深手
美咲が涼の家から出て、一月が経とうとしていた。
男達から奪い取った財産を全て返し終え、美咲の手元には僅かな現金が残っただけだった。
昔は透視の力を使って、占いの仕事でその日暮しをして居た。着の身着のまま、いつ死んでも、どうなっても良かった。
又、あんな暮らしに戻るだけ。今なら…もっと楽に生きて行けるかも知れ無い。世渡りも上手く成った。
又、金持ちを出玉に取れば…いや駄目、そんな事止め為に全てのモノを手放したのに…。又、同じ事の繰り返しだわ…。
私が欲しいモノは、たった一つだけ。それが手に入らないのだったら…生きてる意味が無い。
唇を噛みしめる。
家の前に立つ。インターホンを押す。扉が開いた。
「あら美咲さん、久しぶりね。さっ、中に入って」
涼の母親だった。
「あの…こんにちは。今日は、その折のお礼を言いに…」
「そんな事良いから、中に入って!涼も居るのよ。美咲さんが出て行ってから、あの子寂しそうにしていたのよ」
と言いながら、美咲の背中を押して家の中に入って行く。
「何騒いでるんだよ。おふくろ…っ」
「…美咲…」
美咲の姿を目にし、驚いている。
ジーンズにブラウス姿。全く飾り気がない。しかし内成る美しさは、以前より増して居るようだ。
「…久しぶり…」
絞り出す様に、声を掛ける。
「えぇ、…あの…この間のお礼に伺ったの。随分、お世話に成ったので…」
「これ、頂いたのよ」
と母親が、紙袋を見せる。
「気を使わなくて良かったのに…。お前を助けたのは…医者の…義務だからな」
と、涼は素っ気なく言う。
美咲は、少し肩を落とす。
「何言ってるの!心配で仕方無かったくせに」
と、母親につつかれる。
「そっ、それは…。まっ…医者としては、治ってもらわないと…困るから」
しどろもどろに成る。
「そうだわ美咲さん、晩御飯食べて行きなさいよ」
と、提案する。
「と言う訳で、買い物行ってくれる?」
買い物リストと、財布を渡された。
涼は渋々買い物リストを受け取り、美咲も行くか?と訪ねる。
美咲は誰にも見せた事が無い、屈託の無い笑顔で頷いた。
家の近くに在るスーパーを通り過ぎ、少し大きいスーパーまで足を運んだ。
「どうしてこっちのスーパーにきたの?向こうにもあったのに」
美咲が訪ねた。
それは…
「こっちの方が、何でも揃うだろ?」
少しでも長く一緒に歩きたかったから…
口に出した事と違う言葉を心の中で呟く。
「それもそうね」
と、美咲が笑った。
あぁ…俺はこの笑顔を手に入れたい。自分だけのモノにしたい。この笑顔を守り続けたい。
涼も微笑んだ。
「生きていたのか…かなりの致命傷を負わせたと思ったが、なぜ平気でいられる」
二人の姿を物影から見つめる人物がいた。
「今度こそ、とどめをさしてやる」
男は二人の後をつけた。
夕方に成り、人もまばらな住宅街を進んで行く。
ここはこの前、あの女を襲った辺りだ。
涼達は家のすぐ傍まで帰って来た。
二人の前に男が姿を見せる。
「お前は…この前の」
美咲が目を見張る。
「美咲…コイツは?」
明らかに攻撃態勢だ、警戒している。
「この間、私を襲った男よ…」
「…そうか…」
美咲を背に庇うように涼は男と対峙した。
◇◇◇◇
「流輝、ちょっと頼みがあるんだが」
「はい、何で御座いますか?」
「鉄雄に医学の資料を借りていたんだが、涼が使うらしいんだ。済まないけど、返して来てくれないか?」
と、資料を渡す。
「はい、直ぐに」
と言って流輝は、すぐに光りに包まれた。
「ミラルドいるか?」
銀牙と葵が、やって来た。
「いらっしゃい。どうした?」
「遊びに来た~」
