157話 二十七層に着いてみると
多少の危険はあったものの、テグスたちは順調に二十五層と二十六層を進んでいく。
沼地に現れる《放電鯰》、《硬泥河馬》、《巨鋏喇蛄》、《誘引蔓蓮》、《跳蹴沼蛙》――五種との戦いも段々と慣れてきた。
「矢で射抜けば簡単ですしね、《放電鯰》の頭と《誘引蔓蓮》の花は」
「《跳蹴沼蛙》は飛び掛ってきた時に、殴っちゃえば簡単なの~」
「だから警戒するのは、身体が硬い《硬泥河馬》と《巨鋏喇蛄》だけでよくなったね」
「でも、まとまって襲ってくるの、危なかったです」
沼地に住む《魔物》は、大きな音をたてると寄ってくる特徴があった。
テグスの爆炎の五則魔法でなくても、《魔物》が大きな悲鳴を上げたりすると、あっという間に集まってくる。
なので、危うく囲い込まれそうになったのも、一度や二度ではすまなかった。
「でも、その特性を生かして、わざと集めて乱獲する《探訪者》の人たちもいたよね」
「恐ろしいことですが、あの方々には余裕があるように見受けられました」
「防具の素材回収でしょう、《硬泥河馬》の皮と《巨鋏喇蛄》の殻を集めていたので」
「たぶんだけど~、普段はもっと下の層で活躍している人たちだと思うの~」
もっと実力をつけないといけないと、下の層では通用しないのだろうなと、テグスは自分を評価する。
差し当たっては、近寄ってくる《硬泥河馬》二匹と《放電鯰》一匹の群れを、素早く倒すことを目標に戦い始めた。
時間をかけながらも、安全に実力を高めながら進み続けた。
そして二十七層へ向かう階段の前で、天幕を使った長めの休憩を入れることにした。
「《硬泥河馬》の肉よりも、《跳蹴沼蛙》の方が美味しいね」
「脂っぽい豚です」
「次からは、防具になる皮以外はいらないかな~」
「灯り用の油の需要がありそうですね、地上でならばですが」
「あの、お、美味しいと、おもいますけど……?」
「水出しで恐縮ですが、試作いたしました《誘引蔓蓮》の葉のお茶をご賞味下さいませ」
テグスが魔術で軽く調理した肉を食べつつ、ウパルが煎れたお茶を飲む。
喉を通り鼻に抜ける蓮の葉の匂いと、すっきりとした味わいに、心が落ち着いていく。
お茶の効果なのか、食事を終えるとアンジィーが眠気で頭を揺らし始めた。
仕方がないので、ウパルと一緒に最初に天幕で休ませることにする。
「それにしても~、なんでここで休憩を入れたの~?」
「そうです。まだ、夕方です。まだ先に進めるです」
眠りに入った二人を起こさないように、ティッカリとハウリナが小声で疑問を投げかけてくる。
テグスは手のお茶を口に含んで、唇と喉を湿らした。
「《大迷宮》の十層からは、だいたい三層事に出てくる《魔物》が変わってきたからだね。二十一層からは、見ての通り河から沼地に変わった。用心のためにも、ここで疲れを出来るだけ癒しておきたいんだよ」
「より強くなると予想したのですね、次の層に出てくる《魔物》たちが」
「正直に言って、僕らが怪我なく進むには、限界に近くなってきた。もし、二十七層で《魔物》と戦ってみて苦戦するようなら、引き返さないとね」
「出来ることなら三十層の《階層主》を倒して~、神像を使って帰りたいかな~」
「どっちでも、戦うのは変わらないです」
得意げに言い放ったハウリナに、テグスは苦笑いを浮かべながら頭を撫でてやる。
疑問点も解消され、撫でられる気持ちよさからか、ハウリナは大きなあくびをした。
「僕ら三人で警戒するから、ハウリナも天幕で寝てていいよ」
「仕方ないです。寝て休むです」
目に浮かんだ涙を腕で拭いつつ、ハウリナは天幕の中へと入って直ぐに寝入ってしまった。
寝つきのよさに、テグスとティッカリにアンヘイラは顔を見合わせて忍び笑いをする。
その後、静かにしているからか《魔物》の襲撃は少なく済み、半日ほどで交代しながら全員が睡眠を取ることが出来た。
減った腹を、《巨鋏喇蛄》と《放電鯰》の身を食べて膨らませる。
装備と持ち物の点検をした後で、二十七層へと下りていく。
階段の途中から、テグスは嗅ぎなれない匂いを感じた。
塩漬けされた魚が入った樽に似た、薄く生臭い匂いだ。
「なんだろう、この匂い……」
「嗅いだことない、変な匂いなの~」
テグスの疑問の声に同調するように、ティッカリだけでなくウパルとアンジィーも首を捻る。
すると、ハウリナは自慢げに、アンヘイラは素っ気なく、匂いの正体を明かす。
「これ、海の匂いです」
「海があるのでしょうね、《迷宮》に造る意味が分かりませんが」
これが海という場所の匂いかとテグスが感じ入っていると、アンジィーが混乱したような目になっていた。
