10話 魔法を行使してみましょう
魔術の練習を迷宮でやり、見事に修めたテグスは支部へと戻ってきた。
受付に居たのは、テグスには余り面識の無い男性職員だったので、帰りがてらに集めた水石を換金してもらう。
全部売り払っても鉄貨で二枚にしかならなかった。
そのついでを装って、テグスは魔法の本と魔術の本を借り、それに紙とインクにペンを鉄貨十枚払って手にする。
支部内で空いている椅子に座り、まず開いたのは魔術の本。
身に着けたもの以外で良い魔術が無いかを探し、見つけた『血抜き』と『静音』に『温熱』の魔術を紙に書き入れる。
その他にも『糸通し』や『脱穀』に『洗濯』なんていう、日常生活に直結した魔術もあったが、今すぐ必要になるわけでは無いので無視した。
「こっちは読み終わったので、お返しします」
魔術の本を閉じて受付に返し、もう一度椅子に戻って魔法の本を開く。
こちらの本も魔術の本と同じで、魔法の大まかな成り立ちや体系化の歴史についてが、最初の数頁に書かれていた。
それを魔術の本と同じ様に斜め読みして読み流し、魔法の実践編に差し掛かった所で、ちゃんと読み始める。
「魔法は種族によって、得意な魔法と苦手な魔法に分かれます」
この本が言うには、レアデールの様な《樹人族》は精霊魔法に優れ、逆に『五則魔法』と呼ばれる理を弄る魔法が苦手らしい。
他にも『鍛冶魔法』が得意な《頑侠族》は精霊魔法が苦手で、五則魔法が得意な《草隠族》は鍛冶魔法が苦手で、《獣人族》は全ての魔法が苦手で魔術が得意、等など。
テグスの様な《人間種》は、どの魔法が扱えたり扱えなかったり、魔術が得意だったり苦手だったりと、多種多様なのが特色なのだそうだ。
「と言う事は、魔法も魔術も使えない人も居るってことだよね?」
少なくともテグスは魔術が使えるので、そうじゃなくて良かったと胸を撫で下ろす。
軽くなった気分に引き摺られて、頭の回転も軽くなったテグスは、ふと思いついた事があった。
「もしかして《小迷宮》を攻略できなくて《雑踏区》から出られない人って、そのどちらも使えない人だったり?」
少なくない人数の人が、どちらも使えない人かもしれない。でもそれにしては《雑踏区》の住人は多すぎると、テグスは自分の考えを否定する。
生きるだけなら、危険度の少ない《小迷宮》で《魔物》の肉が得られるし、素材を売った小金でその日暮らし分の食料調達は出来る。
そんな風に比較的容易く日常を確保出来る、《雑踏区》から離れ難い人もいるのも事実だ。
なにも《中迷宮》や《大迷宮》へ行き、命を賭けの代金にして富を得る、なんていう生き方が出来る人々ばっかりではないのだから。
「まあ良いか。それよりも魔法、魔法……」
そんな事を考え続けても無意味だと思い直したテグスは、魔法の本の続きを読み進める。
種族の特色の後には、魔法別に練習法が書かれていた。
《人間種》の場合はどうするのだろうと、テグスが小首を傾げつつ読んでいると、練習法の最後の方に書いてあった。
『人間はとりあえず全てを試せ、獣人は諦めて魔術を練習しろ』
と身も蓋も無い表現で。
これは明らかに《人間種》と《獣人族》を勘定に入れずに、この本が書かれている事が良く分かる。
「……まあ、どちらの種族も魔法が使えない事が多いみたいだし?」
テグスが《迷宮都市》で育った十数年の中で、《人間種》の魔法使いなど、両の手指を全て使わない程度の人数しか会った事が無い。
魔法使いが国に召し上げらている事実があるにせよ。腕自慢の《探訪者》がひしめく《迷宮都市》内でそんな人数なのだから、他の地域ならもっと少ないだろうと簡単に予想出来る。
なのでテグスは本の一文に腹を立てる事無く、とりあえずその練習方法を紙に書き写し。
余白が勿体無いと、それぞれの魔法の項目から初歩のをそこに書き入れる。
使い終わった本とインクにペンを受付に返して支部を後にしたテグスは、通りの屋台で平パンを三枚買って食べつつ《小三迷宮》へと戻っていった。
魔術を練習していた場所に戻ってきたテグスは、早速各々の魔法の練習方法を試してみる事にした。
