プロローグ1
プロローグ その1
光苔が照らすだけの薄暗い石造りの洞窟のような場所を、一人の痩せぎすな少年が歩いている。
背と顔立ちから察するに、成人と認定される十三歳にやや届かない位の、薄汚れたありふれた衣服を身に着けた子供である。
そんな少年がたった一人で、何本もの短剣が差し込まれた、包丁入れの様な箱を両腰に括りつけ。自分の背丈ほどもある背負子を背負って裸足で歩いている。
背負子の中には金属製の物が入っているのか、カチャカチャと金属の擦れる音が響く。
薄暗い中を歩いているというのに怖がる様子も無く、まるで自分の家の庭先に居るかのような、気取った様子も無い表情と軽い足取り。
途中、少年とすれ違った数人の男女は、警戒感も露に周りを見回しているのにも拘らずに。
少年はその調子のまま、また何人もの男女とすれ違い、分かれ道で離れ、どんどん奥まった方へと歩いていく。
「……ギッギギャ……ギャ」
すると岩壁に反響した、何がしかの声が聞こえてきた。
少年は腰から短剣を左右の腰から一本ずつ抜き出し、そのまま左右の手で順手に握る。
その短剣は、刃こぼれや錆びが目立つ、なまくらだった。
もっとちゃんとした物を持てば良いのにと、少年の得物を見た誰もが思うだろう。
しかし持ち手や拵えの汚れから、箱鞘に入っている他の短剣も、少年が今握っているのと同じ程度の物であると想像できた。
そんな武器としては心もとない短剣を手にし、やや表情を引き締めた少年は腰を少しだけ落として、そろりそろりと声のした方向へと歩いていく。
「ギャギャイギャ」
緩やかな曲がり角から反響する声が、ハッキリ聞こえる所まで歩みを進めた少年は、ゆっくりと警戒しながら通路の先を視認する。
そこには三匹の異形の生物が居た。
傍目では肌が紫色に染まった人間の子供に見える。
しかし異様に大きな手と足と、目鼻口が人間では有り得ない場所にバラバラに付いているその姿は、人間では有り得ない。
そう。その紫色の肌の生物は、俗に人々から《魔物》と呼ばれる、通常の生命ではない異形の生物。
「……武装コキトが三匹。武器は、短剣が一、弓持ちが一。もう一匹は、周りが邪魔で見えないか」
その《魔物》を見て、コキトと名称を発した少年は、冷静に相手が持つ武器を確かめていた。
続いてコキトというらしい《魔物》が全て、少年の居る方向から視界を外したのを察知して、彼は物陰から飛び出した。
「ふッ!」
短く呼気を吐き出し、左手の短剣を手首の返しだけで投げつける。
その目標は弓を持ったコキト。
子供が投げたにしては鋭い勢いで飛んだなまくらな短剣は、弓持ちのコキトの首元に当たった。
「ギャイイィィ!?」
突然襲い掛かってきた痛みに驚いたのか、短剣で浅く首に怪我を負ったコキトは手に持った弓を床に落とし、怪我の具合を確かめるためか首元に慌てて手を当ててうろたえた。
叫び声に驚いたのか、他の二匹のコキトは一瞬身体を固まらせた。
少年はその三匹の混乱を見逃さず、左手で短剣をもう一本取り出し握りつつ、三匹へと突進していく。
「ギャ、ギャ――」
一番近い短剣持ちのコキトを、右手の短剣で喉を一突き。
深々と突き刺さった短剣は、コキトの喉を突き破った。
喉から黒い血を流し、口から血の泡を噴出すそのコキトを、少年は武器が分からなかった方のコキトへと押し付けた。
「たああ!」
二匹のコキトが絡まって地面に倒れこむのを待たず、変声期前の可愛らしい少年らしい声を上げて、彼は弓持ちの顔面へと左手の短剣を突き入れた。
「ギャギャアアア!――」
額の中心という変な位置にある一つ目に、短剣はその根元まで突き刺さった。
コキトは絶叫を上げて後ずさったところで事切れたのか、仰向けに地面に倒れた。
一匹仕留めた事を確認しつつ、少年は右腰から短剣をもう一本抜き出す。
それを両手で握り、血泡を吹く仲間を突き飛ばして立ち上がろうとした武器不明のコキトの胸に、深々と突き入れた。
「ゴゲガゥ――」
胸の骨に短剣が擦れる異音と共に、急所を抉られたコキトは小さく悲鳴を上げて絶命した。
少年は短剣を引き抜き構え、喉に短剣が突き刺さったままのコキトに向き直る。
背を向けて這って逃げようとしているのを足で縫い止め、後頭部へと短剣を突き刺した。
「ゲゲガガガ」
短剣が刺さった瞬間、ガクガクと全身を震わせたコキトは、数秒後には全ての力を抜いて地面に横たわった。
「ふぅ……収穫は、短剣一本。弓、は要らないから矢の鏃が五本分。で、こっちのは木の棍棒か。鉄なら拾ったのにな」
命のやり取りの緊張感からか、額に薄っすらとかいた汗を手の甲で拭う。
そして自分が使用した三本の短剣と、コキトが持っていた武器を改めていく。
コキトが持っていたむき出しの短剣は左腰の空いている場所に入れ、錆が浮く鏃を切り飛ばして背負子に。
木の棍棒は要らないとコキトの亡骸の上に置く。
「それで短剣一本が駄目になったと……」
最後に頭蓋に突き入れた短剣は曲がって皹が入っていた。
