスとハウリナは十一層への階段に到着するまで、一匹だけしか出会わなかった。
「十一層に到着したんだけど、今迄で一番人が多いんじゃないかな?」
「人でごちゃごちゃしているです」
今まででは、通路を歩いていても《探訪者》に出会う事は稀だった。
しかしこの十一層からは、少し通路を進むだけで何人もの《探訪者》と擦れ違う。
「木の大盾持ちが二人と、《魔物》を仕留める槍持ちが一人。残りの二人は荷物運びかな?」
「じゅるり。大量の大きな豚が乗っているです」
どうやら五人で組んで《魔物》を相手するのが、この十一層の常識のようで。
大多数の《探訪者》は五人一組で通路を歩いて、獲物となる《魔物》を探し回っている。
そしてどうやらこの層から出てくる、以前テグスも聞いた事のある《丸転豚》という《魔物》狙いが多いのか。
擦れ違う荷物運びの人たちの背中には、丸々と太った豚に見える死骸が何匹も乗せられている。
「ん? 何の音だろう」
「何かが転がってくるです?」
大人数の《探訪者》が居るからか、あまり《魔物》と出会う事無く通路を進んでいた二人の耳に、何かが音を立てて近付いてくるのが聞こえてきた。
壁に接触しながら近付いてくるような、何かを削る様な音。それと何か硬い物が地面に断続的に当たる音。
テグスには何の音だか分からなかったが、獣人であるハウリナの耳には、何かが転がってくる音であると分かったらしい。
「近付いて来ているよね?」
「こっちに来るです」
「戦闘の準備した方が良いね。ハウリナも身体強化の魔術を使っておいて」
「わかったです」
まだまだ遠くにありそうな音だったが、テグスは用心の為に握っていた短剣を左手に持ち替え、右手に鞘から抜いた片刃剣を握る。
ハウリナも油断なく鉄棍を両手で持って、音のする通路の先を見据えている。
そして二人とも無詠唱で身体強化の魔術を使用して、咄嗟の出来事にも対処できるように身構えた。
段々と大きくなる何かが転がってくる音に、二人は準備は万端とばかりに、通路の先からその音の主が出てくるのを待った。
「――意外と大きいな!?」
「さっきのと同じ豚です!」
それは先ほどの荷物持ちの《探訪者》が背負っていた《丸転豚》なのだと、そのピンクな肌の色味と回転する体から時折現れる豚鼻で分かる。
しかし荷物持ちの背にあった、内臓を抜かれて力無く伸びていたのに比べて、今まさに転がって向かってくる威圧感もあってか、テグスにはやけに大きく見えた。
一方でハウリナは、転がる《丸転豚》の事を良く肥えた豚肉程度にしか思ってなさそうな、発言と表情をしていた。
「とりあえずッ!」
このまま間抜けに待って、轢かれて怪我をしても面白くないので。
テグスは左手の短剣を、身体強化した膂力に物を言わせて、高速で投擲した。
音を引いて飛んでいった短剣が《丸転豚》の身体に当たって皮膚を切り裂いた。
しかし相手が転がっていたからか、命を取れるほどの怪我を負わせる事は出来なかった。
「後はお任せあれです!」
《丸転豚》が止まらないと分かったハウリナは、テグスより数歩前に出ると、鉄棍の端を持って大きく振りかぶる。
「あッ、おおおおおおぉぉん!」
そして雄叫びを上げながら、近付いてきた《丸転豚》へと鉄棍を横薙ぎに振り抜いた。
ハウリナの振るった鉄棍に当たった《丸転豚》は、転がってきた勢いをそのまま反対方向へと返されたかのように、通路を少し転がっていく。
その通路を転がり戻る途中で、体の力が抜けた四肢を投げ出す格好で、仰向けになって横たわってしまった。
「……頭に直撃しているよ」
「良い手応えだったの!」
