252話 赤き《護森巨狼》――実力戦編
テグスたちは神像のある広間に入ると、踵を返して再び赤い《護森巨狼》へ挑みに向かった。
さほど時間を置いていないのに、六角形の広間の天井には光球が浮かび始める。
やがて出現した《護森巨狼》に赤い靄がかかり姿を隠した。
「グルグオオオオオオオオオオ!」
《護森巨狼》は吠えながら身震いして周りの靄を弾き飛ばし、その赤く染まった肢体を表した。
正気を失った狂った赤い瞳が、テグスたちへと向けられる。
「グルグオオオオオオオオオオ!」
威嚇するように吠えると、テグスたちへと一直線に駆けていく。
やはり、《中三迷宮》にいた個体に比べて、走る速さが上がり身のこなしが俊敏になっている。
赤い巨体の狼を目の前にしても、テグスたちの表情にあったのは戦闘への意欲と、卑怯な手段を用いないという精誠とした感情だった。
「じゃあまずは、《中三迷宮》のときと同じようにやってみるよ!」
「わふっ! やってやるです!」
テグスとハウリナは顔を見合わせると、駆け寄ってくる《護森巨狼》へと武器を構えて走り出した。
その後姿にティッカリたちからの声がかけられる。
「後衛の防衛は任せて欲しいの~」
「援護はしますよ、適宜矢を放って」
「隙あらば、《鈹銅縛鎖》での拘束を試みさせていただきますね」
「せ、精霊魔法で、戦いの補助します。が、がんばってください!」
テグスは片手を上げて了解の意を示すと、塞牙大剣の柄を両手で握り直し、極限の集中状態へ移行して《護森巨狼》の動きに注視する。
《護森巨狼》の視線の方向、四肢の筋肉の緊張具合、身体を動かす直前の予備動作までを、読み取り、総合して、取るべき行動の判断材料にする。
その最中に、《護森巨狼》は武器を構えて近くにいるテグスとハウリナではなく、ティッカリが防衛している後衛組に意識を向けていることに気がついた。
狙いを変えさせるべく、テグスは注意をこちらに向けさせるために塞牙大剣を振るう。
避けることを見越した牽制の攻撃だったのだが、しかし《護森巨狼》は直進を続け、顔を少し斬られながらも止まらなかった。
「あおおおおおおおおおん!」
ハウリナも黒棍で殴りかかり、目の上を強かに打ちすえる。
それでも、まるで痛みを感じていないかのような走りで二人の間を抜け、一直線にティッカリたちへと走っていった。
当初の予定は崩れたが、《中三迷宮》で普通の《護森巨狼》との戦闘経験が生きたのか、後衛組は直ぐに迎撃体制に入っている。
しかも、そのときの経験を経て連携を改良したのか、ティッカリの直ぐ後ろにウパルが位置していた。
テグスはハウリナと赤い《護森巨狼》を追いかけながら、どういったことをするのか観察する。
「ティッカリさん、お頼みいたします」
まずウパルが一声かけると、両袖から《鈹銅縛鎖》を発射するような勢いで伸ばすと、ティッカリの両脇の下を通らせてから、《護森巨狼》の両前脚にそれぞれ絡みつかせた。
「任せて欲しいの~!」
ティッカリは両腕に《鈹銅縛鎖》を巻きつかせ、踏ん張りながら渾身の力で引く。
前脚を引かれてたたらを踏んだ《護森巨狼》は、どうにか地面を踏み直して転ぶのを阻止した。
「グルル、グルガオオオオオオ!」
吠え声を上げて走るのを再開するが、もう先ほどまでの速さはなかった。
アンヘイラとアンジィーが顔面付近へ矢を放ち、走る速度をさらに弱めようとする。
ティッカリは《鈹銅縛鎖》を腕から解くと、殴穿盾を構え直した。
赤くなって正気ではなくなったからか、《護森巨狼》は回避する素振りなく、そのまま突っ込んでくる。
そして、衝突する直前に、顔を横向きにして大口を開けて噛み付きにきた。
「グルグガアアアアアアア!」
「とや~~~~~~~~~~」
左右から迫る牙に向かって、ティッカリは腕を一度閉じてから横に広げるようにして、殴穿盾で殴りつけた。
硬いもの同士がぶつかり合う低い硬質な音の後に、甲高く耳障りな擦過音。
そして、《護森巨狼》の閉じようとする口にある牙と、それを防ぎ広げようとするティッカリが持つ殴穿盾が、拮抗し合って軋む音が始まった。
「ガア、ガアウ」
「うゆぅ~~~~~~~~」
《護森巨狼》は、もう少しで噛み付けるとばかりに、顎に力を入れていく。