「え、あ、あの、海って、遠くにある、大きい水溜りの海ですか?」
「すっごく、広い水溜りです」
「恐らくそこまで広くはないでしょう、地上の海とは違い《迷宮》の大きさには限りがあるので」
《迷宮》に海があるという事実を上手く飲み込めないのか、アンジィーの目は白黒している。
階段を下りるたびに強くなる匂い。
テグスとティッカリは初めて見る海を楽しみなのか、二人の歩みは弾んでいる。
一方で、同じ初めてでもウパルとアンジィーは生臭くも感じる匂いのせいか、少し気分が悪そうな顔をしていた。
「見えてきたです」
階段の終わりが近づくと、砂を撒いているような音が繰り返し聞こえてくる。
二十七層に降り立って見渡すと、高い天井に浮かぶ光球からの光を照り返す、透明度の高い青い水で一面が覆われていた。
「うわー……これが海か……」
「本物、もっと大きくてすごいです」
通路代わりに曲がりくねって伸びる砂浜に、水が繰り返し押し寄せては引いていく。
その時に発せられる音が、あの砂を撒くように聞こえるようだった。
この光景にも圧倒されるのに、地上の海はもっと広いとなると、どうなるかテグスには想像がつかなかった。
ティッカリは、水が押し寄せた時に手をつけ、濡れた手を舐める。
「うぇ~、本当に水が酷くしょっぱいの~」
ぺっぺっと吐き出しながら、濡れた手を振って水気を落とす。
「しかしながら、足場の砂が真っ白で綺麗でございますね」
「こんなに白い砂は珍しいですね、地上の海岸でも」
ウパルはしゃがみ、砂浜に手を入れてすくい上げる。
閉じた指の隙間から零れるように、白砂が流れ落ちて、光を反射してキラキラと光る。
「うわー、綺麗……」
見ていたアンジィーが、真似をして砂をすくっては落とすを繰り返す。
その目はまるで、おとぎ話を聞かされる幼子のような、夢に満ちたものだった。
テグスたちはアンジィーの様子に苦笑いを浮かべつつ、道行きの先に視線を向け直す。
「この砂浜をずーっと進んでいけば良いみたいだね」
「ところどころ曲がっているけど、一本道のようかな~」
「ですが砂地ばかりではないようですね、岩場や水に沈んでいる所もありますし」
いつまでも景色を見ているわけにも行かないので、テグスたちは砂浜の通路を歩き始めた。
歩いてみると、場所によって打ち寄せる水に削られたり盛られたりしたかのように、道幅は一定ではなかった。
水に濡れて灰色っぽくなっている場所も含めると多少は広くなるが、砂地の広さは最大で並んで十人ほど、最小で三人ほどとなっている。
「なんか、歩きにくくないかな?」
「荷物と体重で、砂に足が取られるの~」
砂が柔らかいので、歩くたびに足が踝の深さまで埋まる。
その分だけ、足に力を入れて踏み出さなければならない。
海が初体験の方は、慣れるまで苦労しそうに見える。
「そのときは、ぬれたところを歩くと良いです」
「ですが足が濡れますよ、波が寄せてくるので」
試しに水に濡れた場所を歩いてみると、適度に砂が締まっていてさほど足が埋まらない。
だが、足を濡らす押し寄せる水が、時々脛の真ん中ぐらいまでくるので、また別の歩きにくさがあった。
どちらを歩くにしても一長一短があるが、テグスたちが選んだのは乾いた砂浜を歩く方だった。
「恐らく水の中から《魔物》が出て来るんだろうし、あえて近くにいる必要はないよね」
「どんな《魔物》が来るか分からないから、用心した方が良いの~」
しばらく歩いていると、ハウリナが獣耳を動かして、直ぐに戦闘態勢に入った。
「テグス、来たです」
ハウリナの警告から直ぐに、水面から銀色をした魚の《魔物》が数匹飛び上がってきた。
水が砂浜に押し寄せる音と飛沫にまぎれるように、近づかれていたようだ。
大きさはテグスの小剣と同じぐらいだが、長い胸鰭を広げて空中を滑空しながら、テグスたちへ向かってくる。
「みんな、避けるか武器で打ち落として!」
テグスは嫌な予感がして、全員に言い放つ。
自身は小剣を素早く抜いて、空を滑空する魚の《魔物》に斬りつけた。
《魔物》は身体を少し傾げて、飛ぶ向きを変えると、小剣と鰭を打ち合わせる。
まるで金属同士がぶつかったような音がして、テグスの腕と《魔物》はお互いに弾かれた。
「あおおおおおおん!」
「させはしません」
「とや~~~~~~~」
ハウリナは黒棍をウパルは袖からの《鈹銅縛鎖》を風車のように回し、ティッカリは殴穿盾を装備した腕を振って打ち落とそうとする。
アンヘイラとアンジィーは、服に砂がつくことを考えずに、身を低く伏せる。
