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《 番外編 》 高科(たかしな)の事情









 九歳の冬の、夜だった。


 雪が降っていた。




 ハァ、ハァ、ハァ「痛っ…」ハァ、ハァ、ハァ


 素足の指には、血が滲んでいた。


 …ここで立ち止まる訳には、いかない…







《》《》《》



 シーツを裂く。端と端を結び長いロープ状にした。


 アイツ等は食事をとっている。今しかチャンスは無い。


 二階の納戸。小さな窓が一つ在るだけ。気に入らない事があると、閉じ込められる場所。


 物音を立てない様に机を窓の下に移動させる。その上にそっと椅子を置いた。


 シーツを結び付ける場所が無いので、伸縮性の物干し竿の中央に縛り付ける。


 竿を手に机によじ登り、その上に積んだ椅子の上立った。窓枠に竿を引っ掛けてその向こう側へシーツをゆっくりと垂らしていく。


 窓から下を覗いて見ると、地面までは届いていない様だった。それでも構わなかった。ここから抜け出せるのなら落ちて死んでも良い。


 意を決し片足づつ外に出す。冷たい風が身体を包む。ぶるっと震えたが止めるつもりは無い。


 両手でしっかりとシーツを掴む。窓枠にステンレス製の竿が当たり、ガシャッと小さな音を立てた。


 ヒヤッとする。


 気付かれ無かったか…?汗が滲んだ。



 よし、行こう。


 覚悟を決めてシーツに全体重を預け、ゆっくりと下へ降りて行った。


 余り栄養のある食事を与えられていないので、両腕に力が入らない。でも何故かシーツを掴んだ手は、強く強く握り締められていた。


 シーツの一番端まで降りてきた。地面まではまだ、2メートル近くある。


 思い切って飛び降りた。ドサッと背中から落ちて呻き声があがる。


 二階で、ガシャガシャッとけたたましい音がした。窓枠に引っ掛けた物干し竿が、重りを失った勢いで落下したのだろう。


 奴等は二階に駆けつけている頃だ。身体のあちこちが痛むが走らなければ見つかってしまう。


 逃げなきゃ‥逃げなきゃ…走らなきゃ…。連れ戻されたらもう二度と外には出られ無いだろう。



 雪のちらつく中、砂利道を走る。尖った小石が白く軟らかい肌に食い込んでくる。痛くても構わない。これくらいの痛み何でも無い。


 枯れ草のあぜ道を走る。短い草が足の裏に突き立つ。それでも足を動かし続けた。



 漸く舗装された道路に出た。


 はぁ‥はぁ‥はぁ‥まだ…まだだ、遠くへ…もっと遠くへ…


 吸う空気は冷たく尖っている。口の中も喉も肺も、細い無数の氷の針が突き刺さった様に痛かった。


 吐く息は白く、なんだか目まで霞んできた。



 どれくらい経ったのだろう。やっと大きな道路に出た。


 これからどうする?警察はダメだ、奴等の元に連れ戻される。はぁ‥はぁ‥はぁ…。考えろ。考えろ。どこへ行けば助かる?どこへ行けば自由になれる…


 ガクリと膝がおれた。アスファルトに這いつくばる。冷えきった身体の上に冷たい雪が降りてくる。行き交う車はどれも気付いてはくれない。


 はぁ‥はぁ‥はぁ…


 自分を叱咤しながらおれた膝に力を入れ、ヨロヨロと立ち上がった。そして又、走り出した。


 足はもう、折れそうで、走っているつもりが歩くよりもずっと遅くて…、でも足を止める訳にはいかない。重い足を引きずる。



 どこへ行けば…どこへ行けば……


 足がもつれ再び倒れた。思い切り顔面を擦りむいた。痛さなのか、冷たさなのか、分からなかった。



 もう……駄目だ……


 このまま死んでしまうのか……


 ははっ‥それでも良いや、あの生活が続く位なら…もう…どうなっても良い。足は、もう動いてはくれない…


