7話 《小四迷宮》
翌日朝早くに、テグスは《小四迷宮》の《探訪者ギルド》支店に入り、今日中に迷宮を突破すると受付の男性職員に話しておいた。
背丈の小さな子供であるテグスが豪語した事で、少しだけ訝しげな表情を浮べたその職員だったが。テグスが《小三迷宮》を制覇した証が《鉄証》に刻まれているのを見て、納得したようだった。
そして《小四迷宮》に侵入し、階層を凄い速さで駆け抜けるテグスの腰にある箱鞘の中には、例の短剣の姿は無い。
短剣の処遇については、十分に寝てしゃっきりした頭で考えて、とりあえず暫くは背負子の隠し箱に仕舞っておいて、後で鞘を作って別に装備する事に決めたのだ。
《小四迷宮》の第一層は《小三迷宮》と同じくジェリムだったので、テグスは無視して次の階層の階段まで駆け抜けた。
第二層はジェリムが居るのは一緒だったが、『脆岩』と呼ばれるテグスの腰ほどの大きさの、地面を転がって動く岩の《魔物》が現れた。
「邪魔だよ!」
通路を塞ぐ様に居るので、落ちている小石を走りながら拾い、横投げで『脆岩』へと投げつける。
小石程度なら岩に弾かれるだろうと思いきや、小石が当たった岩は皿を落としたような音を立てて割れて、崩れ落ちてしまった。
よく見てみると『脆岩』の中身は空洞で、厚みもほんの少ししかない。つまりは見掛け倒しの脆い《魔物》だった。
ちなみに割れた大きな破片は、《雑踏区》の住民の皿として使われている。
そんな『脆岩』の中から、通路を走るのに邪魔なのを、小石や『脆岩』の破片で割って進んでいく。
次の三層では、ジェリムと『脆岩』に加えて、『動く小枝』こと《徒歩枝》が現れる。
しかし邪魔な『脆岩』は無視し、時たま通せん坊する《徒歩枝》を蹴り飛ばして、素早く階段を降りて四層へ。
四層ではジェリムが消え、引っ繰り返した黒い平鍋のような見た目と大きさの、硬い外骨格を持つ《平硬虫》が現れる様に。
しかし虫の癖に足が遅いので、テグスは走って振り切って、五層への階段へ易々と到着する。
五層では『脆岩』が消え、代わりに天井付近を飛ぶ《血吸い蝙蝠》が出てくる。
「相変わらず《小四迷宮》は《魔物》の種類が多いよ!」
《小四迷宮》の特色である、《小一》から《小三》の迷宮で現れる種類の《魔物》たち。
その煩雑さに、テグスは思わず愚痴を言い放ってしまった。
そしてその苛立ちを、飛んで寄ってきて血を吸おうとする、掌大の《血吸い蝙蝠》をなまくらの短剣で叩き落す事で解消しながら、次の階層へと向かう。
「危ない、よっと!」
第六層に階段で降りたテグスは目の前に行き成り居た、この層から出てくる子供大の《魔物》である、《渇泥人形》相手に短剣を振るった。
ひび割れた表面とは違い、中身は少し水分を含んでいるのか、沼地の中を枝でかき回すような重たい手応え。
それでもやや強引に振りぬいて両断すると、《渇泥人形》はボロボロとひび割れて崩れていく。
「確か六層と七層は、《小一》から《小三》に出てくる《迷宮主》を弱くしたのが出てくるんだっけ」
そう零したテグスの視線の先には、武器を何も持っていない、ただのコキトの姿があった。
向こうもテグスを視界に捉えたのか、走り寄ってくる。
「ギャギャエーー!」
「邪魔しないでよ、っと」
大きく手を振り回すコキトの攻撃を避け、お返しになまくらの短剣で胸を突く。
すると声も上げずに、コキトは膝から力を抜いて後ろ向きに倒れてしまった。
「ここまで余り人が来ないのかな、通路に沢山《魔物》が居るんだけど……」
コキトを倒して一息吐く間も無く、通路の向こうから多数の《魔物》がやってくる。
黒光りする外骨格を持つ小岩大の《ニ角甲虫》の雌と、肋骨が浮いた痩せ豚に見える《空腹猪》の子供に、武器を持ってないコキトも居る。
それらが数匹ずつ、狭い通路で押し合いながらテグスの方へと向かってくる。
これではすり抜けるのは難しいと、テグスはここで数を減らす事を選択した。