魚の《魔物》は胸鰭を傾けて軌道をそらして大半が避けたが、不運な一匹が黒棍に当たって砂浜に落ちた。
跳ねて水の中に戻ろうとするのを、アンヘイラが投剣で仕留める。
「この《魔物》の胸鰭、やけに硬かったから注意して!」
「……どうやら硬化しているようですね、攻撃に用いるために」
武器を構えながらのテグスの言葉に、仕留めた魚の《魔物》を調べたアンヘイラからの報告が入る。
「やっかいです!」
「十字槍の矛先が、水の中から飛んでくるようなものかな~」
ティッカリの的確な表現に、厄介さを再認識する。
しかし、魚の《魔物》は待つことなく、再度水面から飛び上がり襲い掛かってきた。
全員しゃがんで避け、やり過ごす。
「でも、戦い方が突撃一辺倒なら戦い方はあるよね」
「もう見切ったです!」
「叩き落してあげるの~」
「投剣が有効でしょうか、弓矢よりかは」
テグスは小剣を仕舞い、両手に一本ずつ投剣を握る。
ハウリナは砂の足場を確かめるように、軽く足踏みを繰り返す。
ティッカリは複装鎧に守られてない場所に、殴穿盾を構える。
アンヘイラは両手に複数の投剣を持ち、水面に視線を向ける。
「私たちは、テグス様たちにお任せしておきましょう」
「え、あの、いいのかな……?」
有効打の手段が思い浮かばなかったのか、ウパルが提案する。
アンジィーは役立とうとする気はあるようだが、足手まといになるのもいやなのか、提案に乗って砂場に身を低くして伏せる。
すると、まるで準備を待っていたかのように、再び魚の《魔物》たちが水面から飛び上がって滑空してくる。
今回の軌道はまとまっておらず、顔を狙うものや足元を狙うものまでに分かれていた。
「ばらばらな軌道の方がありがたいんだよねッ!」
テグスは、ぎりぎりまで近寄らせてから左右の手甲で殴りつけ、一匹ずつ砂浜に打ち落とした。
飛び跳ねて戻ろうとするのを、握っていた投剣でそれぞれ仕留める。
「少し変化しても、むだむだです!」
ハウリナは黒棍を振るって、襲いくる三匹の軌道を変えさせる。
曲がった軌道を見切り、脛当てをした右足を素早く三度蹴り上げる。
腹の下に軽く当てられ、突進の威力を失い、空中をただよう魚の《魔物》たち。
ハウリナは引き戻した黒棍を三度上げて下ろして、全てを砂浜へと叩きつけた。
「その程度の切れ味は、意味がないの~」
ティッカリは防御を固め、魚の《魔物》にわざと突撃させた。
合計三匹が当たったが、どれもティッカリの複装鎧と殴穿盾に阻まれて傷を負わすことは出来ない。
しかも、当たった衝撃で滑空力が尽きたのか、砂浜に落ちてしまう。
見逃さすに、ティッカリは殴穿盾で上から押しつぶすように殴り潰す。
「曲芸ですけどね、こちらの技は」
飛んで向かってくる二匹の《魔物》に、アンヘイラは右手を振るって二本の投剣を放つ。
胸鰭を操作して向きを変えた瞬間、左手から放たれた別の投剣が当たった。
体勢を崩したそれぞれの《魔物》に、再び投剣が投げつけられ、胴体部に突き刺さった。
「これで襲ってきたのは全部かな?」
一瞬の攻防の内に、全ての魚の《魔物》を倒し終えても、テグスは周囲を見渡して警戒を続ける。
だが、獣耳で周囲をうかがっているハウリナの警戒が解けるのに合わせて、全員身体の力を軽く抜いた。
そして、倒した《魔物》を調べる。
「魚です。頭とヒレが硬いです」
「この長い胸鰭は、ナイフみたいに鋭利なの~」
「トビウオが元でしょうか、この形状からすると」
ハウリナが胸鰭を広げて見せてくる。
触れてみると、長い胸鰭の骨組みも張った膜も、鉄のような硬さがあった。
頭も硬く、感触は鉄杭の先端に似ている。
「なんだか、より面倒な相手になってきたね」
「他の《魔物》も、恐らくもっと面倒になってくるはずなの~」
「ですが、戦えないほどではないでしょう、この程度の《魔物》の強さならば」
危険そうな胸鰭を斬り落とし、背負子に回収しながら話しあう。
「あ、あの。危険なら、引き返してもいいのかなと思うんです……」
「でも海の幸、美味しそうです」
「二十七層でもう少々、他の《魔物》とも戦ってみるのはいかがでしょうか」
テグスは皆の意見を聞いてから、少しだけ考え込む。
「もう少し戦いを続けてみよう。警戒しながら進めば、倒せないことはないかな。酷い怪我をしそうなら、撤退すればいいし」
この決定に、不服層というよりは心配そうな目をしたのは、アンジィーだけだった。
大丈夫だと知らせると同時に安心させるように、テグスはアンジィーの頭を軽く二度叩いてから、先へと進み始めた。
 




