26話 《小六迷宮》5
出会う《魔物》を倒したり、時にはやり過ごしたりしながら。
二人は八層目へと足を踏み入れ、そのまま通路を進み始める。
そしてこの八層の通路の見た目が、今までのものとは少し違っている事に二人とも気が付いた。
「なんか、穴が空いているね」
「穴だらけです。《魔物》の仕業です?」
「この層から出てくるのは、《潜跳蝦蛄》なんだけ――どッ!?」
通路の天井と言わず床といわず、色々なところに小さな穴が開いていた。
その中の床に開いた小さな穴の一つにテグスが近寄った瞬間、彼の顔に向かって何かが飛び出てきた。
慌ててテグスが顔を横に倒して避けると、テグスの頭上の岩天井から何かを砕いたような音がした。
「逃がさないの!」
鉄棍を槍のように使って、ハウリナはその先端で飛び出てきた何かを、天井へ押し付けて潰した。
天井から身体を砕かれて落ちてきたのは、全長でテグスの顔大もある、細長い多足の虫のような見た目の《魔物》だった。
「これが《潜跳蝦蛄》かな。蝦蛄って言うのが何なのか分からなかったけど、虫なのかな?」
ハウリナが押し潰したところを見てみると、岩天井に小さな皹が入っているのが見えた。
もし《潜跳蝦蛄》がテグスの顎に当たったら、顎骨の皹で済むわけは無い威力があるようだ。
「フンフン。塩の匂いがするです」
「塩の匂いってことは、海って所の生き物だから、魚なのかな?」
「魚はこんなに皮が硬くないです」
《迷宮都市》――内陸の《ゾリオル迷宮区》から出たことの無いテグスは、塩の匂いという単語から連想して、噂話や四方山話でしか聞いた事の無い『海』という場所を思い出した。
しかしその海に住む生物の事は魚以外は知らないので、この《魔物》の名前に使われている蝦蛄がどんな生き物なのかは、全くといっていいほど分からなかった。
「一応この迷宮の《魔物》には毒が無いんだから、虫でも魚でも身があれば食べられるはずだけど……」
「こういうのは、とりあえず皮を外してみるのです」
外殻をぺりぺりとハウリナは剥がし始めた。
頭の部分には余り身が無かったが、尾の部分から出てきたのは、透明な白さを持つ肉質な身だった。
肉とも魚とも違うその見た目の質感に、テグスとハウリナは思わずゴクリと喉を鳴らした。
二人の食いしん坊の直感が、この身が美味しいものだと理解したからだ。
「半分ずつ食べようか」
「そうするのです」
ハウリナが身の真ん中を摘んで捻って分けると、ちょっとだけ大小の差が出てしまった。
そのどちらをテグスに渡すか悩む様子のハウリナを尻目に、テグスは見た目で小さい方を選んで摘んだ。
「こっち貰うね。あ~ん、もぐもぐ――美味い! ハウリナも食べてみなよ!」
「うん、食べるです。あむっ――美味しいの!」
テグスが選んでくれたので悩みが消えたのか、少し大きい方の身を口に入れたハウリナも、テグスと同じく美味しさに驚いた。
殻を外してしっとりと濡れたような見た目の《潜跳蝦蛄》の身は、かみ締めるたびに甘味とは違った、海鮮物独特の甘さが溢れ出てくる。
内陸部で育ったテグスにとってその味は初めての経験で、肉とは違ったその味に驚きと興奮を覚えた。
ハウリナの方も海鮮物は初めてなのか、《潜跳蝦蛄》の身を口に入れた途端に、その味に驚いているようだ。
「でもこの《潜跳蝦蛄》は美味しいけど危ないな。穴から行き成り出てくるなんて」
「テグスの魔術で分からないです?」
「う~ん、さっきも念のために索敵の魔術を使ってから歩き出したんだけど。《潜跳蝦蛄》の反応はなかったんだよなぁ」
試しにテグスがもう一度索敵の魔術を使用しても、《潜跳蝦蛄》らしき壁や床に潜んでいる様な反応は返ってこなかった。
