18話 回状
孤児院から旅立ち、《小一迷宮》《小二迷宮》を危なげなく攻略したテグスとハウリナは、ここ最近ずっとやっている《小四迷宮》での《空腹猪》狩りの真っ最中だった。
「ハウリナ。行ったよー」
「うん、ですの!」
テグスが《空腹猪》を引きつけてから避け、ハウリナが魔術で強化した膂力で鉄棍を振るい、一撃で倒す。
「じゃあ捌いちゃおう。ハウリナはまた腸食べるの?」
「ハラワタじゃなくて、心の臓と肝の臓です」
ハウリナはウキウキとした様子で、テグスが短剣で《空腹猪》の腹を開くのを待っている。
そんな仕草に苦笑しながら、テグスは無詠唱の鋭刃の魔術を使用して《空腹猪》の喉下から股間までを一直線に切り裂く。
開かれた体から臓器がデロリと出てくる。しかし相手が迷宮で生じたばかりだったのか、見た目に嫌な内容物は一切入っていなかった。
「テグスも食べるです。赤ん坊でも生で大丈夫なヤツなの!」
「う~ん、普通は捨てる場所なんだけど」
良いのに当たったと言いたげなハウリナの嬉しそうな言葉に、テグスは少し気後れしながらも、心の臓と肝を一欠けらずつ口に入れる。
心の臓は肉とは違いコリコリとした食感が面白いが、矢張り血抜きも満足にしてないので血生臭い。
肝は口の裏にべっとりと付くような粘土のような食感が、変に感じられる上に、血とは違った生臭さ。
つまりこの二つはテグスの口には合わなかった。
一方でハウリナは美味しそうに、ガツガツと音を立てそうなほど、二つの臓器を口に入れて咀嚼している。
獣人と人間の違いなのかなと納得して、テグスは水筒から水を飲んで口の中を洗いつつ、開いた《空腹猪》をハウリナの背負子へと積んで括りつける作業に入る。
その作業が終わるまでハウリナは、他の食べられる臓器も口に入れて食べてしまっていた。
「ああ、ほらもう血でべとべとじゃないか」
「あ、っぶ。テグス、おぼ、おぼれるです~」
口元と両手を真っ赤に染めたハウリナに、テグスは飲料水の魔術で洗ってやる。
唐突にやられたので、ハウリナは慌てたようにあっぷあっぷしながら、汚れを洗っている。
そうして身奇麗にした後で、テグスはハウリナ用の背負子を持ち上げて、彼女へと差し出す。
「もう気は済んだでしょ。じゃあもう上に戻るからね」
「ええ~……もっと、肝食べたいです」
しょぼんと耳を伏せてしょげるハウリナの背に、問答無用と背負子を背負わせて、二人は《小四迷宮》から脱出し始めた。
テグスとハウリナは《小四迷宮》の《探訪者ギルド》支部へとやってきた。
「こんにちは~、今日も買取してもらっていいですか?」
「おう、また坊主と嬢ちゃんか。てことはまた《空腹猪》か?」
「丸々、持ってきたです!」
買い取り窓口に居る顔見知りになった男へと、ハウリナが背負子を見せるように背中を向ける。
そこには血と内臓を抜かれた《空腹猪》が四匹も、縄で背負子に括りつけられていた。
「坊主の方は何時も通りに、解体済みのをここの孤児院へか?」
「はい。ついでに調理場を貸してもらうのも、何時もの通りです」
「じゃあ丸の《空腹猪》の子供が四匹で、鉄貨八十枚な」
溝の在る木板で素早く八十枚を図った男は、その全てを麻の小袋へと入れてテグスへと手渡した。
それをテグスは半分だけ自分の鉄貨入れの袋へと収め、残りを小袋に入れたままハウリナへ。
「それじゃあ孤児院へ行きますね」
「おう――っと、ちょっと待ちな」
「なにか依頼でもありますか?」
「いや、依頼じゃないんだが。回状が来たんでな。坊主たちにも教えておこうかとな」
