96話 裏事情と顛末と
テグスたちは生け贄にされかけていた少年少女たちと共に、《探訪者ギルド》本部へとやって来た。
「ほら、さっさと歩く。往生際が悪いですよ」
「ちょ、待って。首の、首の糸で首が切れる!」
テグスが首に糸を付けたレッガーの背を蹴りながら、本部の中へと入る。
するとその光景を見ていたガーフィエッタが、酷く嬉しそうな笑顔でテグスを出迎えにきた。
「あらあら、テグスさん。小動物を飼うより先に、大人の男を飼うだなんて、思い切った事をなさると感心致します。しかもその後ろには、年端もいかなそうな少年少女たちを引き連れているだんて。ここが《迷宮都市》でなかったら、警らに捕まっててもおかしくはないというのに、何とも豪気な事だと感服いたします。いえ、いいのです。人の性癖は千差万別。テグスさんがどんな人だろうと、私は《探訪者》として扱う所存ですので、我が道を突き進むがよろしいかと愚行致します」
「……説明を要求します」
普段のテグスなら口撃の応酬をするのに、今日は不機嫌な調子で一言だけ言い返したからか。
不思議そうな表情をしながら、ガーフィエッタは首を傾げる。
「今日は体調が優れないのでしょうか。それとも《大迷宮》でお疲れが溜まっておいでなのですか?」
「疲れてますよ。このバカな本部職員の所為で、危うく大怪我を負うところでしたよ。しかも多くの《探訪者》に恨まれる羽目になったようですし」
「おや、おやおや。そう言われて、テグスさんの愛玩動物を良く観察いたしますと、確かにここの職員の一人ではありませんか。なぜテグスさんに付き従っているのか、甚だ疑問なのですが。その辺りをお聞かせ願えませんでしょうか?」
ガーフィエッタは本当に知らなさそうだったので、テグスは《強制依頼》を受けさせられる経緯から、《大迷宮》で後ろの少年少女たちを助けた件までを語って聞かせた。
それを一から十まで全て聞いてから、何時も変わらない微笑みを浮かべたまま、ガーフィエッタは額に癇癪筋を浮かべる。
「それはそれは、当職員が大変なご迷惑をお掛けいたしまして、謝罪の弁も見当たらないほどでございます。ですがその理由について、少々心当たりがございますので、一先ずその糸を手渡していただけますでしょうか?」
微笑みのままなのに、異様な圧力を感じ取ったテグスは、手にある糸を直ぐにガーフィエッタに手渡した。
糸を握るのがテグスから本部職員のガーフィエッタになった事に、レッガーは安心したような溜息を吐きだす。
しかしテグスは安心するのはまだ早いのではないかと、直感的にそう思い。
事実、その通りだった。
「随分と、当ギルドの看板に泥を塗りたくって下さいましたね。しかも私のお気に入りの子を標的にする辺り、どうせ貴方と同じ国出身の、あの肥え溜め女の差し金でしょう。色々と目をつぶってきましたが、今日という今日は、堪忍致しかねます」
「ぐごっ――ぐごっ――ぐごっ――ぐごっ――」
微笑みを浮かべたまま、レッガーの後ろ首を糸を手にしていない方の手で掴むと、言葉の一区切り毎に高速の膝蹴りが、彼の腹へと繰り出される。
レッガーは一度目の蹴りの威力に身体をくの字に曲げたが、首にある糸の所為で地面に倒れ込んだり逃げたりする訳にも行かず、うめき声を上げながらも二撃目からは腕で腹を守ろうとしてはいた。
しかしその腕の防御越しにも十分な威力なのか、膝蹴りが決まる毎にレッガーの口からは呻きが漏れる。
「しかも《強制依頼》を使ったと言う事ですが、その諸経費は何処から捻出されるか、ご存じで御座いますよね。そう、本部の経営資金からで御座います。それなのに、当ギルドに益が無いどころか、不利益をもたらしている《強制依頼》に金を払わなくてはならないこの事態。少々、おつむの中身を入れ替えた方がよろしいのではないかと愚行する次第ですがいかがお考えでしょうか!」
「――ぐご――ぐご――ぐご――ぐご――ぐええええぇぇ!」
苛ついたガーフィエッタの最後の膝蹴りが、レッガーの防御を貫通してその鳩尾へと突き刺さった。
そしてガーフィエッタは襟首を掴んでいた手を放して、胃の内容物をぶちまけようとするレッガーの口を押さえると、にっこりとテグスに笑いかける。
「素早く職員間の不始末の処理を致しますので、少々その場でお待ち願えれば幸いなのですが。お時間はまだよろしいでしょうか?」
「予定はないから大丈夫ですけど。お手柔らかに?」
