裏切り (2)
狂犬病患者が運ばれて来るのは一日置きなので、ミラルドは一度診療所に戻って休む事にした。
「済まないな流輝」
「いいえ、お疲れでしょう。ごゆっくりされて下さい」
「有難う」
ミラルドが診療所に戻ると護衛隊の者達が待っていた。
「皆パトロールご苦労様。ゆっくり休んでくれ」
「しかしミラルド様、ここでパトロールを辞めてしまって良かったのですか?」
隼人は納得が行かない様子でミラルドに問う。
「邪気や黒樹が相手だとすると、俺達がパトロールをしてもその裏をかかれると思うんだ。又皆が襲われたら命の危険があるだろう。それに皆には体力を回復して貰って、もしもの時に備えて欲しい」
「解りました。ミラルド様がそうおっしゃるのなら」
護衛隊の面々は渋々納得し帰って行った。
ミラルドは流輝に入浴を促され地下に降りて行く。スポンジにボディーソープを数回プッシュし、クシュクシュと泡を立てる。頭の中は絶えず活動しているが、体は習慣通り順番に洗われ泡だらけになった。シャワーで丁寧に泡を落とし湯船に身を沈める。はぁーと息を吐き肩まで浸かった。
今だけは何も考えずにいよう。何の為にここに居るのか解らなく成る。バスタブに頭を預け目を閉じる。少し熱めの湯が身体の強張りを溶きほぐしてゆく。こんなにゆっくりした時間を過ごすのは、久しぶりだな……
風呂から上がりリビングに入ると美味しそうな食事が用意されていた。
「やっぱり家は落ち着くな。久しぶりにのんびり出来たよ」
「さようで御座いますか? それは何よりです。さあ紅茶をどうぞ」
夕食の後そう言うミラルドの手にカップを手渡した。
「大学病院の方へ戻られるので御座いますか?」
「いや、今夜はこっちに泊まるよ。患者さんが来るのは多分明日だろうから。あー久しぶりの自分のベッドか……ぐっすり眠れそうだな」
「そうで御座いますね。休める時に休んで頂かなくては、いつ凶族の者が襲って来るかも知れませんし。……私がもっとお役に立てると宜しいのですが……余り力に成れずに申し訳なく思っております」
流輝は、肩を落とし眉尻を下げ情けない顔をする。
「何言ってるんだよ流輝。いつも助けて貰って有難いと思ってるよ。俺が今まで生きて来られたのはお前のお陰だろ?……いつも有り難うな」
突然のミラルドの言葉に流輝は大きく目を見開き一筋の涙が零れ落ちた。
流輝? と名を呼ばれはっと我に返る。流輝はポケットからハンカチを素早く取り出し顔を拭い。あっ、有り難うございます。と深々と頭を下げたのだった。
私はどうすれば良いの……私は……。美咲は樹海をさ迷っていた。
『ふふふふ……何を迷う事がある。お前の大事な者は誰だ』
森の中に声が轟く。美咲は身体を震わせ身を強張らせた。
「勿論……涼に決まっている……」
美咲はか細い声でそう応えた。
『それならば答えは一つだろう。助ける為に何をすべきか』
「……でもっ……」
美咲は苦し気に顔をしかめる。
『今日中に奪うのだ。それが出来なければ。解っているな』
「……うっ……」
美咲は顔を覆った。「これを見よ」と黒樹は両手を前に翳す。すると、うっすらと森の中に映像が映し出された。ロープで縛られた涼が樹に吊るされウルフ族らしき者たちにいたぶられている。
「涼!!」
森の中に美咲の声が響くが、その声は彼等には届いていないらしく、目を閉じ傷だらけの身体の至るところから血が滴り落ちている。
「涼!!」
美咲はもう一度名前を呼んだ。気を失っているのかも知れない。美咲は涼の元に駆け寄る。攻撃を加える者たちに向かって行くが全てがその身体をすり抜けて行く。美咲は唇を噛み締めた。涼の身体を抱き締めようとするがそれも叶わなかった。
涼……涼……
それは黒樹が作り出したまやかしだった。
『さあ紋章を奪って来るのだ』
その言葉で美咲は暗示にでも掛かったようによろよろと立ち上がり診療所に向けて歩き出した。
ふふふふ我の掌で躍るが良い。黒樹は口角を釣り上げわらった。