203話 復習と予習
兵士と予備騎士の試験が終わった翌日、ベックリアとジョンたちは合格者たちを伴って、《迷宮都市》から出ることにしたらしい。
「翌年からは、ジョンたちが勧誘役として赴くことになる。これで妹さんも、一年に一度は会えるので、心配せずとも良くなるな」
「え、あ、お、お兄ちゃんの、し、心配なんて……してますけど。そ、それは、みなさんと、仲良く出来ているかで」
「失敬な! アンジィーの中で、この兄はどういう風に見えているのか!」
「まあまあ。妹ちゃんが心配してくれるなんて良いことだぞ、ジョン」
「そうだぞ。兄冥利に尽きるじゃないか、ジョン」
「ええい、ジョンジョン五月蝿いわ! 俺の名は、スページア・エンター・インサータスだ!」
からかわれているが、一定の信頼は得られているようだ。
アンジィーもそれを知って、安心したような顔をしている。
「あれでは、どちらが年上か分からんな」
「妹の方は気弱ですけど、芯は強いですから」
ジョンたちの姿を見ながら、テグスとベックリアは言葉を交わす。
「ふふっ。しかしながら、妙な気分ではあるな。テグス君と隣だって話をしているとは」
「出会いは、人狩りの護衛と、それを襲う住民としてですもんね」
「たった数度会い剣を交えただけの間柄だが。これにて二度と会えないとなると、なにやら物寂しい気分がする」
「僕としては、命の危険なありそうな相手と、二度と戦わなくて良いと考えると、気が楽になりますよ」
「ふふっ。やはり、テグス君は面白い。まあ、こちらの国にくることがあれば、ぜひ私のところに寄ってくれ。歓迎することを約束しよう」
「その時は、ジョンに案内役を頼みます。でも、最低でも《大迷宮》を攻略した後になるでしょうから。あまり期待しないで下さいね」
離別の言葉を交わし終えると、ベックリアはハウリナたちに目礼をしてから、ジョンたちを伴って去っていった。
今回、ベックリアは、騎士に誘う言葉を口にしなかった。
それは、断られると分かっているから話題にしなかったというより。
ここまで《探訪者》として実力をつけて来たテグスへの賞賛のような感じがした。
認められたようで嬉しい気持ち半分、その相手に届かなかった悔しさ半分で、テグスはベックリアたちを見送った。
一方で、アンジィーはジョンと会えて満足しているような、別れるのが寂しいような複雑な表情になっている。
ハウリナたちも雰囲気に引っ張られて、しんみりとしていた。
ここでテグスは、空気を換えるように、手を大きく叩き合わせた。
「さて、ちょっと予定外のこともあって、地上に長居しすぎたね。用事も終わったことだし、《下町》に戻ろう」
拍手の音で驚いた様子だったが、ハウリナたちは提案を聞いた瞬間に、気分を入れ替えたようだ。
「そうです。四十五層にいくです!」
「兵士として頑張っていた、アンジィーちゃんのお兄ちゃんのように、こっちも頑張らないとなの~」
「は、はい。お兄ちゃんには、負けません」
その横で、アンヘイラとウパルが、こそこそと顔をくっ付ける。
「もう実力では勝っているのではないでしょうか、精霊魔法と機械弓を使うアンジィーの方がジョンよりも」
「きっとそうでございましょうけれど、それは言わないお約束でございますよ」
内緒話をしているので、残りの全員がどうしたのかと目を向ける。
すると、気にしないで欲しいと身振りを返してきた。
テグスは、取るに足らない内輪話なのだろうと納得して、追求しないのだった。
《大迷宮》に戻り、《中町》を通り過ぎ、二十一層まで一気に来た。
大河の中洲に天幕を張り、休憩することにする。
先ず睡眠をとるのは、アンジィーとティッカリ。
残りは、周囲の警戒にあたる。
「ハウリナ、ちょっと警戒するの任せてていい?」
「もちろんです。でも、なぜです?」
「昨日の感覚を忘れないうちに復習したいんだ」
テグスは深く呼吸をして心を落ち着かせると、全ての意識を前方へ集中しようと試みる。
しかし、緩すぎる粘土を集めようとして指の隙間から出てしまうように、いまいち集中しきれない。
想像力でベックリアを登場させて集中しようとするが、想像するという行為自体が邪魔になった。
仕方なく、周囲を見回し、潅木や足元の石などをじっと見ながら集中する。
観察する手ごたえとしては十分だが、後一歩足りない感じがする。
「戦うベックリアさんみたいに、集中できるもの。もしくは、目を強く引くようなものがあれば……」
その時、思い出したのが、クテガンが作った剣にある例の紋様だった。
