142話 《護森巨狼》との訓練の日々
《中三迷宮》最下層にて、テグスたちは《護森巨狼》と訓練を始めた。
もっとも、訓練と思っているのはテグスたちの側だけで、《護森巨狼》にしてみればじゃれ合っていると思っていそうな風に見える。
「今度は、逃げきってやるです! 『身体よ、頑強であれ(カルノ・フォルト)』」
「あてんだんてえすかぴ」
《護森巨狼》に咥えられ投げられるのをくり返していると、ハウリナは身体強化の魔術を使って咥えられないように逃げ始める。
追いかけっこだと思ったのか、《護森巨狼》は嬉々と尻尾を振ってハウリナを追いかけ始めた。
「ハウリナが時間を稼いでくれている内に、体勢を立て直そう」
「怪我しないようにしてくれてるから~、鎧も武器も置いちゃった方が良いと思うの~」
「確かに少しでも身軽な方がよいでしょうね、どれほど効果があるか分かりませんが」
「《鈹銅縛鎖》を持っていても使用がありませんしね」
テグスたちは素早く入り口付近にまで戻り、背負子と自身の装備を一まとめに置いた。
「じゃあ、ハウリナちゃんを助けてくるの~」
「僕も一緒に行くよ。素手での戦いはあまりやったことがないけど」
「訓練ですので鏃を矢から取り除く作業に入ります、あれほど速い標的に当てる自信はありませんが」
「周囲を探して、使えるものがないかを探してまいります」
ティッカリとテグスは、ハウリナと遊んでいる《護森巨狼》へ向かう。
アンヘイラは一まとめにした荷物の付近で、矢筒から矢を全て取り出してから、五本ほどの矢の鏃をはずし始めた。
《鈹銅縛鎖》で《護森巨狼》を押し留める自信がないため、ウパルはここの場所に生えている草や石を調べて、何かに使えそうなものがないか探そうとする。
「にぃるどすくね♪」
《護森巨狼》は接近してきたテグスとティッカリを見て、嬉しそうに目を細める。
追い掛け回されていたハウリナが二人を見て気を抜いた瞬間に、《護森巨狼》の大きな口に咥えられてしまった。
「また、投げられるですううううーー」
「ティッカリ、受け止めてあげて。『身体よ頑強であれ(カルノ・フォルト)』!」
「任されたの~」
向かって飛んでくるハウリナをティッカリに任せ、テグスは身体強化の魔術を使ってから《護森巨狼》へ突っ込む。
「とろばすえねるぎあ」
一直線にくるテグスを迎え撃つように、《護森巨狼》は四足を地面につけて、軽く口を開けて噛み付こうとしてきた。
手加減されると分かっていても、口にぞろりと生えた牙を目の前に、テグスの背に鳥肌が走り冷や汗が浮かぶ。
迫る口に挟まれる直前に、テグスは地面を蹴って飛んだ。
《護森巨狼》の鼻面の上に乗せた足の下から、かちりと軽く歯が噛み合わさる音が聞こえてくる。
鼻を足がかりにして素手による攻撃をしようとしたテグスだったが、《護森巨狼》は軽く首を振って弾き飛ばした。
「うわわーーーー!」
「は~い、お帰りなの~」
飛ばされた先で待っていたティッカリは、テグスを豊かな胸の間に抱き止める。
「みぃあなぞまるぷら……」
《護森巨狼》は鼻の毛並みについた足跡を、持ち上げた前脚でこそぎ落とすようにして綺麗にし始める。
地面にテグスを下ろした後で、ティッカリは《護森巨狼》へと近づいた。
「よろしくお願いするの~」
ティッカリは挨拶をすると、綺麗になったばかりの鼻面を両腕で抱きかかえた。
まるで投げられたいと言いたげな行動に、テグスとハウリナは首を傾げる。
「ぎぃこんぱらすふぉーとじ」
一方で、《護森巨狼》はティッカリの考えを理解したようで、鼻面でぐいぐいと押し始めた。
「力比べなら負けないの~」
呟いたティッカリは、両足に力を込めて踏ん張って下がらないように耐えている。
一応は拮抗していた両者の力比べだったが、《護森巨狼》が四肢を動かし始めると、ずりずりとティッカリが下がり始めた。
「とおや~~~~~」
腕や足の筋肉を盛り上がらせて堪えようとするが、体格による重量差を埋めきることが出来ず、とうとうティッカリの体勢が崩れてしまう。
これで力比べはお終いと言いたげに、鼻面でティッカリを持ち上げると、テグスたちへと緩く投げてきた。
