185話 雪景色と冬の森の《魔物》
時間を取って気配察知を鍛えたお蔭で、三十一層から三十三層までの、夏の森の層は簡単に進むことができた。
「いよいよ、この下が冬の森になるんだよね」
「防寒具、準備するです」
「気配が分かるようになったから、これからは順調に進めるはずなの~」
「といってもテグスとアンジィーだけですよ、新たに完璧に察知出来るのは」
「え、あ、あの、完璧とは、ちょっと違う気が」
「謙遜なさらずとも、ハウリナさん並みに見破っているではございませんか」
三十四層への階段を下りていくと、冷たい風が下から吹いてきた。
「夏の森を歩いてきた体には、心地良いの~」
「汗が引く思いが致しますね」
火照った身体が冷えていく感触に、全員の頬が緩くなる。
しかし、階段を下り続けると、冷たいから寒いに感覚が変わってきた。
「あ、あの、こ、これは、さ、寒くありませんか?」
「まだまだ、へっちゃらです」
「でも、そろそろ防寒具は出してきておこうか」
背負子に仕舞っていた《白樺防具店》で買った防寒具を出す。
大半は手に持つだけだが、ウパルとアンジィーは寒さが堪えるのか、直ぐに着込んでしまった。
茶色い毛皮の防寒具は、頭巾と一体化した長い外套と手袋に、長靴と繋がった腹まであるズボンで一揃えのようだ。
白い貫頭衣状の防具の上から着るウパルは、見た目には差ほどおかしくはない。
だが、厚みのある革鎧の上から着たアンジィーは、ずんぐりとした丸い見た目になってしまっている。
「コロコロして、可愛らしいの~」
「どう、温かい?」
「温かいのは温かいのでございますが」
「あの、すごく、温かくて、ここだと暑いです」
暑そうに赤い顔になると、合わせた前を肌蹴て、冷たい空気を中に入れている。
「これは着ない方が良さそうですね、耐え切れなくなるまでは」
「ぜんぜん、寒くないです」
そう言ってはいたが、階段を下りきる前には、全員が防寒具に身を包んでいた。
「良く見ると、防寒具が違っているね」
「ティッカリが、一番ちがうです」
鎧の上から着るので、全員の防寒具の大きさがまちまちである。
手甲や脛当てをしている人は、その部分の毛皮に硬革が張られていて、代用できるようになっていた。
アンヘイラの手袋は少々特殊な作りで、手と指先に分かれる二重構造で、弓を引くときに邪魔にならないようにしてある。
ティッカリの外套にも殴穿盾を着ける前腕部分の毛皮がなく、代わりに盾の固定具を覆う布があった。
「さてと、三十四層に入ったわけだけど。みんな、寒さは大丈夫?」
冬の森の層という触れ込みどおり、一面雪景色である。
まばらに生える森も、ツンツンと尖った葉っぱの木ばかりで、上に雪が積もっている。
下草は雪で埋もれたのか、夏の森と比べると、見目が寂しい風景だ。
「ぜんぜん、平気です」
「ちょっと前を開けておこうかな~ってぐらいなの~」
二人は頭巾を被らずに、前の合わせを胸元ぐらいまで開けている。
「かなり堪えてますよ、こちらの二人は」
アンヘイラはテグスと大体同じで、合わせは閉じて、頭巾を首元に巻くようにしている。
「さ、さささ、寒いもので、ご、ございますね」
「あうあう、こ、故郷の冬より、だ、ん違いに、寒いよぉ……」
残る二人はというと、頭巾まで被った上で、寒そうに足踏みを繰り返している。
「ここで止まっていても寒いだけだから、さっさと移動しようか」
「二人とも~、移動するときっと温かくなるの~」
ざくざくと、足元の雪を防寒具の靴で踏みつけながら、森の中に入っていった。
冬の森を歩くのは、慣れないと大変なのだと、テグスは実感していた。
冬専用の靴があるのに、足下に冷気が伝わってくるし、踏み出すと雪に足が沈み歩き難い。
