キズ
流輝には 双子の弟がいました。300年前に、ミラルドの命を助ける為に 犠牲に成りました。
ミラルドは永遠の命を嫌っていますが、自ら命を捨て様とは しません。
それは自分が 沢山の命と引き変えに 救われた命だから、
彼等の為にも 生きなければならないのです。
生きる事に苦痛を感じながら過ごした300年でした。
午後の診療が始まった。
余りの患者の多さに、涼まで駆り出された。やっと夕方に成り解放された。
「大学病院でもこんなに忙しく無い」
と、リビングに入って行く。リビングでは、夕飯を作り終えた瑞希が、ソファーに座り雑誌を見ながら寛いでいた。
「紅茶と珈琲、どちらが良いですか?」
瑞希はすぐに立ち上がり、涼に声を掛ける。
「あぁ、珈琲頼むよ……」
ふぅ~と、溜め息を吐き、涼はソファーにドサッと座った。くたくただった。ソファーの背もたれに身を沈め、目を閉じる。涼は全身の力を抜いた。
しばらくして、涼の前に静かにカップが置かれた。涼は、気配で察知して有り難うと言った。
「ミラルドの時って、患者さんがあんなに多いの?」
「そうみたいですよ」
「あんなんじゃ身体壊すよ……」
「そうですよね。どうして、自分の仕事休みの時に、ここの手伝いに来るんでしょうか。大学病院でも忙しい思いしてる筈なのに」
「大学病院?」
涼は首を傾げる。
「はい。普段は、大学病院の研究員だって言ってましたけど、違うんですか?」
今度は瑞希が首を傾げた。
「あぁ、そうなんだよ。……あいつも大変だな。色々と」
涼の言った意味に気付かず、瑞希もそうですねと頷いた。
「もうそろそろ、診療時間終わる頃かな」
「はい。五時半が受け付け終了で六時頃には終わるけど、今日はちょっと過ぎるかも知れませんね」
涼は時計を見て、六時少し前かと呟き診療室の様子を見に行く。患者は後二人か、と、涼は何かを企んだ顔をする。リビングに戻り、診療が終わる時間を見計らい。「痛! いたたた」と、涼は左目を抑えた。
「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
瑞希は心配して、涼の傍に行く。
「急に、左目がチクチクと痛くなつて来て、ゴミでも入ったかな」
涼は、わざとらしく左目を押さえて下を向いた。
「ちょっと見せて下さい」
瑞希は、涼を座らせ上を向かせて、自分の顔を近づけて左目を覗き込んだ。涼は、入り口からミラルドが入って来た時に、誤解する様に位置を少し移動する。俺達がキスしてるように見えるのは、ここら辺かな。子供じみた作戦だけど、まぁ良いか。
ちょうどそこに、ミラルドと流輝が入って来た。
「はあぁ、疲れた……」
「「!!!」」
二人共、涼と瑞希の姿を見て固まっている。
涼は、チラリとミラルドを見る。ミラルドは、ぼう然としてそのままふらふらとリビングを出て行った。
「あっ、瑞希ちゃん もう良いよ有り難う」
と言って、涼もリビングを後にする。階段を上がって、ミラルドの部屋の前に立つた。
「やあミラルド、今の見たか?」
涼は、ノックもせずにミラルドの部屋に入って行く。
「お前は、瑞希に何を……」
ミラルドは怒気のこもった声で言う。
「何をしようと勝手だろ。瑞希ちゃんは誰の物でも無いし、俺があんな事しても 嫌がって無かっただろ?」
ミラルドとは対照的に、涼は軽い口調で言う。思惑通りに思い込ませる事ができたようだ。ミラルドは拳を握り怒りを抑え込み、黙って聞いている。
「それに、例え俺の物に成らなくても、いつかは誰かの物に成るんだ。例えば、この前レイプしようとした奴に、又襲われるかも知れない」
ミラルドは聞くに堪えられず、涼の胸ぐらを引っ張り、壁に押し付けた。しかし、ミラルドを煽るために涼は更に続ける。
「お前が、手に入れ無いんなら俺の物にするぞ。瑞希ちゃんは勿論、ヴァージンだよな」
そう言いながら涼は、ニヤリとした。
