242話 《静湖畔の乙女会》の思惑
テグスたちはルミーネクに案内されて、《静湖畔の乙女会》の建物の一室に入る。
内装は前に来たときと同じく、質素な作りのままだった。
勧められて全員が席に座ると、信徒の一人が人数分の木杯を持って入ってくる。
テグスは目の前に置かれた中身を観察すると、湯気が上がっているが匂いは特になく、白湯のようだ。
ルミーネクが安全性を示すかのように杯に口をつけてから、口を開いた。
「それで、今日はどのようなご用件でございましょうか?」
質問に、テグスは杯の白湯を少し飲んでから答える。
「《中三迷宮》の最下層にいる《護森巨狼》に用がありまして。その通りがかりに、ウパルの里帰りと言う感じですね」
その言葉を聞いて、ルミーネクは少し和んだ笑い顔を見せる。
「そうなのですか。それで、うちのウパルは、お役に立っておりますでしょうか」
「ええ。《鈹銅縛鎖》での拘束と、野草と薬の知識とか、あと作る料理も美味しいですし」
「なるほど。だいぶ気に入っていただけたご様子と、そして大事に扱っていただけているようで、こちらとしては安心致しました」
ルミーネクはウパルの成長した肢体に目をやりながら微笑みを浮かべる。
ウパルは恐縮しているかのような仕草をし、テグスは少し疑問を持った。
「仲間を大事に扱うのは、当然だと思いますけれど?」
「ええ、その通りでございますね。ですけれど、《静湖畔の乙女会》の信徒をお貸しいたしました《探訪者》さまたちの中には、奴隷以下の酷い扱いを行うものすらございますので」
「むっ。テグス、やさしいです。そんなこと、絶対しないです」
「ええ、そうでございましょうとも。連れている方々の、健やかなお顔を拝見すれば、よく分かりますとも」
そんな受け答えをしていると、テグスはこの部屋の周囲に数人の気配を察知した。
ハウリナとアンジィーも感知したのか、居心地悪いかのように身じろぎする。
三人の仕草と空気が変わったのが分かったのか、ルミーネクは軽く溜め息を吐くと、席を立って部屋から廊下へ首を出す。
「貴方たちはどうしてここに隠れているのですか? いまは将来お仕えする方々に遅れをとらぬようにと、戦闘訓練のはずですよ?」
「い、いえ、修道長さま。久々に同胞が帰ってきたのですからと、教導役の先輩が仰られまして――」
「そして、ほんの数年であれほど見事な体型に至った理由を、是非にも聞かせていただこうかと語り聞かせていただいたのです」
「その秘訣を後輩たちに伝えなくてはならないと、教導役として思うものにございます!」
「あ、貴方たちは……」
信徒たちの話した理由に、ルミーネクが絶句している様子が漏れ聞こえてくる。
テグスは話しが終わるまでの時間つぶしに白湯を飲みながら、話の中心であるウパルを見やった。
体型のことをあれこれ言われているからか、恥ずかしそうな赤い頬をして俯いている。
そうこうしている内に、ルミーネクが少し疲れた顔で戻ってきた。
気配察知からすると、先ほどの信徒たちは怒られて退散したようだった。
「申し訳ございません。指導が行き届いていない姿を晒してしまいまして」
「いいえ。久々に家族が帰ってきたら、話が聞きたくなるのも分かりますし。それと、聞き耳を立てている人は、まだ隣の部屋にも――」
少し大きめな声でテグスが言うと、隣接する部屋から慌てて立ち去る足音が聞こえてきた。
その音を聞き、ルミーネクは苦々しい表情をし、テグスは忍び笑いをもらす。
「もう、あの子たちは……」
「元気な様子でいいことじゃないですか。それにしても、僕らにそんなに聞きたいことがあるのかな?」
純粋な疑問を口に出すと、ルミーネクは困ったように頷く。
「ここは《中三迷宮》という閉じられた世界でございますので、外の話題を欲したがっている信徒が多少はいるのです。その人たちが、前に預けられた身内が大事にされている姿を見れば、どう大事にされているかと聞きたくなる欲が沸くものでございましょうし」
