139話 ウパルの特技
《中三迷宮》の攻略に一巡月もかけていたので、テグスたちが地上に戻ると《迷宮都市》は冬真っ盛りだった。
「うわぁー、気温がすっかり冬だよ」
「はーー、息が白いです!」
「人通りもまばらになったの~」
「開いていない商店も多いですね、警備らしい人の姿はありますけれど」
「さ、さむい。身体が冷えてきました……」
景色を眺めながら《合成魔獣》毛皮の外套の前合わせをかき寄せていると、ウパル一人だけがガタガタと身体を震わせていた。
「そういえば、ウパルは外套持ってなかったね」
「は、はい。出来るなら、火急に暖まれる場所に、行けたらと思っております」
「仕方ないの~。とりあえず、外套を貸してあげちゃうの~」
あまりにも震えが凄いので、ティッカリが見るに見かねて脱いだ外套を着させてあげた。
「あ、ありがとうございます。身体に巻いている《鈹銅縛鎖》が外気で冷えて、どうしようと思っておりました」
「金属は冷えるもんね」
「ティッカリ、だいじょうぶです?」
「熱がこもり易い全身鎧だから~、多少寒いぐらいで我慢できるの~」
「《二尾白虎》の毛皮で外套を仕立てましょう、目指すは《中町》の《白樺防具店》でしょうか」
「なら、ウパルの《白銀証》を《探訪者ギルド》の本部で手に入れないといけないね。そうすると先ずは、《中三迷宮》を攻略した印を刻んだ《青銅証》を、支部で貰わないと」
とりあえず、冬の風を遮る壁がある《探訪者ギルド》の支部に向かった。
「《護森巨狼》は倒してないので赤い魔石はない。けれど攻略した証拠はあるから、印を刻んだ《青銅証》が欲しいと」
しかし、支部の職員は露骨なまでに難色を示してきた。
「やっぱり赤い魔石じゃないと駄目ですか。この《護森御笛》では証になりませんか?」
「安物の笛にしか見えませんし、《中三迷宮》を攻略した際に手に入るのは《癒し水》だったはずですし……」
つまりは《癒し水》を見せろと言っていると理解して、テグスは背負子の隠し箱の中から出して見せてやった。
「開封された様子もないですし、この透明度のある瓶は《癒し水》で間違いありませんね。最初からこちらを出していただければ、すんなり事が運んだんですよ」
テグスに教え諭すような物言いで、職員は棚から《青銅証》を取り出すと、攻略の印を鏨を打ち付けてウパルへ手渡した。
用は済んだのでテグスが《癒し水》を仕舞おうとすると、職員から静止の声が飛んできた。
「ちょっと仕舞うのは待ってくれないか。《癒し水》を売却して欲しいんだ」
「……なぜだか理由を聞いてもいいでしょうか?」
取りに行くのに一巡月は最低かかるため、売る積りはさらさら無かったが、テグスは理由次第では売っても良いと思っていた。
「冬の間は病気になる事が多くて、用心のために需要があるんだよ」
「病気で死のうとしている人が居るわけではないんですね?」
「《依頼》なら、常に大商店主から出ているよ」
提示された報酬金額は、一瓶で金貨で十枚。
だが、テグスにとって魅力的に見えないものだった。
「悪いですけど、こちらも怪我や病気をしやすいので売れません」
「くっ……し、仕方がありませんね。《探訪者》は怪我とは無縁ではいられないものですからね」
あっさりと提案を蹴ると、職員は一瞬だけ信じられないものを見た目を向けていた。
職員の態度に気がつきながらも、テグスは隠し箱の中に《癒し水》を戻し、用件は済んだので支部を出て《大迷宮》の《中町》へ向かうのだった。
《外殻部》の道を行き、《中心街》の関所を通ろうとするテグスたちに、後ろから遠くから声がかけられる。
空耳かもと思いながら振り向いてみると、《探訪者》らしき皮鎧に外套姿の七人の男女が近づいてきていた。
軽く警戒をしながら、彼らが近づいてくるまで関所の前で待つ。
「はあはあ、よかった追いついた……」
先頭を走っていた盾と戦棍を持った男性が、安堵交じりの荒い息を吐きだす。
彼の仲間たちも安堵したような表情で、汗を拭ったり外套に冷たい空気を入れたりしている。