ティッカリは押し負けまいと、腕に力を込めて防いでいた。
そんな二人に割って入るように、声がかけられる。
「所詮は物の判別を見失った存在ですね、口内という弱点をさらし続けるなど」
「ティ、ティッカリさん。も、もうちょっと、口を大きく開けさせてください」
「やって~~、みるの~~。うや~~~~~~~~~」
ティッカリがさらに渾身の力で口を押し広げると、ぬらぬらと湿って光る赤い口内が大顕になる。
そこで、喉奥からやってくる生ぬるく獣臭い息を切り裂きながら、アンヘイラとアンジィーから放たれた矢が飛びこんだ。
「――ゲァ、ゲゲガァアアウ!」
《護森巨狼》は物を喉に詰まらせたような声を上げるが、ティッカリを噛みつこうとするのは止めなかった。
矢を打ち続けても、決して口から放そうとしない。
アンジィーは爆発する黒球が入った小鞄に手を伸ばしかけるが、ここまで近づかれた状態で使うと危険だと分かったのか、《機連傑弓》で矢を放つのを再開する。
「では、お望みの通りに、その場から逃げられないようにさせて差し上げますね」
ウパルが袖を振るって《鈹銅縛鎖》を波打たせると、《鈹銅縛鎖》は突然蛇にでもなったかのように、《護森巨狼》の前脚から首へと絡みつきながら上っていく。
そして、しっかりと巻きつくと、今度はきつく締め上げ始めた。
そうしても口を放さない《護森巨狼》へ、ようやく追いついたテグスとハウリナが武器で打ちかかる。
「たあああああああああああ!」
「あおおおおおおおおおおん!」
テグスは塞牙大剣を横へ振るって胴を斬りつけ、ハウリナは片側の後ろ脚の脛へ黒棍棒を強振する。
《護森巨狼》毛と皮が深く斬れる音の後で、傷口を内から塞ぐように、青と赤の血管が脈打っている青白く太い腸が少しはみ出した。
強打された後ろ脚は、骨まで当たった重く鈍い音がして、少し地面から浮き上がる。
見るからに、明らかな痛手だ。
それなのに《護森巨狼》は、痛痒すら感じていない素振りで、テグスとハウリナを追い払おうと脚を動かす。
二人は飛び退いて攻撃を避け、ウパルは《護森巨狼》を押さえ込もうと《鈹銅縛鎖》でさらに締め上げていく。
アンヘイラとウパルも矢継ぎ早に攻撃し、少しでも傷を増やそうと試みていた。
しかし、どんなに前脚と首が締め付けられようと、目蓋に矢が突き刺さろうと、怯む様子は一切なかった。
むしろ、怪我など負っていないかのような挙動で、テグスたちを攻撃しようとし続ける。
そんな異様な反応をする理由を調べるため、テグスは集中状態に入って迫ってきた後ろ脚を寸前で避け、塞牙大剣で肉球を深く傷つけた。
普通ならば地面を踏み度に痛みが走り、どうしても挙動がおかしくなるはず。
だが、血で肉球の判が出るほど地面を踏んでも、《護森巨狼》は気にする素振りすらない。
その結果を受けて、テグスは集中状態を解きつつ攻防を続けながら、ハウリナと意見の交換を始めた。
「これはもう、本当に痛みを感じないようにされているようだね」
「……攻撃、きかないです?」
「傷はつけられるけど、死ぬ直前まで怪我してないように動き続ける、って感じかな。脚を斬り飛ばしたり、酷く骨折させれば、少しは動きが変になるかもしれないけどね」
「むぅ。難しいです」
そんな風に作戦を練っていると、《護森巨狼》の息遣いに紛れるように、ティッカリの悲痛そうな声が上がった。
「二人とも~。のん気に喋ってないで、口の中から助け出して欲しいの~。足元に涎が広がってきたし、生暖かい息をず~っとかけられて、困っているの~」
声色の割には大丈夫そうに聞こえるので、テグスは後衛組の様子を見てみた。
すると、早く助けてあげて欲しいといった目で見返される。
怪我を増やして身動きを鈍らせてから仕留めるという予定を切り上げて、テグスは塞牙大剣を握り直しながら集中状態に入りつつ、《護森巨狼》に横合いから突撃した。
狙うは、後ろ脚が届き難く身体も用意には振れない、そして一撃で絶命させられる心臓がある、胸部。
特に苦労もなく接近し終わり、テグスは肋骨の隙間に入りその奥を斬り裂けるように、刺突の形で突き出す。
塞牙大剣の先端が毛に触れ、やがて皮を裂き始める。
そのとき、ティッカリに噛みつこうと拘っていたのが嘘だったかのように、突然《護森巨狼》は弾かれたように首をぐるりと回し、テグスに噛み付こうとしてきた。
