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137話 《中三迷宮》の《迷宮主》――《護森巨狼》

 二五層からも一層を進むのに一日ずつ消費していたので、最下層の三十層に到達した頃には、《中三迷宮》に入ってからほぼ一巡月が経過していた。

 《迷宮主》が出てくる場所の手前に設けられた、小部屋状の場所で、テグスたちは小休止していたわけなのだが――


「『汚れよ落ちろ(マルプジャロ・プルギ)』」

「なんでウパルは、身奇麗にしようとしているの?」


 テグスたちが装備の点検をしている最中、ウパルだけは白い衣服についた土汚れを清潔の魔術で落とそうとしていた。


「《迷宮主》は《護森巨狼》様と申しまして、自分たちにとっては《清穣治癒の女神キュムベティア》様の聖域を護る守護獣でございますよ。薄汚れた格好では失礼だと判断したのです」

「倒すべき《魔物》だよ?」

「例えそうであろうと、例は尽くさねばならない相手でございましょう」


 意気込む様子から、恐らくウパル自身は初めて《迷宮主》である《護森巨狼》を見るのだと分かる。

 仕方がないと、ウパルが満足するまで身奇麗にさせた後で、テグスたちは《迷宮主》が出てくる場所へと入った。

 中はもう天井の光球からの光が降り注いでいて、全体を明るく照らしていた。


「結構な広さがあるけれど、真ん中に大きな樹木があるね」


 今までの《階層主》の場所よりも二回り以上広い場所の真ん中に、人が二十人集まって手を繋いでも周回できないほどの太い幹の巨樹が立っていた。


「少し暖かくなったです」

「ちょっと暑いの~」

 