仕草から、あだ討ちや追い剥ぎの類ではないと判断して、テグスは少しだけ警戒を緩めた。
「僕らを呼び止めた用件を聞いてもいいですか?」
「ああ、それは、だね。《癒し水》を、譲ってもらえないかと思って、追ってきたんだ」
息を整えながらの言葉に、テグスは少しだけ嫌そうな顔をした。
《探訪者ギルド》支部の場面を、彼の仲間の誰かが見ていたのだろう。
彼らのように《癒し水》を狙う人が出てくるだろうから、テグスは職員に最初は見せなかったのだった。
「譲る、ですか。流石に貴重なものなので、タダでは渡せませんよ?」
「分かっている。相場には足らないだろうが、金貨と銀貨を用意してある」
恐らく、彼らの全財産が入っているのであろう皮袋を見せてくる。
テグスは皮袋を一瞥するだけで視線を外し、目を盾と戦棍を持つ男へ向ける。
「お金の前に、先ずはどうして《癒し水》が欲しいのか理由を聞かせてもらえますか?」
「え、あ、ああ。仲間の一人がこの寒さで悪い風邪をひいてな、もう一週間も寝込んだままなんだ」
「他の薬を試してみたりは?」
「もちろん試した! だが、あまり効果が無いし、冬で品薄になっている上に高くて……」
つまり、効くか分からない高価な薬を買い続けるより、全財産を叩いてでも《癒し水》を手にした方が良いと思ったのだろう。
理由を理解して、事情が事情だからとテグスが《癒し水》を取り出す前に、ウパルが男の前に進み出た。
「先ずは自分に、その方の診察をさせて頂くわけにはまいりませんでしょうか」
「き、君が診察するのか?」
歳若いウパルの申し出に、男は不審そうな顔をする。
「はい。《清穣治癒の女神キュムベティア》を信奉する《静湖畔の乙女会》の一員として、病に苦しむ方を癒したく思っております」
男と彼の仲間たちは、《静湖畔の乙女会》の名称を聞いたことが無かったのだろう、どうしようかと顔を見合わせている。
「……分かった、案内しよう。どう看病すればいいかも分からない状態だからな」
だが、駄目で元々、いざとなればテグスの《癒し水》があると考えたのか、最終的に同意を返してきた。
彼らに案内されて向かった先は、《外殻部》のとある少し古めの一軒家だった。
「この中に居るんだ」
家の中の、とある薄暗い一室。
ベッドの上に何枚も毛布を被せられた、二十代の女性が一人苦しそうにしていた。
「では、少々診察したく思いますが?」
「ああ、頼む」
ウパルだけが中に入り、女性の腕を取って脈を指で調べ始める。
脈を計っている間にも、目で女性の顔色を、鼻を動かして匂いを確かめていた。
診察が終了して、ウパルが戻ってくる。
「ど、どうだ?」
「性質の悪いものに罹っておられます。ですが、脈は強く匂いに死臭が混ざっておられませんので、回復の見込みはございます」
「そ、そうか、なら――」
「《清穣治癒の女神キュムベティア》様の至宝とも言うべき《癒し水》を、使うまでもございませんね。普通の薬で十分かと思われます」
ウパルが断言するように言うと、思わずといった感じに男の手が胸倉に伸びた。
「おい、話を聞いてなかったのか! 薬を与えても直らなかったといっただろ!?」
「話は最後まで聞くものでございましょう?」
ウパルの袖から《鈹銅縛鎖》が伸び、男の足首に巻きつくと地面へひっくり返した。
投げ出された男を見て、彼の仲間が武器に手をかける。
それより早く、ウパルが胸倉を掴まれたときにはもう、テグスたちは武器を構えて向けていた。
一触即発の空気に、ウパルがいさめるように手を上げて双方を押し留め、床に転がる男へと視線を向ける。
「性質が悪いと申しましたでしょう。凡庸な薬師の薬など、ものの足しにはなりは致しません」
「なら、どうしようも――」
「なので、自分が薬を調合いたしましょう」
思いがけない言葉に、男と彼の仲間たちの身動きが一瞬止まった。
「そ、その薬を飲めば直るっていうのか?」
「明日には熱が引き、明後日には普段と変わりなく過ごせるようになると保障いたします」
「その薬が毒でないと証明できるのか!?」