「テグスさんは、私の手が厳つくなった時を御存じないと記憶しておりますが。勘違いだったでしょうか? そんな事を言っている場合ではありませんね、少々お待ちになってて下さいね」
口を塞がれてしまって、出ようとするモノが逆流しているのか、レッガーの鼻から変な汁が流れ出て、ガーフィエッタの手を汚す。
しかしその事はどうでもいいのか、ガーフィエッタは微笑んだまま、レッガーの顔を掴んで引きずって、本部の奥へと向かっていく。
その余りのガーフィエッタの恐ろしさに、相対していたテグスだけでなく、この場に出くわした《探訪者》全員の顔色が青くなっている。
そんな中で、この騒動とは関係がなさそうな職員たちが、当たり前の様に仕事をしているのが不思議でしょうがない。
やがてガーフィエッタが消えた先で、本部の落ち着いた高級感のある内装とはかけ離れた、何かが打ち付けられる音と女の悲鳴に、男の涙声による命乞いが聞こえてくる。
しかしそれも直ぐに聞こえなくなって、職員たちが仕事をする音以外は、しんと静まり返る。
その静寂を破るかのように、ガーフィエッタの軽やかな足取りによる足音が聞こえてきた。
「大変お待たせいたしまして申し訳ありませんでした。ただ今判明いたしました事を、お伝え致します」
ここに居る誰もが、あの音と悲鳴は何かと尋ねたいのだろうが、その誰もがガーフィエッタが恐ろしくて声を出さない。
テグスもガーフィエッタに話を続けさせようと、頷く事が精一杯だった。
「はいでは――こほん。事の発端は、テグスさんたちが新しい御仲間をお探ししていると聞いた、お馬鹿な女とそれに従う間抜けな男が、よこしまな考えを抱いた事で御座います。この二人は、当ギルドが他の国に変に肩入れしていないかを調べ、可能ならば特定の国に便宜を働こうとするために、とある国が当ギルドに派遣した者たちなのですが、これは一度脇にお置かせて頂きます。この二人は、テグスさんたちが私のお気に入りだと知ったようでして。『嫌がらせをしてやろうと思った』とは間抜けな男の弁でございますが、そんな真似を使用としたそうでございます。ですが誤算が一つ。新しい御仲間を探しているのだからと、てっきり《中町》にも入れない程度の実力だと思っていたそうで。とある国の息が掛かった人の中でも凡百な《探訪者》に、テグスさんたちを痛めつけてこいと言ったそうなのです。ですが呆気なく、テグスさんたちに返り討ち。その後も何度も同じ失敗が続いて、とうとう我慢ならなくなったお馬鹿な女は、本部職員という立場を利用して《強制依頼》を受けさせ。その中で隙あらばテグスさんたちを殺せと、間抜けな男に言っていたそうなのです。しかしながらテグスさんたちは、その間抜けな男の事を信用せず警戒し続け、そして素早く移動し続けた結果、《階層主》の前まで来てしまったそうです。このままではと、生け贄にされかけた少年少女を助けるという名目で、その場に居た《探訪者》たちに魔法で攻撃を加え。テグスさんたちへと嗾けようとしたそうなのですが、テグスさんたちの思い切りの良さで失敗致します。その後の《階層主》との戦いでは、変に背撃をしたら命が危ないと思い断念し。その後はテグスさんに首に糸を掛けられ、こうして引っ立てられてきたという事が、一連のあらましなのだそうです」
長々と説明してくれたガーフィエッタには悪いが、テグスはその内容があまり頭に入って来なかった。
それもこれも――
「ちなみにあの二人は?」
どうなったのか気になって仕方が無かったからだ。
「テグスさん、ここは法律の無い《迷宮都市》なのは、ご存知ですよね?」
だがガーフィエッタはいつもと変わらない、にっこりとした笑みを浮かべてそう言っただけだった。
テグスは碌でもない結末を迎えたのだろうと理解して、その馬鹿な女と間抜けな男へのを興味を頭の外へと追いやって、思考を整理した。
「それで《強制依頼》の件はどうなったんでしょうか?」
「その件は、今回こちら側の不手際でしたので、規定のお金をお支払いではご納得いただけないと判断いたしましたので。例の二人の私物を売り払った時の概算を算出致しまして、報酬に上乗せするという事で、こちらとしては幕引きにいたしたいのですが」
そう言われて、テグスは少し考える。
「そうですね。上乗せ分はそれで良いんですけど、《大迷宮》でいざこざになった《探訪者》たちの弁明なんかはして頂けないんでしょうか?」
「《探訪者》同士のいざこざは、《探訪者ギルド》は関知致しません――と言いたいところですが、今回の件は理由も理由ですので、本部としてテグスさんたちは巻き込まれただけと声明を発表いたします。その事にどれほどの効力があるかは未知数なので、申し訳なく思いますが」