「先ずは精霊魔法だよね。迷宮内では、闇の精霊と土の精霊の力が強く。水筒や松明があれば、水と火の精霊も扱えると。逆に風の精霊は臍を曲げがちね」
他には感情に作用する精霊も居るが、初心者が扱うには危ないから止めておけと書いてある。
そんな精霊の中から、テグスが選んだのは土の精霊だ。
特色として大らかな気性で悪戯を余りしない、初心者向けの精霊として紹介されているからだ。
逆に闇の精霊は悪戯好きで有名らしく、暗がりで後ろに気配を感じて振り返っても誰も居ない時は、この精霊に悪戯されたのだと言われているとか。
「精霊に『お願い』する時は、やって欲しい事を想像しながら魔力を差し出す。その時、思わず精霊がお願いを聞いてしまう話し方で接すると尚良い……」
テグスが脳裏に描いたのは、楽しげに歌いながら精霊を扱って料理をするレアデールの姿。
確かにあの楽しげな様子を見て歌を聴けば、精霊でなくても思わず手伝ってしまいそうな雰囲気が彼女にあった。
十三歳という多感な時期もあって、流石に歌うのは恥ずかしいテグスは、多めに魔力を差し出すことでお願いを聞いてもらおうと思い立つ。
その賄賂戦法が通用しなかったら、別の方法を考えようと、テグスは楽観しつつ地面に当てた手の表面に魔力を集める。
「土の精霊さん。手を当てた場所を、ちょっとだけ山にしてくれません?」
長年聞き親しんできたレアデールの歌に引っ張られたのか、何となく口調と選んだ言葉が彼女の歌の様だった。
しかしそのお願いは土の精霊に通じたようで、テグスが集めた魔力を何かがパクリと食べた感触を手に受けると、手を当てた場所が隆起していく。
慌てて手を離したテグスは下がって、その隆起していく様子を見守る。
隆起する度合いが段々と大きくなり、テグスの身長を越す程の大きさまで成長したところで止まった。
「えーっと、精霊魔法が成功した場合は、その才能が一応はあるのかな? ……あ、これを元に戻さないと。土の精霊さん、これを元に戻してくれません?」
不親切だった魔法の本には、《人間種》が魔法に成功した場合に付いて書いてなかったので、これで自分に精霊魔法の才能があるのか今一自信が持てない。
なのでもう一度試す意味を込めて、同じ様に隆起した地面に手を置き、魔力を掌に集めて土精霊にお願いした。
しかし土の精霊は何かが不満だったのか、テグスの魔力を食べる事無く、隆起した場所も元に戻らない。
さっきはお願い聞いてくれたのにと、もう少し魔力を増やしてお願いしても、土の精霊は聞き入れてくれなかった。
どうしたものかと悩み、熟練した精霊魔法使いのレアデールがお願いする時に使う、彼女の自作の歌詞がどうだったかを思い出す。
それは一緒に作ろうと呼びかける歌で、時々精霊に感謝するような言葉が入る事を思い出した。
「えーっと……土の精霊さん、お願い聞いてくれてありがとうございます。良い感じの山になって嬉しいです。でも、この状態のままだと拙いので、元の状態にしてくれると嬉しいなーって思うんですけど」
取って付けた様なテグスの感謝の言葉を、大らかな性質らしい土精霊は受け取ったのか、仕方がないと言いたげにゆっくりとテグスの魔力を食べた。
そして非常にゆっくりとした動きで、隆起した部分が元に戻っていく。
「本当に助かりました、土の妖精さん。またお願いする事もあると思いますけど、その時はよろしくお願いします」
時間を掛けて元の状態に戻った地面を、テグスは手で撫でながら、その下に居るであろう土精霊に対してお礼を言う。
それに土精霊が返礼するかのように、テグスは手が地面に押し上げられるように感じた。
手を離してその場所を見てみても、隆起したりはしていなくて、勘違いなのか土精霊の返事なのか判別に困ってしまう。
「えぇ~っと、気を取り直して次は鍛冶魔法だね」
初心者用の練習法として紹介されているのは、石と石を繋ぐ『結合』と呼ばれる魔法。
左右の手に石を一つずつ持ち、それに魔力を通して二つの石の端と端を繋げる魔法だ。
しかしテグスに鍛冶魔法の才能は無いのか、幾ら魔力を通そうとも石がくっ付く素振りは無かった。
「うん、諦めよう。次の五則魔法に進もう」