「そんなに言うほど大事にはしてないと思いますけどね。《魔物》と戦うために危険なことをさせますし、食べるものや飲むものに差をつけているわけではないですしね」
「飲食と新たな装備を与えて下さっているだけでも、ウパルには十分でございますとも。これはあまり声を大にしては言えませんが、《探訪者》の中には預けた信徒を『単なる穴』としか見ていない方もございます。そういう方に当たってしまった信徒は、辛い目を体験することになってしまいますし」
不思議な言い回しを理解する前に、テグスは疑問を一つ抱いた。
「あれ? そういう悪漢を殺すのも、《静湖畔の乙女会》の信徒の役目じゃなかったでしたっけ?」
地上で襲われて反撃したとき、ウパルはそんなことを言いつつ敵の股間を集中攻撃していた覚えが、テグスにはあった。
そう言葉を口にした途端、ルミーネクに睨むような視線を向けられて、ウパルは少し困った顔になる。
「教義を漏らすなんて――いえ。漏らしても良いと思うほどに人柄に惚れ込んだ、ということでございましょうね」
「あのー、教義を僕らが知っていると駄目なんですか?」
「ええ。この教義が広く伝わると、《探訪者》を始めとした人々の中にある悪い芽を潰すという役目が、困難になってしまいますので」
「ああ、言われてみれば、その通りですね」
仮に、信徒を預けられた《探訪者》が知っていたとする。
良い人なら問題はない。だが悪い人の場合は、殺されてはたまらないと、先に信徒を殺してしまうだろう。
「そうすると、ウパルに薬の知識と料理の腕があるのは、力ではかなわない相手を毒殺する選択肢を持つためなんだね」
テグスがウパルにそう聞くと、静かに首を横に振られた。
「いえ。慈悲深き方に尽くすために教えられるのでございます。私たちは自らの手で悪漢を正すことが、至上の教義でございます。なので、毒殺は自らの実力がないという、不徳を恥じて行う最終手段でございますよ」
そう理由を細かく話してしまったウパルに、ルミーネクは少し驚いた様子を見せてから、呆れ顔になる。
「秘密を話さないと判断し信頼してのことでしょうけれど……しかし、ウパルをここまでよく篭絡したものですね」
唐突に非難めいた言葉を受けて、テグスは困惑する。
「篭絡って、僕は女の人をもてあそんだりしませんよ」
そう当たり前のことを伝えたのだが、ルミーネクは疑わしい目を向けてくる。
「……自分以外は女性ばかりだというのに、それは白々しい言葉ではないかと思うのですけれど?」
「仲間が女性ばかりだからって、どうしてそう思うのか理解に苦しみますね」
テグスがあっさりと否定すると、ルミーネクは審議を問う視線をハウリナたちへ向ける。
ハウリナは直ぐに、ティッカリは微笑ましげに、アンヘイラは軽く、アンジィーは激しく首を横に振った。
そして、ウパルが残念そうに顔振りで否定すると、ルミーネクは席から立ち上がり手招きする。
「少しウパルと話す用件が出来ましたので、少々お待ちくださいませ」
そのまま部屋の端で、二人は小声で内緒話を始めた。
ハウリナに内容をたずねてもよかったが、重要なことなら話してくれるだろうと、テグスは聞かずにおくことにする。
少しして、ルミーネクとウパルは元の位置に戻った。
軽く困ったような声の後に、ルミーネクはテグスに問う。
「えーっと、つかぬ事を聞きますが、ウパルのことをどう思いますでしょうか?」
「さっき言ったとおりに、優秀な仲間ですよ」
「いえ、そうではなく。その、女性として見てみての評価を聞きたいのですが」
質問の意味が理解できないが、テグスはウパルの姿を一度見てから、思ったことを言ってみた。
「性格は優しく、見目は綺麗で、体型は男好きしそうですね」
「……それ、だけですか?」
「ウパルの料理の腕とか、戦闘のことについての感想も言ったほうがいいですか?」
テグスが首を傾げながら問いかけると、ルミーネクは言葉を捜しているような顔をしている。
そこに、ウパルが助け舟を出すように口を挟んできた。
「修道長さま。テグスさまには、ありのままをお伝えした方が、効果的ではないかと考えます」