「ひゃう~~~~~」
高所恐怖症なティッカリは、空中を飛ぶ間は手足を縮み込ませて半泣きになっている。
落下地点にいる二人は協力して、体格が大きいティッカリを受け止めた。
満足気味な《護森巨狼》は、急に顔を動かすと口を開閉させて、ぱくりと何かを咥える。
咥えられているのは、羽が末端にある一本の細い木――つまり矢だった。
「ちっ、当てられませんか、不意打ちだったのに」
遠くの方で、アンヘイラは再び番えた鏃の無い矢を放つ。
咥えた矢をぽりぽりと噛んでいた《護森巨狼》は、飛来する矢を前脚を素早く動かして叩き落とした。
「出鱈目でしょう、まったく」
二つ矢を番えて同時に放つが、到達する前に《護森巨狼》が四足で横っ飛びしてかわしてしまう。
今の技量では当てられないと悟り、アンヘイラは弓を地面に置いて、両手を挙げて手段が無いことを示した。
「こうなったら、三人でやれるだけやるよ」
「やってやるです!」
「頑張ってみるの~」
「にぃるーだす♪」
テグスとハウリナが翻弄目的で素早く移動しながら素手素足で攻撃をしかけ、ティッカリが力を生かして痛打を与えようとした。
「食らえ、ええええええ!?」
「わおおおお、おわおお!?」
しかし、攻撃が体に当たったのに合わせた、身じろぎするほどの軽い体当たりで二人を吹っ飛ばす。
接近してきていたティッカリを、上から前脚の大きな肉球で押して力をかけていく。
「うみゅわ~~~~~~~~」
両手両足を踏ん張って耐えていたが、とうとう堪えきれなくなって、ティッカリは地面に倒れ込み、上から肉球で挟まれてしまった。
「るでぃふぃの、るでぃふぃの?」
前脚をティッカリからどかしつつ、《護森巨狼》はもっとと要求するような目を向けてくる。
テグスたちは手立てが無くなってしまったので、降参するように地面に手足を投げ出してしまうのだった。
テグスたちは《中三迷宮》の最下層に泊り込み、技量向上の訓練を続けていった。
朝に《護森巨狼》に《二尾白虎》を与えがてら、訓練に付き合ってもらう。
昼頃になり、天井の光球からの暖かな光で眠る《護森巨狼》を尻目に、テグスたちは仲間相手に戦う訓練を積む。
光球の光量が落ちて夜になれば、体を休めるために全員集まり、外套に包まって眠る。
この間の食事については、時折二十九層に上って《二尾白虎》や《五尾黒狐》を狩って確保した肉と、ウパルが採取した最下層に自生する青色の草や赤々とした小さな実を使った料理を食べていく。
「この草は披露を素早く回復させ、この小さな実は体を健やかに保つ働きがあるのでございますよ」
見知らぬ草や実を食べるのに抵抗が無かったわけではないが、ウパルが率先して食べている内に、テグスたちは当たり前に食べるようになっていた。
当初はこんな風に手も足も出なかった《護森巨狼》との訓練も、段々と成果が現れてきて、二巡週する頃には無様に投げ捨てられることは無くなった。
「てやあああああああ!」
「わおおおおおおおん!」
巨樹から落ちた枝を加工した、二本の木製の小剣をテグスが握り、木製の棍をハウリナが持ち、《護森巨狼》へ撃ちかかる。
胴体狙いではなく、四肢狙いの地を這うような低い軌道の走り方だ。
「あんかうにぃるだすびぐぇほでぃあう♪」
毎日相手にして貰えて嬉しいのか、《護森巨狼》は尻尾を大きく振りながら、前脚の肉球を二人に当てようと振り下ろした。
しかし、二人は素早く左右に避けながら前脚を手の武器で二・三度叩くと、また走り始めた。
木の武器ではさほど痛くも無いのか、《護森巨狼》は逃げる二人を四足で地面を蹴りながら追いかけ始める。
二人に追いつこうとした時、《鈹銅縛鎖》が横から《護森巨狼》の胴体に二重に巻きついた。
「《護森巨狼》様、申し訳ございません……」
「ウパルちゃん、よくやったの~」
ウパルは《清穣治癒の女神キュムベティア》の使いと崇める相手に謝り、横にいたティッカリが伸びた《鈹銅縛鎖》を両腕で力強く引っ張る。
横からの力に抗うために、《護森巨狼》は静止して脚を踏ん張った。
動きが止まった瞬間、二本の矢が顔を目掛けて飛来する。
「まるすとれちぃた」
