155話 二十四層――沼地
到着した二十四層は、情報どおりに沼地だった。
見渡す限りに濁った水溜りが延々と広がり、藻や蓮に似た植物が浮いている。
沼の上に浮かんでいる筏かと錯覚するほどの低い橋が、くもの巣のように方々に幾つも架けられている。
この橋の広さは、横に人が四人どうにか並べる程度で、二十一から二十三層までの橋に比べて、やや細くなっていた。
「うっかりすると、沼地に落ちそうだよね」
「橋の近く、深くないです」
橋の横を覗き込んでいたテグスの横で、ハウリナは沼に突き刺していた黒棍を引き抜いていた。
濁った水で汚れているのは、全体の四分の一ほど。
橋の近くは、テグスの脛の真ん中ぐらいの深さのようだ。
「また橋の上に、罠があるのかな~?」
「う~んと、あるけど《七事道具》を持っているから動かないんじゃないかな」
試しにと、テグスが見つけていた橋の落とし罠の上に飛び乗る。
少し待っても動かないことを確認して、《七事道具》をハウリナに預けてから、再び罠の端に足を乗せた。
罠が発動するまで待ってみると、ばね仕掛けの箱蓋のように橋板が跳ね上がり、危うく足を跳ね上げられそうになって沼に落ちてしまうところだった。
「あ、危なかったー。一回見逃したら、泥だらけになっちゃうのか……」
「ですがやさしくなってませんか、むしろ上の層で橋から落ちるよりも」
「あ、あの、もしかしたら、ですけど……橋から離れると、もっと深いんじゃないかなって……」
アンジィーの予想に、なるほどと頷いたテグスはハウリナから黒棍を預かった。
そして裾をまくってから橋を降りて、沼に足をつける。
ゆっくりと慎重に橋から離れるように進むと、数歩でテグスの膝までの深さになった。
軽く身体を前に出してから、黒棍で深さを探ってみる。
どうやら橋からの距離に比例して深くなるようで、十歩先ぐらいで腰辺りの深さになっている。
「仮にあの罠で沼地に投げ出されたら、濁った水で深さが分からなくて慌てちゃうかも」
「もしも浮き草の根が身体に絡むなど起きましたら、より混乱に拍車がかかると思われますね」
「まあ、僕らは心配しなくても良いんだろうけけどね。『水よ滴れ(アコヴィ・ファリ)』」
テグスは汚れた足と黒棍を、魔術で生み出した水で洗い落とす。
「ありがとう、助かったよ」
「おやすいごようです」
黒棍の水気をボロ布で拭いてから、ハウリナへと返した。
沼地の中を進むべきではないと分かったので、テグスたちはおとなしく橋の上を歩いていく。
歩いて一定距離を進むと、橋の上が汚れた水で濡れている場所にも遭遇する。
罠の近くだったので、恐らく落とされた《探訪者》たちが、引き返してきた跡のようだ。
「ですが、沼地を突っ切れないのは不便ですね、目と鼻の先に別の橋があるというのに」
「横着する人を沼に引きずり込むのが、目的なんじゃないかな?」
微妙な距離を保って架けられた橋たちも、恐らく精神的な罠の一種だろうとテグスは予想した。
その考えが正しいと証明するように、《探訪者》の道具らしき物が、浮き草の間に絡まっているのが目に入る。
仲間内で、橋の上を進むのが一番安全だと再認識し合ってから、ずんずんと先へと進んでいく。
橋の上は二十一から二十三層の時のように、《魔物》は出ない――というわけではないようだった。
「テグス、橋にのぼってきてるです」
獣耳を動かして音を聞いていた、ハウリナから注意が飛んだ。
進行方向の橋の上には見当たらないので、テグスが周囲を確認する。
平行するように走る別の橋上に、大きな蛙と甲殻類に鯰の《魔物》が這い上がろうとしているところだった。
「えーっと、あの特徴だから、《跳蹴沼蛙》と《巨鋏喇蛄》に《放電鯰》かな」
その三種の《魔物》は総じて身体が大きかった。
《跳蹴沼蛙》と《放電鯰》は大男が蹲っているような大きさで、《巨鋏喇蛄》が鋏を振り上げた姿はティッカリより一回り大きい。
「この足場であの巨体と戦うのは、大変そうだね」
「え、あ、あの、戦うんですか?」
「それはそうなの~。戦わないとやられちゃうの~」
「沼の生き物、泥くさくて苦手です……」
「何物も調理次第で、美味しく変えられるものでございますよ」
「生かしたまま泥吐きさせる積りですか、あの《巨鋏喇蛄》を」
別の橋に居るので、テグスたちはのんびり観察しながら先へ進もうとする。
すると、ざぶんと水に何かが入る音がした。
全員で振り向くと、三種の《魔物》が沼を泳いでテグスたちの方へと泳いでくるのが見える。