「同じ薬を自分が服用しても宜しいですし、病状が悪化した時には《癒し水》を使えば宜しいではございませんか?」
ウパルが噛んで含むように諭すと、男たちは納得した表情を浮かべた。
「では薬の材料を書くのに、何かお持ちではございませんか?」
「え、いや。俺らは文字を書いたり読んだり出来ないからな……」
「紙とインクのあまりがあるから出すよ」
テグスが背負子から紙とペンとインクを出して手渡した。
ウパルはすらすらと淀みなく文字を書き連ねると、それを男へと渡そうとする。
しかし読めないのだったと思い出し、手の行方をさまよわせてからテグスへ手渡した。
書かれた内容を見たテグスは、難しそうな顔をする。
「なにか、大変です?」
「う~ん、知らない名前があるの~」
「一つ二つ貴重なものがありますね、冬の《迷宮都市》で手に入るでしょうか?」
「これって、粉にしたのでもいいの?」
「はい、構いません。調合するので、粉の方が有難いぐらいでございますよ」
「なら粉屋にならあるかな……」
《白銀証》を手に入れる際に訪れたきりの、粉にしたものなら何でもある粉屋でなら、書かれた物が全部揃いそうだと考えた。
「な、なあ。本当に薬を作ってくれるのか?」
いまだに床に座り込んだままの男に、ウパルは《清穣治癒の女神キュムベティア》のような慈愛ある微笑みを浮かべる。
「効くか不安もございましょうから、材料はこちらで揃えましょう。お代は完治してから、お心持ちを下さればと思います」
「薬の材料費はこっちの持ち出しって……まあ、仕方がないよね」
目の前に品物がないのに、お金を渡すなど《迷宮都市》ではあり得ない。
初対面の相手ならなおさらだ。
「じゃあ、材料を集めてくるから、ハウリナたちはウパルの側で手伝ってあげて」
「分かったです!」
「任せてほしいの~」
「手伝うなら私たちの方が良いでしょうね、病人が女性なのですから」
初対面の相手の家に、ウパル一人だけを残す真似はしない。
テグスは一人、《外殻部》にある例の粉屋へ向かって走り出したのだった。
材料費で銀貨が十数枚飛んだが、書かれた材料は全て手に入った。
テグスが戻り、ウパルに手渡すと早速ウパルは調合を始める。
「ウパルは計量用の匙を使わないの?」
「話しかけないで下さいませ。集中した気が散ってしまいます」
ウパルは手馴れた調子で各種の粉を木の器に入れて調合していくが、全てが指や手で掴んでの計測だった。
大雑把に見える調合の仕方に、治療を頼んだ男と仲間たちだけでなく、テグスたちも心配な気分になる。
「これで調合は終わりにございます。これを清潔な水か、魔術で生み出した水に溶かし飲ませるのです」
「飲料水の魔術なら使えるよ。『水よ滴れ(アコヴィ・ファリ)』」
テグスが指先から出した水を、別の木の器の中へと入れて見せた。
ウパルは指で調合した薬をすくい、テグスの手にある水の入った器へ入れて溶かす。
「これを飲ませれば呼吸と汗が落ち着き、安らかな眠りによって体力も戻ってきましょう」
「そ、そうか。で、でもな、あいつに与える前に毒見をしてもらえるか?」
「もちろん、毒見をさせていただきましょうとも」
ウパルは薬水を一口飲み、時間を置いて毒ではないと証明した。
男は確認をし終えると、大慌てで寝込んでいる女性へ薬水を飲ませる。
器の中身が飲み干されて少し時間が経つと、息苦しそうだった女性の呼吸が落ち着き、安堵したような表情で眠り始めた。
「す、すごい。熱も少し下がってる……」
「同じ薬を、今日明日明後日の三日飲ませれば、完治できると思われますよ」
「なら、その間はここに居て貰えるだろうか?」
「はい、構いませんけれど……」
ウパルの伺う視線にテグスは首を縦に振った。
「その間に、ウパル用の毛皮外套の作成を頼みに、単独で《中町》に行ってこようかな」
「一人で、大丈夫です?」
「《中町》までなら一人でも大丈夫だよ」
「いってら~しゃい~」
「無事に戻ってきてください、まあ心配するだけ無駄でしょうけれど」
心配そうなハウリナの頭を撫でつつ、テグスは久々に一人だけで《中町》へ向かうのだった。