遂にミラルドは、ブチ切れてしまった。涼が気付いた時にはミラルドの振り挙げた拳は、涼の腹部にヒットしていた。避ける隙もなかった。ミラルドは表情の抜け落ちた顔で、涼の顔や身体を何度も殴り付ける。
気が付いた時には、涼はその場に崩れ落ちていた。
物音を聞いてやって来た、流輝の顔から血の気が引いて行く。
「だっ、大丈夫ですか涼様」
流輝は慌てて駆け寄った。
「大丈夫だ」
涼は、掠れた声で返事をして、どうにか起き上がって座る。
「血が出ています。」
と流輝が、ハンカチで口元や目の辺りを拭いてくれる。その間にミラルドは部屋を出て車の鍵を手にし、ふらふらと診療所を後にした。
「あの、涼様……瑞希様の事を?」
「いや、ミラルドを本気にさせる為に挑発した。かなり、やられたけどね」
あの馬鹿、思いっきり殴りやがって。妖怪なんだから、ちょっとは手加減しろっての! 馬鹿力が……と、涼はぶつぶつ文句を言った。
「涼様のお気持ちは嬉しいのですが、ミラルド様を余り、刺激為さら無いで戴きたいのです……」
「俺は、ミラルドに前向きに生きて欲しいんだ。じゃないと本気になった女も諦めなきゃならないって事を、思い知らせたかったんだ。後悔する事になるってね……」
「心配なんだ……アイツが。この世で一番アイツの事心配している人間だから……」
いや、流輝さんの次か……。あっ、でも流輝さんウルフ族だから、やっぱ人間の中では一番だな。……いや、もしかして、爺ちゃんの次かも……と一人言を言い、涼は、一人落ち込んで行く。
「ミラルド様の事、想って下さって本当に有り難う御座います。そのお気持ちが届く事を祈ります。」
と、流輝は静かに言った。
ミラルドは、海に向かって車を走らせていた。
イライラする、涼の奴……
そう思いながらハンドルを強く握る。
でも何であんなに腹が立ったんだ……瑞希は誰のものでも無い。そんな事は分かっている。俺は彼女を幸せに出来ない。
瑞希だけじゃ無い。相手が誰であっても……
俺が、俺自身に 腹が立ったんだ……
ミラルドにしこたま殴られ顔を腫らした涼が、流輝に支えられ二階から降りて来た。
「涼さんその顔! どっ、どうしたんですか!?」
リビングの椅子に腰掛けていた瑞希が驚いた声で叫ぶ。
「えっと、ミラルドと喧嘩して、……そんなに酷いかな俺の顔」
そう言って鏡を覗き込む。
「あぁこりゃ酷いや。二枚目も台無しだなこりゃ。明日少しは良くなるかな~」
明日は仕事だってのに、参ったな~とぼやく。
「さっ、手当てを致しますので、こちらにいらして下さい」
と、流輝は涼を診察室に連れて行く。
いってぇぇぇっ。もっと優しくっ! あ゛ぁぁぁぁぁぁっ!
診療所中に涼の声が響き渡った。ミラルドが無意識にでも、妖力を使っていたならば、涼はこれぐらいの怪我では済まなかった筈だ。涼はそれに気付いているだろうか。
流輝にキズの手当てをしてもらい、あぁ痛かった。と言いながら、ソファーに座った涼の前に、紅茶が差し出される。
「有り難う、瑞希ちゃん」
「いいえ、どう致しまして。それより大丈夫ですか?」
あぁ、大丈夫と言いながら、涼は瑞希をじっと見つめる。そして瑞希ちゃんさぁ、ミラルドの事、好きなんだろ? と訊いた。
「えっ、どっ、どうしてっ、急にっ、何で、そう思うんですか?」
瑞希は、見るからにうろたえる。
「あははは。見てれば分かるよそれぐらい」
と、ニコッと笑い、いてっと口元を抑えて、いつ頃から好きなの? と訊いた。
「はい、えっと、二年位前に初めて見かけてから。一目惚れです。話すようになつてからはもっと好きに成りました。とても優しくて、でも何か、影を引きずっているようで……惹かれるんです」
「そうか……。それじゃ俺の入る隙間は少しも無いのか……」
と言って、涼はあからさまに肩を落とす。えっ、あの……その……瑞希が狼狽えた。
な~んて、冗談だよ! あははは。痛っ! と笑っている。涼は子供じみた事しかしない大人だった。
「そっか、応援してるよ。瑞希ちゃんなら何があっても大丈夫だな! 頑張れよ!」
