182話 夏の森の層
三十一層に着き、通路らしき獣道を行こうとして、横から何かが軋む音が聞こえてきた。
警戒して顔を向けると、長い木が森の中へと倒れていくのが見えた。
《大迷宮》の罠なのかと警戒しながら、倒れた木の根元へ視線をやる。
「さっき会った人と、同じ職業の人たちかな?」
「木を切ってるです」
根もの周りで待っていた人たちが、地面に落ちた倒木に取り付き、運び易い長さに斧を振るっていく。
休憩場所か、それとも住居なのか、太い丸太で出来た小屋が何個もある。
「見た人がいますよ、あの人たちの中に」
アンヘイラが見ている先には、上半身裸になり、手にやや歪曲した特殊な剣のようなものを持つ人が居た。
最初は誰だか判断がつかなかった。
しかし、手にしている剣に長鉈剣と同じような模様があるのを見て、遅まきながら誰だか気付いた。
「あっ、サムライさんだ」
「本当だ、サムライさんなの~」
テグスとティッカリが声を上げると、聞こえたのかサムライが振り返り、手を振ってきた。
「え、あの、知り合いなんですか?」
「異国人らしきお方でございますね。サムライという名前も、聞きなれない響きだと思われます」
面識のないアンジィーとウパルが、少し警戒した素振りで見る中、サムライが打刀を鞘に入れて近づいてきた。
「お久方ぶりに御座りまする。もう、この層まで来られるとは、中々に励んでおられるご様子で御座りまするな」
「サムライさんは、どうしてここに?」
「なに、動く相手ばかり相手にしておると、刀の振るう筋が歪んでしまうものゆえ、少々鍛練に寄ったまでのことに御座りまする」
どういう意味かと図りかねていると、木こりの人たちからサムライにお呼びがかかった。
「某が何をしておるか、見学なされまするか?」
「はい。参考になるものがあれば取り入れます」
「なはははっ。《大迷宮》を進む一助となると、期しておりまする」
後ろについていくと、無数にある切り株が並ぶ、木材の切り出し場が広がっていた。
十人ほどの人たちが、丸太を切り出してソリにし。
二十人ほどの人たちが、丸太を切り分けて、運び載せる作業をしている。
「なんで、ここで木を切っているんですか?」
「刀術の技量保全と、材木の確保の面も御座ります。しかしながら、一番の理由は毎日のように切らねば、この場が飲み込まれてしまうからに御座りましょうな」
サムライが指す先には、一個の切り株があった。
何か特別な部分があるのかと見てみると、まるで再生をしているかのように、切り株の中央部に細い木が伸びている。
「十日ほどで、周りと同程度にまで延びる木に御座りまする」
「なるほどです」
「それなら、木を切っていかないと駄目って分かるの~」
よくよく観察すると、細い木のうちに切ってしまう人も見られた。
「それにしても、木を切る作業中に《魔物》が襲ってきたりしないんですか?」
「ここのは隠れ襲ってくるのが常なゆえ、切り開いた場所では襲ってこぬので御座りまするよ」
掌を向けてテグスたちを押し留めると、読んでいる作業員へ近づいていく。
作業員は、一本の木を指すと、両手を頭上で前後に振っている。
どうやら、切る木と、倒す方向を指示しているようだ。
サムライは理解したと頷くと、打刀を抜いて気の横に立つ。
「木を切るぞーーー!」
作業員が、周囲の人に警戒を促す大声を発した。
そして安全だと判断すると、手を上下に大きく振るう。
サムライはゆっくりと打刀を大上段にまで振り上げると、大きく足を踏み出しながら、木に向かって斜めに振り下ろす。
刃が食い込んだと思ったら、すり抜けたように、反対側から外へと出てきた。
打刀を振るってついた水気を飛ばし、刃に視線を向けてから、サムライはゆっくりと鞘に収め、三歩後ろに下がる。
まるでそれを待っていたかのように、木皮がはじける音がし、振るった軌跡と同じ場所が斜めにずれていく。
どうやら、少し斬り残した部分が、木が滑る重みで破断するようにしてあったようだ。
バキバキと周囲の木々の枝を折りながら、腹に響く音を立てて木が倒れる。
パチパチとテグスたちが手を叩くと、サムライが深々と一礼した後で、戻ってきた。
「取るに足らぬ見世物に、寛大な拍手を頂き、恐悦至極に御座りまする」
「いやいや、凄かったですって。僕なんか、長鉈剣に鋭刃の魔術を使っても無理ですよ」
「日々鍛練なされれば、いつかは一刀のもとに、岩すら切れるようになられるで御座りましょう」
技術の向上が必要という意見は、テグスにも頷けるものだった。
だが、武器に思い入れのある性格ではないため、実際に木を倒すことになったら、別の道具か魔法を使うだろうな、と見も蓋もないことも考えていた。
