172話 久々の《雑踏区》
《探訪者ギルド》の回状に載りはしたが、特に緊急性はなさそうだったので、テグスたちは一夜を《中心街》の宿で過ごした。
《大迷宮》で溜まった疲れを大分癒して起き、朝食を食堂でたっぷりと取る。
その食事の際に、テグスが回状のことを話して、今日はこれから全員で孤児院に行くことに決まった。
「孤児院にいくのは、かれこれ二季振りぐらいだっけ」
「もっとじゃ、ないです?」
「少なくとも、わたくしが加入しましてからは、《雑踏区》にも入ってはおりませんね」
「に、二季前だと、テグスお兄さんと、《中一迷宮》で再会した頃です」
「だとしたら~、《雑踏区》に入るのがかな~。そのちょっと前に《ティニクス神怒像》と戦ったときに入ったけれど、孤児院にはいかなかったはずなの~」
「何気に私は初めてだと思いますが、テグスが育ったという孤児院に行くのは」
「えっ、じゃあ、一巡年ぐらいぶり?」
テグスが改めて記憶を遡ってみると、確りと孤児院にいたと覚えているのは、前の人狩りの頃だった。
そして、今年の人狩りの時期は、天候具合から判断すると、いまから一巡月か二巡月以内に起こりそうだ。
「そんなに経ってたです?」
「レアデールさんが心配して、回状に載せるはずなの~」
「育てていただいた親にご心配をおかけするのは、よろしくはないかと思われますよ」
「ほら、寄付は度々してたから、生きているのは分かってたはずだし」
テグスは慌てて言い分けをしたが、追撃は緩まなかった。
「ですが魔石稼ぎに奔走してましたよね、この二巡月ほどは」
「あ、あの、お、お母さんは、大事にした方がいいかなって」
「……はい、ごめんなさい」
気弱であまり喋りたがらないアンジィーにまで言われてしまい、テグスはがっくりとうな垂れた。
その姿を見て、ティッカリは微笑ましそうな表情をして、垂れた頭の後ろを撫でやる。
子供扱いを受けて憮然としながら、テグスは《成功への大通り》を進んでいった。
《外殻部》の関所を抜けて《雑踏区》に入った。
少し道を先に進んだ途端――
「俺らの糧になれ!」
「装備を全部よこせー!」
「武器だ、とにかく武器を奪え!」
「女子供だけだ、組み付けばどうにかなる!」
「ガキのくせに、いいものと女を持ってんじゃねーぞ!」
関所を通ることで油断する人を狙ったのであろう、物陰に隠れていた五人の男たちが、棒切れを手に口々に喚きながら襲ってくる。
実際に、気弱なアンジィーと《雑踏区》が初めてのウパルは、唐突な襲撃に身動きが止まっていた。
「いつになく、荒い歓迎だねッ!」
「死ぬと、いいです!」
「そんな武器じゃ、通じないの~」
素早く抜いた長鉈剣で一人を斜めに斬り、相手より素早く振られた黒棍が頭蓋骨をへこませ、突き出された殴穿盾は棒を砕き内臓を潰した。
「投剣が有効ですね、この距離だと」
三つ死体を乗り越えて攻撃しようとする残りの二人に、アンヘイラは弓を手放して投剣を三本ずつ投げる。
どの投剣も胸元に集中して当たり、服と臓器を切り裂いた。
「――げぶぁ、ごぼはぁ」
「――あかっかく」
片方は両方の肺に損傷を受け、呼吸の度に盛大に口と鼻から血を吐き出した。
もう一方は心臓が切り裂かれ、ひきつけを起こしたように固まると、その場に崩れ落ちる。
生き延びられたら面倒事に繋がるため、テグスは長鉈剣の先で全員に止めを刺していった。
「咄嗟の動きがとれず、申し訳ありませんでした」
「ご、ごめんなさい」
「謝らなくていいって。こんな場所で襲ってくる人なんか、普段はいないんだから」
死体にした男たちがやけに殺気立っていたのが気になり、テグスが周囲に目を向ける。
二人、視線を受けて逃げ出した。
「ウパル、あの人を捕まえて」
「――! 畏まりました」
逃げる片方を指を刺しながらの唐突な要請に、ウパルは驚きながらも直ぐに応える。
振られた手の袖から伸びた《鈹銅縛鎖》が、テグスが指した人の首に巻きつく。
締まった首で息を詰まらせて、たまらずにその男は背中から地面に倒れ込んだ。
この間に、テグスはもう一方へ投剣を投げようとして、遮蔽が邪魔で出来ない。
「風の精霊さん、あの逃げる人に、この矢を当てて欲しいんです」
そこに機械弓を装填し終えたアンジィーが、精霊魔法を使用した短矢を放つ。