あの綺麗で不規則な模様は、いくら見てても飽きないほどの、目を引き付ける魅力がある。
テグスは黒直剣を抜くと、黒くて分かり難くはなっているが、歪んだ年輪のような紋様がある剣身を眺めた。
そして、ゆっくりと度合いを深めながら、極めて集中する状態へと移っていく。
すると、ベックリアと戦ったときと同じになる。
視覚が黒直剣だけを認識するようになり、聴覚は付近の音だけ捉え、触角が鋭敏に風の流れを感じだす。
この状態を、可能な限り留める。
ベックリアの時とは違い、身体を動かしているわけではないので、簡単に集中が続けていける。
やがて、昨日に保てた時間を通過し、未知の領域へ入った。
集中は続く。どこまでも続く。
より感知する範囲が狭まっていく。
段々と、景色が端から削れる。
世界が、黒直剣と自分だけに、狭まって――
「テグス、だいじょーぶです?」
感知していなかった後ろからの声と共に、肩を叩かれた。
「どうわあああああああッ!」
予想してなかった意識外からの刺激に、テグスは心臓が止まるかと思うほどに驚いて、声を上げてしまう。
吃驚したまま振り返ると、声をかけたハウリナは驚きで、獣耳と尻尾が直立させていた。
「ど、どうしたです?」
「現れたんですか、近くに《魔物》が?」
「その様子はございませんが、どうかなさいましたか?」
「あ、あ、あの、なんか、凄い声が……」
「ふわぁ~~。どうしかしたの~?」
困惑している仲間の顔を見て、テグスの心に落ち着きが戻ってくる。
「い、いや。強く集中しているところに、急にハウリナが後ろから声をかけてきたから、驚いただけだよ」
理由を話すと、あからさまにホッとされた。
「なんだ~。この世の終わりのような悲鳴で、驚いちゃったの~」
「人騒がせですね、まったく」
「驚かせて、悪いことを、しちゃったです」
ハウリナがしょんぼりするので、テグスは慌てる。
「いや。ハウリナは悪くないよ。心配してくれたんでしょ?」
「そうです。テグス、動かなくなって、心配したです」
ごめんごめんと謝りながら、テグスは全員に何をしていたかを話した。
「凄い集中で、ございますか?」
「あの女騎士さんと戦ってたとき、そんなことができるようになったの~?」
「それで再び試していたというわけですね、その究極的な意識の偏重を」
「な、なんだか、凄そうですね」
「それ、どうやってやるです!?」
それぞれ違う反応を見せるのを止めながら、ハウリナの疑問に答えるべく、テグスはやった方法を伝える。
「えっと、こう、周囲に気を配っているのを止めて、本当に相手に集中するというか。気配察知するのを、全部一つのものに向けるというか……」
技術的に覚えたものではなく、不意に得た感覚なので、テグス自身も言い表すのが大変だった。
ハウリナたちも、聞いていてよく分からない様子をしている。
「強くものを見るです?」
「見るだけじゃなくて、聞いたりするのも、一つだけっぽいのかな~?」
「お聞きしておりますと、一心に祈りを捧げるのと、似たような感じがございますね」
「え、えっと、じゃあ、精霊さんを感じるのに、似ているかな?」
「先達の教えに似てますね、矢を引いて的を狙うときの」
テグスにしても、合っているか間違っているか、明確に言うことが出来ない。
「ですが、その集中を会得できれば、戦闘に役立ちそうでございますね」
「相手の動きがよく分かるなら、戦いやすくなりそうなの~」
ティッカリの言葉に、テグスが待ったをかける。
「でも、この集中状態のときって、その相手以外のことは認識の外になるんだ。だから、さっきハウリナに肩を叩かれて驚いたわけだし」
「そ、そうなんですか?」
「それは一長一短ですね、不意を撃たれやすくなることに繋がりますし」
それに周囲を感じ取れないということは、仲間との連携が疎かになるということにも通じる。
一対一の状態以外で使うには難しいだろう。
「でも、まずはやってみたいです」
「試してみましょうか、その集中状態が出来るかを」
「出来ないのと使わないのとは、全くの別物でございますしね」
「話で聞いた限りだと~。気配察知が得意な、ハウリナちゃんとアンジィーちゃんなら、出来るようになるかもしれないの~」
「そ、そんなこと言われても、自信がないですよ……」
五人が思い思いの方法で集中し始めた。
唸ったり眉を寄せたりしているのを横目に、テグスは気配察知を周囲に向けて警戒を担当する。
そして暇つぶしがてら、極限的な集中状態の使いどころに頭を悩ませるのだった。