「はてさて、引き留めて申し訳御座りませぬ。この層の《魔物》は、中々に面倒なものが多いゆえ。気を引きしめて行かれるがよろしかろうと、思われるものに御座りまする」
「はい。サムライさんも、お仕事頑張ってくださいね」
「木を切るの、スゴかったです!」
「今度ゆっくりと打刀を拝見したいものです、時間があるときに出会えたのならば」
「またどこかでなの~」
「ご健勝をお祈りいたしております」
「あ、あの、さようなら」
口々に別れの言葉を言って分かれる。
良い物を見たと浮いた気分を引き締めなおして、テグスたちは三十一層に広がる森にある、獣道のような順路を進み始めたのだった。
森の中を歩くと、より湿度が増して感じる。
天井にある光球からの明かりは、木々の葉に遮られているというのに暑さは変わらないのだから、不快指数だけが上昇していく。
「半日で一層を抜けられると言ってたけど、その時間森を歩くのは厳しいな……」
「あ、足元に、根がでてたりして、歩き難いですからね」
《迷宮都市》の地上部育ちで深い森を知らないテグスは、足元の根を気にしたり目元に伸びた枝を気にしたりと、注意が散漫になっている。
他の面々は、テグスよりは慣れている様子だ。
ティッカリに至っては、まるで庭を散歩するかのような、気軽な足取りである。
こんな調子では先導は無理だと、先頭をハウリナに譲り、テグスはその後ろを歩くことにした。
「歩きやすく、してあげるです」
昔にそうやって貰ったのか、ハウリナが後ろの人たちのために、黒棍で枝葉を折りながら前に進み始める。
顔の高さに伸びる枝がなくなったため、テグスはその分だけ周囲に気を配れるようになった。
打ち払う音を立てながら、騒がしく歩いているのに、まだ《魔物》が襲ってくる気配はない。
「『動体を察知』」
不審に思ったテグスが、索敵の魔術を使用するが、揺れる太い枝まで反応して役に立たない。
感覚便りに探してはみるが、ここまで来る《探訪者》たちを騙すだけあって、上手くは見つからない。
しかし、ハウリナには分かるようで、急に立ち止まると獣耳を左右に向ける。
「ティッカリ、後ろです!」
急な声に、全員が後ろを向いた。
ティッカリの背後に、太腿のように太い蛇が大口を開けて丸呑みにしようとしていた。
「食べられる前に、やってやるの~」
振り上げた殴穿盾で下あごを粉砕し、反対の手で横顔を殴りつけて仕留める。
「右と左も、くるです!」
更なる警告に注意を向ける。
木肌色に黄色の縞がある、テグスと同程度の大きさの蜘蛛が、左右の木から一匹ずつ、音もなく飛びかかってきていた。
口元にある牙のような二本の注入管が、怪しげな光を放っている。
「このおッ!」
「あおおおおおん!」
テグスが一匹を抜いた長鉈剣で頭を両断し、ハウリナが黒棍の先で頭を突き潰す。
それだけで、二匹とも沈黙した。
全員で背中合わせに周囲を警戒し、ハウリナが獣耳と鼻で確認していく。
「もう、近くにいないです」
判断を信じて、テグスたちは警戒を解いた。
「蛇――《青首大将》は、首下の青くて綺麗な鱗は高値で買い取ってもらえるから、背開きで回収して。《黄縞蜘蛛》は焼いたら全身が食べられるそうだけど、管から出る毒液が致死性だから気をつけて」
「アンジィーの筒に貯めましょう、折角の強毒なのですから」
事前に調べた情報から、倒した魔物を素早く解体していく。
まごついていたら、どこから他の《魔物》に忍び寄られるか分からないからだ。
「ハウリナ以外で、襲撃に気付けた人はいる?」
尋ねた全員が、首を横に振る。
頼りがハウリナだけという事態を受けて、どうするべきか頭を悩ませる。
いま接敵して分かった唯一の成果は、《魔物》自体の強さは差ほどでもないことだけしかないからだ。
「……今日はもう先に進まないで、《魔物》の様子見をしようと思うんだけど」
「そ、そうですよね。ど、どこからくるか、分かるようにならないと」
「でしたら、どこかで休憩を装い、襲撃を待たねばならないかと思われますが」
周りは木々があるので、適当な場所を切り開けば、休憩しているように診せるのは可能そうだ。
背負子も下ろせば、襲われても反応は荷がない分だけ素早く出来る。
「良い案だと思いますよ、見つけられないことには話にならないので」
「殴って倒せない相手なら困っちゃうけど~、そうじゃないならどうとでも出来るの~」
全員が提案に乗り気なようなので、テグスはティッカリに真剣な目を向ける。
「ハウリナの感覚だけが頼りだから、よろしくね」
「頼ってくれて、いいです」
こうして、襲ってくるのを逆襲しつつ、隠れる《魔物》を発見する技術を磨くことにしたのだった。




