24話 《小六迷宮》2
四層へと降りたテグスは、目の前にやってくる身体に火の付いた複数の《魔物》に驚きながら、急いで右腰から短剣を二本右手で引き抜く。
その間にハウリナは鉄棍を構えて、テグスの横で臨戦態勢を取った。
「よっとッ! もう一本!」
手首の返しで短剣の一本を左手へと投げてから、テグスは右手を振りかぶって火の付いた《魔物》へと投擲する。
もう一方の短剣も、先ほどとは違う《魔物》を狙って、左手で投げつける。
二本とも狙い通りの《魔物》へと突き刺さったが、火に巻かれて撒き布と柄の部分が燃え出してしまう。
「チッ、ハウリナ!」
それを見て短剣を二本駄目にした事を悟ったテグスは、ハウリナに手と言葉で迎撃の指示を出す。
「あおおおおぉぉん!」
気合を入れる咆哮を発して、ハウリナは燃える《魔物》へと足を踏み出しながら、鉄棍を槍のように鋭い勢いで突き出した。
それは先頭の《魔物》の頭部へと突き刺さって陥没させると引き戻され、次に来る別の《魔物》へと向かってまた繰り出される。
そうして合計して三匹をハウリナが鉄棍で倒した所で、他に向かってきていた魔物は火に焼かれて死んだのか、唐突に地面に倒れて動かなくなった。
「こ、これの事かな、驚くって言ってたのは。確かに驚いたけど」
「はい、驚いたです」
事前情報を得ていたので、多少の事はテグスも覚悟していたのだが。
まさか《魔物》が火達磨になって突っ込んでくるとは、欠片ほども思ってなかった。
「しかも火達磨になって向かってきたのは《小火蜥蜴》――だけじゃなくて《口針芋虫》もいるし」
「こっちのが《滴油鼠》です?」
下火になって来て全容が確りと見える様になると、テグスが投げた短剣で殺したのは《小火蜥蜴》だった。
そしてハウリナが仕留めた、まだ燃えているのは大きな鼠に見えるため、恐らく《滴油鼠》だろう。
さらにテグスたちへと辿り着けずに死んだのは《口針芋虫》だった。
「……もしかして《滴油鼠》の油に、《小火蜥蜴》が火を点けて。《口針芋虫》はそれの巻き添えって事?」
《小火蜥蜴》と《口針芋虫》の表面には、燃え残った油の光沢が薄っすらと残っていた。
テグスはハウリナから鉄棍を少しの間借りて、その先でまだ燃えている《滴油鼠》の身体を押してみた。
すると《滴油鼠》の身体から油がじわりと染み出してきて、それに燃えている火が引火して更に火勢が強まった。
「あ、危ないなあ……」
どうやら《滴油鼠》から染み出る油は、随分と可燃性が高い様だ。
よくよく見てみると、四層の床は所々に油の染みや小さな油溜りが存在していて、先ほどの戦闘で引火して燃えていた。
テグスは慎重に燃える《滴油鼠》を鉄棍で一箇所に集め。投げた短剣を回収してから、その周りに燃え終わった他の《魔物》を置いていく。
そして《祝詞》を唱えて、まとめて一つの魔石に変える。
しかし燃えてしまったりしていたためか、さほど採れた魔石は大きくはならなかった。
「……こんな場所はさっさと通り過ぎるに限るね」
「早く行くです?」
「目的は《迷宮主》を倒す事だから。こんな装備が燃えそうな場所は、さっさと抜けた方が良いからね」
その後も、単体の《滴油鼠》を斬り殺したテグスが、付いた油を拭くのに手間取ったり。《小火蜥蜴》に油の付いた地面を燃やされて、ハウリナが慌て下がったり。燃えながら迫る《転刃石》の横を、二人で素早く通り過ぎたり。
そんな感じに通路を進み、やっと五層への階段がある場所へと辿り着いた。
階段を降りていくテグスとハウリナには怪我も火傷も無かったものの、テグスが投げ放ってきた短剣の持ち手は炭化しかけていたし、ハウリナの鉄棍は拭き残った油で滑りやすくなっていた。
これまでの《小迷宮》とは違って、装備に消耗が目立つ戦いが続いている。
それは二人の戦い方が、遠距離戦を主体に考えられたものではない事が大きく作用していた。
なにせ唯一の遠距離攻撃法が、テグスの短剣投擲だけだし。その短剣も回収が前提での使用だ。
火を纏う相手に使うのには適していない。
「だから弓を持っている人が居たのか」
「そんなに不思議な事なの?」