「先ずは、っと!」
押し合いから抜け出ると、狭い通路で突進される危険のある《空腹猪》を狙って、なまくらな短剣を投げつける。
左右の手で一本ずつ別々の目標へと投げる。
それが刺さるのを確認する前に、もう一組短剣を抜いて、また別の《空腹猪》へと投げつけた。
「ピュイイィ……」
「ブブヒィィ!」
先ず最初に投げた二本が刺さる。
一匹に致命傷を負わせ、もう一匹にはかすり傷。
「ブキイイィィ……」
「ギャギャギァ……」
次に投げた二本の短剣のうち一本は《空腹猪》の一匹を仕留め、もう一本は射線に割って入ったコキトの命を刈り取った。
四本投げて三匹もの《魔物》を倒せた事に満足して、テグスはもう一組短剣を抜き、両手で構える。
「ブキイィイ!」
そこにテグスが構えるのを待っていたかのように、かすり傷を負った《空腹猪》が突っ込んでくる。
子供なのでテグスの膝辺りまでしか高さが無い上に、牙は未発達なので脅威が薄い。
だけれども、その突進力だけは侮れない。
下手に押し留めようとしたり、攻撃を当てようとすれば、その背の低さも合って膝を折られる事もある。
「よっと!」
「ブギャッ――!」
なのでテグスは前方宙返りの要領で跳んで避け、擦れ違い様に《空腹猪》の首の骨に短剣を突き刺した。
短剣は《空腹猪》の命と引き換えに、突進力のあおりを受けて、根元から折れてしまった。
「あっちゃ~、下手打ったな」
チラリと見た折れた短剣を、近寄ってくるコキトへと投げつける。
それがコキトの顔面に当たり仰け反らせる間に、テグスはもう一本なまくらの短剣を取り出しつつ、雌の《ニ角甲虫》の腹側に足先を差し入れて引っ繰り返す。
雄と違い、角がほんの少しの長さしかない雌は、引っ繰り返されて咄嗟に起き上がれないのか、バタバタと三対の足を動かす。
その腹の真ん中へと、テグスは抜いたばかりのなまくらの短剣を突き刺し、直ぐに引き抜いて痛みに呻いていたコキトの腹を割いた。
デロリと腸が飛び出したコキトを、テグスは蹴って通路の奥から突進して近寄ってく《空腹猪》にぶつける。
突進を受けた半死のコキトは、腹の中身をぶちまけながら、錐揉み回転して空中を飛んだ。
ぶつかり突進力を失った《空腹猪》を横に軽く避けたテグスは、横から短剣で喉を突き刺す。
テグスから通り過ぎた位置で《空腹猪》は、赤い血を流して地面に倒れつつ、束の間の命をもがく事で消費しつくす。
その命が尽きる前に、近付いてきた《ニ角甲虫》を足で裏返し腹を刺して殺し、コキトの身体の胸の部分に短剣を刺して殺した。
もうあとは順々にやって来るのを同じ要領で、更に《ニ角甲虫》五匹と《空腹猪》三頭にコキトを四匹、危なげなく短剣で仕留めきった。
「はふぅ……一先ず落ち着いた。《ニ角甲虫》の羽根殻と、《空腹猪》の肉は持って帰ろうか」
雌の《ニ角甲虫》外骨格でも、それなりに軽くて硬いやや歪曲した羽根の部分と、痩せてても食べられそうな《空腹猪》の腹から背に掛けての肉と後ろ足を解体する。
合計七組の外骨格と、振り回して血抜きした腹の肉が七塊りに後ろ足が十本を、背負子の中に入れる。
残りは重ねて魔石化の《祝詞》を上げて魔石にした。
出てきたのは、小指に乗せる事が出来るほどの、小さな灰色の魔石が一つだけ。
「《小迷宮》にしては良い魔石が取れた」
だけれどテグスは儲けたと言わんばかりのホクホク顔で、魔石を魔石用の皮袋の中に入れた。
その後は群れで《魔物》がやってくる事はなく、テグスは出会う度に素早く倒して魔石化して、大きな砂粒ぐらいのを回収する。
そんな調子で六層目と七層目を突破したテグスは、《小四迷宮》の《迷宮主》が居る場所の手前にある小部屋へとやってきた。
六層目七層目で《探訪者》や《雑踏区》の住民に出会わなかったため予想していたが、この小部屋にはテグス以外には誰も居なかった。
独りで潜っているテグスにとって、《迷宮主》への前準備をする為に都合が良かった。
