21話 貴族の馬鹿な兄
テグスとハウリナが入った大衆食堂では、何時もの活気が嘘のように静まり返っていた。
その客たちの視線の先にあるのは、テグスとハウリナの団欒に乱入してきた例の青年だった。
「おい、何か言ったらどうだ。この奴隷が!」
「ち、違うです。奴隷じゃないの!」
そんな注目の的な青年は、ハウリナの襟首を掴もうと手を伸ばす。
しかしハウリナはそんな手に掴まる積りはないのか、席を立ち上がるとテグスの方へと跳んで逃げた。
すると青年の標的が、ハウリナからテグスへと移ったようだった。
なにせその目付きが、こそ泥を見つけた警邏のような目だったからだ。
「貴様がその奴隷を奪った、盗人か!」
「誰かと間違えておいでじゃないですか。それと変な事を言いますね。この《迷宮都市》には、奴隷なんて制度は存在しないんですが?」
しかしテグスは青年の主張に付き合う積りは無く。静々と言葉を返しながら、食事を続けていく。
「貴様、食事の手を止めないか。無礼だろう!」
「無礼とは、人の食事を邪魔したそちら側でしょう。まあ被害はパンとそれに挟んだ野菜と肉程度なので、弁償しろとは言いませんけど」
チラリとテグスがパンが飛んで行った方を見ると、浮浪児に見える子供が落ちたパンを掴んでいるところだった。
テグスの視線にビクリと身体を硬直させたその子を、テグスは手を振って気にせずに行けと伝える。するとその子は、床に落ちた肉片を拾って口に入れた後で、食堂から逃げていった。
「ぐぬぬ。盗人猛々しいとは正にこの事。しかしその奴隷という明確な証拠がある以上。貴様の罪は明白だ!」
「もしかして、この街に来てまだ日が浅いんですか? その証拠を突き出す先も、罪を確定する法も、この街には無いんですけど?」
「なッ!? いや、貴様も《探訪者》ならそのギルドがあるだろう。そこに申し立てすれば」
「《探訪者ギルド》は《探訪者》同士のいざこざに、首を突っ込むことは無いですよ。各自で勝手に解決しろが信条だそうですので」
テグスは一々相手の言葉に応えながら、切り分けた肉を隣に居るハウリナへと差し出す。
それをハウリナは良いのかと少し首を傾げ。しかし肉の誘惑に負けたように、パクリとその肉を食べて幸せそうに頬を緩ませる。
「そもそもですけど。この子が貴方の言う奴隷だと、どうやって証明する積もりなんでしょう。見ての通り、奴隷の首輪はしてませんよ」
「そんなもの。奴隷の売買契約書があれば――」
「それが偽造で無いと、誰が証明するのでしょう。証明してくれる公的な場所は、この街にはありませんよ。なにせ奴隷制度が無いから、必要が無いので。他に何か証明は?」
青年の主張を聞きつつ、テグスは食事を続けながら論破する。
合間合間に、ハウリナへと餌付けすることも忘れない。
「ぬぐッ。いや待て。そもそもなぜこちらが、貴様に伺いを立てるような真似をせねば為らんのか。その奴隷の所有権がこちらにあるのだから、勝手に連れて行けば良いのだ!」
「ものを勝手に持っていく人の事を、盗人って言うんですよ。あと、この街では盗人は殺されても文句は言えないんですが、知ってました?」
「なら貴様とて、盗人なのだから殺されても文句は無いのだろう!」
「おやおや。勝手にこっちを盗人に仕立て上げて、殺そうとするなんて。新しい手法ですね」
そんなテグスと青年の掛け合いに。食堂で食事をしていた他の面々は、芝居小屋の観客の様に、面白そうな目付きで二人を眺め。それを肴に料理と酒に舌鼓を打っている。
そこに商売の匂いを感じたのか、店員があっちへこっちへと忙しく駆け回って、料理や酒の注文を取っていく。
テグスは商魂逞しいなと店員へ感想を抱いた後で、芝居がかったような溜め息を盛大に吐き出した。
「はあぁ~~~……貴方がどんな人かは知りませんけど。弟さんが死んで虫の居所が悪いからって、他人に絡むのはどうかと思いますよ。ここは《迷宮都市》なんですから、クソな貴方のクソの様な弟が死ぬのも当然ですから。おっと食事処でクソだなんて駄目ですね」