それはテグスが使用している索敵の魔術が、『動体』索敵の魔術なので、じっと潜んでいる相手には相性が悪い事に起因している。
しかしそんな事を知らないテグスは、この索敵の魔術には何らかの欠陥がある事しか分からなかった。
「他の《魔物》なら、通路を歩いているのが分かるんだけど」
この八層には、他に《滴油鼠》、《浮燐蝶》、《蔓鞭瓜》、《大蜜蟻》らしき反応があった。
反応の中に火にまかれて暴れているようなのはなかったので、テグスは《小火蜥蜴》より前の《魔物》はこの層には居ないと考えた。
迷宮の不思議の一つに、層を跨ぐと新しく出てくる《魔物》と、全く出てこなくなる《魔物》がある、という事があるからだ。
しかも出てきた階層順に消えるので、この層に三層目に出てきた《小火蜥蜴》が出てこないなら、一層目と二層目の《口針芋虫》と《転刃石》も出てこない事になるわけだ。
「仕方が無いから、気をつけて歩くこうか」
「テグス。良いこと考えたです!」
索敵の魔術も万能じゃない事を学んだテグスが、通路を歩くのを再開しようとするのを、ハウリナは軽く腕を掴んで止めた。
テグスはそのハウリナの考えた事に少し興味を持ち、何をするのかを見守ろうと、ハウリナの後ろへと下がる。
「いくです!」
テグスが下がったのを見てから、何故か鉄棍を振り上げたハウリナは。
そのまま力一杯、鉄棍を地面へと叩き付けた。
岩の床と鉄の棍がぶつかり合った大きな音が、通路の中を反射しながら駆け抜ける。
その大きな音にテグスは思わず耳を塞いで、抗議の視線をハウリナへと送る。
人間よりも耳のいい獣人のハウリナも、自分でやって音に参っていると思いきや、頭の上の獣耳を伏せて防音していた。
「ハ~ウ~リ~ナ~……」
「わわ、どうして怒っているです。見るの。穴から出てきてるの!」
「炙り出すためにこんな事を毎回やってたら、耳が悪くなる!」
「ぎゅわわ、頭をぐりぐりは痛いの~! 悪かったです、ハウリナが悪いです!」
確かに《潜跳蝦蛄》は穴から出てきて、付近の様子を伺って居る様だが、問題はそこでは無い。
なのでこの方法は問題があるのだと分からせる為に、テグスはハウリナのこめかみの部分を、左右から両拳で挟んで力を入れつつ捻る。
レアデール直伝の処罰法は、ハウリナにもてき面に効果があったのか。
ハウリナは目に涙を浮べて、謝罪の言葉を漏らした。
分かればよろしいと、テグスは手をハウリナの頭から外した。
「ううぅ。でもどうするです?」
痛みから浮かんだ涙を指で拭いながらのハウリナの疑問に、テグスは考えるように腕を組む。
「音に反応したって事は、きっと足音を聞いて飛び出してくるんだよ。だから足音の代わりに他の音を先に出せば、《潜跳蝦蛄》が外に出てくるんじゃないかな」
その予想の証明の為に、テグスはハウリナが音で炙りだした《潜跳蝦蛄》が戻った穴へと、《転刃石》の欠片を投げてみた。
穴の付近でカッと音を立てた欠片に、テグスの予想通りに《潜跳蝦蛄》は反応して、穴から飛び出して天井へと体当たりをした。
「これで《潜跳蝦蛄》の対処法は分かったね」
「穴全てに投げれるほど、欠片の数は無いです?」
「大丈夫、こうすれば欠片は一つだけで良いからね」
拾い集めた欠片の中から、一番大きな物を選び出したテグスは、それを床に落とした。
そして落ちた欠片を裸足のつま先で蹴るという、石蹴り遊びのような事をしながら、通路を進み始める。
すると穴に潜んでいた《潜跳蝦蛄》が、付近を通った破片に反応して、勢いよく飛び出てきた。
「ほらね。欠片一つだけでよかったでしょ」
「すごいの。簡単に獲れるです」
飛び出てきたのを、ハウリナは嬉々として鉄棍で頭を潰した。
テグスはそれを拾い上げて殻を外すと、ハウリナの口元へとぶら下げる。