涼は清々しく言うと、瑞希の肩をポンと叩いてリビングを出て行った。
再びリビングに戻って来た涼の手には、荷物が握られている。
「涼さん、その荷物は……」
「休みは今日までだからね。もう帰るよ」
「えっ、じゃあ、ミラルドさんとは仲直りしないまま?」
「まっ、仕方無いよ。でも、その内に仲直り出来るさ!」
と、涼は明るく答えた。
お送り致しますと、流輝は、リビングをの出口付近に掛けてある車の鍵を取ろうとしたが、所定の場所に鍵は無かった。外に目をやると、車も無かった。
「涼様。お車は、ミラルド様が乗って行かれた様なので、私の力でお送り致します」
流輝は瑞希に聞かれ無いように小声で話した。
「電車で帰るよ、と言いたい所だけど。この顔あんまり人に見られたく無いからね。助かるよ」
「じゃあ瑞希ちゃん、又会おうね。ミラルドと仲良くねっ」
とウインクする涼に、赤面した瑞希が気を付けて下さいねと、見送った。
診療所を後にし、二人は公園の茂みの方へと歩いて行く。
「この辺りで良いでしょうか」
と流輝は辺りを見回す。
「それでは、涼様のお宅まで」
流輝は両手を前にかざす。閃光が走った途端、二人は光に包まれ消えて行った。
ミラルドは、海が見下ろせる岸壁に立っていた。
止めどなく涙がこぼれた。めちゃくちゃに叫び、がむしゃらに泣いた。泣き続けた。情け無かった。
俺がただの人間ならと、何度も思った。
ミラルドは泣き疲れて、車の中で眠ってしまった。
時計は午後八時を回っている。
ミラルドさん、どこに行っちゃったんだろう。流輝さんも帰って来ないし。と、考えていると、ただいま戻りましたと、流輝が帰って来た。
流輝に、ミラルドの事を尋ねると、大学病院の方へ戻られたと、連絡が有りましたと応えた。
「夕飯を食べずに待っていて下さったのですか? 二人切りですが、頂きましょうか 」
と二人で食事を取る事にした。
翌朝。
車の中で目覚めたミラルドは、子供の姿になつていた。ふと外を見ると、心配そうに車の中を覗き込む人達がいた。
「どうしたの? 一人?」
と、訊いてくる。ラルは、車の窓を少し開けた。
「大人の人はいないのかい?」「坊やは一人か?」と、口々に聞いて来る。
「えっと、お父さんは今お散歩してるの」
「そうか、散歩か」
「ここら辺は、自殺する人が多い物だから。てっきり子供置いて、その、なぁ」
大人たちは、ごにょごにょと、言葉を濁す。
「ほら、お巡りさんまで呼んじゃって」
大人たちは、気まずそうにあらぬ方向に顔をそらした。
「心配かけてご免なさい」
ラルがそう言うと、こっちこそ、早とちりして、じゃあ、気を付けてねと、帰って行った。
「一時間経ったら見に来るから。一人で大丈夫かい?」
と、警官が聞く。
「うん一人で待ってる。お巡りさん有り難う」
と笑ってラルは答えた。
ラルは、ほっと一息吐いて、我に帰った。
「あぁ、しまった。このままじゃ帰れない」
仕方が無いので、ラルは流輝に電話をした。
「流輝? 俺、子供になってしまった。車で来てるから、帰れ無いんだ。服も、ぶかぶか……」
『分かりました。すぐに参ります』
「瑞希様、申し訳有りませんが洗濯物お願いして良ろしいですか?」
良いですよと、瑞希は快く返事をする。その言葉に流輝は甘える事にした。
「今から少し出掛けますので、午前中には帰れると思いますが、診療所はお休み致します」
そう言って流輝は手早く荷物をまとめ、足早に診療所を後にした。
電話を切ってから十分後。車の前方がぱっと明るく成り、流輝が現れた。
紙袋とバスケットを持っている。
車の外からラルに紙袋を手渡す。ラルはすぐさまその中から服を取り出しサッと着替えた。ワイシャツとジーンズ。いつものスタイルだ。
「ラル様、サンドイッチと珈琲をお持ちしました。どうぞ召し上がって下さい」
バスケットから、サンドイッチとポットを取り出し、ラルに手渡す。
「あの、涼様の事、許して上げて下さい。涼様はラル様の事を想って、あの様な事をされたのですから」