「《探訪者》は沼に入れないのに、《魔物》は自由に行き来できるんだ」
「しょうがないです、戦ってやるです!」
「《巨鋏喇蛄》の相手はお任せなの~」
「《放電鯰》とは相性が良くなさそうでございましょうし、《跳蹴沼蛙》の動きを鈍らせるよう動かせていただきますね」
「なら矢を放ちますよ、《放電鯰》に先制です」
「は、はい。ちょ、ちょっと待ってください」
四十歩ほど離れた位置から泳いでくるので、テグスたちは迎撃の態勢を整えることが出来た。
「よく狙って、放ちます!」
「は、はい。放ちます!」
姿が魚だけあって泳ぐのが速かった《放電鯰》が、一番に橋に到着した。
しかし橋に上るのに、鰭では難しいのか手間取る。
そこに目を狙い済ました大ぶりな鏃の矢と、身体を狙った短矢が襲い掛かる。
「グーエーエーエーエー」
目と鰓の付近を射られて、《放電鯰》は鳴き声を上げながら沼地に落ちる。
汚れた水の下に入った瞬間、浮き草がバチバチと火花と音を立ててはじけ飛んだ。
この電撃に《跳蹴沼蛙》も巻き込まれたようで、橋の上に跳び乗ってきたと思いきや、腹を見せながら痙攣している。
テグスは《巨鋏喇蛄》が意外とゆっくりと沼を進んでいるのを見て、痺れている《跳蹴沼蛙》へ駆け寄る。
そして無言のままに、横合いから《跳蹴沼蛙》の胸部に長鉈剣を根元まで突き刺して仕留めた。
「《巨鋏喇蛄》と正面対決なの~」
長鉈剣を引き抜くテグスを守るように、ティッカリが走ってくる。
泳ぎきった《巨鋏喇蛄》は、尻尾を強く振って水に叩きつけた反動で、橋の上に飛び乗ってきた。
「と~~~やあ~~~~~~」
ティッカリは振り上げた殴穿盾を、着地したばかりの《巨鋏喇蛄》へ叩きつけた。
「ミギミギィィィィィーー!」
円錐状の顔の甲殻が弾け跳び、青い血がだらだらと垂れてくる。
だがこの一撃では絶命させるまでには至らず、《巨鋏喇蛄》はお返しとばかりに、人の顔三つ分はあろうかという鋏をティッカリに叩きつけようとする。
「根競べなの~~~~~」
振り下ろされる鋏に対して、殴穿盾で正面から殴り当てる。
破城槌が打ち合わさったような音が響き、両者の鋏と腕が弾かれる。
すると、逆側の鋏と殴穿盾が打ち合わされ、再び弾かれた。
「ミギミギミギミギィイイイイイイ!」
「とや~とや~とや~とや~~~~~」
双方とも引く積りはないのか、お互いに足を止めた殴り合いを止めない。
テグスは呆れた様子で見守りながら、橋に這い上がろうとしている《放電鯰》に投剣を四つ投げつけた。
他にも矢が二つ、短矢が一つ飛来して、その全てが《放電鯰》の顔周辺に突き刺さる。
どれが致命傷になったかは分からないが、力なくずるりと橋から落ちて、《放電鯰》は汚れた水に沈んでいく。
「これで終わりなの~~~~」
「ミギイイイイイイ――」
両方の鋏がボロボロになった《巨鋏喇蛄》へ、ティッカリの懇親の一撃が振るわれた。
最後の意地のように、《巨鋏喇蛄》は頭を突き出して一撃を見舞おうとする。
だが、その行為が災いして、《巨鋏喇蛄》の頭は粉砕されて、破片が沼の中へと落ちた。
頭を失い、重々しい音を立てて橋の上に身体が横たわる。
「ふぃ~~、強敵だったの~」
「随分と余裕そうだったけどね」
終わってみれば独擅場だったが、ティッカリと殴りあえるような《魔物》は初めてかもしれない。
さらに《放電鯰》は橋に上がらせる前に倒せたが、もし接近戦なら電撃で危険な相手だ。
醜態を晒した《跳蹴沼蛙》も、後足の腿はテグスの身体以上に太い。もし蹴られでもしたら、致命傷になるかもしれない。
「確かに二十四層から出るのは、ここまでで一番厄介な《魔物》のようだね」
「《魔物》より足場です。足元、見ながらじゃないと、落ちるです」
「足場が限定されてますからね、視界の広さの割りには」
「身動きを取れないようにしてしまえば、簡単だと思われます。次の機会には、この《鈹銅縛鎖》を期待してくださいませ」
唯一活躍の場がなかったウパルが、袖から出した《鈹銅縛鎖》を握り締めて意気込みを見せる。
「なら、お願いするね。でも、とりあえずは――」
「獲物の解体です!」
「沈みきる前に、《放電鯰》を回収しちゃうの~」
「でしたら、《跳蹴沼蛙》の毒性の有無を確認いたしますね」
「この場で食べた方が良いかもしれませんね、《巨鋏喇蛄》の砕けた爪の中身は」
「あ、あの、か、解体のお手伝いします」
テグスたちは思い思いの獲物へ取り付いて解体し、巨体に見合うだけの肉と素材を集めたのだった。
 




