271話 《掻切陰者》
円卓で一休みしてから、テグスたちは《掻切陰者》のでる広間へ向かう。
「陰者って名前だから、障害物がある場所で戦うのかな?」
「わふっ。物の後ろに隠れても、耳と鼻でわかるです」
「そうだね~。ハウリナちゃんがいれば、この《巨塞魔像》の粉は要らないかもね~」
そんな話をしつつ入ってみると、テグスの予想とは裏腹に、立方体の作りになっていた広間の中にはなにもなかった。
全員が踏み入り、天井に光球が浮かび始めると、壁も地面も真っ白で真っ平らな様子があらわになる。
「身を隠す場所がないですね、このような場所では」
「そうなりますと、『陰者』の部分ではなく『掻切』が《魔物》の特徴、ということになるのでございましょうか?」
「な、なんだか、そ、そう考えると、怖そうな相手ですね……」
予想しながら待っていると、天井に等間隔に並んだ光球が強く瞬くように発光する。
テグスたちが目を伏せて光をやり過ごした後に顔を上げると、広間の中央部に《機工兵士》と《遊撃虫人》が現れていた。
そして他の広間でもそうだったように、二匹の上にある光球が紫色に変化し、紫色の靄が現れる。
靄は《機工兵士》と《遊撃虫人》を包み込み、やがて晴れると別の一匹の《魔物》に変わっていた。
袖と頭巾がついた銀色の外套で全身を覆った、人に蟻の外見要素を加えた造形で、ティッカリなみに大柄な体型をした人型の《魔物》。
「でもなんだか、《魔騎機士》よりも弱そうに見えるけど……」
テグスがそう感じてしまうほどに、《暗器悪鬼》と同じかやや劣るぐらいに、存在的な威圧感は薄い。
ハウリナも同感だというように、首を盾に振る。
「服がギラギラして、ハデなだけです」
「《掻切陰者》という割には、隠れる気がなさそうなの~」
「掻き切るように攻撃するのが由来なのでしょうね、あの袖から覗く鉤爪を見る限りでは」
ティッカリ、アンヘイラと言葉が続いた後に、《掻切陰者》がやおら動き出した。
「……ギチギ」
小さいが耳の奥に変に残る、虫の鳴き声のような声とともに、ゆっくりと横へと移動していく。
テグスたちは武器を構えながら、どんな行動をし、どんな攻撃をしてくるか観察する。
しかし《掻切陰者》は、そのまま歩き続けるだけで、攻撃しようとする素振りは一切ない。
どういうことかと、テグスが不思議に思っていると、唐突に変化が訪れた。
「消えていくです!?」
ハウリナが驚いた声を上げたように、《掻切陰者》の輪郭がぼやけ始め、段々と周囲に溶け込むように全体が透明に変わっていく。
「アンヘイラ!」
「分かってます」
このままでは見失うと思ったテグスの呼びかけに反応して、アンヘイラが直ぐに矢を放つ。
直撃するかに見えた矢は、《掻切陰者》が持つ昆虫の足先のような鉤爪で叩き落される。
アンジィーも慌てて《機連傑弓》で矢を放とうとするが、先に透明化が進んでしまい、《掻切陰者》は完全に消えてしまった。
テグスは耳を澄まして目も凝らし、周囲に何か存在の痕跡がないかを確かめる。
しかし鍛え上げたはずの気配察知にかからないため、久々となる索敵の魔術を使用してみることにした。
「『動体を察知』」
テグスの身体から放射状に放たれた魔力の波が、広間全体まで行き渡る。
しかしながら、帰ってきた反応はハウリナたちの分だけだった。
「……ハウリナ、何か聞こえたり、匂いがあったりする?」
「わうぅ。なにもないです」
役に立てないことにしょんぼりする姿に、テグスは気にしないようにと頭を撫でて気分を盛り上げてやった。
そうしてから、全員で周囲を警戒するように背中合わせの隊形になりつつ、相談を始める。
「これって、向こうが攻撃するまで、居場所が分からないってことだよね」
「匂いも音もないです。見つけられないです」
「獣人のハウリナちゃんでも見つけるのが困難なら、分かる方法がないかな~」
「《巨塞魔像》の粉を使ってみるべきでは、見えない相手と戦うなど想定外なのですから」
どうしようかと考え合っていると、ウパルとアンジィーが同時に声を上げた。