空中を跳ぶ矢は、鳥のように遮蔽物を右に左に避けて進み、逃げようとする人の背中に突き刺さった。
「ぎぃやああぁぁ、あがあががががが」
悲鳴が途中から痙攣したものに変わったのを聞いて、テグスはそっとアンジィーの腰元を見た。
精霊魔法を使うための羽根が入った筒の蓋の他に、毒液の蓋も開かれている。
「染まってきましたね、純真そうなアンジィーも」
「え、あ、あの、なにか変でしたか?」
「いい機転だったと思うの~」
人相手に躊躇いなく毒矢を放ったことを、染まったと評されたことに、テグスは微妙に納得いかないといった表情を浮かべる。
「それで、こちらのお方はどういたせばよろしいのでしょう?」
「くそが。はなせ、放せよこのヤロウ!」
引き寄せられる《鈹銅縛鎖》に引きずられる男が、罵声を浴びせてきた。
テグスは演技で、凄く仕方がないという顔をした後で、男に見せ付けるように口元を歪ませる。
「それはもちろん――どうして襲ってきたか、お話を聞かせてもらわないと」
「お話をお聞きするのは、大変得意でございますので、お任せいただけたらと思います」
「お、おい、なにをする積りだ。やめ、やめろ、なんでこんな格好を」
ウパルが手馴れた様子で、《鈹銅縛鎖》を男の手足に巻いて拘束していく。
やがて蛙のような、足を折って股を開いた状態で座らせ、上体を倒させて地面に額をつけるような格好にさせた。
「矢をうけたの、持ってくるです」
「護衛に着いていくの~」
「ほら行きますよ、アンジィーも」
「え、あの、はい」
どんなことが始まるか知っているハウリナたちは、知らないアンジィーを引き連れて、短矢が背中に刺さった死体を運びに向かう。
「襲った理由がございましたら、早めに仰ってくださいましね」
「や、やめ、やめてえあおおおおおおおおおお!」
ウパルが振り上げた足で、拘束した男の股間を蹴り上げた。
「早くなさらないと、再起不能になってしまわれますよ?」
「は、はなす、理由を話あああああああああ!」
「少々言葉を放つのが、遅おございましたね。それで理由はなんなのでございましょうか」
「はなすから、はなすからああああああああ!」
「そうやって、わざと引き伸ばそうとなさるなんて。もっと蹴って欲しいということでございましょうか」
「違っ、ちがあああああ! はなすはなすはなすううううう! やめやめやめえええあああ!」
不必要な言葉一つごとに蹴り上げられ、男は伏せたまま衝撃を受けた腰を上げ下ろしする。
呻き脂汗を流して暴れるその背を、長鉈剣を持ったテグスは踏んで固定しながら、周囲の人が襲ってこないか気を配る。
そうして時間が少し過ぎると、顔からは涙と鼻水を、股間からは血尿を垂れ流しながら、男が理由を語りだした。
酷い泣き声な上に、詰まる度にウパルが蹴り上げるので、途切れ途切れの言葉を繋ぎ合わせる必要があった。
「前の年に、軍で人狩りをしたから、今年もそうだろう。早く安全な場所に逃げないといけない。一番簡単で早いのが、《雑踏区》から《外殻部》に行くこと。だから、商人や《探訪者》たちから装備を奪って、《小迷宮》を全て攻略しようとした。って事でいいのかな?」
「は、はいいい、はいいい。その、ど、通りですううううう――ほぁわああああああ!」
理由を喋り終えて気が抜けたところに、ウパルのつま先が股間に突き刺さった。
その後で、股間から血が溢れてきた男から《鈹銅縛鎖》を回収すると、うつ伏せから仰向けに蹴り転がす。
白目をむいて大きく開けられた口に、吹いた泡が溜まっていた。
「ふぅ、これにて更生が完了いたしました」
やり遂げた感じ一杯に息をするウパルの横で、テグスは幻痛を感じたのか腰を軽く引いていた。
「戻ったです」
「死体は持ち去られた後だったの~」
「探しましたね、随分とあちこちを」
「ざ、《雑踏区》って、こ、こんなに悲鳴が聞こえる、ば、場所でだったっけ?」
拷問が終わるのを待っていたらしいハウリナたちが、軽く怯えるウパルを伴って戻ってきた。
「それで、理由はなんだったです?」
「人狩りの季節が近くなってきたから、《小迷宮》の攻略に武器と防具が欲しかったんだってさ」
「……バカ、です?」
「普通に考えたら、《外殻部》から戻ってくる《探訪者》に、適うわけないって分かるはずなの~」
「だからこそなのでしょうね、この場所を選らんでの不意打ちは」