 …もう…どうなっても…


 意識が薄れる中、黒い車が見えた。


 …あぁ…見つかってしまった…ダメだったか…。ふっと笑った‥





 黒い車が一旦は通り過ぎたが、バックして静かに停車した。男が降りて来て、倒れていた少年を抱き抱え車に乗り込み走り去った。










 太陽の光りが眩しくて、目を開けた。


「…ん…」


 ここは…どこだ…


 上体を起こし部屋中を見回す。凄くだだっ広い部屋に高級そうなソファーとテーブル。キングサイズのベッド。その中で目覚めた。


 身体に重さを感じない程の軽さの掛布団。雲の上に居る様に、フワフワしている。


 あ~何て気持良いんだ。こんな布団は初めてだ…。



「お目覚めに成られましたね。お飲み物はいかがですか?」


 と女の人に声を掛けられた。


「!!」


 …人が居たんだ…気付か無かった…


 その人は扉の前に立っていた。


「ご主人様が参ります。暫くお待ち下さい」


 そう言いながら、水の入ったグラスを差し出した。



「ありがとう」


 素直に受け取り、一気に飲んだ。凄く美味しかった。



 カチャッ、



 その人は静かに入って来た。紺色のスラックスと白いワイシャツ姿。背は余り高くなく銀縁のメガネを掛けた男性だった。


「目覚めたね。気分はどうだい?」


 男はにこやかに話し掛ける。


「…はい、良いです。」


「あの‥助けてくれて、有り難うございます」



 男はコクリと一つ頷き話す。


「驚いたよ、この寒空の中道端に倒れてるんだから。裸足だし、血は出てるし、薄着だったしね…。家に帰る前に病院に寄ったんだよ。…虐待されていたのか?」


「…警察に…言うんですか?」


 少年は俯いている。



「…このままって訳には行かないからね…」


「嫌です。警察は止めて下さい! あそこには戻りたく無い!」


 少年の大きく見開いた目から涙がポロポロと零れ落ちる。その姿にメイド達も涙ぐんだ。


 男は堪らずにその身体をを抱き寄せる。少年は何が起きたのか分からなかった。狼狽えたが居心地の良い感覚だった。


 …人の身体ってこんなに暖かいんだ…


 初めて抱き締められた感想だった。



「自己紹介が未だだったね。私は、たちばな重三じゅうぞうと言います。君の名前は?」


「………」


 名前を言ったら、連れ戻される。少年は首を横に振る。



「大丈夫だよ、警察には言わない。君が嫌がる事はしない。約束するよ」


 それでも少年は首を横に振った。



「…そうか…」


「お腹すいただろ? 食事を用意させたから食べると良い」


 扉が開き、メイドがワゴンを押して来る。サンドイッチ、お寿司、スパゲッティ、餃子、フルーツ、ケーキなど、和洋折衷、色々な物が沢山並んでいる。一人分の量では無い。


 その量に驚いて見入っていると


「好みが解らなかったから、色々作らせたんだ。やっぱり多すぎたね」


 アハハハッと笑っている。


「私も未だだから、一緒に食べようか」


 と言って、取り皿と箸を渡された。


 ベッドから降りようとした少年に


「あぁ、そのままで良い。足を怪我しているんだから無理するな」


 と言った。



 あぁそうだった。身体も全身痛いんだった。でもそれは、日常茶飯事だったから、どおって事は無い。


 僕はベッドから足を投げ出して座った。包帯が巻いてある。手当てしてくれたのか…。病院に寄ったって言ってたな…。あれ? この服、僕にピッタリだ…


 身体を見下ろしていると



「あぁそれ、家の者に買いに行かせたんだ。ピッタリだね。良かった。何も無いから色々買わなきゃな。服とか靴とか、靴下、下着も買い足さなきゃいけないし、筆記用具とか、本とか」