飼い主に手ずから餌を与えられる犬のように、ハウリナはパクリとその身を口に入れた。
「美味しいれふ~」
「ほらほら、《魔物》は《潜跳蝦蛄》だけじゃないから」
石蹴り遊びをしながら進むので、今までと比べて格段に歩く速度は遅くなったが、奇襲を受ける事無く安全に進む事が出来た。
その行程の途中で、《潜跳蝦蛄》が他種の《魔物》へと穴から飛び出てくる事もあったので。二人は調子良くその二つを狩って食べられるものは食べながら、八層から下る階段を探して歩いていく。
八層で狩った《大蜜蟻》の腹の部分を、一人一つずつ持ち舐めながら階段を降りて、二人は九層へと辿り付いた。
「八層に比べたら、穴の空いている数が少ないね」
「てぃ、てやっ……穴から出てこないです」
軽く鉄棍で付近の地面をハウリナが何度か叩いてみたが、八層のように《潜跳蝦蛄》が何処にでも居るという訳では無さそうだ。
しかし奇襲されるのも嫌なので、テグスは相変わらず石蹴り遊びのような事をしながら、迷宮の通路をハウリナを伴って歩いていく。
何度か曲がり角を勘で曲がり、長い一直線の通路に出たところで、二人は新しい《魔物》に出会った。
「鳥の見た目だから、あれが九層から出てくる《蹴爪軍鶏》だね」
「ニワトリなの。大きくて美味しそうです」
二人の視線の先には、大型犬ほどの大きさのある、茶色の羽根を持ったニワトリ型の《魔物》が居た。
しかし何故通路をウロウロ右へ左へと歩いているのかと、二人が観察していると、穴の一つから《潜跳蝦蛄》が《蹴爪軍鶏》へと飛び出してきた。
それをその《蹴爪軍鶏》は一飛びした後で、蹴りで《潜跳蝦蛄》を打ち落としてしまった。
そして《潜跳蝦蛄》が穴に潜るより先に片足で押さえけると、殻を突付き割って中身を食べ出した。
「す、素早いの」
「《潜跳蝦蛄》って打ち落とせるものなんだね」
穴から飛び出てくる《潜跳蝦蛄》は、目にも止まらない速さがある。
それを苦も無く蹴り落とす《蹴爪軍鶏》は、恐らく手強い《魔物》なのだろうと、テグスはそう予想した。
《潜跳蝦蛄》を食べていた《蹴爪軍鶏》は、見られている事に気が付いたのか。食べるのを止めて、二人へと羽根を広げて威嚇してきた。
「ハウリナ、行くよ!」
「いつでも良いです!」
テグスは柄が焦げた短剣を抜き出し、それを《蹴爪軍鶏》へと投擲する。
一直線に胴体へと向かってくるその短剣を、《蹴爪軍鶏》は跳躍しながら器用に爪を使って蹴り落とした。
「あおおおぉぉん!」
「クケエエエェェ!」
空中に居れば回避出来ないと予想したのか、ハウリナは素早く近寄りながら鉄棍を振るう。
しかし《蹴爪軍鶏》は止まり木に足を掛けるかのように、鉄棍を足で掴むと振られる勢いを利用して後方へと飛び退った。
「ハウリナ、どうにか足を止めさせて!」
「分かったです!」
テグスの言葉を受けて、ハウリナは鉄棍を素早く小刻みに振るって、《蹴爪軍鶏》が大きく飛んだりしないようにする。
その間にテグスは左腰の片刃剣を抜き放ち、鋭刃の魔術を刃に掛ける。
ハウリナの鉄棍による連続攻撃に、《蹴爪軍鶏》は対応が追いつかなくなったのか、二度ほど鉄棍の先が当たりよろめいた。
「たあああああぁぁ!」
その僅かな隙を逃さないように、テグスはハウリナの横を通り過ぎながら、剣を《蹴爪軍鶏》へと振り下ろした。
だがテグスが攻撃してくる事は分かっていたといわんばかりに、《蹴爪軍鶏》は軽く飛んで蹴爪で剣を迎撃しようとしてきた。
振られた剣と繰り出された蹴りが空中で交錯する。
それに競り勝ったのは、剣の刃に魔術の力が加わっていたテグスの方だった。
「クケェェ……」
足を斬り飛ばされ、胴体の半分を切り裂かれた《蹴爪軍鶏》は、悔しそうに一鳴きしてから地面へと倒れた。