回状という言葉が聞きなれないのか、テグスとハウリナは二人とも不思議そうな表情で男の方を見る。
その表情の意味を男は理解したのか、何度か頷いてから二人へと説明をし始めた。
「回状っていうのはだ。この《迷宮都市》にある支部全体へと配られる、いわば回覧板の様な物だ。これにはここ最近の出来事や、注意する事柄が載っている。それで《探訪者》に関係の有りそうで、重要そうな案件は伝える事にしているわけだな」
「と言う事は、何か問題が起こったんですか?」
「まあそう言う事だ。何でも、何処かの国の馬鹿な貴族のガキが、相手がぶつかったからって剣を抜いたらしい」
と言われても、そんな事は《雑踏区》では日常茶飯事な出来事で。
テグスにしては何が問題なのかが分からない。
それは男にしても分かっていたようで。
「そんで、そのガキが返り討ちにあったんだ。命に別状は無いんだが、手酷くやられたらしい。でだ、普通はそこで泣き寝入りになるはずなんだが」
「貴族の子供だからそうは行かないと?」
「その通り。仇討ちなんて名目で、方々から人を集めているらしいぜ。しかも、そのガキを返り討ちにしたのが獣人らしくてな」
チラリと男の視線がハウリナへと向けられた。
ハウリナはその視線に感付いたが、それがどういう意味なのか分からないのか、何故見られたのかと首を傾げている
しかしテグスはその意味が直ぐに分かった。
「つまり、獣人なら誰にでも喧嘩を吹っかけてくる人たちが、いま沢山居るって事ですね」
「そう言う事だな。まあそういう事をする暇人は大抵が落伍者だから、お前らは大丈夫だろうと思うが。まあ念のために知っておいて貰おうってな」
「それは、どうもありがとう御座います」
「一応、孤児院に肉をくれる上得意様だからな。良いって事よ」
「よく分からないです。でも、襲ってくるのはやっつけるの!」
話している内容は分からないらしいが。それでもハウリナは自分も狙われているとだけは分かったのだろう。
鼻息を荒く一つ、フンスッ、と吐き出し。鉄棍を掲げて意思表示をした。
それをテグスと窓口の男は、散歩に意気込む犬を見た時のような目で、ハウリナの方を見ていた。
その後、男と別れたテグスとハウリナは、この支部の孤児院へ《空腹猪》二匹分の肉を渡し。二人も一匹分を孤児院の調理場で調理して、その全てを胃の中へと収めた。
少し食休みを挟んだ後で、また《小四迷宮》へと潜っていった。
金稼ぎを含めた食料集めの為に、また六層へと向かって進んでいたテグスとハウリナは、四層に到達した所で一人の男に剣を向けられていた。
「う~ん、情報を得てから現れるまでが早いんじゃないかな?」
「な、何を変な事を言ってやがるう!」
プルプルと剣先を震えさせながら、二人へと剣を向けている男が吠える。
しかし二人へと向けられている剣は、鋳造品ながらも状態がかなり良さそうな一品だ。
それなのに男の服装は、その剣に見合わないほどにボロボロで薄汚れている。
つまりはついさっき話しの中で登場した、例のお馬鹿な貴族の子供が雇い入れた仇討ち屋の一人なのだろう。
「ハウリナ。他に人は?」
「――近くに複数いるです。襲ってくるかは、分からないの」
「なら、こっちも確認してみるよ」
「な、何を余裕ぶっこいてやがる!」
叫ぶ男を無視しながら、テグスは無詠唱で索敵の魔術を行使すと、幾つもの反応が返ってくる。
魔物や人も一緒くたの反応なので判別は難しい。
しかし、この三人の近くに他に反応が無い事。多数の人同士の戦闘の様な反応が無い事。
反応からそんな大まかな見立てをして、テグスはこの男には仲間が居ないようだと結論する。