 忙しくなるなと笑っている。



「えっ、どうして筆記用具?」


「だって、暫くはここに居るだろ?何か無いと退屈じゃ無いか。欲しい物が有ったら何でも言ってくれ。出来る限り揃えるよ」


 と笑って言ってくれた。



「………」


 涙が後から後から流れてくる。


「どうした? まだどこか痛むのか? 医者呼ぼうか?」


 少年は首を横に振る。


「…ありが…とう…」


 今まで、こんなに優しくして貰った事は無い。少年は嬉しかったのだ。



 重三は少年の頭をポンポンと叩く。


「さあ、いっぱい食べて元気にならなきゃな」


「…はい…」


 二人は食事を始めた。




 食事を終え暫くすると医師が応診に来てくれた。


「大きく息を吸って、吐いて」


「口を大きく開けて」


「はい、良いよ」



 身体には、古い物から新しい物までいたる処にあざがあった。医師は、痛々しさに顔をしかめる。



「痛かっただろう。もう大丈夫だよ、橘さんに任せれば悪いようにはしないさ。信頼して良い人だよ」


 その痣に触れながら、医師は言った。



 その言葉に、まだ頷く事は出来なかった。





 重三と言う人は、会社を休み僕と一緒に居てくれた。




「風呂、どうする? 一緒に入るか? あーでも、その足がな…」


「良いです。一人で入れます」


「そう言うな。…よし、良い事考えた」


 そう言うと、ガバッと布団をはいで僕の身体を抱き上げる。


「わあっ、ちょっと…、何するんですか!!」


 お姫様抱っこされている。




「足、痛いだろ? 連れて行ってやる」


「嫌だっ、下ろして下さいっ」


 バタバタ暴れ出した。



「分かった。…分かったから…」


 重三はそっと床の上に立たせた。少し痛みは走ったが、大丈夫、歩ける。



 だか、一歩踏み出し「うっ…」とうずくまってしまった。



「ほら、痛むだろ?」


 と言って又、抱き上げられた。今度は大人しく運ばれる事にした。


 脱衣場のベンチに座ったまま服を脱ぐ。腰にタオルを一枚まいた重三が、抱き上げて運んでくれた。足には濡れない様にビニールが巻いてある。



 イスに座らせられる。目の前に鏡がある。


 痩せて肋骨が浮き出た身体、赤や薄紫の痣が痛々しい。自分の姿に目をそむけた。


 重三には身体を見られたく無かった。




「洗ってやるよ」


 スポンジにボディーソープをプッシュし、優しく洗っていく。



「身体の痣はいつか消える。この痩せた身体も、いっぱい食べてトレーニングすれば、大丈夫、たくましく成れるさ。心配要らない。」


 身体を洗いながら重三が言った。頭も洗ってくれた。




「気持ち良いか? 王子」


「はっ? えっ、…王子?」


「だって、お前。名前教えてくれないからさ、皆の中では王子って呼んでる」


「…………」


「もうそろそろ名前教えてくれよ。じゃ無かったら何と呼んで欲しいか言ってくれ」



「…………ゆういち」


「そうか! ゆういちか! よし!」


 そう言って、頭からシャワーを掛けた。そして、抱き上げ浴槽に浸かった。



「こうやって足出しとけば濡れないだろ? …まるで息子みたいだな」


 ハハハッ



「……子ども…居るの? 結婚は?」


「結婚はしている。子どもはまだ居ない。昨日は、妊娠したって連絡が入ったんだ。帰宅途中だった…」


「………そう………」



「俺にしてみれば、一辺に子どもが二人出来た様なものだな」


「えっ?」


 訳の分からない祐一は、重三を見上げる。


「俺の子どもにならないか?」


 祐一は凄く驚いた。まだ会って一日しか経っていないのに…


 そう言ってみると


「一日じゃ無い。祐一は丸二日眠っていたんだぞ」


「えっ、そんなに?」


「疲れてたんだろ?」


「…そうかも…」


「相性ってあるだろ? 一目見て、コイツとは合いそうとか、友達になれそうとか、まあそんな感じかな。つまり、祐一を気に入ったって事さ」


「…有り難うございます。…考えさせて下さい」