夕べの事が思い出される。分かっているさと、ラルは応えた。
「涼は……どうしてる?」
「涼様は、昨夜お帰りになられました。今日から仕事だとおっしゃってましたから…」
そうかと言ってラルは黙った。
午前の内に、流輝はラルを連れて帰って来た。
「お帰りなさいって、あれ? ラル君を迎えに行ってたんですか?」
「ええ、はいそうです」
「ラルくん、お帰りなさい。お友達のお家、楽しかった?」
瑞希はしゃがんで、ラルの目線に合わせ、満面の笑みを浮かべて訊いた。ラルの心臓に笑顔がぐさりと突き刺さる。今のラルには、瑞希の笑顔は痛みを与えるものだった。ラルはうんと言いながら愛想笑いを浮かべた。そしてニ階に駆け上がっって行った。瑞希は唖然とラルの向かった先を見つめる。
「……ラル様は、お友達と、ケンカをされたそうなのです。ですから、お気を悪くされないでください」
申し訳ありません。と流輝は頭を下げる。
「そうですか。早く仲直りできると良いですね」
瑞希の言葉に、流輝もはいと心から返事をした。
昼食は、流輝が部屋に運んでくれたので、瑞希と顔を突き合わせずに済んだが、夕飯は下でお召し上がりください。と流輝が煩いので、仕方なく、リビングで食べた。
瑞希は、涼の事どう思っているんだろう。もしも好意をもっているのなら、俺に反対する理由はないよな……涼も瑞希を気に入ってるようだし、キスするぐらいだし、俺は、祝福するべきだよな……
散々考えた末に、夕食後「涼の事、どう思う?」とラルは、瑞希に訊いてみた。驚きつつ瑞希はしばらく考える。
「う~ん。最初は、抱き締められたりして少し怖かったけど。一緒にいると面白いし、楽しいわね」
涼の事、好きに成った? と震える心を隠しながら、ラルは言葉を絞り出し訊く。そうねの瑞希の返事にラルは脱力する。
「好きに成る事は無いわね」
と続いた瑞希の言葉にラルは顔を上げた。
「だって、もう好きな人いるから」
頬を染める瑞希を見て、ラルは大きく肩を落とした。好きな人、いるんだ……と俯きラルが呟く。誰だろう……気に成る。でも……聞けない……
「でも、昨日、……キ、キス……してたでしょ?」
「えっ私が? 誰と?」
瑞希の大きな瞳が、更に大きくなる。
「昨日、ミラルドと流輝が見たって。夕方、診察を終えて帰って来たら、その、涼と、キスしてたって……」
「えぇぇぇっ!? 私まだファーストキスもして無いのに、って、確かにこの前無理矢理奪われたけど、自分の意思では無いし」
ミラルドに誤解されてるの? ショックぅと、騒いでいる。そこで瑞希は、はたと思い出した。
「あっ、もしかして目のゴミを取ってあげた時かな?」
「えっ、目のゴミ?」
「ええ、突然目が痛いって言い出して、でも何も入って無かったのよね。すぐに、もう良いからって言われたし」
「えっ」
まさか、わざと俺を怒らせる為に? でも何の為に。俺の為? 俺、力一杯殴っちゃったな……
「そう云えば、ラル君はミラルドさんが来る時には、必ずお友達の所に行くよね。どうして?」
「えっ、き、気のせいだよ」
あはははは。とラルは笑ってごまかした。
その日の夜。
「……涼、今話せるか?」
『ミラルドか、今家にいる。話せるよ』
「昨日は、悪かったな。力一杯殴って……」
『あぁ、 気にして無いよ。殴られる様な事言ったのは、俺だからな』
「何であんな事言った?」
『そりゃあ、お前の事が好きだから』
「冗談言うなよ」
『冗談じゃ無いさ。俺が女なら結婚したいって思っているのに』
「え゛っ、気持ち悪い」
『誤解すんな、俺にもそっちの気は無いし。でもお前が大事なんだ。友人として』
「……俺は、お前と瑞希がキスしたのかと思って……」
『確かに瑞希ちゃんは可愛いけど、お前には悪いが趣味じゃ無い』
何だと? とラルは怒る。
『趣味であった方が良いのか?』
「いっ、いや~、それは困る様な困らないような」
『どっちだよ! まっ、瑞希ちゃんには手を出さ無いさ、安心しろ。……俺にあの娘はきれい過ぎる』