「さて、駄目になったのは投擲用として出しておいて、他の短剣は左右で三本ずつに再配置してっと」
短剣の状態を確認して、もうそろそろ寿命だと思われる二本を地面の上に。
残りの六本は、右横と左後ろの腰に据えた箱鞘に差し直す。
背負子は手で持って、直ぐに置けるように。
準備が完了したと判断して、テグスは開け放たれた《迷宮主》が居る場所へと足を踏み入れる。
すると《小三迷宮》と同じ様に、出入り口が閉じてから生まれた光の玉が三つ、上空を駆け回る。
そして天井の一点で静止すると、煌々とこの場所を照らし出す。
その光量に一瞬目が眩んだテグスだったが、中央に出現した《迷宮主》に視線を向け、短剣を握って戦闘態勢に入る。
「『動く小枝』……じゃないか、もっと大きいし」
それは『動く小枝』こと《徒歩枝》に良く似ていた。
頭に葉っぱを乗せて抱きつこうとする人の様な、茂った葉が先にある枝を左右に広げている、茶色い地肌の植物の《魔物》。
しかしその歩く足と幹は、《徒歩枝》よりも随分と太い。加えて幹には人の顔の様な瘤が付いている。
そんな見た目から言うなれば『動く若木』だろうか。
「どんな相手でも、取り敢えずは先手必勝ッ!」
相手の出方を見るのもあわせて、テグスは横に走りながら左右の手にある短剣を投擲する。
少しの時間差を置いて放たれた二つの短剣は、しかし『動く若木』の振り回した茂った枝に叩き落されてしまった。
代わりに数本の小さな枝を断ち切って床に落としたといえど、見たところ『動く若木』に目だった傷は無い。
「ありゃりゃ、こりゃ不味いかな?」
走りながら呟きつつ、もう一組短剣を取り出す。
そして『動く若木』へと前進する。
テグスの短剣が届く距離の前に、『動く若木』の枝の間合いがやってくる。
『動く若木』が枝を振り回そうと動いた瞬間、テグスは一歩だけ後ろに下がる。
振り回された枝が、テグスの目の前を通過し、数枚の葉っぱがテグスの鼻先を撫でる。
(短剣を投げた時に、振り回した枝の長さを覚えて置いて正解だった)
そう心の中で目論見通りに行った事に歓声を上げて、通過した枝の下を潜るようにしてテグスは肉薄する。
『動く若木』が明確な反応を起こす前に、テグスは右手の短剣を『動く若木』へと差し込んだ。
手応えは、まるで本物の木を突いた様な硬い感触。
短剣がやや刺さったものの、金属が破綻する嫌な音がして、テグスは思いっきり突き込んだ腕を引く。
そして大きく後ろに下がろうとして、何かが左の足元にあたって蹴躓いてしまった。
慌てて右足一本で体勢を立て直しつつ、大きく後ろへと跳び退る。
振り戻ってきた枝が、テグスの胸元の前を通過していく。
岩の地面に着地して観察し、テグスは何に足が取られたのか察した。
「あの根。人の足みたいか、それ以上に器用に動かせるんだ」
身体を支える根の一つが地面から剥がれ浮き、テグスが先ほど居た場所に置かれている。
恐らく『動く若木』としては、テグスの足元を後ろから根で蹴り、体勢を崩したところで枝の一発という目論見だったのだろう。
しかしテグスが短剣の異常を察知して、思い切り良く後ろに下がった事で、蹴る勢いが付く前にテグスの足が引っ掛かってしまったのだ。
「面倒だなぁ。この短剣じゃ、思いっきり刺したら折れちゃうだろうしな」
チラリと右手の短剣を見ると、錆と錆を繋ぐように小さなひび割れが走っていた。
まだまだ使えると判断し、右箱鞘に戻して無事のに取り替えようとして、ふと左腰の物を見る。
そこには餞別に貰った、あの片刃の剣が鞘に入って吊り下げられている。
「『動く枝』相手にはすっぱりと斬れたし、この相手でも」
習作とはいえ、《中町》の鍛冶屋が作り上げたこの剣は、テグスに使い慣れないと危ないと思わせる程の切れ味を誇る。
このままでは全ての短剣を消費しつくしても、この《迷宮主》に勝てるか分からない。
なのでテグスは左手の短剣も箱鞘に戻し、勇気を少し奮って左腰の剣を抜く。