「だ、だれが、誰がクソだと。貴様、この僕をエクスクリメント家の者と知って、クソだと言っているのか!」
「貴方が何処の誰だか知らないって言ったでしょう。何処のクソがひり出した、無駄に成長したタダのクソだなんて、こっちが知るわけがないでしょうに」
お互いにクソクソ言い合っているのが、周りの下品な人のツボに入ったらしく、ぎゃひぎゃひと下品な笑い声が方々から上がる。
それをエクスクリメント家の子息らしいこの青年は、恐らく彼への嘲笑だと受け取ったのだろう。顔を真っ赤にした彼は、腰に吊っていた剣に手を掛ける。
それをテグスは作った薄ら笑いを浮べつつ見やってから。脅威を感じてないという仕草で、ハウリナへ切れ目を入れたパンに野菜と肉を挟んだものを手渡す。
「止めて置いた方が良いですよ。何処かの国の、クソな貴族が生んだクソな子供が粋がって剣を抜いた所で、クソも切れないでしょうから」
「ききき、貴様。何度も何度も侮辱してくれおって。この場で剣の錆にしてくれる!」
しゃらんと鞘走る音が鳴り、青年の手に抜き身の剣が握られた。
それを見た食堂に居合わせた面々から、おぉ~、っとこの場面には場違いな歓声が上がった。
それはきっと青年の抜いた剣の見事さと、その古風な喋り方と見得に、完全に芝居を見ている積りなのだろう。
そんな周りの空気を感じながら、まだもう少し足りないと思ったテグスは、もう一煽りする事にした。
「剣を抜いたら遊びじゃ済まないんですよ。今ならまだ剣を収めれば、ここの皆さんの食事代を出す程度で許してあげますから。ね?」
「ぎゃははは。兄ちゃん。その子に詫び入れて、オレらに奢ってくれよー!」
「馬ッ鹿か、ここは剣で斬りかかる処だろうが。詫び入れちゃ興醒めだろう!」
「どっちでも良いぜ。楽しけりゃなー! げははははっ!」
《雑踏区》特有の酔いの回り易い安酒を飲んだらしい、赤ら顔の一団からそんな野次が飛んだ。
それを受けてテグスが、ほらあちらさんもそう言っているよ、と言いたげな目付きで青年を見やる。
すると青年はプルプルと震え始める。どうやら今頃になって、テグスとの掛け合いが見世物になっていた事に気が付いたらしい。
「き、貴様。もともと、見世物にする積りで――」
「あ、ようやく気が付いたんですか。お、馬、鹿、さ、ん、ですね~」
「ですね~」
テグスがハウリナに顔を向けて言うと、彼女もテグスの癇に触る口調の語尾を純粋に真似して言った。
すると奴隷と蔑むハウリナにも侮辱されたと思ったのだろう。もう赤くなることは無いと思うほど赤かった青年の顔色が、もう一段階赤くなった。
「貴様、もう容赦せん!」
青年はそう言い放ち、テグスへと剣を振り下ろしてきた。
それを見たテグスは、冷静に無詠唱の身体強化の魔術を使用して腕の動きを速め。右腰に付けたままの箱鞘から、なまくらの短剣を一本右手で素早く逆手で引き抜く。
そして抜き様に、青年の剣を持つ手首へと斬りつける。
流石になまくらだけあって、青年の手を骨ごと斬り飛ばす事は出来なかったが、青年の手から剣を上へと弾き飛ばす事は出来た。
それを信じられないような目で見ていた青年の首へ、テグスは引き戻した短剣を先から突き込む。
首にある太い血管を傷つけて噴出させない為に、短剣は喉を縦に裂くようにして首へと入る。
首の皮膚を引き裂き、気道を裂いて突き進み、首の骨を刃で削った後で、青年の首の後ろから突き出た。
「がごぼッ……がばがぼ」
喉に溢れる自分の血で、青年が溺れそうになっているのを知りながらもテグスは、彼の懐を漁りながらハウリナへ弾いた青年の剣を回収する様にと視線で指示する。
ハウリナはパンを食べながら一つ頷くと、剣を拾おうとしていた男の手より先に素早く近寄り、奪い取るようにして手に入れた。
「……貴族の癖に時化ているな。まあいいや」
テグスが探り当てて開いた、青年の懐に入っていた仕立と材質の良い巾着袋には、銅貨と鉄貨のみしか入ってなかった。
「あ、店員のお姉さん。このお金が許す限り、この場に居る人たちに酒や料理を奢ちゃってください」
