過去へ 1
「まあ瑞希さん。お着物姿、素敵ですわ。……銀牙さんにお聞きしました。……大変な事になりましたわね。……大丈夫ですか?」
葵にそう訊かれ、瑞希の目尻が情けなく下がり葵の名を呼び抱きついた。葵は瑞希の背中を優しく撫でながら「大丈夫ですわ」と繰り返す。
「そろそろ行きましょうか」
と冴子に言われ、皆の顔が引き締まった。荷物は、銀牙と葵が持ってくれた。
ぞろぞろ連れだって公園の遊歩道を歩く。
着物姿に運動靴といういでたちの為か、すれ違う人には奇妙な視線を向けられた。瑞希は羞恥に耐えながら、どうにか診療所に着いた。
「準備は整いましたか?」と出迎えた流輝の問いに、瑞希は、はいと応える。流輝は瑞希の姿をまじマジと見つめ、はっと息を呑んだ。
そうだったのか。と、流輝は全てを理解した。
この先、瑞希がどんな人生を歩むのかも、その行く末も。そしてこれから先冴子に悲しい嘘をつき続けなければならないことも。
まじまじと見つめる流輝の視線がいた堪れず、瑞希は頬を染めて俯いた。
「あの、着物姿、七五三以来なので、……変ですか?」
瑞希は藤色の淡い赤紫の着物を身に着けていた。
「いいえ、お似合いですよ」
流輝は我に返り微笑んだ。
瑞希様がこちらに残ったとしても、徐々に身体は弱って行くだろう。それならば過去に行って、ミラルド様と一緒に……
「瑞希様、写真は持たれましたか?」
「はい。過去の流輝さんたちに、今の世界を見てもらおうと思って」
驚くかなと瑞希は楽しそうに笑う。ぜひ見せてあげてくださいと流輝も微笑んだ。
「瑞希様、ミラルド様に会って行かれてください」
流輝に促され、瑞希は一人でミラルドの部屋に向かった。
ドアを開け部屋に入ると、ベッドの中が黄金色に光っている。ミラルドはあの日紋章の光に包まれて深い眠りについたままだった。
「ミラルドさん」
瑞希の弱々しい呼びかけは、その耳に届いているのか。ミラルドはピクリとも動かない。
「私、過去に行って来るね。過去のミラルドさんや流輝さんに会って来る。身体を治して、樹液持って帰って来るね。待っててね。生きて、待っててね」
瑞希の頬を涙が伝う。瑞希はミラルドに顔を寄せて口付けを落とした。
「必ず、帰って来るから……」
そう言って、瑞希は部屋を後にした。
そんなやり取りをねっとりと見つめる影があった。
樹海から涼たちの後を着けて来た黒いもやは、ずっとウルフ族当主の動向を見つめていた。
……ミラルド……
……モンショウ……
……ウルフゾク……
……ホロボス……
……カギトナルモノ……
……ホロボス……
……ホロボス……
黒いもやは、その言葉に突き動かされる。
もやは、何度もミラルドに取り付こうとしたが、紋章の光に阻まれ近づく事すらできなかった。
もやは、瑞希の後を追った。
「挨拶は済みましたか?」
リビングに入って来た瑞希に、流輝が優しく声を掛ける。瑞希は小さく頷いた。
「向こうに着きましたらミラルド様か、私や護衛隊をお探しください。凶族には気をつけてくださいね。一刻も早く樹液を飲んで身体を治してください。……それがミラルド様の願いですから」
流輝は最後の言葉に想いを込めた。
「はい。分かりました」
「身体が良くなったら、私に未来に帰してもらえば大丈夫ですよ」
不安そうな瑞希を安心させるように流輝は微笑んだ。
「気をつけて行ってらっしゃい!!」と冴子が元気に送り出す。行ってきますと言う瑞希の目尻に涙が溜まる。
「気をつけてくださいね」
「過去の俺にもよろしくな」
葵も銀牙も、できるだけ明るい声を出した。
その言葉に瑞希も頷いた。
「流輝さん、葵ちゃん、銀牙君。お母さんとミラルドさんの事、宜しくお願いします」
瑞希は深々と頭を下げた。
「お任せください」
流輝の言葉に葵と銀牙も頷く。
「では、五百年前に転送致します。瑞希様こちらへ」
荷物を持った瑞希が流輝の前に移動する。
「じゃあ、行ってきます」
瑞希はその顔に精いっぱいの笑顔を浮かべた。
「では、いきますよ」
と流輝は、両手を瑞希にかざす。
瑞希の身体が眩しい光に包まれていく。ふよふよと漂っていた黒いもやも光の膜に包まれて行った。そして瑞希と一緒に消えてしまった。
目の前で、娘が煙のように消えてしまった。
「瑞希……」
冴子は口元を手で覆い、静かに涙を流した。
もう二度と会えないかも知れない。そんな思いが頭をよぎる。
倒れそうになる冴子の身体を流輝が優しく支えた。
「大丈夫ですよ。きっと元気になって帰っていらっしゃいます。……待ちましょう……」
流輝の言葉にすがるように、冴子は深く頷いた。