それは集中状態でも動きに予兆が見えない、通常なら筋を痛めてしまうような、無理矢理な首の動かし方だ。
だがこの噛み付きは、テグスには致命的な攻撃でもあった。
奥深くまで突き入れようとしていたため、身体はいつになく強く前方向に進んでいる。
これでは、横や後ろに逃げようとしても、速度が殺されて迫り来る牙からは逃れられないに違いなかった。
加えて、殴穿盾並みに硬い防具を所持していないため、噛まれたら大怪我は免れない。
そのため、一瞬の判断で切っ先が肉に埋まり始めた塞牙大剣を手放し、テグスは《護森巨狼》の身体の下へと飛び込んだ。
鋭く重い剣がぶつかり合ったときのような、背筋が凍りそうな音と風をつま先に感じながら、前転して起き上がる。
真上を見て《護森巨狼》の胸元があると視認すると、テグスは絶好の場所と判断して《補短練剣》を抜き、切っ先を向けた。
しかし五側魔法の呪文を唱える前に、落ちるようにその胸元が巨体が迫ってきたので、素早くその場から走って離脱する。
《護森巨狼》は押しつぶすそうと伏せた状態になったまま、身体の横から出てきたテグスに素早く矢だらけの顔を向けて、噛み付こうと口を開く。
「しッ!」
テグスは投剣を掴めるだけ引き抜くと、矢が二本刺さったままの口内へ投擲する。
全てが根元まで肉に突き刺さるが、《護森巨狼》は気にした様子はなかった。
それでもテグスは冷静に距離を測り、一歩強めに後ろへ跳ぶ。
閉じ始めた《護森巨狼》の口は、テグスの前髪と鼻先を掠りながら、極めて目前で噛み合わされた。
歯噛みするよう少し横にずれる歯へ、反撃にと《補短練剣》を向けるが呪文は唱えずに、さらには集中状態を解く。
「闇の精霊さん~♪ あの閉じた口を~、もう開かないようにして欲しいんだよ~♪」
アンジィーの唄うような声に反応して、《護森巨狼》の影から出てきた黒く太い帯が、口輪のように絡みつく。
続いて、ウパルが手を振ると《鈹銅縛鎖》が動き出し、拘束部を前脚から首を通り口までに広げた。
「ティッカリさん、お手伝いしてくださいませ」
「は~い。力いっぱい引いちゃうの~」
そして、ティッカリが力強く《鈹銅縛鎖》を引いて、拘束をさらに固くした。
「フグウグフー!」
《護森巨狼》は嫌がり首を強く左右に振るが、力自慢のティッカリが補助に入っているため《鈹銅縛鎖》は緩まない。
すると今度は、急に後ずさりし始めて、《鈹銅縛鎖》を引き伸ばし始めた。
だが、引っ張り力に強い《鈹銅縛鎖》には、《護森巨狼》がティッカリとウパルと引き合いを始めても、千切れる予兆は一切ない。
そうしてこう着状態になったとき、ハウリナが《護森巨狼》の直ぐ横で大声を上げる。
「テグス、投げるです!」
《護森巨狼》は声が気になったように顔を動かそうとしたようだが、拘束されていて敵わない。
しかし、ハウリナが投げて身体の上を通り過ぎるなにかを気にするように、頭の上にある耳が動いた。
「ありがとう、ハウリナ。助かったよ!」
テグスは返事と共に、《護森巨狼》の上を山なりに越え、回転しながら飛んできた塞牙大剣を、跳びあがりながら掴んだ。
そして、両手に握り直しながら駆け出す。
「ハウリナ! 拘束されて動けない今のうちに、魔術を使った攻撃で後ろ脚を使えなくさせるよ!」
「わかったです!」
二人は《護森巨狼》を間に挟んだ状態で、尻尾側へと走っていく。
その動きを邪魔しようと《護森巨狼》は動こうとするが、《鈹銅縛鎖》によって封じられてしまった。
「『刃よ鋭くなれ(キリンゴ・アクラオ)』!」
「『衝撃よ、打ち砕け(フラーポ・フラカシタ)』!」
魔術で薄く光る武器を食らって、後ろ脚の片方は踵から先を失わされ、もう一方も折れた骨が皮膚を突き破って外へと出てきた。
「モフグフグー」
痛みを感じはしなくとも、四肢の欠損は分かるのだろう、《護森巨狼》はさらに激しく身体を動かして拘束から抜け出ようとする。
それと同時に、ティッカリたちからテグスとハウリナへ注文が飛んできた。
「うぐぐぅ~~~。テグス、ハウリナちゃん、早く決めちゃって欲しいかな~」
「くうぅぅ……。抑え続けているのも、これはこれで重労働なのでございます」
「こうなると普通の矢では無理ですね、骨も強化されているのか打ちぬけませんし」