「うん、分かった。良い返事待ってるよ」


 と言って、湯船から上がった。


 身体を拭いて用意された新しい下着とパジャマを着る。又、重三がベッドまで運んでくれた。


 恥ずかしかったけど、あんなに楽しいお風呂は始めてだった。


 家ではお風呂に入って良いのは一週間に二回程度で、学校では臭いと苛められていた。学校へ行かせて貰えるのもたまに…だったけど…。


 ベッドの中で考えていると重三が入って来た。



「俺もここで一緒に寝ようかな」


 と枕を抱いている。祐一はその姿にプッと噴き出す。



「何だよ」


「だって枕なんて抱いて…、子どもみたいなんだもん」


 祐一は笑っている。


「俺、これが無いと眠れないんだよ!良いだろ!」


 そのむくれた顔が子どもみたいで可笑しくて又、笑ってしまった。


 重三は強引にベッドに入って来る。



「寂しく無い様に、暫く一緒に眠てやるよ」


「僕もう子どもじゃ無いよ。一人で大丈夫」


「何言ってる! まだまだ子どもだよ。意地を張るな。甘えて良いんだぞ」


 と言って又、抱き締めてくれた。


 あぁ、暖かい…。


 世間の子どもはこうして親に愛情を貰うのかと、妙に納得してしまった。



「あの‥さ…」


 祐一は躊躇いながら声を掛ける。


「何だ?」


「お風呂で言ってくれた事、奥さんも知ってるの?」


「あぁ知ってるさ。是非ともそうしたいって言ってたぞ。‥今妻は悪阻つわりが酷くて休んでいるんだよ」


「そんな‥、大変じゃ無いか! 側に居てあげて下さい。僕何かの側じゃ無くて」


「何言ってる。妻も大事だが祐一も大事だ。妻も側に居てやれって! …子ども好きだしな」


 と祐一の頭を撫でる。



 虐待されていた少年だと聞いて涙を流して、心のケアが大事だから出来る限り側に居てあげてと言われたのだった。





 何日か経って、弁護士がやって来た。



「こんにちは。初めまして。増田と言います」


 白髪混じりの髪を後ろに撫で付け、黒渕メガネの年配のおじさんが人の良い笑みを作り、そう言った。



「こんにちは」


 祐一も挨拶をする。重三は祐一の隣に座っている。何だか、いつもより堅い表情をしているように祐一には見えた。



「今日は、大事な話しをしに来ました。よく聞いて下さいね」


「はい」


 祐一も神妙な顔に成った。



「早速だけど、祐一君は両親の元に帰りたいですか? そこへ行かなければ、児童養護施設に行く事に成ります。どちらが良いですか?」


 そう聞かれ、そっと重三の横顔を見る。真っ直ぐに向いたまま表情を変えない。


 自分で決めろって事か…。


 暫く沈黙が続く。



「今日、応えを出さなくても良いのですよ。将来を決める事ですからね。十分に考えて下さい」


「いいえ、気持ちはもう決まっています。両親の元には帰りません。施設にも行きません。出来る事なら、重三さんの所てお世話に成りたいです」


 真っ直ぐな眼で、祐一は応えた。


 それを聞いて、漸く重三は顔を綻ばせる。


「祐一! 本当か? 家の子に成ってくれるのか! やった~」


 重三さんは喜んでくれているけど…


 両手の拳を握り締める。


 僕はここの子どもには成れない。きっと両親がゆすりに来る。この家族に寄生して生きて行くに違いない。迷惑は…掛けられない。



「僕は養子には成りません。そこまで望んではいません。僕はもう沢山の物を貰いました。…それだけで十分です」


 祐一はきっぱりと言った。それを聞いた重三はがっくりと肩を落としていたが、そう思ってくれるだけで祐一は幸せだった。




 だが祐一の心配は的中した。手続きの途中で、引き取り手が橘グループと知った祐一の両親は、早速息子を金で買い取れと言って来たのだった。



「全く、子どもを何だと思っているんだ!」


 重三は腹立たしかった。子どもを授かると言う事は奇跡だと言うのに…。何年も子宝に恵まれ無かった重三は、子どもを虐待する親が憎たらしかった。命をもっと大切にしろ! と言いたかった。