「どう云う意味だ?」
電話越しにラルは首を傾げた。
『まっ、どうでも良いじゃ無いか。今のは忘れてくれ』
「ああ、まあいいけど。今から行って良いか?」
『良いけど?』
「じゃ待ってろ。すぐに行く」
五分後。ラルと流輝が現れた。
「どうした?」
涼の問い掛けに、無言で近付いて行き、ラルはキズの手当てを始めた。
見る見る内に、キズが消えて行く。痛みも嘘の様に無くなった。
「この為に来てくれたのか?」
「ああ、済まなかったな涼。じゃあ又な」
と言って、ラルたちは帰って行った。引き止める暇も無かった。
律儀な奴だな。ミラルドの奴、自分を責めてばかりだ。
今回俺がやった事は、あいつの為に成ったのか? ただ傷付けただけかも知れない。
どうすれば、あいつの力に成れるんだ。
……どうすれば……
でも、この傷。完璧に治ってしまったら、それはそれで困るような。
今日、傷だらけだった顔や手足。明日には、つるんって治ってたら、何か言われるよな、やっぱり。う~ん、どうしよう……
次の日。
涼は、無傷の顔や手足にバンソウコを貼り、職場に向かった。
病院では、すれ違う医師や看護師に、大分良く成りましたね。と声を掛けられる。その度に立ち止まって「俺って治りが早いみたいで」と、愛想笑いをするはめに成った。
昨日も大変だった。
涼の腫れた顔を見た全員が、声を掛けて来た。挙句の果てに患者さんにまで心配されてしまった…。
あはははは……遠い目をしている涼を、同僚の声が現実に引き戻した。
「今日、パーティーに行くだろ?」
「パーティー?」
涼は、なんだっけ? と首を傾げる。
「何だ忘れたのかい? 今日は医師会のパーティーじゃないか。ニューシティホテルで十九時から」
「あぁ、そうだった、忘れてた」
以前、ミラルドを誘ったけど行かないって即答されたのだった。
俺も行きたくは 無かったけど。付き合いってもんがあるからな……
「行くよ七時からだね。分かった」
「今日も来るかもよ、薔薇の君……」
同僚の顔が紅潮している。
「あぁ、噂の薔薇の君ね」
ちらっとだけ、見た事がある。
パーティーの度に現れる。顔もスタイルも抜群で、男達を虜にして放さない。 文字通り骨抜きにされて、そして棄てられるらしい。と云う噂。
あくまで“噂”なのは、骨抜きにされた男は皆、次の医師会からは、絶対に参加しないから、噂だけが一人歩きする。
噂によると、財産も何もかも食い尽くされ、夜逃げしたらしいとか、破産したらしいとか。何とも破滅的な話しばかり。
それでも彼女の美貌で迫られたら、男達は二つ返事でのこのこと付いて行ってしまうのだ。
たかが女一人の為に身を滅ぼすなんて馬鹿げていると思う。
夜。パーティー会場。
入り口の辺りがざわ付いている。
薔薇の君の登場だ。
男達が、その回りを取り囲む。
今夜は、涼の同僚に白羽の矢が立った。
涼は、チッと舌打ちをし、二人に近付いて行く。
「ちょっと良いかな」
なあにと、薔薇の君が振り向く。
「あら……どなたかしら……」
「あぁ、自己紹介がまだでしたね。私は大学病院に勤務する中西涼と言います。……君は?」
赤い艶っぽい唇が動き「私? 私は、美咲と言うのよ」と妖艶に微笑んだ。
美咲の興味は、同僚の三角から涼へと移ったようだ。
二人の間に三角が割り込む。
「おい、涼。彼女は俺を御指名なんだ邪魔するな!」
三角は相当怒ってるようだ。涼は三角を壁際に引っ張って行く。
「お前、あの女の噂は知っているだろ。俺はお前が被害に遭わない様に……」
「違う!お前は彼女を自分の物にしたいから、俺の邪魔をしてるんだ!」
三角は涼の言葉を遮り、そう言い放つ。まるで鬼の形相だ。
「俺の事はほっといてくれ。」
と言って、三角は涼の腕を振り解いて美咲の元へ行ってしまった。
二人は会場を後にする。
出て行く直前に美咲は涼を振り返り、艶やかに微笑んで、出て行ってしまった。
「……三角……」
目のゴミを取る行為がキスしてる様に見えると言うのは、かなり ベタですね…。