 この中の気温は、《中三迷宮》の中では一番に高い。

 だが、不快なまでに暑いわけではなく、夏手前のような日光浴をしながら眠るのに丁度良い気温だった。


「ほら、あちらが《護森巨狼》様でございますよ」

「……狼なのでしょうか、単なる茶色な丘のようですが?」


 ウパルが指差した先は巨樹の根元、こんもりと丘のように盛り上がった薄茶色い物体。

 《護森巨狼》だと知ってからよくよく見ると、風音だと思われた呼吸音と共に、薄茶色の毛皮が上下に動いていた。

 身体の構造と配置を考えて観察すると、黒い肉球の四つ脚と幸せそうに眠る狼の顔も確認できる。

 しかしながら、狼といわれても直ぐに気づかないほどに、《護森巨狼》は大きかった。


「《下級地竜》より一回り小さいぐらいだよね?」


 丸まって前脚に顎を乗せて寝ているために、大きさが良く分からない。

 少なくとも、家数件分の身体の長さと、長さに見合った頭の高さを持っているように見えた。


「がば~っと口を開けたら、頭から一飲みにされてしまいそうなの~」


 ティッカリの感想に反応したわけではないだろうが、《護森巨狼》が眠そうに大あくびをする。

 生え揃った大きな尖る牙や赤々な口内が晒され、確かに人一人を頭から足まで咥え込みそうな大きな口を持っていた。


「テグスの魔法で攻撃してみてはどうでしょう、熟睡中なようですし」


 近づくのは危険だと思ったのか、アンヘイラからそんな提案がされた。

 この場所があまりにも暖かくて良い日差しだからか、テグスたちが入ってきているのに、巨樹の木陰で眠る《護森巨狼》は起きる素振りはない。

 なら一撃で仕留めれば大丈夫かもと、テグスは爆炎の五則魔法を使うために《補短練剣》を抜こうとした。

 しかしその手の動きは、誰かに掴まれて止められてしまう。

 テグスが振り返ると、腕を掴んでいるハウリナが青白い顔をして、首を必死に左右に振っていた。


「あ、あれ戦うのダメな狼です。あれ見たら逃げるです」


 必死に懇願するハウリナに面食らいながらも、テグスは《補短練剣》に伸ばしかけていた手を止める。

 勝気な性格があるハウリナが、ここまで戦いたくないというには理由があるはずだと思ったのだ。


「ハウリナは、《護森巨狼》をどこかで見たことがあるの?」

「に、似たの見たです。森の主だったです。見たら逃げる教わるです!」


 要するに、ハウリナが奴隷になる前、狼獣人の《黄牙》の民の住む場所で、同じような大きな狼を見たらしい。

 そして《黄牙》の民はその大きな狼を畏れて、見かけたら逃げるように伝わっているようだ。


「う~ん、でもここに入ったら、通路は閉じられちゃうわけだし……」


 テグスが確かめるように入ってきた場所を振り返ると、開いたままになっていた。


「あ、あれ?」


 通常なら閉じられているはずなので、テグスは面食らった顔をした。

 それを間近で見ていたウパルが、微笑みを向ける。


「《中三迷宮》をお造りになられた、《清穣治癒の女神キュムベティア》様は慈悲深い神ですので、身の程を弁えている方々はお助けくださるのでございますよ」

「つまり《迷宮主》から逃げられるんだ?」

「はい。自分たち《静湖畔の乙女会》の信徒の中には、祭神の使いとして《護森巨狼》に祈りを捧げ帰る者もいるのですよ」

「えッ。じゃあ、《護森巨狼》とは戦わないの?」

「なぜ戦う必要があるのでしょうか。相手は襲い掛かってくることもなく、寝ているのですよ?」


 ここに入る前、ウパルが聖獣と言い表していた理由が良く分かった。

 信奉する教義通りに、《護森巨狼》は身の程を弁えずに挑もうとする人以外は殺さないようだ。


「ちなみに、どれだけ強いかは知っている?」

「一言だけ、死ぬ積りがございませんのなら、お勧めしません」

「ですです、戦わないほうがいいです!」


 二人して止めるので、テグスは高めていた戦う気が削がれてしまった。

 ティッカリとアンヘイラも、死ぬと言われて戦いたくはないようで、戦う積りがなくなったようだ。


「じゃあ、どうしようか。引き返す?」

「そうするのがいいです!」

「倒せない相手なら帰りましょう、牙や毛皮は良い武器と防具の素材になりそうで勿体無くはありますが」

「あとは《中三迷宮》攻略のご褒美も気になるけど~、仕方ないかな~」

「ちょっとお待ち下さいませ」


 全員で仕方がないと帰ろうとすると、ウパルが押し留めた。

 どうしたのかと視線を向けると、内緒話をするかのように手招きをしてくる。

 訝しみながらも、テグスたちはウパルに顔を寄せた。


「実は、戦って勝たずとも《中三迷宮》は攻略可能だという話がございます」


 変なことを言い出したと思いつつも、ウパルが伝える方法を試してみることにした。




 《護森巨狼》が居る場所に入って四半日。

 天井に浮かんでいた光球の光が、夕暮れを知らせるように段々と弱くなってきた。


「この場所で、本当にこれをしていいのかな」

「危なくなったら、すぐに逃げるです!」

「試すだけなら大丈夫かな~」

「やってみるのは大事ですよ、何事にしても」

「聞いた話では大丈夫なので、安心して行ってくださいませ」


 五人の前には、拾い集めた巨樹から落ちた枝を組んだ木組みがあった。

 その横には、皮を剥いだ姿のまま太い枝で貫かれた《二尾白虎》がある。


「じゃあ、着火するよ。『明かりよ灯れ(ヘラエ・ファジオ)』」

「枝を持つ役目は任せるの~」


 テグスが木組みに魔術で着火し、火が大きくなっていく。

 ティッカリは焚き火の上に、太い枝に刺した《二尾白虎》をかざして焼き始めた。

 より薄暗くなる中、焚き火の炎に照らされながら、《二尾白虎》を丸焼きにし続ける。

 焚き火に枝を足す頃には、《二尾白虎》の肉が焼けるいい匂いが漂ってきた。


「まだ、寝てるです」


 ハウリナがじっと見守る先には、確かに《護森巨狼》が静かな寝息を立てている。

 アンヘイラとウパルも警戒を続ける中で《二尾白虎》を焼き続け、天井の光球の光量も段々と落ちてくる。