「幾ら必要だと言っている?」


「二千万だそうです」


 くそ親が…


「分かったと伝えてください、口座に振り込むからと。手続きをお願い出来ますか? もう二度と祐一と関わらない様に一筆書かせて貰えるかな」


「解りました。ではその様に書面を作成します。後はお任せ下さい」


「宜しくお願いします」


 と重三は頭を下げた。大切な子どもの為だきちんとしておかなければ。








 手続きが終わり、祐一は学校へ通う事に成った。新しい制服、新しい鞄、新しい文房具、真新しい物に囲まれて登校した。


 でも、学校へは余り通わせて貰えなかった祐一は勉強について行けなくて、お坊ちゃま学校の為友達も出来ず独り孤立していた。


 前の学校の様に苛められる事は無かったが、明らかに毛色の違う祐一は相手にもされていない様だった。



 空気


 そんな感じ。存在しない。透明な感じ…






「祐一、学校はどうだ?」


「はい…楽しいです」


 祐一は作り笑いをする。心配を掛けてはいけないと思ったから。



 重三は「そうか」と言い


「今日から家庭教師に来て貰おうと思う」


 と続けた。


「えっ?…いいえ、そんな事までして貰わなくても良いです」


 一呼吸置いて祐一は答えた。


「…お前さ…。余り学校行って無かったんだろ? 家庭教師でも習い事でも、やりたい事は何でもやって良いんだぞ。遠慮なんかするな。祐一は俺の息子なんだから」


 祐一は俯いた。涙が零れそうに成って、慌てて上を向いた。


「…ありがとう…ございます」


 震える声でそう答えた。


 祐一はその言葉が凄く嬉しかった。それだけで十分だった。




 重三の期待に応える為に、祐一は何でも出来る様に成りたいと思った。元々頭の良かった祐一は、何にでも興味を持ち、どんどん吸収していった。一年で学年トップにまで登り詰め、そのままずっと大学を卒業するまで首席をキープした。