「そうでしょうね。まさか《探訪者》で、こうも硬い倫理観を持つ方がいるとは思いもしませんでした」
ルミーネクは軽く頭を抱えた後で、居住まいを正した。
「私ども《静湖畔の乙女会》の信徒には幾つか教義がございます。その中で、《探訪者》に預けられた信徒に課されるものは、大きく分けると二つに集約されます」
「それって、一つは悪漢退治で、もう一つは預け先で尽くすことですよね?」
「いいえ。悪漢を更生させることはその通りでございますが、もう一つは違っております。端的に申し上げれば、優秀な《探訪者》の子種を腹に抱えること、尽くすのはその一環、もしくは前段階にございます」
ルミーネクの説明を受けて、テグスは内容をより簡単に言い表す。
「それってつまり、僕とウパルで子供を作れって事ですか?」
「その通りでございます。ウパルの場合は、それをもって《鈹銅縛鎖》の代金は完遂したものとなるのです。もしも、極めて優秀であると判明した場合においては新たな信徒を就かせて、さらに子を設けさせることもございます」
「それに何の意味があるんですか?」
「優秀な方の血が途絶えるのを防ぎ、産み落としたより優秀であろう子に、《清穣治癒の女神キュムベティア》様の教義を伝えるためでございます」
テグスにはルミーネクの語ることが理解し辛かったが、アンヘイラは感心したように頷く。
「人の向上を願ってのことでしたね、神が《迷宮都市》を作ったのは。なので《静湖畔の乙女会》はその命題を成すつもりなのでしょう、優秀な血を受け伝えることによって」
アンヘイラが語った予想を聞いて、ルミーネクは驚いた顔をする。
「信徒以外の方々には、受け入れがたい話であると理解しておりますので、的確に予想される方がいらっしゃるとは思いませんでした」
「似たようなことをやってますからね、外の国の家畜商と奴隷商とかの改良を行う業種では」
しかし、アンヘイラのように理解を示せる人だけではない。
現に、ハウリナ、ティッカリ、アンジィーは納得していない顔をしていた。
「子供作るの、いいことです。でも、それは人が物みたいで、気に入らないです!」
「優秀な子だけが必要って言っているみたいで、少し腹立たしいかな~」
「あ、あの、や、やっぱり、子供は、好きな人とのほうが……」
それぞれの意見に、ルミーネクは批判は当然のことだと受け止める顔をしている。
そしてテグスは、ウパルが同行することになった理由と目的は理解した。
だが、受け入れられるかは別問題だ。
「申し訳ないですけど、まだ子供を作る気はないですよ」
「それはウパルでは駄目、ということではございませんよね。もしそうでしたら、別の信徒を――」
「いえ、そういう意味じゃないですよ。いまの僕の第一目標が《大迷宮》の制覇なので」
きっぱりと断ると、ルミーネクは心底残念そうな顔をする。
「そうでしたね。先ほど詳しい話をウパルから聞き、まさか《大迷宮》の《迷宮主》に挑もうと考えているとは、思いもよりませんでした。それゆえに、性格と実力が伴っている方の子を、是非にでも欲しいと考えてしまうのですけれど」
「そんなに優秀な子供が欲しいなら、《下町》に何人か連れて行きましょうか? 僕の目から見ても、強そうな人はたくさんいますよ」
「真に人となりを知るには時間が必要でございます。ですので、教義を果たすには、実力者に身体を許せばよいというものではございません」
ややこしくて難しい問題に、テグスはお手上げな気分になった。
しかし、ルミーネクはまだ諦めていないようだった。
「テグスさまはウパルの目に適っておいでですので、この場所にいる信徒の中から好みの相手を選んで下されば、何人であろうと融通することに嫌はありません。きっと、選ばれた信徒も喜んで奉仕致しましょう」
複数の女性と肌を合わせられる機会がくるというのは、男性としては嬉しい限りの話なのだろう。
しかしながら、テグスにとってはいい話ではない。
「来るもの拒まずが、信条の一部分ですけれど。とはいえ、そういう手合いの話は関わらないようにしてきたので、行き成り言われても難しいですね」