「あ、あの。せ、精霊さんが、まだ続けるのかって感じを、放ってきてます」
責付かれた二人は、急いで尾っぽ側から頭側へと走り始めた。
「待ってて、もうちょっとだから!」
「急いで、終わらせるです!」
その言葉を受けて、ティッカリとウパルは《鈹銅縛鎖》を引く力を強め、アンヘイラとウパルは少し手も抵抗を削ごうと矢を放ち続ける。
押さえ込まれた頭部へ近づいたテグスは、身体強化の魔術をかけて跳びあがった。
「『身体よ頑強であれ(カルノ・フォルト)』!」
「『身体よ、頑強であれ(カルノ・フォルト)』!」
ハウリナも同じ魔術をかけ、同じように跳びあがる。
しかし狙った場所は別々だったようで、テグスは《護森巨狼》の頭に乗る軌道をとり、ハウリナは首近くへ身体を運んでいた。
「『刃よ鋭くなれ(キリンゴ・アクラオ)』!」
「『衝撃よ、打ち砕け(フラーポ・フラカシタ)』!」
そして、二人揃って魔術を切り替え、光る武器でそれぞれが狙った場所を、同時に攻撃――
テグスは頭に下り立ちながら、逆手に握った塞牙大剣を頭蓋内深くに突き刺す。
ハウリナは振り上げた黒棍を強振して、首の骨を叩き折った。
先にハウリナが地面に下り立ち、続けてテグスが剣を引き抜いた後で頭から飛び降りる。
その後少しの間、赤い《護森巨狼》は駆動が止まったカラクリのように、微動だにせずに立ち続けた。
だが、殺される役目だったと思い出した役者のように、足から力を抜いて倒れ崩れる。
安心して警戒を解く前に、殺しきったか確認するため、テグスは剣先で喉を突いてみた。
「モウクオオオオオオオーーー!」
刺した衝撃で息を吹き返したかのように《護森巨狼》は呻きながら、近くにいるテグスを噛もうと口を開こうとする。
だが、巻きついたままの《鈹銅縛鎖》とはめられた闇精霊の口輪で、それは敵わなかった。
それでも二度三度と、鎖を鳴らして口を開こうとし続けるが、段々とその力が弱くなっていく。
やがて、動かなくなり、もうなにをしても反応を返すことはなかった。
死亡を確認し終えると、テグスたちは盛大な音を立てて深呼吸をし始めた。
「ふぅー。あー、何度か焦ったね」
「でも、全員怪我なく終わったです!」
達成感を味わっている様子の、テグスとハウリナ。
一方でアンヘイラとウパルは、疲れた顔をして防具と身体の間に風を送ろうとしている。
「久々に全力を出したから、鎧の中が汗ですごいし、蒸れて暑いの~」
「私も《鈹銅縛鎖》が肌上で滑ってしまいそうなほどに、服の中は汗だらけでございます」
言葉通りに、二人の額には汗が浮かんでいて、髪の毛がしっとりと濡れている。
そんな中、アンヘイラとアンジィーはもう気分を切り替え終えた様子で、《護森巨狼》の赤い身体を検分していた。
「ムーランヴェルグが言っていた違いは分かりませんね、改めて確認しても色違いに感じるだけで」
「か、鍛冶師じゃないと、分からないんだと思いますよ。そ、それで、色つきの魔石にするんですか? そ、それとも、素材を持ち帰るんですか?」
アンジィーに問いかけられて、テグスはどうしようかと考える。
「色のついた魔石は相性の確認後に取ったし、素材を持っていこうか」
「けど、背負子、石で満杯です?」
ハウリナの指摘に、《巨塞魔像》の素材を確保していたことを、テグスは思い出した。
「うーん。そうなると全部は持っていけないから、頭部だけとか毛皮だけとかかな」
「なら、頭を持っていったほうがいいと思うの~。《堕角獣馬》の角ほどじゃないけど、歯は殴穿盾に傷をつけられるほど頑丈みたいなの~」
ティッカリが表面を見せると、確かに殴穿盾の表面は薄く削れたり小さな穴が開いたりしていた。
その有様に、テグスは噛まれなくて良かったと胸を撫で下ろし、アンヘイラは歯を投剣の先で突付く。
「こちらはそのまま鏃に使えそうですね、牙でなくとも強度は十分なようですし」
「そ、そうですね。ふ、普通の《護森巨狼》の素材は、なんだか、金属とかに混ぜて使うもの、みたいでしたもんね」
ということで、テグスたちは赤い《護森巨狼》の頭部を持ち帰ることにした。
そして死体の残りを灰色の魔石に変えて回収すると、疲れながらも満足感のある顔で神像の広間まで戻っていったのだった。