 祐一が助けられた日から七ヶ月後、重三夫妻に女の子が産まれた。



 重三は祐一を連れ病院に向かった。ベビーベッドの中の赤ちゃんはギュッと目を閉じ、両手の拳を握りしめ、身体全体で泣いていた。



「これが‥新しい‥命…」


 初めて見る赤ちゃんは、細くて、小さくて、しわしわで…、強く抱いたら壊れてしまいそうだった。


「祐一さん、葵よ。宜しくね」


「…あおい…」


「抱いてみて」


 智実はニコッと笑った。


「えっ!! いや‥だっ、ダメだよ。そんな…、おっ‥落としそう…」


 後退る祐一に無理矢理葵を抱き渡す。思ったよりも軽くてふにゃふにゃした赤ちゃんが、腕の中に収まっている。どこに力を入れても壊れてしまいそうで、祐一は狼狽えた。



「わっ…わっ…早く、取って‥早く…」


 慌てふためく祐一を見て


「あははは、智実、早く受け取ってやれ」


 と重三が助け船を出した。



「はい。葵ちゃん、おいで」


 智実はにこやかに葵を受け取る。やっぱり母親だ、慣れている…。祐一から簡単に抱き上げベッドに寝かせた。



「祐一。妹だよ」


 ベッドを覗く祐一の肩をそっと抱き、重三が囁いた。



 …妹…


 祐一はもう一度ベッドの中の赤ちゃんを見つめる。


 この子を守りたい。大事にしたい。そう思った。





 病院から帰った後、夕食の時間重三に頼んだ。


「お願いが有ります」


「ん? 何だ?」


 重三は手を止め顔を上げる。


「僕、強く成りたいんです。武道を習わせて下さい」


「そうか‥何が良い? 色々あるだろう」


「出来れば全部」


 意思の籠った目を真っ直ぐに向けている。



「…やる気は解るが、お前時間が取れないだろ? スイミングに、習字、ピアノ、マナー講座、茶道、生け花…」


「大丈夫です」


 祐一は引き下がらない。


「う~ん、そうだな…。まぁ元々護身術は皆習っているから。それと…剣道、空手…。本当に大丈夫か?」



「はい! 有り難うございます。重三さん」


 重三はその言葉にムッとする。


「お父さんと呼べと言っているだろ」


「…はい…お父さん」


「……別に……、呼びたく無かったら良いんだぞ…」


 拗ねている様だ。


 嫌なのでは無くて、恐れ多いと言うか‥本当は嬉しいのだけど…


「いっ、いえ‥そんな事は無くて…恥ずかしいと言うか…」


「そうか…。まぁ強制はしない」


「はい。…済みません…」


「後、その敬語も止めろ」


「えっ…、でも…」


「分かったな」


「……はい……」


 今度は強制的に納得させられたのだった。










「ゆう兄ちゃん、待ってー」


「葵様、何ですか?」


「一緒にお散歩しよっ」


 ニコニコ笑う葵に


「はい。良いですよ」


 と祐一も笑顔で応える。



 広い庭を、ゆっくりと散策する。葵が五歳の頃だった。



 このままでは、葵様が僕の事をお兄ちゃんと呼ぶ様に成ってしまう。それでは屋敷の従業員に示しが付かなくなる…どうしよう…



「葵様。おやつの時間です。屋敷へ戻りましょう」


「うん」


 葵は、大きく頷いた。



 二人は手を繋ぎ、屋敷に入って行く。葵の手を洗い自分も洗ってからテーブル席に着いた。



「ゆう兄ちゃん」


「何ですか?葵様」


「美味しいね」


「はい。…葵様」


「なあに?」


「これから僕の事は、たかしなと呼んで下さい」


「た・か・し・な? どうして?」


 そう聞かれ、戸惑いながら祐一は


「それは…葵様は、いずれ社長に成るのですから…」


 と言った。



 葵は首を傾げながら


「よく分からない」


 と言う。


「そうですね。難しかったですね。でも僕の事は、たかしなと呼んで下さい」


「うん。たかしなお兄ちゃん」


 葵は頷きながら、笑顔で呼んだ。



 お兄ちゃんは付け無くて良いのに…と苦笑しながら、まぁその内に…と思っていた。










「…んっ…」


 …朝か…


 夢から目覚めた。何だか凄く昔の夢を見ていたような気がする。


「…懐かしいな…」


 着替えを済ませ主の寝室に向かう。



 コンコン


「おはようございます。旦那様」


 今日は半年振りに重三が屋敷に戻って来ている。いつもは出張ばかりで夫婦で世界各地を飛び回っている。



「入りなさい」


 と中から声がする。ルームウェア姿の二人がソファーで寛いでいた。



 祐一は失礼しますと中に入る。



 部屋の壁には、小学生の頃に祐一が書いた重三と智実の肖像画が、沢山の名画と共に今でも飾ってあった。父の日と母の日に書いた物だった。それを優しく見つめる。



「祐一、おはよう」


「おはようございます。旦那様」


「お父さんだろ」


「…ですが…」


「俺達三人の時は、そう呼ぶ約束だろ?」


「そうですよ、祐一さん」


「…はい。お父さん、お母さん」


 祐一は優しく微笑んだ。










《》《》《》



 ちなみに。


 祐一の実母と実父は祐一に近付け無い様に、海外にある橘グループのホテルの従業員として多くの監視の元強制的に働かれていた。報酬が良く待遇も良い為不満も無い。軟禁されているとは夢にも思っていない両親なのだった。











読んで頂きまして、有り難うございました。



これは、始めと終わりに少し話しをくっ付けて


『これもいわゆる一つのシンデレラボーイストーリーですか?』


と言う題名で、短編として載せるつもりです。良かったらそちらもどうぞ。




次回も番外編です。


第三章の一話目て『修学旅行』を載せるのですが、それに皆が付いて行きます。


その時の冴子と流輝の事を、短いですが書きます。


又、時間が掛かると思います。済みません…。







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