ニカッと銀牙が笑う。
「お邪魔致します」
「いらっしゃい、銀牙君、葵ちゃん」
瑞希が、声を掛ける。
「あれ?流輝さんは?」
キョロキョロしながら、銀牙が尋ねる。
「今用事を頼んだから、出掛けてる」
ミラルドは、手にしたファイルを診察室に持って行った。
「そう言えば銀牙君は、誰に対しても偉そうなのに、どうして流輝さんだけさん付けなの?」
「そっ、それは…。…尊敬しているからだよっ!」
顔を赤らめる。
「尊敬?」
「あぁ…。ミラルドと闘った時葵を心から心配して、懸命に助けてくれたから…恩人だから…」
「でも治療したのは、ミラルドさんよね。ミラルドさんには、さん付けしないの?」
「アイツは…良いんだよ…」
口を尖らす。
「どうして?」
「アイツは格好良過ぎるから…癪に障るんだ!!」
「アイツは俺のライバルだ。今もそう思ってるから…呼び捨てで良いんだ!!」
と言いきった。
「格好良いから…か…。褒められてる様な、けなされてる様な…何だか複雑だな~」
いつの間にか戻って来ているミラルドに、赤面した銀牙が素早く振り返る。
「おっ、お前!いつからそこに…」
と、指をさす。
…きっ…聞かれてしまった…でも本当は、尊敬してるって処まで言わなくて良かった…と、内心ホッとした。
「私、お茶の用意して来るね」
と瑞希はキッチンに入って行く。葵もその後に続いた。
「そう言えば銀牙、葵ちゃんにマーキングしたのか?」
と小声で訪ねる。
瑞希には、まだ話していないのだ。
「あぁ。俺の事、何百年でも愛せるって言ってくれたんだ~」
と、ニヤニヤしている。
「だけど永遠に生き続けるって事は、相当辛い事だぞ。お前、解っているのか」
「私が良いって言ったのです。ずっと一緒に居たいと思ったのです。後悔なんて、有りません」
と葵が、話しに加わった。
「でも…」
「これは、私と銀牙さんの問題です」
葵は、力強くそう言った。
「…解った。もう、口出ししない。…マーキングの事、瑞希には言わないでくれないか…。まだ、話して無いんだ…」
解りましたと言った時、瑞希がトレイを手に戻って来た。
「何の話しをしてたの?」
「…別に、大した事じゃ無いよ」
「何か話し声が聞こえたけど…、私にナイショの話し?」
「ちっ、違うよ。…えっと…。涼に彼女が出来たんだって。…どんな人かなって話してたんだ…」
「本当? 涼さんて、真面目なんだか、ふざけてんだか、掴み所無いわよね。どんな人選ぶのかしらね」
「うん。どんな人たろうね」
と、ミラルドも頷いた。
◇◇◇◇
「少し話しをしないか」
涼は、美咲を背に庇いながら声を掛ける。
「…お前は、ウルフ族か?」
「いや。俺は人間だ」
「ならば、お前と話す事は無い」
「美咲は、美鈴さんを襲った事を後悔している。反省してるんだ」
「お前には、関係無い」
そう言いながら攻撃して来る。
「涼、無理よ。私は裏切り者だもの」
「そうだ。裏切りは、万死に値する」
「そんな事は無い。過ちを犯しても、人は変わる。これからはきっと、お前達の役に立つ」
「黙れ!」
鋭く伸びた爪を構え、そのまま向かって来る。それを妖力で弾き返す。
「涼、逃げて。隼人は強いわ。このままじゃ二人共…」
そう話す美咲に、音も無く近付いて来る。その姿は涼の瞳にだけ映っていた。
……駄目だ……
涼は美咲を突き飛ばす。
涼の身体が大きく後ろへ吹き飛ばされた。倒れた涼の腹部から、ドクドクと鮮血が流れ出ている。
「涼!!」
美咲の顔が見る見る強張って行く。
震える拳に力を込めて、自分の持てる限りの力を隼人に叩き付けた。