「あの」「あ、あの」
そして、お互いに顔を見合わせて、身振りで発言を譲り合いを始める。
どこから攻撃されるか分からない状況なので、テグスが順番を指示することにした。
「先にウパル、次にアンジィーで、何に気づいたか話して」
「そういうことでしたら。先ずは私から。少々試してみたいことがございますので、皆様方、しゃがんで頭を低くしてくださいませんでしょうか」
とりあえず、全員が言われた通りにする。
ウパルは全員の頭が低くなったのを確認すると、両袖から《鈹銅縛鎖》を出したかと思うと、その場で回転しながら両手を水平に振るった。
周囲の空間を円形に薙ぐように、袖から伸びている《鈹銅縛鎖》が通過していく。
ある空間を通過する直前、揺らぎが起きたかと思うと、そこから薄っすらと後方へ飛び退く《掻切陰者》が現れた。
アンヘイラがすかさず射ろうとするが、矢が指から離れる前に、再び消えてしまった。
ウパルはそれを見て、肩を落としながら、袖の中に《鈹銅縛鎖》を回収する。
「これで当たれば、そのまま拘束しようと考えたのでございますけれど」
「けど、いまので。《掻切陰者》は激しい動きをすると、見えるようになるって分かったから収穫だよ」
慰めの言葉をかけながら、テグスたちはしゃがんだ状態から立ち上がる。
そして、期待をかける目を、次に発言予定だったアンジィーに向けた。
「あ、あの、たいしたことじゃ、ないんですけど。音がわかればいいなら、風の精霊魔法を使えば、出させられるかなって……」
テグスたちはどういうことか分からずにいると、アンジィーが答えを示すように精霊魔法を使い始めた。
「風の精霊さん~♪ 周囲に強い風を起こして欲しいんだよ~♪」
願いを精霊が聞き届けて、テグスたちを中心にして全周に突風が吹く。
その瞬間、なにもないはずの場所に服がはためく音が聞こえてきた。
ハウリナが素早く獣耳を動かして、急いで場所の確認をしている。
「あそこです!」
「分かりました」
アンヘイラはハウリナの視線と指先から場所を特定し、矢を放った。
だが、薄っすらと姿を現した《掻切陰者》が、鉤爪で叩き落してしまう。
見えているうちに射止めるつもりなのか、アンヘイラは次々に矢を放った。
アンジィーも矢を放って援護する。
迫り来る複数の矢を一本一本打ち払うたびに、《掻切陰者》の姿が濃く現れて見えるようになった。
テグス、ハウリナ、ティッカリは、すかさず前に出ると、攻撃しようとする。
「たああああああああああ!」
「あおおおおおおおおおん!」
「てや~~~~~~~~~~」
三っつの武器が迫るのを見てか、《掻切陰者》はより濃く姿が現れるのを気にせずに、後ろに跳んで距離を空ける。
そして、テグスたちが矢の射線上にくるよう位置取りして、矢を受けないようにする小細工をしてきた。
数秒の攻撃の空白の間に、再び《掻切陰者》は透明化して消えた。
テグスは消えた場所に塞牙大剣を振るってみるが、手応えはない。
「逃げられたか……」
テグスは仲間同士が離れた状態では危険だと身振りで指示して、もう一度全員背中合わせになる隊形に素早くなった。
「こうなったらもう、《巨塞魔像》の粉を使うしかないね」
「むぅ。使わずに倒したかったです」
「ですが、こだわる必要のない《魔物》ですよ、単に見えなくなる相手なだけなので」
ハウリナが渋々ながら受け入れる様子を見て、テグスは《巨塞魔像》の粉が入った袋を出す。
そして粉を手の上に出しながら、どうしようかと考える。
「これって、きっと《掻切陰者》にかければ、姿が見えるようになるんだと思うけど」
「消えているときだと、粉をかけるのは無理なんじゃないかな~?」
ティッカリの言う通りに、使用者の近くに《掻切陰者》がいた上で、姿が薄っすらとでも見えない限り、使えない手だった。
「もしかしたら、大袋一杯に持ってきて、周囲にばら撒くのが正解だったのかも」
「そうは言いましても、今回持ってきているのは、テグスさまのもつその小袋一つ分だけでございますよ」