「《小迷宮》の中は見通しが悪いし、天井があって水平射しか出来ないから、弓を使う必要は特に無い。って思ってたんだけどなぁ~」
矢という消耗前提の発射武器は、この《小六迷宮》の浅い層においては、格段の威力を発揮するようにテグスには感じられた。
何せ火という厄介さがなければ、この浅い層の《魔物》たちは今までの《小迷宮》の中でも弱い部類に入る。
なので投げ売りされる品質の矢でも、遠距離で仕留める事は十分に可能に思えるからだ。
「弓を買うです?」
「いや、今から戻って買っても、どうせ扱えないしね。それに物事は工夫するのが良いんだよ」
「工夫です?」
不思議そうに首を傾げるハウリナに、テグスはその考えを見せる前に。
先ずは五層に入って直ぐに、二人の近くに転がってきた《転刃石》を砕くようにと、テグスはハウリナへ指示を出した。
五層を進むテグスの様子は、ここに来るまでとは違っていた。
何せ手には短剣や片刃剣を握ってはいない。
代わりに手に持っているのは、《転刃石》を大きめに砕いた石が入っている皮袋が一つだけだった。
そこにやって来たのは、火を纏った《滴油鼠》が三匹。
「ハウリナは万が一の補助ね。じゃあ『刃よ鋭くなれ』!」
テグスが袋に手を入れて、一つの石を摘みながら魔術を使用する。
それは鋭刃の魔術で、本来は刃がある武器に掛けるものだ。
しかしテグスが詠唱で魔術を発動させると、石の尖った先に魔力の薄く弱い光が霞のように纏わり付く。
それをテグスが、先頭を走る《滴油鼠》へと思いっきり力を込めて投擲すると、石とは思えないほどの貫通力を発揮して体に埋没した。
「投石なんて《小迷宮》に入り始めた頃以来だけど、体は覚えているもんだねッ!」
続いて二投目三投目を同じ要領でこなしてみると、呆気なく三匹の燃える《滴油鼠》は倒れてしまった。
「ハウリナ、魔石化よろしくね」
「はい、です!」
手と肩を解すように回しながらのテグスの言葉に、ハウリナは嬉々として《滴油鼠》の骸を一箇所に集めると、魔石化の《祝詞》を上げて魔石を得た。
「どうやらちゃんと機能する様だし。これからは暫く、この戦い方で行こう」
「はい。《転刃石》を砕くです。燃えているの集めるです」
こんな方法を使用して、テグスとハウリナは順調に五層を歩き進んでいく。
「結構、この《小六迷宮》って危ない所みたいだね」
今までとの危険度の違いは通路の途中途中に、衣服に火が引火して死んだらしき人間の死体あることから分かる。
そんな死体に死の安寧を願う祈りを捧げてから、使えそうな装備と金品に《鉄証》を剥ぎ取る。
これはどうせ死んでしまっては使えないのだからと、《迷宮都市》の《探訪者》の間では当たり前に行われている事だ。
なので二人には、この行為に対する負い目は全くない。
「ここでも武器は、基本的に棍棒が主体なのかな?」
「間合いが取れない武器は、危険です」
「そうだね。だから火にまかれちゃうんだもんね」
火達磨で向かってくる《魔物》相手に、木の棍棒などは役に立たない。
何せ相手は油塗れなのだから、一発殴った途端に燃え始めてしまう。
そしてテグスが死体を見ていて、気が付いた事がもう一つ。
「どうやら、油を吸った革靴が燃えた事が致命的みたいだね」
近い間合いで火の付いた《魔物》を相手にしていれば、油の浮いた地面が燃えることもあるだろう。
その時に、革靴が燃え出してしまったらと考えれば、こうなる事もありえる訳だ。
「素足だから問題ないです」
「いや、素足でも油が付いていたら燃えるからね」
なので十分注意しなければいけないと、テグスは一層気を引き締め。
加えて索敵の魔術を定期的に使用して、不意打ちを食らわないように気をつけて六層への階段を探して、通路を歩き始めた。
しかしその歩みは火という意外な強敵への警戒に、速度は更に低下していく。
そんな風にしばらく歩いていると、ハウリナが控えめにテグスの服の裾を引っ張ってきた。
「テグス。お腹減ったの~」
「えっ、もうお昼頃になった?」
「うん。ぺこぺこです」
今までの《小迷宮》との違いに、テグスはうっかりと時間の感覚を喪失していた。