「まあこの短剣のどれもが武装コキトの持ち物だったから、惜しくは無いけどさ」
「へ〜、てっきり《死体漁り》かと思ったら。なかなかに一端の《探訪者》じゃないか」
使用限界を迎えた短剣を背負子の中に放り入れつつ、少年は小さくぼやいたところに、少年に向かって誰からか声が掛けられた。
少年はビックリして、後ろへと振り返る。
そこには筋骨逞しい、傍目だと粗暴そうに見える男が壁を背にして立っていた。
彼の近くには彼の仲間であるらしき男女の姿もある。
その誰もが手に剣などの武器を持ち、身体には革の上に金属の薄板を打ちつけた鎧を身に付けている。
「あ〜……見てました?」
「初っ端から最後までな。坊主名前は?」
「テグスです。それで……」
「俺はマッガズという。ああ、別に横取りしようってんじゃない。心配になって付いてきただけだ。コキト程度じゃ、儲けにならんから――痛ッ!?」
「このおバカ。その子が必死に倒したのに、そういうんじゃ無いの。あ、私はミィファっていうの。よろしくねボク」
「何も殴るこたぁねーだろうよ」
「えーっと、じゃあ処理しちゃいますよ?」
唐突に始まったマッガズとミィファの漫才に、彼らの仲間は苦笑いを浮べている。
彼らと初対面のテグスはどう反応したものかと迷って、少し気後れしながらコキトの死体と集めなかった武器を積み重ねる作業に入った。
「ワレ、もうこれ等に得るモノ無し。疾く御許にお返しする」
積み重ね終えたテグスがそう呪文のような言葉を放つと、コキトの三つの死体と重ねられた武器は、塩が水に溶けるように虚空に溶け消えてしまった。
代わりに残ったのは、小指の第一関節ほどの大きさの、濁った灰色の水晶のような石が一つ。
それをテグスは拾い、背負子の横に括りつけている皮袋の中に入れた。
「魔石化の《祝詞》も知っているって事は、きちんと《迷宮》を突破して《大迷宮》に来たわけだな」
「じゃないと、門番の人に止められますし」
「ははッ、そういやそうだった。長年《中町》と《下町》とを行き来しつづけて、《上街》との常識がずれたからな。坊主ぐらいのガキが《大迷宮》に居るのを見ると、てっきり《上街》の規則が変わったのかと心配になっちまってよ」
「マッガズは口が悪いから誤解されがちだけど、ボクの心配して付いてきたんだからね。怖がらないで上げてね」
カカッと笑い飛ばすマッガズの補足をするように、ミィファはテグスに優しげな声で話しかける。
それにテグスの緊張感が多少和らいだ。
「いえ、マッガズさんが優しそうな人って言うのも、心配して様子を見てくれていたことも分かってます」
「へぇ。マッガズってばこの見た目で勘違いされがちなんだけど、どうしてボクはそう思ったの?」
「《大迷宮》内で子供を気に掛ける人で悪い人は居ません。ここに居る悪い人は弱者を利用する人たちですし。それに、強い人ほど人格者が多いのは、《迷宮都市》の有名な不思議の一つですから」
「へぇ。そりゃあ、俺が強ぇって事か?」
「《下町》に行っていたって言ってましたし、何となく今まで出会った人たちと比べてもかなり強そうです。勘ですけど」
最後は自信なさそうに言ったテグスに、マッガズはニヤリと笑いかける。
「ほほぅ、俺の強さが分かるか。よし気に入った。ボロ剣集めしてるってこったぁ《上街》が住処だろ、送っていってやるよ」
「いえ。この荷物は《中町》の鍛冶屋に持ってかないといけないので」
「あん? 鉱石でも武器素材でもボロ剣使うより、中層のモノを使った方が良いだろうに。なんたって《中町》の鍛冶屋がボロ剣欲しがるんだ?」
「可能な限りボロ剣持って来たら、新品の剣を譲ってくれるって約束なので。理由までは知りません」
「その鍛冶屋の名前は?」
「クテガン鍛冶屋です」
「……あの武器の事しか頭に無いオヤジがねぇ。で、《中町》に連れて行った方が良いか? それともまだボロ剣集めするのか?」
「まだ背負子に余裕があるので、集め回ってから行きます」
「ふ〜ん、じゃあここでおさらばって事で」
テグスに手を上げて別れの挨拶をしてから、行くぞと仲間に声を掛けたマッガズが歩き始める。
それに慌てたのは、彼の隣に居たミィファだった。
「ちょちょっと、こんな幼い子を《大迷宮》内に一人にして、尚且つ一人で《中町》に行かせる気?」
「行かせるも何も、こっちにゃこっちの予定があるから、あんまり上層で長居したくねぇし。坊主なら自分でどうにかすんだろ。なぁ?」
「はい。何度も《中町》には行ってますので、気にしないで下さい」
「ほらな。困っている相手に手助けするならまだしも、ここで無理強いしたら親切の押し売りにしかならねーってこったよ」
「ちょ、引っ張らないで。じゃあねボク、また何処か出会いましょう!」
行くぞとマッガズに引っ張られながらも、ミィファは気分的に後ろ髪を引かれている様子で、テグスに別れの挨拶をする。
そのままマッガズ一行は、通路の先に消えて行き。やがて彼らの足音も聞こえなくなった。