先頭のハウリナが、鼻歌交じりに軽々と歩けているのが不思議で仕方がない。
それだけならまだ良いが、精神的に堪えるのは、木から落ちてくる雪だ。
「――! って、雪だよね……」
「急にドサッて音がするから、びっくりしちゃうの~」
夏の森で気配察知を鍛えたお蔭で、木の上から雪が落ちてくるのを気にしてしまい、心理的な負担になっていた。
普通なら、二・三度同じ目に遭えば慣れるもの。
だが、雪に隠れている《魔物》がいるので、慣れるとそれはそれで問題があるのだ。
気配を察知して見上げると、二匹の白い梟に似た《魔物》が静かに飛んできていた。
「《三目木菟》が二匹。他に居ないか周囲を注意してて」
「ほら、弓を射ましょう、震えていないで」
「さ、さむいけど、頑張ります」
アンヘイラとアンジィーが矢を放つ。
ふわりと浮き上がるような軌道で、《三目木菟》は避けて近づいてくる。
アンヘイラは即座に第二射。一匹の翼に命中し、錐もみして落ちていく。
アンジィーは、手袋をした手で、機械弓の巻き上げ機構を動かす。
残る一匹は近づいてくると、額の部分に切れ目が一筋入り、そして開かれる
真っ青な瞳の三つめの目だった。
「ピュィイイイイーー」
笛を吹いたような鳴き声を上げると、第三の目が輝きを発する。
そして、まるで噴水のように、輝く目から水が飛び出して、テグスたちに向かってくる。
「地味に嫌な攻撃だなッ」
「他の場所なら、嫌がらせにしかならないけど~。ここだと水は立派な凶器なの~」
水をかけられでもしたら、この寒さに凍り付いてしまう。
テグスたちは急いで分かれて逃げ、飛んできた水を回避する。
そして、一人ずつ担ったところに、小山の雪だと思われた中から虎の《魔物》が飛び出してきた。
《中三迷宮》にもいた、《二尾白虎》だ。
二本ある尾は同じだが、冬の森だからか、毛足が長くなった毛並みには黒い縞はなくなっていた。
「ゴアアアアア!」
「知ってたです!」
近くにいたハウリナに襲いかかるが、先に黒棍で額を打たれて絶命してしまった。
この間に、飛びまわる《三目木菟》を、アンヘイラとアンジィーが協力して射ち落とす。
「たあああああああ!」
地面に落ちきる前に、駆け出したテグスが、長鉈剣で胴体を貫いて仕留めた。
安心しそうになるが、目の端に水が飛んできたので、咄嗟に後ろに逃げる。
目の前を通過した水は、木の幹に当たると、あっという間に氷へとかわっていく。
「そこにいるの~」
ティッカリは殴穿盾を掲げながら、水が飛んできた方へと走る。
その先にいたのは、翼に矢が刺さった《三目木菟》だった。
青い瞳を光らせて水を放ってくるが、殴穿盾に防がれてしまう。
「とや~~~~~」
接近し終えたティッカリが腕を振り下ろすと、雪に真っ赤な液体が広がり、湯気が少し昇った。
発見した全ての《魔物》を倒し終わっても気は抜かずに、もう一度全周の気配を探っていく。
何もいないと判断を下し、剥ぎ取りと解体を始める。
「《三目木菟》は小さめだから、血抜きしてこのまま持っていこうか」
「ひさびさの、虎肉です!」
「差ほど時が経ってはおりませんのに、見知った《魔物》を見ると、懐かしく感じるものでございますね」
「急がないと、血と肉が凍っちゃうの~」
肉と毛皮を取り終えた《二尾白虎》の残骸は、魔石化して回収する。
戦闘で上がった体温が、外気で冷えて元に戻った頃に、また別の《魔物》と遭遇する。
「真っ黒で五つの尾っぽの狐だし、《五尾黒狐》だよね」
「そうでございますね。なにかご不明な点でもおありでございますか?」
「いや。夏の森のときにさ、首下が赤い狼の《魔物》が出たでしょ」
「そういわれてみると~、雪景色に黒って目立つの~」
周囲に目を向けようとすると、《五尾黒狐》から小さな火の玉が飛んできた。