「えーっと、お仲間は居ないんですか?」
「う、五月蝿い。お、お前らなんか、一人でだって」
「敵は、排除するです!」
「ハウリナ、腕と足!」
取り敢えずは情報収集というテグスの思惑は、飛び出したハウリナによって砕かれてしまった。
しかし咄嗟にテグスがそう言葉を発すると、反応したハウリナは男の脳天を砕こうとしていた鉄棍の軌道を変える。
先ずは男の腕に当てて骨を折って剣を落とさせる。
続いて両足の脛を横から左右順に叩き折り、男をその場に倒れさせて無力化させた。
「よしよし。よく咄嗟の命令に反応出来たね」
「んふ~、命令通りです!」
褒めて褒めてと頭を差し出すハウリナに、テグスは彼女の頭にある二つの獣の耳の間をゆっくりと撫でてやる。
時折、指の爪で頭皮を引っ掻くようにしてやると、ハウリナが満足そうな溜め息のようなものを吐き出して喜ぶ。
「ぐおおおぉぉぉ~~、腕が、足がああああ~~」
そんな二人の傍らでは、哀れな男が熱せられた石の上に置かれた芋虫の様に、地面の上で身体をぐねぐねと動かしていた。
「さて、おじさん。ちょ~っと《探訪者ギルド》の支部まで、一緒に来てくれない?」
「この、この獣人のクソガキ。足が、腕がぁ~~」
「ちょっと、聞いてますか~?」
「ぎゃあああああ、足、足、足が、足を~~!?」
うわ言を良い続ける男に痺れを切らせたテグスは、折れた脛を踵で踏んで左右に捻る。
そこで漸くテグスに気が付いたように、男はテグスを地面の上から見上げる。
「おじさん。支部まで来て、洗いざらい喋って欲しいって言っているんだけど?」
「そんな、そんな事、出来る訳が」
「うん。ナニカ、言ったかな?」
「話す。話すから。足、足を退けてくれぇ~」
「退けてくれ?」
「ぐうううぅうぅ。お話いたしますから。その足を、おみ足を、退かして頂く訳には参りませんでしょうかぁ!?」
ぐっとテグスが足に力を入れると、男は悲鳴を上げつつ涙を流して懇願する。
テグスは一度ほぼ全体重を掛けて折れた骨を踏んだ後で、男のお願い通りに足を退かして上げた。
男は痛みと絶叫による酸欠から、地面の上に呆然としながら倒れこむ。
「始めからそう言ってくれれば、手荒な真似しなくて済んだのに」
「テグス。こいつ、どうするです?」
「手足縛って、支部へ搬送かな。色々と情報を喋って貰わないと」
「敵対する人、殺すが最善です。レアデールも、そう言ってたの?」
「その方が後腐れ無いんだけどね。回状に書かれた内容に遭遇した場合、どうするか聞くのを忘れてたから。念のためにね」
テグスが男をうつ伏せに寝かせ、その手足を縄で縛っていく。
その際に折れた骨がずれたのか、男が絶叫を上げるがテグスは無視して縛り終える。
そして男が使用していた剣と、その懐から金品を巻き上げていく。
「じゃあこのおじさんを運ばないと行けないんだけど。ハウリナが運んでくれる?」
「運ぶのです。棍に括りつけて、さらし者です!」
「ぐううぅぅ。なんで、何でこんな目にぃ……」
ハウリナは鉄棍に男の手足の縄を通してから、担いで支部へと戻る道を歩き始める。勿論、ハウリナの方がその男よりも体重が軽いので、身体強化の魔術を使用して運んでいる。
テグスは男を運ぶハウリナの露払いとして、先頭に立ち左腰の片刃の剣を抜き、その修練した成果を襲い来る《魔物》相手に披露して進んでいく。
そんな三人の姿は、この《小四迷宮》にて活動していた他の《探訪者》の目に一時的に止まったものの。変な事をしているなという感想と共に、記憶の彼方へと押しやられてしまい、別に問題にはならなかった。