「はいはい。えーっと、この位だったら……喜べ、ここに居合わせた皆。日が落ちるまでは、飲み食いをタダにしてあげるわ!」
「おー、坊主。太っ腹だな!」
「なら遠慮せずに今日は飲めるぜ。お代わりだ、お代わり!」
「何時もは遠慮している料理を頼むとしよう」
「よ、この小さな御大臣!」
テグスから青年の巾着袋を投げ渡された女性店員が発言した途端、食堂内は静かになる前にも増して活気付いた。
そして方々からテグスへと感謝の言葉が投げかけられる。
それをテグスは当然のように受け取りながら、視線を店員へと向ける。
「じゃあこっちはこの馬鹿を表に捨ててくるので。余った料理を包んでくれると」
「はいはい。その程度はオマケしてあげる。実はこの袋の中身で、一日分の売り上げぐらいは優にあるの♪」
後半はテグスに聞こえる程度のお茶目を気取った小声で喋った店員は、余った料理が持ち帰れるように大きな葉っぱの上へと置き直して行く。
「はい、じゃあこれで。良いかしら」
「ありがとうございます。また今度、ちゃんと食べにきますね」
「料理、美味しかったのです。また食べに来たいのです!」
テグスは短剣を青年に突き刺したままなので、ハウリナが代わりに料理を受け取り、テグスの荷物と青年の剣も抱え持つ。
食堂の中にいた面々から感謝の口笛と鳴らされながら、テグスはハウリナと外へと出た。
そしてまだ息のあった青年を、刺した短剣を捻りながら抜くことで、首の太い血管を破り切って致命傷を負わせる。
地面へと投げ出された彼の首からは、次から次へと赤い液体が地面へと流れ落ちて、小さな水溜りを作り出した。
「あとは誰かが片付けてくれるから。あ、荷物持つよ」
「はい、です。この剣は、どうするの?」
「よいしょっと。あっと、どうしようか。ハウリナが使う?」
「鉄棍があるので、要らないです。テグスが使った方が良いの」
「片刃剣があるから、必要無いんだよね。う~ん、レアデールさんにお土産として持っていこうか。残した白塩もあることだし」
「お母さんの所に帰るです?」
そんな言葉を交わしつつ二人揃って歩きながら、葉で包まれた料理を広げて食べ始める。
「ハウリナの元主人の事を気にしていたから。兄弟共々死んだって、言いに行かないといけないしね」
「……もしかして。テグス、わたしの為に殺したの?」
「為にって程じゃないけど。家族に害が有りそうな人を取り除くのは、家族としては当たり前でしょ」
改めて聞かれると気恥ずかしくて、テグスは誤魔化すように肉を一欠けら口に放り込んで噛み始める。
それを見ていたハウリナは、目を細めて嬉しそうに笑うと、テグスへと身体を摺り寄せ始めた。
「どうしたの、ハウリナ?」
「何でも無いです。仲良しの仕草です」
「……なら良いけど。はい、あーん」
「あーん、でふ」
テグスはハウリナが擦り寄せる身体の事を、極力気にしないようにしながら、彼女の口へと料理を手づかみで差し出す。
料理をハウリナは口で受け取って、もぐもぐと幸せそうに噛み始める。
それは料理が美味しいからなのか、それともテグスが横に居るからなのかは。彼女の心の中を見た者にしか分からないことだった。
そして二人はレアデールの居る孤児院へと戻り、白塩と剣というお土産を渡しがてら事の顛末を話した。
「ハウリナちゃんの事はもう済んだのね?」
「この街に、他の兄弟が来ないならね」
「安心、安全です!」
「それじゃあ、二人共《小迷宮》の攻略を頑張らないとね」
「あとは《小六》と《小七》だけだね」
「簡単な事です!」
「駄目よ、あんまり過信と油断をしちゃ」
その後も夕食の用意を手伝いながら、テグスとハウリナはレアデールと他愛の無い話を続ける。
そして夕食をちゃっかりと頂き、物置の少ない空けた場所に身体を潜り込ませて、二人揃って寝た。
翌日、朝早くに《ツェーマ武器店》にて、二人とも武器の状態に問題は無いとお墨付きを貰い。
一路《小六迷宮》へと向かって歩き出した。
10月からは一日空けて投稿する予定です。