大した威力はないので、ティッカリが殴穿盾で防いでしまう。
その注意を向けようとしている行動に、テグスは急いで周りを確認する。
まばらに生えた木の間に、平べったく広がった七つに先が分かれた角を持つ、茶色い毛皮の鹿に似た《魔物》がいるのが見えた。
まだ遠くにいるが、テグスたちを囲むように、五匹が等間隔に歩いている。
「やっぱり、囮だった!」
「ポゥーーーー」
発見されると、一匹が鳴いたのに合わせて、五匹が角を突き出して一斉に突っ込んでくる。
「「「「ポポポゥーーーー」」」」
再び鳴き声が上がると、枝を打ち合わせるような音と共に、角の周りに雷に似た光が点いたり消えたりする。
いやな予感がして、テグスが投剣を一匹へ投げつけた。
角に触れた瞬間に、バチィ、と大きな音がして、投剣が弾かれて宙を待った。
「《放電鯰》と同じ現象だ。エシミオナさんに毛皮を頼まれたけど、《七股箆鹿》って一番危険そうな《魔物》じゃないか」
自分が着ている防寒具と同じ毛皮を見て、テグスは非難するような声を上げる。
そして、邪魔をされると困るので、囮役の《五尾黒狐》を投剣の投擲で先に仕留めておく。
「角に触ると大変なことになりそうなの~」
「逃げるです」
間近に迫る突進を、角に掠らないように、全員が大げさなほど距離を開けて避けた。
すると《七股箆鹿》は通り過ぎた後で集まり、まるで騎馬突撃のように纏まって、テグスたちへと突っ込んでくる。
角に当たらなくても、踏まれただけで死にそうな攻撃を、二度三度と必死に避けていく。
「どうです、これで」
避けた後で、アンヘイラが矢を放つ。
見事に一匹の尻の部分に刺さるが、気にした様子もなく走り続ける。
「ふむ、効かないようですね、発達した筋肉のある場所には」
「あまり先頭を長引かせると、他の《魔物》が集まってきそうなのに……」
しかしながら、真正面から戦うのは雷光を放つ角で危険であるし、追いかけようにも足元の雪が邪魔をして速度が出しにくい。
なにか有効な手段はないかと考えて、先ほど倒した《三目木菟》を思い出した。
「足を止めればどうにか出来るよね」
テグスは後ろ腰から《補短練剣》を抜くと、切っ先を迫り来る集団に向ける。
ハウリナたちには退避させておき、集団の真ん前に陣取って引き寄せた。
「『我が魔力を呼び水に、溢れ出すのは振り撒く水(ヴェルス・ミア・エン・サブアクヴォ、ミ・エルティリ・ディスバーシオ・アクオ)』
」
一年前に、女騎士ベックリアに使ったきりの、五則魔法の呪文が完成する。
《補短練剣》の先から、水が噴出して《七股箆鹿》の一団へと向かって飛ぶ。
水をかけて凍えさせれば、動きが鈍ると思っての行動だった。
「「「ポポポポポゥポゥ――」」」
頭から被った水に伝わり、角の雷光が《七股箆鹿》の身体で連続して弾けた。
ほんの少しの間だけの光景だったが、いまので五匹全てが失神し、地面にもんどりうって倒れる。
中には、倒れた拍子に首の骨を折った個体もいた。
「一網打尽なの~」
「スゴイです。水で倒したです!」
「からめ手とは、こういうものだという見本となる行いでございますね」
「ど、どんな風に、この方法を、思いついたんですか?」
予想していなかった結果を褒められて、テグスは困り顔で微笑むと、口を開かずに率先して止めを刺しに回った。
今の戦闘の痕跡を消そうとするように、解体も進んで行い、肉と毛皮と角に変えてしまう。
「ふぅ。どうやら、魔法か魔術みたいな攻撃をしてくる《魔物》ばかりみたいだね」
そして、いま知ったという口調で、唐突なまでの話題変更を試みる。
ハウリナたちは、テグスの行動を変に思っていそうだったが、なにも言ったりはしなかったのだった。




