289話 決戦の予兆
《下町》の使い慣れた宿屋の一室で、テグスは目覚めた。
以前にまとめ払いで渡していた代金が残っていたらしく、《下町》にいる人が多くなり需要があっても、宿屋の主が部屋を確保し続けていてくれたのだ。
感謝の言葉とともに、再び魔石を大量に払っておいたので、またしばらくはこの宿がテグスたちの定宿となった。
そんな昨日の出来事を思い出しながら、テグスはベッドの上で大きく伸びをする。
すると、ハウリナたちも起き抜けてきたので、装備を身につけていく。
宿屋を出て、食堂で腹ごしらえをすると、さっそく次の層へ下っていった。
昨日木こりの人が話した通り、多くの人が最下層へ向かっているようで、いつになく四十一層の通路に人影が多い。
大多数の人たちは、十人以上の規模で徒党を組んで、出くわす《魔物》と戦っているようだ。
テグスたちは、自分たちで作製した地図に従い、隠し通路を駆使して先へ進む。
もちろん、見かける大扉は開けて、中にあるお宝を回収することは忘れない。
もっとも、テグスたちは装備に不満はないため、武具を取り替えようとは考えなかった。
ただし、売るときに重要になるので、良さそうな武器だけに関しては、《鑑定水晶》で調べることだけはする。
「でも、一々面倒だから、お酒や食料が出てきたほうが嬉しいよね」
「わふっ。使わないものより、食べられるものが、いいです」
「でも、食料品を大扉で見つけたほうが、かさ張るんだけどね~」
「背負子や背嚢の空きを埋められると考えましょう、倒した《魔物》を魔石化して素材を得ない分だけの」
そんな風に移動していると、ウパルとアンジィーが小声で聞いてきた。
「後ろで開ける作業を見ていた人がいらっしゃいましが、見せてよろしかったのございますか?」
「あ、あの、なんだか、宝を回収した大扉を開けようとか、してましたけど……」
二人の懸念が実現したかのように、歩いてきた側から人の悲鳴が聞こえてきた。
恐らく、大扉に張られた罠にかかって、大怪我でも負ったのだろう。
しかし、テグスはいたって普通の調子なままだ。
「見たいなら見ればいいし、真似をしたいならすればいいと思うよ。《探訪者》はそうやって技術を向上させていくものだと思うしね」
「ケガしても、じこせきにん、です!」
それもそうかと全員が納得して、先へ進む。
通路に、ぽつぽつと死体が転がっていたりもするが、同行していた仲間が回収したのだろう、大した物は持っていない。
しかし中には、うっかり罠で全滅したり、《魔物》の連携に蹂躙された死体もある。
そうした場合は、テグスたちはありがたく、死体の所持品を剥ぎ取らせてもらった。
この全滅した人たちを見る頻度は、《魔物》の種類が層の途中で入れ替わる、四十五層でかなり多くなる。
それこそ、背負子の空きを気にして、テグスたちが回収を諦めるほどだった。
幸いにしてか、不幸にしてか、テグスたちに助けを求める生きた人には、まだ出会っていない。
そんな風に順調に進んで、テグスたちは五十層に到着した。
待機部屋には、意外なことにそれほど――というよりも、まったく人がいなかった。
テグスは通路には人が多く居たのにと、首を傾げる。
「ここにくるまでに諦めて、《下町》へ引き返したのかな?」
「先に目を向けてください、そういうわけでもないみたいですよ」
アンヘイラの指すほうを見ると、《写身擬体》と戦う人たちがいた。
しかし、戦っている人数を見て、テグスは驚いて口を大きく開ける。
「なんで、何十人も中に入っているんだよ……」
そう。広間の中は、《探訪者》とその姿を模した《写身擬体》でごった返していた。
テグスが意味が分からないと頭を抱えていると、ティッカリとアンジィーが理由が分かったような顔をする。
「なるほど~。大半は防御に専念して、強い《探訪者》たちが弱い人を真似した《写身擬体》を倒して回っているの~」
「あの、たぶん、きっと、そうやって数を減らしてから、強い人を真似した《写身擬体》を、人数で押し勝つつもり、だと思います……」
二人の指摘を受けてから観察すると、確かにその通りに戦っているようだった。
それでもテグスには疑問が残った。
「でも、それって。犠牲が出そうな戦い方だよね?」
「実際にでてますね、強い《写身擬体》に斬り殺された人が」
強い人を真似した《写身擬体》に、防御に専念していた一人が両断された。
しかし、その死体を踏みつけながら、また別の《探訪者》が防御主体で相手をし始める。
そうしている間にも、強い《探訪者》たちが獅子奮迅の活躍で、他の《写身擬体》を減らしていっていた。
双方ともに消耗戦を行っているのだが、弱い個体も戦おうとする《写身擬体》の方が、数の減りが早い。
このまま時間が経てば、自ずと《探訪者》たち側が勝つことになるだろう。
しかし、こんな戦法を取る人たちに、テグスは呆れ果てていた。
「ああまでして、五十一層に行きたいものかな」
しかし、アンヘイラの意見はそれとは違ったようだ。
「人数でどうにかなるかもしれませんよ、一度突破さえすれば。戦闘と生活には困りませんよ、五十一層の《魔物》は単体しかでませんし、料理も台座から出てくるのですから」
テグスは納得しかけて、いやいやと首を横に振る。