「強盗という悪辣な行為に及ばずとも、《迷宮》という着実に力をつける道を、神がお示しくださっていらっしゃるというのに。嘆かわしいですね」
「うぅ……ご、ごめんなさい……」
ウパルの批判に、アンジィーは過去に裏技の『連れ回し行為』で命を落としかけたことがあるので、少し申し訳なさそうにしていた。
再び孤児院までの歩きだすと、《雑踏区》往来には多くの人が行きかっているのがわかる。
多くは、手に粗末な武器を持ち、作ったばかりに見える《仮証》をつけて、《小迷宮》のある方角へ走っていく。
時折、外から武者修行に来たと思わしき、整った装備をしている人が、自信たっぷりに歩いているのも見かけた。
「それにまぎれて、襲ってくる人もいる、っとッ!」
「あぎゃああああああああ!」
人狩りの時期が間近だからか、良い装備を持っている人に、物陰から襲う事案も多いようだった。
視線を巡らせれば、道の端々に哀れな犠牲者か返り討ちにあった襲撃者の死体が、多数見かけられる。
いまテグスが斬り殺した、欠けた壷で殴りかかってきた男も、そんな路傍の死体の中に加わることになった。
「いい加減、めんどいです」
「組しやすそうと判断されそうですからね、我々の見た目では」
「こっちには得るものがないから、襲ってこないで欲しいけどね」
軽く殺した男の懐を漁り、何もないことを確認したテグスが、足で横に蹴り退かした。
テグスたちが通り過ぎると、うかがっていた住民が死体に群がり、服から髪に至るまでを奪っていく。
ウパルは歩きながらも軽く振り返り、彼らの所業を痛ましそうな目で見つめる。
「たびたび《雑踏区》の住人をそんな目で見てるけど、どうにか救えないかとか考えていたりする?」
テグスは歩む速度を落としてウパルの横に並ぶと、軽い口調でどこか咎めるような言葉をかけた。
すると、ウパルは首を横に振って返してきた。
「いいえ。あの方たちは、《静湖畔の乙女会》が更生させるべき悪漢とも、慈悲を与えるべき善良者ともお見受けできません。ですので、どの様な立ち位置を己に科せば良いのか、見当がつかないのでございます」
《中三迷宮》にある《静湖畔の乙女会》で育ったウパルは、《雑踏区》住民の気質に戸惑っているようだった。
「うーん……教義に関係がないんだったら、気にしなければいいと思うよ。変に手助けすると、次も次もって来る人が多いし」
少しの実感と注意を含んだ言葉に、ウパルは少し考える顔をしてから頷く。
それは納得したというよりかは、考察の材料として受け入れたといった感じに見受けられた。
二人の話に聞き耳を立てていたのか、アンヘイラも速度を緩めて近づいてきた。
「対応を考えるだけ無駄ですよ、生き足掻いているだけの人たちへの。そもそも区別できるものではないでしょう、全ての人を善と悪とに」
「確かにその通りでございますね。しかしながら、善と悪との区別に悩み考えるのもまた、《清穣治癒の女神キュムベティア》を信奉者たるものの務めでございますので」
返された言葉を聞いて、アンヘイラは処置なしと言った顔で肩をすくめた。
前を歩いているハウリナたちも聞いていたのか、苦笑いに似た表情を浮かべる。
テグスたちの間に軽く弛緩した空気が流れ、ウパルがどうしたのかと小首を傾げた。
「きあああああああああああああ!」
これを油断していると判断したらしい一人の中年女が、物陰から飛び出して奇声を上げながら、折れて尖った角材で突撃してきた。
テグスが投剣に手を伸ばす前に、《鈹銅縛鎖》が素早く中年女の四肢を縛り上げてしまう。
「あまりに思い悩むのは悪いことであると実感いたします。このような方にも同情すべき背景があるのではと、考えてしまいそうでございますし」
「なによ、なによ。こんなことして良いと思っているの!!」
「こんなこととは、どんなことでございましょうか。まだ、何もしてはおりませんのに?」
薄っすらと笑うウパルの表情を見て、中年女が怯えたように四肢を縮み込ませる。
「なに、なにをする積りなの!? お、同じ女なのに、なにかするっていうの!!?」
「良い芽を育むためには、畑をよく耕さねばならないことを、ご存知でございましょうか」
かみ合っていないような返答の後で、アンジィーの目と耳をティッカリが押さえるのと同時に、ウパルが中年女性への更生を始めたのだった。




