異変 2
「どう言う事?」
二人のやり取りを見ていた冴子が口を挟む。
「どうなっているのか、ちゃんと説明してちょうだい!!」
成り行きが全く読めない冴子は、ヒステリックな声を出した。
「冴子さん。俺も信じ難いのですが、マーキングの拒絶反応が起こっていると思われます」
血が上っていた冴子は、それを聞いて急速に頭が冷えていく。
「よく分からないけど、ミラルド君なら治せるんでしょう?」
マーキングの拒絶反応と言われ、冴子は不安を憶えてそうミラルドに確認する。ミラルドはぐっと奥歯を噛み締めた。
「……そう、です、ね。……でも、完全には無理かも知れない……」
ミラルドの言葉を聞いて、冴子の顔に絶望の色が浮かんだ。
「でも、一つだけ方法があります。流輝に瑞希を五百年前に飛ばしてもらうのです。そこで総樹様の木から溢れ出る薬を頂けば治るはずです」
冴子は「五百年前に……」と呆然と呟く。
「大丈夫ですよ。五百年前の流輝に、こちらに時空間移動してもらえば、帰って来られますよ。安心してください」
ミラルドは、冴子を安心させるように、何でもない事のように笑顔を浮かべてそう言った。
「そう。でも、一人じゃ心配ね。ミラルド君、一緒に行ってもらえないかしら」
冴子にそう言われ、ミラルドは拳を握り締めた。
「俺もそうしたいのは山々なんですが、流輝も、人一人を送るだけで精一杯だと思います」
冴子は納得が行かず、流輝に助けを求めるが「残念ながらミラルド様の仰る通りです」と言われた。
「それよりもミラルド様、治療、なさるのですか……命と引き換えに……」
流輝は苦し気に、言葉を絞り出す。
「ちょっと待って、それどう言う事?」
命と引き換えとはどういう事か、なじみのない物騒な言葉に、冴子は会話にブレーキを掛ける。
ウルフ族のマーキングの拒絶反応を起こした場合、当主は治す事が出来るが、自分のマーキングは命と引き換えにしか治療できないとミラルドは冴子にも分かるように説明した。
「瑞希は適合者だった筈なのに、なぜ拒絶反応が現れたのか……でも、こんな瑞希はほっとけない。すぐに治療を開始します」
「ミラルド様!」
「ミラルド君!」
命と引き換えと言う事は一人が助かっても一人は命を失うと言う事だ。
「他に方法は無いの?」
冴子は、二人共助かる方法はないのかと、すがるように尋ねる。
「ありません。……二人共、そんな顔しないでください。俺は、もう十分過ぎるくらい生きましたから」
とミラルドは笑って見せた。
「流輝、銀牙を連れて来てくれ」
静かな主の言葉に、流輝は「分かりました」と応え、すぐに姿を消して銀牙を連れて戻って来た。
銀牙は何も知らされず連れて来られたらしく「よっ、ミラルド」と左手を上げて、にこやかに挨拶をした。
「どうしたんだよミラルド。暗い顔して。皆も。まるでお通夜みたいだな」
と、銀牙は冗談めかして言いながら、ベッドに寝かされた瑞希を見た。
「瑞希! どうしたんだよ!」
驚いてベッドに駆け寄る銀牙に「マーキングの拒絶反応だ」とミラルドは説明する。
「は? 何で今頃になって……だってずっと平気だったじゃないか! ……まさか、ミラルド……処置するのか」
そのつもりだとミラルドは決意した顔で応える。
以前、狂犬病騒ぎの時に訊いた事があった。
自分のマーキングで拒絶反応が出た場合は躊躇なく助けると言ったミラルドの顔は、とても穏やかで優しかった。
ミラルドの覚悟を知り、銀牙は奥歯を噛み締め、拳を固く握り込んだ。
「銀牙、これをお前に」
そう言いながら、ミラルドは首から紋章を外し、銀牙の首に掛けた。
「紋章? 何で俺に……」
「そうか、銀牙は知らないんだったな」
ミラルドはそう言って、説明を始めた。
ウルフ族の紋章を持つ当主が死んだ場合、ウルフ族の全ての者が消滅してしまう事。
紋章が破壊されても同じ事が起こる事。
「だからこれからは、お前が皆を守ってくれ。銀牙・クラウド、今からお前がウルフ族当主だ」
そうミラルドが宣言すると、紋章が微かに光った気がした。
お前のような息子が居て良かったよとミラルドは穏やかに微笑んだ。
銀牙は泣きそうな顔をして頷く事しか出来なかった。
瑞希は夢を見ていた。
――――瑞希――――瑞希―――――
まばゆい光の中でミラルドが微笑を浮かべて瑞希の名を呼んでいる。
――――ミラルドさん、なぁに?――――
返事をしたいのに、声が出ない。身体も、何かに縛られているように、ピクリとも動かなかった。
――――俺が消えたとしても、ずっと傍で見守っているから、悲しまないで――――
――――瑞希、愛しているよ――――
何? 何の事? 私たちはこれからも、ずっと一緒でしょ?
ミラルドはゆっくりと向き直り、光の中へ歩いて行く。
どこに行くの? 待って。行かないで「……ミラルド……」ミラルド待って。待って。私の身体、動け! 動け!
――――動けーーーーっ!――――
「ミラルド!!」
瑞希は目を開くと同時に、跳ね起きて左手を伸ばした。
「あ……あれ?」
瑞希は首を傾げる。
何やってんだろ私……
「瑞希……大丈夫?」
付き添っていた冴子は、瑞希の行動に驚きながらも、冷静に突っ込んだ。
「あははは。大丈夫、大丈夫。ところで、ここは……診療所? 私、どうかしたの?」
そう瑞希に訊かれ、冴子は瞳を泳がせた。
「……流輝さんが説明してくれるから……」
そう言って、冴子は俯いた。