「なにか、女性に嫌な思い出でもあるのですか?」
「《雑踏区》では、女性が色仕掛けで引っ張ってきた獲物から、相棒の男が金を巻き上げる、なんて光景がそこら中にあふれてますからね。小さい頃からそういうものを見ていると、自然とそういったことを敬遠してしまうようになるってものです」
つまりは、女性と性的に関わると損をすると、一種の刷り込みをされたような感じだ。
もっとも、男性としての習性がなくなりはしないので、女性の胸やお尻に視線が向かってしまうことはある。
だが、それだけ。そこから好んで先に進もうという気には、テグスはならない。
そんな理由を聞いた女性陣は、気の毒そうな視線をテグスに向ける。
「そっか~。テグスも色々と辛かった過去があったんだね~」
「枯れているか興味がないと思ってました、テグスが女性に手を出さないのは」
「女性はそんなに恐怖を抱く対象ではございませんよ」
「えっと、その、じ、時間が解決しますよ、きっと」
「だいじょーぶです。きっと良くなるです!」
「えっ!? なんで、皆から慰められているの?」
テグスが本気で困惑していると、身を乗り出したルミーネクに手を握られた。
「不肖このルミーネク。女性の旬を過ぎた感はございますが、大人の女性の怖さを払拭するために、手ずから癒して差し上げましょう」
なぜだか熱っぽい視線を向けられて、テグスはぎょっとして手を振り払おうとするが、意外な力強さで適わない。
なので、慌てて提案を断り始める。
「いいえ、大丈夫ですから。これは病気じゃないので!」
「しかし、女性の苦手意識を正すのならば、早い方がよろしいのではないかと思いますが」
「苦手じゃないですよ。苦手だったら、ハウリナたちを仲間にしてませんって!」
「でしたら、断る理由もなくなったようでございますし。いま直ぐとは申しませんが、何時の日にかウパルにお子を授けてくださいますね?」
そういう風に理論展開するのかと、テグスは驚愕する。
しかし、会話の流れを理解しても、主導権はルミーネクに握られてしまっていた。
「やはり、一種の心の病のご様子ですね。別室にて、治療を致しましょう。後学のために、若い信徒もお呼び致しますので、ご安心ください」
腕を引っ張られて、連れてかれそうになる。
ここまでくれば、テグスでも子作りを了承しない限りは、無理やりにでも『治療行為』をさせられてしまうのだと理解する。
助けを求めるようにハウリナたちを見るが、殆どがどうしたらいいか困惑している様子だった。
その中で、アンヘイラは少し面白そうな目で見ているし、ウパルは教義が完遂できそうな予感からか目が少し輝いている。
どうやら助けは来ないと判断し、テグスは決めた――問題を先送りにする覚悟をだ。
「わ、分かりました! いつか――《火炎竜》を倒せた後にでも、ウパルとそういう場を設けることを約束します!」
やけくそ気味にそういうと、ルミーネクの動きが止まる。
「……言質を取ったと考えてよろしいですね?」
「約束したことは、破りませんよ」
そう確約すると、ルミーネクは今まで粘っていたのが嘘のように、あっさりとテグスから手を離した。
「長くとも四年、短ければそれ以内にその目標が達成できるとのことですので、子供の顔をその日まで楽しみにしております。では、日課がございますので離席いたしますが、テグス様たちはこの場にてゆるりとしていてくださいませ」
朗らかな笑顔で別れの挨拶をすると、ルミーネクは去り際にウパルに激励の視線をやった。
その視線の意味を理解して、テグスはウパルに尋ねる。
「こんな事になっちゃったけど、ウパルとしてはいいの? なんなら、いまの約束はなかったことにしてもいいんだけど?」
「いえ。テグスさまのお子を頂けるのであれば、《静湖畔の乙女会》の信徒としてこれ以上の喜びはございません。謹んで、約束をお受けしたく思います」
なんだか変な未来が確定してしまったと、テグスは肩を落とすのだった。