隙を突かれた隼人は、バリアを張る間も無く大きく吹き飛ばされ、ブロック塀に叩き付けられた。
その間に、涼を抱え家へと急ぐ。
涼の家に飛び込み、鉄雄の部屋へ向かう。その間も血は止めどなく流れていた。
「鉄雄さん。涼が…涼が…」
泣き叫ぶ美咲が、鉄雄の部屋に入って来た。鉄雄と流輝は何事かと振り返り、涼の姿に目を見張った。
「涼…」
鉄雄は、呆然とする。
「涼様!これは大変です。すぐにミラルド様の元へ参りましょう。鉄雄様もご一緒に」
「いや。私はこの血痕の後始末をするよ。涼の事、頼んだよ」
「はい。それでは」
三人の姿が光りに包まれ、消えて行った。
ウルフ族に関わると言う事は、そう言う事だ…な。どうか無事で…。鉄雄は祈った。
急に診察室が騒がしく成った。何事かとミラルド達が駆け込む。涼の姿が目に入った。
「涼!!…おい涼、どうした!」
ミラルドが駆け寄る。
「涼さんっ…」
「中西先生!!」
余りの出血の量に三人は絶句する。
「ミラルド様早く手当てをお願いします。皆様は外でお待ちを」
美咲は、涼の側を離れ様とはしない。青ざめた顔で、絶え間無く名前を呼び続けている。
「なぁ。中西先生と、流輝さんと、もう一人居なかったか?」
「言われて見れば三人居た様な…」
「私ははっきり見ました。とてもお美しい方でしたわ」
ポ~ッと成っている。
「あの人が中西先生の彼女なのかな~」
「うん…。でも今はそんな事より、涼さんの怪我の具合が心配ね…」
「そうですわ。かなりの出血量でした」
「先生…大丈夫かな…」
涼さん、ミラルドさん…。頑張って…。
二時間後に、流輝が出て来た。
「涼さんはどんな具合ですか?」
「はい、大丈夫です。傷口も塞がりましたし、今少し目を覚まされました。私は鉄雄様に電話して来ます」
と、リビングの方へ歩いて行く。瑞希はホッと胸を撫で下ろした。
涼が目覚めた。
「涼…あぁ…良かった。涼に何かあったら私…生きて行け無い」
安堵の笑みを浮かべ、美咲が囁く。
「馬鹿だな、俺がそんなに簡単に死ぬ訳無いだろ?」
「どうして私を助けてくれたの?」
「…それは…、身体が勝手に動いてた。それだけだ…」
そう言って、又深い眠りに付いた。
涼は夢を見た。
森の中に立っている。視線がやけに低い。俺は座っているのか。
誰かが近よって来る。
「坊っちゃまこんな処に居らしたのですか?探しましたよ。さあ、父上様の元へ帰りましょう。母上様も心配してお出でです」
「うん、ごめんなさい」
高い声で返す。
俺の声か?女にでも成ったのか。ここは何処だ、これは誰だ。日の光りが差し込まない森の陰で、顔がはっきり見えない。
その男は俺を抱き上げ歩いて行く。
…子供? 俺は子供なのか。
場所が急に変わった。何処かの屋敷だ。随分造りが古い。江戸時代…いや、それより前の平安時代の様な…、勿論ガラス戸も無く、吹きさらしの冷たい床の上を素足で歩いていく。
ここは何処だ、俺は誰だ…。もしかして、前世の記憶か?
「ちちうえ」
俺がそう呼んだ相手は、大きな身体を持つ男で、胸元には見覚えの有る金色に輝くペンダントがぶら下がっている。
その横には、優し気な美しい人が寄り添っている。銀髪だ。
「ははうえ」
と俺は叫んで、その美しい女性の胸に飛び込んだ。優しい日溜まりの様な暖かさで包み込んでくれる。
「どこへ行ってたんだ、心配したぞ」
「そうですよ、貴方はこの一族の次期当主なのですから、命を狙われる事も有るのですよ」
「…ごめんなさい」
「申し訳ありません。私が付いていながらこの様な事に成ってしまい…」
俺はその男を見上げる。
…流輝さん?…
じゃあこれはミラルドの子供の頃…か?