《護森巨狼》は一本を噛み付いて止め、もう一本は額で弾き飛ばす。
「たあああああああーー!」
「あおおおおおおおおん!」
注意が逸れている間に、鎖で引っ張られている場所とは反対側から、テグスとハウリナが飛び掛って胴に攻撃を加える。
「おーぷっ、ぼなあたこ。ためん、じぃべぞなすいおんでいんげにえこ」
「これでもだめだったああああああー!?」
「わふぅううううううううううううー!?」
よろめき少し驚いた目をした後で、《護森巨狼》は二人を身じろぎの体当たりで吹っ飛ばした。
続けて、体に巻かれた鎖を咥えて、思いっきり引っ張る。
「ひゃわ~~~~~~~~~」
「許してくださいませーーー」
ティッカリとウパルの足が地面から離れて宙を泳ぎ、テグスとハウリナが落ちた草むらへと落ちていく。
《護森巨狼》から視線を向けられたアンヘイラは、降参を示すために弓を掲げて矢を手放して訓練が終了した。
訓練が終わったので《護森巨狼》は大きなあくびをすると、中心部にある巨樹の木陰の下で寝始める。
段々とテグスたちが手強くなるのがも嬉しいのか、尻尾は常に機嫌よさそうに揺れ続けていた。
今日も軽くあしらわれたと、テグスたちの訓練に一層の力が入る
《中三迷宮》最下層に到着してから、冬が開ける直前の一巡月の間、テグスたちは訓練として《護森巨狼》戦い続けた。
地上に戻ると決めていた日にも、《護森巨狼》相手の訓練をしていたが――
「ああー。結局、決定打を一つも打てなかった……」
「速すぎです、強すぎです……」
「力比べで、負け通したのは初めてかな~」
「力は向上はしているんですけどね、矢を一・二発当てられるようになりましたし」
「《護森巨狼》様を倒せる人など、いらっしゃられるのでしょうか?」
地面に大の字に寝転がる面々の横で、《護森巨狼》は毛についた草や土を身震いで振り落とした。
「みぃえすてすさぷらじたぽるえすちまっれびた」
「倒された、すごいと言ってるです」
「倒したといっても、引き倒しただけだしね……」
ウパルが巻きつけた《鈹銅縛鎖》をティッカリが引っ張り、身体強化の魔術をかけたテグスとハウリナが体当たりして、《護森巨狼》を横倒しにすることに成功しはした。
だが、少し本気を出した《護森巨狼》が素早く立ち上がり、尻尾を追いかけるように体を回転させたのだ。
襲いかかろうとしたテグスとハウリナは弾き飛ばされ、《鈹銅縛鎖》を掴んでいたティッカリとウパルは引きずられ、アンヘイラの放った矢は胴体の毛並みに弾かれてしまったのだった。
「なんだか締まらない終わりだけど、今日地上に帰るって決めてたしね」
「《大迷宮》で力つけて、もう一度来るです!」
「でも、《大迷宮》にも《護森巨狼》が出るって話があったはずなの~」
「なら、一層勝てるようにしなければなりませんね、《大迷宮》の《護森巨狼》に会う前に」
「《清穣治癒の女神キュムベティア》様の使いたる《護森巨狼》様と、戦いたくはないのでございますけれど」
荷物をまとめて立ち上がったテグスたちに、《護森巨狼》は悲しそうな目を向ける。
「きゅびじゃむふぉりりす?」
行かないでと言いたげな目に、テグスたちの罪悪感が刺激された。
しかし、地上に戻って《大迷宮》の二十一層以下へ進むという目的がある。
「ごめんね。でも、お別れしなきゃ――ジス、レヴィド」
「びぐるぽ じすじす……」
「今までありがとうなの~、じすじす~」
「じすじす、お別れです」
「《護森巨狼》様。名残惜しゅうございますが、じすじす、でございますよ」
「びねぽばすえすちへるぴた……えすちすあむぜ、じすぽすて」
お互いに名残惜しい雰囲気のまま、テグスたちは中央部にある巨樹の洞の中に入る。
名残惜しそうにする《護森巨狼》の見つめる前で、《清穣治癒の女神キュムベティア》の神像の腕の中にある、六本の中から三本の《癒し水》を引き抜く。
《護森巨狼》が注意の言葉を発しなかったため、《癒し水》をそのまま受け取り、背負子の隠し箱の中に収める。
そして、神像に《祝詞》を上げ、テグスたちは一瞬にして最下層から地上近くへと戻ったのだった。
 