「そんな戦い方、よくて《堕角獣馬》までしか通じないでしょ。《護森巨狼》からは、個人の力がどうしても必要になるよ。例えば、《魔騎機士》なんて、あの鎧を突破できない武器を使っていたら、絶対に勝てないし――」
そう言ってみて、テグスは自分で解決法を思いついてしまった。
「――そうか。相性を使えば勝てるんだった」
そんな独り言に似た言葉に、アンヘイラが続く。
「その通りです。あとはどうにかなってしまいます、最初に《暗器悪鬼》を倒して黒い球を得れば」
「なら最初に、わざと出した毒酒で《魔騎機士》を弱体化させて倒して~。その防具を使って《堕角獣馬》を倒せば、もっと楽に全部倒せるかもしれないの~」
「それに《下町》で聞いた話でございますと、元々ビュグジーさんたちが《火炎竜》に挑む際に同道するのが目的なご様子でございましたし。五十一層の《魔物》とは戦わないのやもしれません」
ティッカリとウパルも自分の意見を語った。
それらを聞いて、テグスは色々と考えを巡らし、最終的には嫌そうな顔に落ち着く。
「それって、ビュグジーさんたちを頼りきって戦うってことだし。そして結局は、あの人たちは《火炎竜》の餌になるってことじゃないか」
「きっと、口からでた火で、丸こげです」
呆れ果てた物言いで、テグスとハウリナが言う。
その後、テグスたちは全員、面倒な時期に戻ってきてしまったというような、面倒臭そうな顔になったのだった。
前に戦っていた人たちが、五十一層へ向かったのを確認してから、テグスたちは《写身擬体》と戦った。
自分たちに似せた相手だけあり、かなりの強敵だった。
「けど、装備した武器に差がある分だけ、《写身擬体》は弱いんだよね」
「ティッカリに似たの、装備していた盾、壊してたです」
「もしかしたら、前よりもっと力が強くなっちゃったのかな~?」
戦った感想を言い合いながら、五十一層へ下りてみた。
すると、やはりというか、五十層で見かけた数よりも多くの人でごった返していた。
円卓に料理が並んでいるのだろう、沢山の人が手づかみで何かを食べている姿がある。
毛の長い絨毯の上に怪我をした人が寝転がり、仲間から手当てを受けていた。
中には、巨大な神像や周囲の物に目を向けて、興味深そう煮している人もいる。
そんな光景の中、居場所を見失ったようにテグスたちが佇んでいると、円卓の一角でビュグジーが大手を振ってきた。
さらには手招きまでされてしまったので、大人しくそちらへ向かうことにした。
「よぅ、久しぶりだな。元気にしていたかよ」
「もちろん元気ですよ。それにしても、しばらく来ない間に、ここは賑やかになりましたね」
「おう、まあな。ここにいる全員、《火炎竜》と戦ってみたいっていう、馬鹿たちだ」
ビュグジーの発言に、テグスは引っかかった。
「ビュグジーさんたちが戦った後の、おこぼれを貰おうとしている人の間違いじゃ?」
「ぐははははっ。そんな真似、させるわけがねぇだろ。《火炎竜》の素材が欲しけりゃ、ともに戦うことが最低条件だってこった」
周囲を見ると平然としている人ばかりなので、どうやらその条件を納得しているらしかった。
少しだけ安心したテグスに、ビュグジーが手を首に回してきた。
「それでよぉ、頼みがあんだよ」
「神像をいじって、酒を出せって言いたいんじゃないですか?」
「よく分かったな、その通りだ。よろしく頼むぜ」
拒否すると、大扉から回収し、ティッカリが背負っている酒を狙われそうだった。
なので、集まった人たちを神像の周囲から下がらせてから、テグスは神像の仕掛けを動かしていく。
ほどなくして、床からせり出すようにして、酒樽が一つでてきた。
すると、渇死寸前だったかのように、人々が酒樽の蓋が割って手で掬って飲み始める。
明らかに一つでは足りない様子に、テグスは肩をすくめ、ティッカリに顔を向ける。
「次を出すから、その酒樽を群がっている人ごと引きずって、ちょっと遠くに置いてきて」
「分かったの~。ついでに、味見をさせてもらちゃうの~」
ティッカリが酒樽の縁を掴んで持ち上げて移動し始めると、甘味に群がる蟻のように、ぞろぞろと人がついてあるいていく。
その間に、テグスは配置が変わった仕掛けを解き、次の酒樽を出す。
そうやって、合計十個ほど出したところで、ビュグジーから十分だという身振りがされた。
「助かったぜ。料理はいくらでも出るが、俺らだけじゃ酒だけはだせねぇからな」
「まあ、このぐらいはお安い御用ですけどね。それにしても、本当にこの人たちを連れて《火炎竜》に挑むつもりですか?」
テグスが呆れ口調で言うと、ビュグジーがにやりと口を歪める。
「おいおい、お前らは参加しないのかよ。俺ァ、お前らが来るのを待ってたんだぜ?」
意外な提案をされて、テグスは面食らう。
「僕らを待っていたんですか?」
「ああ。サムライだってそのつもりでよぉ。新人どもを扱きまくりながら、まだかまだかと言っていたぜ」
ビュグジーが指したほうを見ると、汗だくで倒れる人たちの中心に、涼やかな顔で立つサムライがいた。
テグスが視線を向けているのに気がついたのだろう、サムライは振り向くと、実に嬉しそうな笑顔で一礼してきたのだった。