困ったと思っていると、ハウリナがテグスの手から小袋を取り上げ、そのままアンジィーの手の上に乗せた。
「あ、あの、その、どうして、これを手渡して?」
「その粉、精霊魔法で、周囲の地面に、薄く広げるです」
どういうことか分からない様子で、アンジィーはテグスに助けを求める視線を向ける。
しかし、ハウリナが自身ありげな様子だったので、言われた通りにしてみてと身振りし返した。
「わ、分かりました。風の精霊さん~♪ この粉を地面に薄く広げて欲しいんだよ~♪」
アンジィーは求められたとおりに精霊魔法を使うと、袋からつむじ風が上がり粉を吸い上げ始める。
そして、つむじ風は周囲を駆け回り、地面に本当に薄く粉を広げていった。
「ふふん。これで、だいじょーぶです」
ハウリナは獣耳を動かしながら周囲を見回すと、唐突に走り出し、ある場所で黒紅棍を振り下ろした。
なにも見えなかった場所なので、空振りするかと思いきや、何かに衝突する音が聞こえてくる。
すると、薄っすらと《掻切陰者》が現れ、鉤爪で黒紅棍を防いでいる姿が見えた。
「もう隠れても、場所わかるです!」
ハウリナが連撃を繰り出していき、対応する《掻切陰者》の姿がどんどんと濃く現れていく。
先ほどのように跳び下がって、再び透明化したりもするが、その都度見つけて姿を出現させていった。
仕組みは良く分からないものの、ハウリナが対応できているのは分かったので、テグスは指示を出しながら前へ走り始める。
「ティッカリも来て。ウパルは、姿が見えているうちに縛り上げて。アンヘイラとアンジィーは矢で援護!」
それぞれが行動を再開するのに合わせ、テグスはハウリナの邪魔にならないように、攻撃に参加する。
二人ががかりで追い詰めていくと、透明化の選択肢は放棄したように、《掻切陰者》は両腕の鉤爪で逆襲してきた。
しかし、隠れて不意打ちする《魔物》だからか、直接戦闘だと《暗器悪鬼》よりも劣った戦闘力しかない。
そのため、直ぐに《鈹銅縛鎖》に縛り上げられ、頭巾の下に隠れていた顔に矢が何本も突き立ち、絶命した。
戦闘が終わり、ほっと息を吐きながら、テグスはハウリナに顔を向ける。
「お蔭で助かったけど、どうやって場所がわかったの?」
「足音しないんじゃなかったの~?」
ティッカリも不思議そうに尋ねると、ハウリナは胸を張って見せてきた。
「少しでも砂が地面にあると、じゃりじゃりって、足音が鳴るです」
「なるほどだからなのですね、この広間が鏡面のように平らで砂埃のない地面だったのは」
広間が不思議なつくりだった理由も解けたので、テグスは《掻切陰者》を魔石化しようとする。
しかしふと気になって、その銀色の外套を剥ぎ取ってみることにした。
「魔石にしないです?」
「うん。ちょっと、透明化するのが《魔物》としての能力なのか、それともこの外套のお蔭なのか気になってね」
試しに着てみて、頭の防具の上から一体型の頭巾を被る。
そして《掻切陰者》が戦闘開始の直前なにか言ってたことを思い出し、なんとなく古代語で『消える』を意味する言葉を口ずさんでみた。
「ヴィデブラ」
言ってから自分の身体を見下ろすが、特に変化はない。
これは《鑑定水晶》を使ってみないと駄目かと思っていると、急にハウリナが手を掴んできた。
「どうしたの、ハウリナ?」
「テグス、見えなくなってきてるです」
もう一度身体を見るが、消えているようには見えない。
しかしハウリナだけでなく、ティッカリたちもどこか怖々と見ているので、テグスは頭巾を取り払ってみた。
すると、全員が安心したように、テグスの顔を見始めた。
「よかったの~。知っている人が目の前で段々と消えていくのは、ちょっと怖いものがあるの~」
「通常ならばありえませんからね、姿が見えなくなるということは」
テグスは、自分とハウリナたちとの見え方の違いがあると知って、興味が沸いた。
なので、《掻切陰者》は死体だけを魔石化し、この外套は回収する。
そして背負子にある《鑑定水晶》で、効果を確かめるべく、神像のある広間まで戻っていったのだった。