「一人一人に今の説明をする訳にも行きませんし、本部の対応としては、それでいっぱいいっぱいですよね……」
次に《中町》へと行く時、《階層主》の広間に行くまでに、他の《探訪者》たちに絡まれるだろう事をテグスは覚悟した。
そしてテグスは後ろを振り返り、仲間たちに他にガーフィエッタに要望はないかを視線で問いかける。
しかしハウリナとティッカリは特にないと首を横に振り。アンヘイラは何かを求めようとする素振りは見せたが、ガーフィエッタに物を言うのが恐ろしくなったのか口をつぐむ。
「さて、これでテグスさんたちは良いと致しまして。連れ回しの果てに生け贄にされかけた子たちにも、話を聞かなければなりませんね」
「話って、さっきの二人の事ですか?」
「いいえ。今後の身の振り方を聞くためで御座います。彼らはこの度テグスさんたちの手助けがあって逃げられたわけなのですが、後に連れ戻されて再度生け贄にされるとも限りませんので。その辺りの覚悟の程などを、じっくりとお聞かせ願おうと思っております」
「そうですか。僕らだって成り行きで仕方が無かっただけで、これから先の面倒は見切れないですし。そうして貰えると助かります――それで、前々から尋ねている、仲間に出来そうな人の件は……」
「目下、鋭意捜索中でございます。ですが仲間にしてほしいと言ってきた人を、気に入らないと殺してしまう――『仲間殺し』として、テグスさんが有名になってしまわれたので、難航しているので御座います」
「事実無根も甚だしいですね。こっちは身を守る為にやっている事なのに、誰もかれも殺すような殺人者と同じにして欲しくはないですね」
「本部職員としましては、弱小であっても《大迷宮》に行ける人を殺されてしまうと、少々困ってしまうのですが」
「後で逆恨みで襲われてもつまらないので。敵対してくる人は、きっちり殺してしまいますから、諦めてください」
「血も繋がらず種族も違うと言うのに、親も親なら子も子という事でしょうか。恐ろしきは殺戮者の居る環境で培われた価値観ですね」
テグスの事をある種の末期だと言いたげなガーフィエッタに、テグスは少し腹を立てつつ、気になる箇所があることに気がついた。
「殺戮者って、もしかしてレアデールさんの事ですか?」
「むっ、お母さんはいい人です!」
「良い人という評価があの方に――いえ、この話題は止めさせていただきます。なにやら薄っすらと危険な雰囲気がして参りましたので」
ハウリナの言葉に返そうとして、ガーフィエッタは身震いして言葉を切ると、テグスたちから顔を背けて例の少年少女たちを手招きで呼び寄せる。
この場で粘っても邪魔になるだけだとテグスは諦め、ガーフィエッタに近く彼らに道を明ける。
コキト兵の武装を譲ったからか、彼らはテグスたちの前を通る時に、ぺこりと頭を一つ下げていく。
そして列の最後の方に、テグスも話したことのあるジョンとアンジィーがいた。
「この施しの礼は、いつか必ず果たす。それまで命を惜しめよ、少年」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい。お兄ちゃんに悪気はないんです。あ、あと、この武器ありがとうございました」
テグスより年上のジョンは騎士ぶって偉そうに、アンジィーは腰を低くし頭を下げながら礼を言ってきた。
以前に出会った馬鹿貴族のような口調をするジョンなのに。その性根が言葉とは裏腹に優しく、ちょっとした勇気も持ち合わせているからか、テグスは彼のことがあまり嫌いではないと自覚する。
「……まあ、《迷宮》に同行する相手だと苦労しそうだけどね」
「テグス、何か言ったです?」
そんな事は起こりっこないと結論付けて、テグスは小首をかしげているハウリナの獣耳の間に手を置いて、その頭を優しい手つきで撫でる。
「なんでもないよ。今日は疲れたから、この後食堂でたらふく飲み食いして、明日はお休みにしよう!」
「わふっ、お腹いっぱい食べて、明日はのんびりです!」
「やったの~。お酒~お酒~なの~。明日がお休みなら、酔い潰れるまで飲み明かそうかな~」
「武器の手入れですよ、その前に。直ぐに駄目になりますよ、油断していると」
口々に勝手なことを言いつつ、テグスたちは《中心街》の店を素通りして、《外殻部》の《中二迷宮》区画にある、値段の割りに量が多く酒の種類のある行きつけの店へと向かって歩き出した。