その傷口から出てくる赤い血が、床と羽を汚していく。
「ふぅ。どうやら《蹴爪軍鶏》は刃物系の武器の方が相性が良いみたいだ」
「早速解体するです!」
「待った。もうそろそろ時間的に夜になるし。休むのに良い場所を探して、そこで食べよう」
「……血抜きはするです」
餌を取り上げられた犬のようにしょんぼりとしながら、ハウリナは後ろ腰から短剣を一つ抜き出し《蹴爪軍鶏》の首を斬り飛ばした。
それからテグスが斬った部分から内臓を取り出し始めたのだが、その時にハウリナが肝臓などをこっそりと食べていたが、テグスは見なかった事にした。
そうしてある程度の処置が終わった後で、二人は並んで通路を進み。程なくして迷宮の小部屋へと辿り着いた。
「休憩するならここで良いかな」
「食事です?」
「そうしようか。ついでに軽く睡眠も取っておこう」
「わふわふ。鶏肉です!」
大人なら五・六人は横になって寝れそうな広さの場所の一角に、テグスとハウリナは座り込んみ、先ほどの《蹴爪軍鶏》の羽を毟り始めた。
そうして丸裸にすると、テグスが魔術で確りと色が変わるまで温めてから、ハウリナが短剣で半身ずつに切り分けた。
「それじゃあ食べよう」
「美味しそうれふ」
テグスの言葉を待っていたかのように、ハウリナは言葉を言いながら腿の部分に噛み付いた。
そんな姿を見て苦笑したテグスも、ハウリナと同じ様に腿の部分に歯を立てた。
直火で焼いたわけではないので、皮がパリッと言うほど香ばしくはない。
しかしそれでも魔術で温めたお陰で、テグスが噛み付いた腿の部分からは、肉汁が口の中へと溢れ出てきた。
それを啜り飲むようにして一度喉を鳴らしたテグスは、次に噛み切ってからもぐもぐと口を動かす。
キメの細かなしっとりとした筋肉の繊維の間から、噛むたびに鶏独特の味がする油が肉汁と共に出てくる。
「もぐもぐもぐ」
「はぐはぐはぐ」
この肉を食べるのに飲み物は要らないと分かると、テグスは大口を開けて肉を次々に噛み切り飲み込んでいく。
ハウリナもテグスに負けない程に素早く肉を口へと入れていく。
腿の部分の肉を骨から剥がすように食べ終え、関節部の軟骨まで食べた後で、今度は胴体部分へと食べる場所が移動する。
腹回りの骨が無い部分を一気に食べ、肋骨周りの部分は一つ一つ骨を捻って外しながら食べ、背骨にくっ付く肉を歯で削ぎ落としていく。
最後に残った手羽の部分も、確りと骨をしゃぶりながら食べ終えてしまった。
「はふぅ~……美味しかった」
「もうちょっと食べたかったの」
「確かにもうちょっと食べたいよね」
大型犬並みの大きさの《蹴爪軍鶏》だけでなく、ここに来るまでに色々と食べて進んできているというのに、どうやらまだ二人は満足出来ていないようだ。
テグスは手に付いた油を舌で舐め、ハウリナは名残惜しそうに手羽の骨を咥えてカリカリと音を鳴らす始末である。
そんな二人の居る小部屋へと接近する足音がした。
「って言ってたら、お代わりが来たよ」
「テグスにお任せです」
蹴爪で岩の床を引っ掻く特有の足音に、それが《蹴爪軍鶏》だと気付いたテグスは、片刃剣を片手に立ち上がった。
ハウリナは自分の鉄棍が決め手に欠ける事と、テグス一人でも大丈夫だと判断したのか、骨をカリカリと歯で鳴らすのを止めようとはしない。
「クケエエェェ!」
待ち構えるテグスの居る小部屋へとやって来た《蹴爪軍鶏》は、同族の変わり果てた姿に怒ったのか、行き成り羽根を広げて威嚇してきた。
しかしテグスは《蹴爪軍鶏》の戦い方を先ほど学んだ上に、食欲に支配されているためそんな威嚇に意味は無かった。
そしてあっという間に決着はつき、やられた《蹴爪軍鶏》はテグスとハウリナの胃の中に収まる結果になった。