シャラリと存在感を示すように、鞘走りの音を立てて剣が抜かれた。
現れた剣身が、天井にある光の玉を照り返し、ギラリと光る。
それは長い間、鞘に押し込められて窮屈だった身体に、力を入れたかのようにも見える。
「こっちの足を斬らないでくれよ……」
あの切れ味がまだ手に残っていたのか、怖々と剣の柄を両手で握る。
右側に水平に倒した剣を持ち、身体の左側を相手に向ける。構えとしては左半身と呼ばれるもの。
しかし剣術の素人のテグスは、それを意図して構えたわけではない。
斧や鉈で木を切り倒す時に人がする様に、こうした方が木を切りやすいのではないかと思ったからだった。
「ふぅ……行くぞッ!」
短い呼吸と決意の言葉を発して、テグスは『動く若木』に向かって真っ直ぐに駆け出す。
それを『動く若木』は、泰然と直立して待ち構える。
先ほどの攻防で知恵をつけたのか、テグスが『動く若木』の左右の長い枝の圏内に踏み入っても、迂闊にそれを振るっては来ない。
しなりつつも放たれない枝を見るに、どうやら完全に命中する距離まで溜めを作っている様だ。
しかしテグスには、虚実を入れる駆け引きをする積りは無かった。
使い慣れない異様な切れ味の剣での戦闘なので、そういう行為を入れるには武器の熟練度が足りなかった為なのだが、結果としてテグスが手を読み勝つ形になった。
剣が当たる位置まで、足を踏み入れる事に成功したのだから。
「たあああぁぁ!」
右下から左上に振りぬかれた剣は、目測を誤り刃を当て損なった。
なので『動く若木』の幹の表面を滑ってしまい、薄い傷を付ける結果に。
しかし幸運な事に、『動く若木』の右腕の様な枝の中ごろに当たり、そこから切り飛ばせてしまった。
意図した場所ではないところを斬ってしまったテグスと、斬られた『動く若木』の方も、一瞬時が止まったかのように硬直してしまった。
しかしその意識の復帰の速さは、何度も迷宮に潜っていたテグスが勝ったようだ。
「このおおおおぉぉ!」
振りぬいた剣の刃を反し、もう一度『動く若木』の幹へと斬りかかる。
それを無防備な右側で受けてしまった『動く若木』は、一気に半ばまで断ち切られた後に、滑った剣の刃に撫で切られるようにして両断されてしまった。
「わわわっととと……」
切れ味任せで物を斬ったという、今まで感じた事の無い変な手応えに、足と身体が剣の動きに付いてこれない。
思わずテグスはたたらを踏んで、転ばないようにしつつ、剣を持ち直して肩に担ぐようにして構える。
その相手を斬っても警戒を解かない姿勢は見事だが、両断された『動く若木』相手には過剰といえた。
何せ、斬られても直立していた下半分が、力を失ったかのように横に倒れて地面に当たり、木と岩が当たった甲高い音が空間に木霊したのだから。
しかしテグスはそれでも安心出来ないのか、切り落とした上半分にある人の顔の様に見える瘤に、剣の切っ先を突き入れる。
テグスが意図しない程に、その切っ先が深く突き進んでしまったが、それでも『動く若木』は動く素振りを見せない。
そこまでしてようやく、相手が絶命したと納得したテグスは、剣を持ったまま背負子の方へと戻る。
「うへぇ~、ちゃんと使えるようにならないと、本当にこの剣は危ないや」
木を無茶な方法で切り倒したというのに、剣には歪みどころか刃こぼれ一つ無い。
その剣身を背負子の中に入れていた、ボロ布でぐっと力を入れて拭う。
すると『動く若木』の植物のような、水っぽい体液が拭い取られ、まるで斬ったのが嘘だったかのように綺麗な剣身が現れる。
それは斬るのに相応しくない相手だったと物語っているのか、それともテグスに扱うに足る力量を備えろと発破を掛けているのか。
「……絶対、使いこなして見せるからね」
テグス自身は後者だと受け取った。
威勢良く啖呵を斬ったテグスだったが、怖々と鞘に剣を入れるその様は情け無いにも程があった。