 やがて、光球の光が満月の光程度まで落ち込むと、《護森巨狼》が目を開けた。


「テグス、起きたです!」


 獣耳と尻尾の毛を逆立てて、ハウリナが警戒する声を出した。

 テグスが枝を焚き火に追加しながら見てみると、大樹の下で《護森巨狼》が立ち上がり、首を上に向けて背伸びをしていた。

 次に《護森巨狼》は、大口を開けて欠伸をしてから、身体に着いた水を飛ばす時のように全身を大きく振るわせる。

 そこでようやくテグスたちに気がついたのか、顔が向けられる。

 狼の《魔物》なのに、目には理知的な光が灯っていて、まるで言葉が通じそうな雰囲気があった。

 漂ってくる《二尾白虎》が焼ける匂いを嗅ぐように鼻を動かすと、《護森巨狼》の姿が掻き消える。

 どこに言ったかとテグスが左右を見回した後に、上へと視線を向けた。

 天井の光球を遮るようにして、《護森巨狼》が空中を漂いながらテグスたちの方に近づいてきている。


「――――!?」

「ほぁ~~~~?」


 思わず腰の小剣に手が伸びかけたが、テグスは意識して手の動きを変えて、枝を焚き火に入れる行動にした。

 ティッカリもまさかあの巨体が跳ぶとは思わなかったのか、ぽかんとした顔のまま見上げている。


「がるがるるるるぅぅぅ……」

「無理ですね、矢で迎撃なんてとてもとても」

「流石、《清穣治癒の女神キュムベティア》の使いでございますね」


 ハウリナは全身の気を逆立てて、小さくぐるぐると喉を鳴らして警戒をみせ、アンヘイラは手にしていた弓と矢を仕舞い始め、ウパルは感動した目を向けている。

 程なくして、テグスたちの間近に着地した《護森巨狼》は、腹の減った狼のように《二尾白虎》の丸焼きをじっと見つめる。

 そして、テグスたちを一巡見回して、視線をテグスに固定しゆっくりと口を開いていく。


「ておえすたすぼんぐすてが」


 《護森巨狼》の口から聞こえてきた声に、テグスだけでなくハウリナやティッカリも驚き、アンヘイラにいたっては絶句していた。

 唯一ウパルだけは、さらに目を輝かせている。


「うみゅ、びぃはばすびあじんぼおとじんこんだきある?」


 テグスたちが反応を返さないと、《護森巨狼》は困ったような目をしながら、何かを探すようにキョロキョロとし始める。

 ようやく驚きから脱して、頭が回りつつあったテグスは、《護森巨狼》が喋るのが古代語に似ているのに気がついた。


「ボンヴォル、パロリ、イオム、プリ、マルラピデ」


 とりあえず、本当に古代語なのか分からなかったので、『ゆっくり話してください』という古代語の定型文をテグスは喋ってみた。

 すると、《護森巨狼》は少し驚きの顔をした後で、人懐っこい犬のような顔をしてきた。


「みぃえくすぴりす。びぃでばすこんぷれにみあじんぼろとんじん」

「えーえーっと、ボンヴォル、パロリ、イオム、プリ、マルラピデ」


 早口でまくし立てられてしまったので、テグスは再び同じ古代語を繰り返すしかなかった。

 すると、ハウリナが横に立って《護森巨狼》の方に顔を向ける。


「ぽヴぁす ぱろり。えすたぶらす」

「びぃかぱぶらすこめばっく。ちぅびぃえすたすべすとでほもじ?」

「べすとでほもじ、るーぽ。ヴぉらす ヴぃあんど?」

「じぇすじぇす。みぃすとまこれどぅきちす、ねどぬあるみもろみちえでぼんぐすたじょまんぢぁじょじゅ?」

「あてんでぃ。えすとろ でまんでぃ」


 なぜかすらすらと受け答えをするハウリナに、全員が驚いた顔を向ける。

 会話が一段落したのか、ハウリナがテグスに顔を向けてきた。


「ハウリナって、古代語喋れたっけ?」

「話したの《白狼族》の言葉です。《護森巨狼》も似た言葉だったです」


 どうやら厳密には同じ言葉じゃないらしいが、似ているから意思疎通が可能らしい。

 ハウリナの言葉がたどたどしい理由が、違う言葉を元々使っていたからだったんだと、テグスはいまさらながらに知った。

 あらぬ方向へ飛んでいるテグスの思考を戻すためか、ハウリナがぐいぐいと手を引っ張ってきた。


「それより、この焼いた肉、あげちゃダメです?」

「上げるって、《護森巨狼》に?」

「お腹減ってるです」


 テグスが思わず《護森巨狼》へ顔を向けると、まるで腹が減った時のハウリナのような、懇願する瞳を浮かべて見返してきた。


「構わないというか、元々上げるって話だったしね。えーっと、ヴィ ボン アテチト」


 通じるかと思いつつ、古代語で『どうぞ食べてください』と言う意味の言葉をかけると、《護森巨狼》は嬉しそうな顔をした。

 話を聞いていたティッカリが手の《二尾白虎》の丸焼きを掲げ揚げる。

 《護森巨狼》が大口を開けて、丸焼きを枝ごと全て口の中へ収め、ぼりぼりと骨ごと噛み砕き始めた。

 食べっぷりと嬉しそうな様子に、テグスは思わず食事中のハウリナを幻視してしまい、はやり狼同士だなと変な納得を覚える。

 丸焼きをごくりと飲み込んだ《護森巨狼》が、再びキョロキョロとし始めて、こんどはハウリナに視線を固定する。


「みびぃんまるじぇんちぇぺち、ちゅびぃねびだすぷりまんじょんあるみ?」

「テグス。お代わり欲しい、言ってるです」

「えーっと、じゃあティッカリの背負子の中にある、他の《二尾白虎》をだそうか」

「は、は~い。あと三匹《二尾白虎》はあるの~。足りなかったら《五尾黒狐》もだしちゃうの~」


 テグスの指示を受けて、ティッカリは背負子から腑抜きされた《二尾白虎》を取り出した。

 すると、《護森巨狼》は嬉々として生のまま一匹丸齧りにし始めた。

 毛皮を剥ぐ前だったので勿体無い気もしたが、誰も《護森巨狼》の食べっぷりを前に、いさめることなど出来ないのだった。


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[気になる点] 「例えそうであろうと、例は尽くさねばならない相手でございましょう」 ⇒礼は尽くさねば ――――― 誤字報告不可なため、報告を頻繁にやり辛い。 見つけた誤字は両手で足りない。
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