練習方法として書かれているのは二つ。
その場に落とした物を一瞬だけ宙に止める『保持』の魔法。
そして投げた物の軌道を途中で曲げる『曲投』の魔法だ。
「どっちが簡単なんだろう。保持の方が簡単そうだよね?」
取り敢えずは地面の小石を指で持ち上げ、それを目の前の高さに持ってきて、放して落ちる姿を見る。
小石は普通に、地面へと落ちて軽い音を立てて転がった。
その落ちる手前で一瞬止まる姿を想像しつつ、テグスは落とした小石を指で持ち、目の高さにもう一度持ってくる。
「『物よ瞬の間だけ空中にて静止しろ(オブジェクト・シィヴェリス・デム・モメント・デ・チィエロ)』」
魔術の時より大分長い呪文を間違えない様にと、ゆっくりと唱えてから手を放す。
するとテグスが想像した通りの場所で、小石がほんの一瞬だけ止まり、それから床に落ちた。
今見たのが幻覚で無い証拠に、床に落ちたときの音は、先ほどよりも大分小さかった。
「『物よ瞬の間だけ空中にて静止しろ(オブジェクト・シィヴェリス・デム・モメント・デ・チィエロ)』」
もう一度。今度は床からほんの僅かな場所で浮くように、確りと想像しながら手を放す。
小石は床とほんの僅かな隙間を開けて、一瞬だけ静止して落ちた。
今度は軟着陸とも言える状態だったので、地面に落ちた音は殆どしなかった。
「『物よ瞬の間だけ空中にて静止しろ(オブジェクト・シィヴェリス・デム・モメント・デ・チィエロ)』」
最後に、自分の事を浮かせられないかなと、その場で飛び跳ねたテグスは呪文を唱える。
想像するのは空中で制止する自分の姿。
跳躍の頂点に達して落ち始めた所で、一瞬だけ落下が止まったのを体感する。
その言い表しようの無い初めての感覚を味わう暇なく、テグスは地面に着地した。
「……これって、高い場所から落下した時に使える!」
どんなに高いところから――仮に上空高くから落下しても、この魔法を使って地上のほんの手前で静止出来れば、勢いを殺して着地する事が可能だと理解した。
それがどんなに凄い事かを体で察して、流石は魔法だとテグスは一人で興奮する。
「うわぁ、次に行こう次!」
初心者向けという曲投の魔法の呪文を見つつ、床に落とした小石を拾う。
「えっと。『物よ空中にて右へ挙動を変えろ(オルビト・デ・オブジェクト・ヴァリリ・アル・デクストレン)』」
空中を緩やかに飛ぶように下手で投げた石は、落下軌道に入った瞬間、やや右方向へと軌道を変えて地面に落ちた。
「『物よ空中にて左へ挙動を変えろ(オルビト・デ・オブジェクト・ヴァリリ・アル・マルデクストレン)』」
もう一度。今度は同じ魔法ながら、やや違う呪文を唱える。
すると小石の空中の動きは、途中から左方向へと変わった。
「『物よ空中にて下へ挙動を変えろ(オルビト・デ・オブジェクト・ヴァリリ・アル・スベン)』」
最後に全力で速く投げた小石は、上から叩かれたかのように、途中から鋭角に下へと軌道を変えて地面に落ちた。
ここまで出来るのだから、テグスは自分には少なくとも五則魔法の才能があるらしいと判断した。
そして鍛冶魔法は残念だったけれど、精霊魔法も使用する事は出来たのだから、もしかしたらという気持ちになる。
「精霊魔法はお母さ――レアデールさんに教えて貰えると思うけど、五則魔法はどんな方法で学べば良いのかな?」
たしか本の何処かにあって書き写したはずと、一枚の紙の前後をクルクルと回転させながら読む。
紙の端の余白に書いたのを見つけ、テグスはそれに目を近づける。
「本格的に五則魔法を学ぶ場合は、専用の杖か神に祝福された武器が必要です……えぇ~、どっちもお金積んだって《雑踏区》じゃ手に入らな――」
そこでテグスは思い出した。
背負子の隠し箱の中に入れている、神に祝福された《補短練剣》という短剣を持っている事に。
「……これはもう、五則魔法を学べって、神様のお告げだよね?」
《探訪者ギルド》の支店に魔法の本があり、テグスには魔法の才能と祝福された短剣がある。
そんな魔法を学ぶためのお膳立てが、全て揃っている事を知ったテグスは、思わずそんな呟きを漏らしてしまった。