なのでハウリナの言葉に、もうそんなに時間が経ったのかと、少しだけ驚く。
「もっと下まで行ける積りだったんだけどなぁ~」
「テグス。ご飯は無いの?」
「う~ん、八層から下に肉系の《魔物》が出てくるから。それを当てにしていたんだけど」
普段なら朝早くに入れば昼前までに十層は堅い進行速度の二人。
なのでテグスは《小六迷宮》もその速度で行けるものだと思い、仕入れた情報と合わせて大まかに計画を立てていたのだが、予想外の連続に計画通りに進めていなかったのだ。
「まだ五層目だから……仕方ない、携行食を食べようか」
周囲に他の《探訪者》や《魔物》の気配が無い事を、索敵の魔術で確認してから、テグスは背負子を下ろした。
「携行食、です?」
「あんまり美味しくないけど、腹には溜まるから」
「……美味しくないの?」
「もっと下の層に行ったら、ちゃんと肉も手に入るから」
「うぅ……分かったです」
テグスは《中町》産の携行食を背負子の隠し箱から取り出すと、一つハウリナへと差し出す。
ハウリナは美味しくないとテグスが言ったそれを受け取り、少し嫌そうな顔をしてから端を少しだけ口の中に入れた。
「……不味くはないです」
「でも美味しくは無いでしょ」
どんな味を想像していたのか、ハウリナは拍子抜けしたような表情を浮べて、パクパクと携行食を食べ進める。
テグスも一つ自分用に取り出して、大口を開けて齧りつく。
相変わらず美味しいとも不味いとも言えない微妙な味の、異様に腹に溜まる携行食を口にしたテグスは、味わう事無く水筒からの水で飲み下していく。
飲み終わった後でハウリナへと差し出すと、彼女もゴクゴクと喉を鳴らして水を飲んでいく。
恐らくほんのりと硬い粘土のような食感が、口に気持ち悪いのだろう。
「ぷはっ。あんまり食べたくないの」
「数も無いから、食べたいと思われても困るんだけどさ」
とりあえずの食事休憩が終わり、テグスとハウリナは歩く事を再開する。
油の染みた床に足を取られないように慎重に歩き、襲い掛かってくる《魔物》を冷静に対処していく。
「そうそう。五層に出てくる《浮燐蝶》の燐粉は吸わないようにね」
「毒です?」
「一応は毒じゃないらしいけど、気分が高揚する危ない薬の材料になるから。吸い過ぎると危険なんだってさ」
テグスはハウリナの前に立ち、袋の中に入れてある《転刃石》の破片を取り出して、少し遠くに現れた人の顔大の蝶な見た目の《魔物》へと投げつけた。
破片に当たったその《魔物》は、空中に多量の燐粉を撒き散らしながら地面へと落ちた。
そしてピクリとも動かなくなった。
「……弱いです」
「普通はこんなに簡単に当たらないらしいんだよ。当たらないと思ってたから驚いたし」
普通の蝶でもヒラヒラと宙を舞う間は、普通の人間には簡単には捕まえられない事が多い。
それは《魔物》である《浮燐蝶》にも当てはまるはずで。いまテグスが投げた破片が当たったのも、恐らくはまぐれに過ぎない。
「なら、どうやって倒すです?」
「虫取り網で捕まえてから、目の間に小さな刃物を入れて仕留めるらしいよ。そうすると羽根の燐粉もあまり飛び散らないって話だよ」
「網なんてないです」
「そうだから、追って来れるほど速くは無いから、逃げてしまえば良いんじゃないかなってね。別に燐粉を集める依頼を受けてはいないんだし」
などと話していると再び《浮燐蝶》に遭遇したので、二人して軽く息を止めたまま素早く通り過ぎて駆け抜けてみる。
すると《浮燐蝶》は必死に追いすがろうと羽根を羽ばたかせていたが、あっという間に置き去りに出来てしまった。
しばらく曲がり角からこっそりとテグスは様子を見ていたが、《浮燐蝶》は見失った途端に二人を追うのを止め。また空中を漂う様な羽ばたきで、通路をウロウロし始めた。
「《浮燐蝶》相手には有効なようだね」
「無視するのが良いの」
「それは虫だけに?」
「虫、だけ??」
「ああ、いや。忘れて良いよ」
ハウリナに冗談を言ってみたテグスだったが、意味が通じなかったらしい。
なので慌てて引きつった笑顔を浮べて、気にしないで良いと身振りを加えて伝え、通路を歩く事を再開した。




