内田桜子の死に生きの場合
この世の中、死んだように生きているひとは割と多い。今回の死に生きさんはちょっとヘビーです。
内田桜子の死に生きの場合
「保護者会の出欠表は持ったの?」
「わかってるよ!!」
7月の暑い朝、じりじりとした湿度で着替えたばかりのTシャツがもう汗ばんでいる。
温暖化で環境問題も少し気にして申し訳ないと思いながらエアコンの設定温度を低めの23度にして、わたしは健一郎に声をかけた。夫とは5年前離婚した。いまは長男健一郎と二男健太と犬のけんしろうの3人と1匹で生活している。二男の健太はしっかりしているのでこんな注意を促すことほとんどない。長男の甚六とはよく言ったのもので、長男健一郎は忘れ物が多いため、つい口うるさくなってしまう。
健一郎は電車で1時間ほどの学校までの道のりをバイク登校している。バイクは危ないので買うことはすごく反対した。が、コンビニのアルバイトで必死にためていたお金で買ったので仕方なく許可した。我ながら甘い親だと思う。
わたしも近くの不動産屋で10時から4時まで仕事をしていた。あわただしくドレッサーの前で口紅を塗っているとふと不安になった。健一郎は「わかっているよ。」と言っていたにも関わらず、机の上には用紙がしれっと淋しそうに放置されていた。
「やっぱり忘れている。不安的中!!全然わかってない!」
提出期限が今日までだったのであわてて
「健一郎・・・??」と名前を呼びながら居間を探していると健太が「お兄ちゃんはもう学校に行っちゃったよ。」と返事をくれ、健太の登校を握手をして見送った。
朝は「行ってらっしゃい」と言いながら玄関で手を握ることを日課にしている。握手することは嫌がる時期もあったが最近では、諦めたのか「どーよ?」とか笑いながら、強く握り返してくれる。健一郎は17歳でもまだ、子どもだ。あどけない表情で八重歯を見せながら笑う仕草は小さいころから全然変わらない。息子たちの少しずつ大きくなる手を日々感じ、あどけない笑顔を独占している瞬間は幸せで満ち溢れるひとときでやめられない。口には出せないけど、心の中で「愛してるよ息子たちよ」といいながら握手をする。そんな朝の家族のコミュニケーションはスクールカウンセラーの先生の提案だった。二男の健太が小学5年生のとき不登校になりかけたからだ。原因はよくわからなかったが、夫と離婚して不安だったのかもしれない。1週間朝学校に行く前に必ずおなかが痛い。というので学校に問い合わせるとカウンセラーの先生にこの方法をすすめられた。握手や抱きしめたからと言ってすぐに登校拒否気味が治ったわけでは無いが徐々に学校に楽しく行けるようになっていった。それ以来一日も欠かすことなくこの日課を遂行している。
わたしは息子たちが可愛くて仕方が無い。娘時代の私は一人っ子でわがまま放題してきたのに、自分以上に大切な存在がこの世にあることを知り幸せのMAXを感じ息子の存在を感謝している。
こんなことはしていられない。わたしも仕事だった。と思い出して父母会の用紙は1日くらい待ってくれるだろうと机の上に置き直してそそくさと出勤した。
午前9時30分。
後もう少しで会社に到着する寸前に携帯が鳴った。スピッツの着うたが流れている。人ごとに着信のうたを変えているので音を聞いただけで健一郎だとわかった。
「父母会の紙のことでしょ?」と健一郎の声をまたずにまくしたてると、
「内田健一郎さんのお母様ですか?」という中年男性の声だった。
スピッツのうた=健一郎の声という条件反射に慣れているので、違う人の声がすると耳が拒否反応を起こしてこわばっているのがよくわかった。
「はい。そうですが?」と答えると電話の中年の男性が
「墨田区江東橋警察のものですが、息子さんがバイク事故に遭われました。現在病院で処置にあたっています。詳細はまだわかりませんが、渋滞です。病院はあけぼの病院です。よろしいでしょうか?」と冷静に話している。
次の瞬間体から筋力がなくなっていった。
私の記憶があるのはここまでだ。
ここから今日までの記憶が全く無い。
今日は何日で何曜日だろう?
わたしは何日食事をとっていないのだろうか?
わたしは死んでいるのか?生きているのか?わからない。
ここはどこだろう。仏壇のある和室の井草の匂いがする。
そんな自分の気持ちに気がつくことが生きている証拠なんだろう。
健一郎は死んだのになぜわたしは生きているのだろうか?
そして、わたしは日ごと、分ごと、あの朝の出来事を思い出しては後悔している。なぜ「いってらっしゃい」の握手をしなかったのかと。朝の握手は「気をつけてね」の意味を含んでいる。
わたしが殺した。
わたしが息子を殺してしまったのだ。
あの朝までは確かにわたしは幸せだった。もう別にわたしは生きている価値などない。死んでしまいたいと思って泣きくずれているところに実家の母が入ってきた。
「あんたね。泣いているのは勝手やけど、あんたの子どもは一人じゃないんよ。健太もおるんよ。こんな風に廃人同然で健一郎が喜ぶかね?」と福岡弁訛りでまくしたてられた。殴られそうになり、顔を背けると健太があわただしく入ってきて、殴る手を止めてくれた。
「おばあちゃん、やめて!おかあさん。ボクは大丈夫だよ。でも死んだりはしないで、生きていてくれたらそれだけでいいよ。」と弱々しくでもことば尻は力強くこころの中に訴えかけてきた。
健一郎が6さい健太が4さいのときにうまくいっていなかった夫と毎日のように夫婦喧嘩をしていると
「ままなかないで ままのことはぼくたちがまもってあげるよ
けんいちろうとけんたより」
と覚えたてのつたないひらがなで2人で手紙をくれたことを思い出し泣きくずれた。
生きていこう。健太といっしょに生きていこう。
それから数日後、健太が学校に行く。わたしは、ふらふらの重い足をひきづって健太と握手をしてひきつってはいたが笑顔を見せた。健太が握り返してくる。違和感を感じて健一郎の姿を探し、いないことに気づくとまた落胆するといった感情を繰り返している。でも、健太をひとりにはさせられない。頑張って生きていかなくては。
結局、わたしは今日も死んだように生きている。
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