15話 獣人少女との再会
二度目の朝食を食べ終えたテグスは、調理場にもう一食分の朝食が残されている事に気が付いた。
そして昨日テグスが拾った少女――ハウリナが、この孤児院に寝泊りした事を思い出した。
「あ、そういえば、獣人の女の子について話があるんだよね?」
「そうなんだけど、まあその子が朝ごはん食べてからで良いわよね」
レアデールが食器を洗う手を止めて、後ろを振り返る。
テグスもつられて、手を止めて後ろを振り向けば、そこには一人の少女が居た。
話の流れから、昨日助けた少女に間違いないはず。
だが昨日より肌や服の汚れ具合が少なく、髪の毛も余りボサボサじゃないので、別の女の子では、とテグスは一瞬だけ勘違いしてしまった。
恐らく、昨日この孤児院にやって来た時に、レアデールがあれやこれやと世話を焼いた結果だろう。
そんな調理場の出入り口で立ちすくむハウリナは――テグスは薄暗い迷宮内と《探訪者ギルド》支部内では容姿について気にしなかったが――中々に整った顔立ちをしている。
茶と白が混じった髪を肩甲骨辺りまで伸ばして、一括りにして後ろに流している。
警戒しながらも勝気そうな薄青の瞳と、意志の強さを表してそうなキリッとした太眉を持ち、鼻はやや高めで唇は薄く紅い。
ちゃんと立つと手足の長さが印象的だが、それよりも痩せすぎて肉よりも骨の方が浮き出ているので、そっちに目が行きがちになってしまう。
身体の発育も食糧事情が乏しいのか、起伏というものが無い。
なのでちゃんと顔を見れば、美少女といっても差し支えないのに、ぱっと見だと勝気そうな欠食少年という感じに見えてしまう。
「ほら、そこに座って、蒸かし芋とスープを食べなさい」
テグスとレアデールの視線に。固まったように動かなかったハウリナだったが、促されると素直に従って朝食を取り始めた。
スプーンやフォークなどは使った事が無いのか、少し冷えた蒸かし芋を手掴みで食べ、スープを皿の端を掴んで口に付けて豪快に飲んでいく。
その勢いは、誰にもこの食事を渡してなるものか、と言う気概が透けて見える程に、必死な食べっぷりである。
「はふぅ~~……」
芋の欠片やスープの滴すら舐め取るようにして食べ終えたハウリナは、満足そうに息を吐き出す。
意外な事に、その声はちゃんと少女らしい可愛らしい声で、テグスは思わず驚いてしまった。
それを目敏くレアデールが見ていて、失礼だと言いたげにテグスの後頭部を一発平手で叩く。
「じゃあ朝ごはんも食べ終わったから、これからの事を三人で話し合うからね。テグスはそっちに座ってね」
「はーい……」
後頭部の一撃について抗議をする前に、レアデールに機先を奪われてしまい、テグスは渋々指定された場所に座る。
ハウリナもレアデールに指定された椅子へと座り、話し合いを静かに待つ。
「さて、先ずは自己紹介ね。私はレアデール、この孤児院のお母さんよ。まあテグスもハウリナちゃんも知っているでしょうけど」
「えっと、テグスです。先日十三歳になって、《鉄証》持ちの《探訪者》になりました。迷宮は《小一》から《小五》まで攻略済みです。それと……いまは、魔術と魔法の勉強をしています。目標はここの《大迷宮》までを攻略して、別の《迷宮都市》に行く事です」
レアデールから視線で指示を受けたテグスは、普通に自己紹介を始める。
内容は特筆するべき事は無いが、この無難さこそがレアデールの教育の賜物である。
そしてテグスの自己紹介が終わり、最後はハウリナの番になる。
「ハウリナ。《白狼族》の支族で《黄牙》の民。十三歳……奴隷……」
少女の声ながらも固い口調で自分の事を話すハウリナ。
その最後の一言には、テグスでは言い表しようの無い、彼女だけが抱える悔しさが含まれていた。
しかしテグスは日常では聞きなれない言葉に首を傾げる。
「奴隷って、この《迷宮都市》であったんだ。《外殻部》には奴隷商なんて店、無かったけどなぁ?」
ビクリと奴隷の言葉にハウリナが反応するが、テグスがいま言った奴隷というのは、奴隷制度の事を指している。
「そうね、この《迷宮都市》には法律なんて無いから、奴隷制度も存在しないわ。だから入るのに厳しい条件がある《中心街》と《外殻部》には、奴隷商は入れないのよ」
「と言う事は《雑踏区》にはあるって事?」
「法律が無いのだから、奴隷を売り買いしても良い、っていう考え方なのよね。お金に困っている流民や難民に子供を売らせたり。孤児なんかを攫ったりして。そういう子たちを奴隷にして売っているのよ。でもね法的拘束力が無いから、頼みは『奴隷枷』の魔法効果だけな状況なの。だから《雑踏区》で商売しても、逃げられたりして上手く行かないと思うんだけど。何故か無くならないのよね~」
テグスもその奴隷枷の事は知っている。
奴隷の主人が持つ『命令の指輪』と一対の魔法道具で。主人がその指輪を発動すると、奴隷枷が奴隷自身の魔力を吸い、軽い衝撃を奴隷に与える機能がある。