起き出さないか警戒しながらテグスが近寄り、息が無い事を確かめてから、伸びた《丸転豚》の姿を観察する。
その《丸転豚》の頭部はべっこりと、ハウリナの持つ鉄棍の形にへこんでいた。
転がる頭部を狙ったのかそうでないかはハウリナにしか分からないが、この威力なら当たりさえすれば、頭部でなくても十分に致命傷を与えられるだろう。
しかしそんな事はどうでも良いとばかりに、ハウリナは《丸転豚》の腹に取り付くと、後ろ腰から短剣を抜いて右手に持った。
「解体、解体です。美味しい内臓食べるの~」
「料理中のレアデールさんじゃ無いんだから」
嬉々とした様子で、鼻歌交じりに《丸転豚》の腹を短剣で捌き始めたハウリナに、テグスは苦笑いしながらそんな感想を漏らした。
そのテグスの言葉が耳に入っていないのか、ハウリナは捌いた腹から出した内臓を観察し、食べれそうな物を大まかに切り分けていく。
そしてフンフンと鼻を鳴らして内臓の匂いを嗅ぐと、嬉しそうな表情を浮べてそれを生のまま口に入れた。
食べたのは、形と色から《丸転豚》の肝臓のようだ。
「《空腹猪》のより、油が乗ってて美味しいです!」
「堪能するのは後にしようよ。さっさと内臓抜いて、良い場所見つけて休みながら食べよう」
「ああッ、駄目です。勿体無いの!」
うっとりと味を堪能し始めたハウリナに、テグスはこの場所に長々と居るのは嫌な感じだったので、さっさと《丸転豚》の内臓を抜こうと手を出す。
するとハウリナはテグスを大慌てで押し止めると、急いで内臓を取り出しにかかる。その時に食べられる内臓の部位を幾つか、開いた《丸転豚》の中に戻していた。
どうやら全て棄ててしまうのには抵抗があり、少量でも休憩する時に食べる積りらしい。
「これだけ大きいんだから、一匹分の肉だけで十分だから」
「ううぅ、勿体無いの」
テグスに手を引かれながらもハウリナは、チラチラと名残惜しそうな視線を、岩の床の上に棄てられた内臓へと向けている。
しかし程なくして見つけた小部屋の中で、《丸転豚》の肉を切り分けて二人で食べ始めると。内臓の事など忘れてしまったかのように、ハウリナは蕩けた表情を浮べて、油が乗ったその肉の味を堪能していた。
「はうぅぅ~……生もいいです。温めるともっと美味です~」
「ほらほら、どんどんと食べて。まだまだ肉はあるからね」
内臓を問答無用で棄てさせた事に負い目を感じていたテグスが、ハウリナに優先して魔術で適度に温めた肉を渡す事で機嫌を取る事にしたのも、彼女が蕩ける表情を作り出す一因ではあった。
テグスがその魔術調理の合間合間に肉を口に運んでみると。
なるほど確かにハウリナが蕩けるのも無理ない、と思うほどの脂と肉の調和が取れた肉だった。
生で食べれば。口の中の体温で溶け出した肉の甘い脂と、噛む歯ごたえが楽しい肉の新鮮さが良い。
魔術で温めて食べれば。肉と脂が混ざり合った味に加え、噛むと出てくる繊維の間からの肉汁が、これまた美味しい。
そしてテグスが摘むように食べて出した結論は、脂の多さから《丸転豚》は温めて食べた方が美味しい。もっと言えば、直火で焼いた方がより美味しいという物だった。
「これはもっと精霊魔術を学んで、火の精霊を扱えるようになったほうが良いのかな……」
「テグス、テグス。食べるです~!」
「ああ、御免ね。ほらほら、あーん」
「あ~ん、れふ~♪」
途中で手を止めて考え込んでしまったテグスに、ハウリナは餌を待つ犬のように彼の太ももを手で揺すってねだる。
揺すられてテグスは、これからの迷宮での食について考える事を止め、ハウリナへ魔術で温めた肉を与える事を再開した。