鞭打ちよりも安全かつ跡が残らない上に、きちんと奴隷に痛みは与えるので、調教用として奴隷制度の有る国で普及している。
しかし錠前の知識があったり、五則魔法の知識があったりすると、簡単に外せる程度の枷なので、外して脱走する奴隷の数も多いという。
そんな事を《中心街》で《探訪者》をしていた、元逃走奴隷の剣士が食堂で酒に酔って管を巻いていた時に耳にしていた。
「じゃあ、ハウリナはもう奴隷じゃないんだよね?」
「そうね。首に枷は無いし、奴隷って証明出来る様な物があったとしても、ここでは法律が無いから実質無効だしね」
「――? 何を言っているのか分からない」
テグスとレアデールが持つ、この《迷宮都市》――《ゾリオル迷宮区》の常識を、その外からやってきたらしいハウリナは知らないらしく、此処までの認識に齟齬が生まれていた。
「えーっとね、もうハウリナちゃんは、奴隷じゃないって事は分かった?」
「分かった。なぜかが分からない。奴隷として、迷宮に連れて来られた」
「奴隷という身分制度がないから、ここでは奴隷は居ないんだよ」
「奴隷が無い? 奴隷は居る。ここにも沢山居た。檻の中に居た。主人、奴隷買った」
ハウリナが《迷宮都市》でも奴隷商に会って、彼女の『主人だった人』が新しい奴隷を買ったってことだろうな、とテグスは内容を理解した。
レアデールもちゃんと内容を受け取ったらしく、ハウリナの目を見て言い聞かせるようにして言葉を紡ぐ。
「それは勝手に人攫いにあった人を売っているだけなの。だから奴隷じゃないのよ」
「本当に、本当に。ここ、奴隷は無い?」
「ええ、無いの。だからハウリナちゃんはハウリナちゃんとして生きられるのよ」
するとハウリナは暫し呆然とした後で、何かを堪えるようにぐっと目と眉に力を入れて、俯いてしまう。
その顔をテグスに見せないようにするためか、レアデールはその両手の内にハウリナを入れ、ぎゅっと強く抱き締める。
テグスはこんな時はレアデールに任せておけば良いと、孤児院で育った経験上分かっているため、木杯を三つ用意してその中に水を入れていく。
そのまま静かに時が過ぎ、レアデールの身体をハウリナが軽く押した事を合図に、二人の身体は別れた。
てっきり泣き腫らした目をしていると思いきや、ハウリナは更に意志の強さを瞳に出し、その視線でテグスを射抜く。
まさか睨まれるとまでは行かないものの、そんな強い視線を向けられるとは思わなかったテグスは、思わず一歩後ろへ下がってしまった。
「助けて貰った、聞いた。迷宮から」
「え、あ、はい。確かに助けたけれど」
「命の恩、命で返す。《白狼族》の掟。あなた、新しい主様。前のと違う、命懸ける」
ハウリナは言いたい事は言ったと晴れやかな顔をし、テグスの足元の地面に伏せて地面に額を擦り付ける。
それは犬が新しい群れの主の足元で服従するような、迷い人が偉大なる先導者に最大の敬意を払っているような、そんな厳かな雰囲気があった。
しかしまだ十三歳と若いテグスに、ハウリナの突拍子も無い言動を受け止めるだけの度量は、悲しい事にまだ育ってなかった。
「えっと、その、行き成り主様とか言われても、困っちゃうんだけど」
「駄目か?」
「駄目って言うか。だってたかが――」
「テグス。黙って受け入れて上げなさい」
迷宮で助けただけじゃないか、とテグスが言葉を続けるより先に、レアデールは拒否を認めない口調で言い放つ。
言葉の内容に驚いたテグスは、思わずレアデールにどう言う事かを尋ねようとして、聞き分けの無い子を叱る時の笑顔が浮かんでいるのを見て止めた。
この笑顔の時に変に抗議しようものなら、レアデールの怒りに触れる事を、テグスは良く知っていた。
普段怒らない人が怒るとより怖い法則は、レアデールにも当てはまり。それは軽くここの孤児の心の傷になるほど。
だからこそ、何時まで経ってもこの孤児院を出た人々は、レアデールに頭が上がらずに「お母さん」呼びを続ける羽目になる事になっている。
「分かった。ハウリナの新しい主になって上げる」
「良かった。生涯、付き従う」
「待って。主になるからには、色々と決めなきゃいけないことがあるから、良く聞いて」
「聞く。どんな事でも良い」
ハウリナの元主に関する事とかを、この時に聞きたかったテグスだったが、それを匂わしただけでレアデールがキツイ目を向けるので、こちらも諦めた。
それからテグスはレアデールも交えて、ハウリナと色々と話し合って取り決めをした。
結果として、ハウリナの主呼びを禁止し、テグスと名前で呼ぶ事を決めたり。 《探訪者》として、ハウリナはテグスと一緒に行動することになったり。テグスはその手伝いをする為に、一旦《小迷宮》の攻略を休む事になったり。言葉が怪しいハウリナに、レアデールが他の孤児たちと共に言葉を教える事になったり。
他にも細々とした事が沢山決まった。
そんな色々と決める最中でも、レアデールはハウリナという新しい子供が出来た事が一番嬉しそうだった。