「…ルド様」
ん?今何て言った。ミラルドって言ったのかな…分かんない。
「なに?」
「あちらでお食事に致しましょう。お腹がすいたでしょう?」
「うん!」
元気に返事をした。
又、場面が変わった。
若様~。坊っちゃま~。…ルド様~。
皆が俺を探している。行かなくちゃ。ん? 身体が動かない。縛られてるの? 誰かが俺を掴んでいる。声を出そうとするが、口を押さえられていて助けを呼べ無い。
男の声が耳に入った。
「フフフ…。さぁどうする。次期当主が居なく成って、お前達は困るだろうなぁ」
「このまま殺して死体を目の前に叩き付けるか…。それとも…」
男は思案している。
俺の目から涙が零れている。
…フフフ、面白い事を思い付いた…
それきり夢は途切れてしまった。
涼は、ハッと目を覚ました。
ハアハアと、肩で息を吐く。何だったんだ今のは…
両手で顔を覆う。涙が流れた後が有る。
あれは本当に…ミラルドの子供の頃の事なのか…
「涼、大丈夫か?」
「あぁ。ミラルドが治療してくれたのか…有り難う。何でだろうな、お前の子供の頃の夢を見たよ。ミラルドのお父さんの胸元には金色の紋章があって、お母さんは銀色の髪をして、とても優しそうで美しい人だった。流輝さんも居たよ。お前は大事にされてたんだな」
「俺の夢?」
俺が子供の頃には、母親は居なかった筈なのに…どう言う事だ?
「何か飲むか?」
「あぁ」
「ちょっと待ってろ」
水の入ったグラスを手に戻って来た。
「美咲は?」
「リビングで休んでもらってる」
「そうか…アイツが無事ならそれで良い」
と言って水を飲んだ。
「まだ休んでろ。眠れ無いなら薬出すぞ」
「いや、大丈夫だ」
と言って瞳を閉じた。
「涼は?」
美咲が訪ねる。
「まだ休んでる」
「そうですか…」
「あの…ミラルド様、お話しが有ります」
思い詰めた声で美咲が言った。
「ん? あぁ…じゃあ瑞希達、席を外してもらえるかな」
「うん、解った。葵ちゃん銀牙君、外へ行こう」
「えぇ、解りましたわ」
と銀牙の腕を引っ張って、出て行った。
美咲は顔を伏せたまま、床に正座し両手をついて深々と頭を下げた。
「どっ、どうしたんですか美咲さん」
美咲の行動に、二人は驚いた。
「顔を上げて下さい」
美咲を立たせ様とするが、動こうとしない。
「私は…私は、…お雪です。その昔美鈴様を亡き者にしようとした…お雪です」
床におでこをこすり付ける。
「申し訳ありません…申し訳ありませんでした。ずっと逃げておりました。本家の者にも分家の者にも追われ…」
床についた手の上に涙が落ちる。
「隼人に…襲われたのです。前回も…今度も…。私が襲われるのは仕方有りません、裏切り者ですから。でも…それに、涼さんを巻き込んでしまった…」
唇を噛みしめる。
「隼人が? 隼人が生きているのか?」
「はい。戦闘の後、沢山の負傷者を護衛隊の方達が、城に運んで手当てされたと聞きました」
「そう…なのか…」
昔の事を忘れる様に生きて来た。一度もあの城には戻っていない。
取り敢えず、美咲をイスに座らせる。
「昔の事はもう良いよ。君も反省してるみたいだし、何より涼の大事な人みたいだから…」
「それより…城に行ってみるか…流輝」
声に、緊張の色が交ざっている。
「大丈夫ですか? ミラルド様」
「あぁ… 心配ない」
もうそろそろ過去と向き合わなければ…いつまでも逃げてばかりいられない。
「解りました。それでは参りましょう」
ミラルドの覚悟を知り、流輝はそう応えた。
「美咲さん涼の側に付いていて下さい。それと、瑞希達が帰って来たら、出掛けたと伝えて貰えますか?」
「はい、解りました」
美咲が応えると、二人はすぐに光りに包まれた。
美咲はベッドの側のイスに腰掛け、涼の手を握り締めそれを自分の額に押しあて「ご免なさい」と何度も呟いた。
暫くして三人が外から戻って来た。
リビングのドアを開ける。
「あれ?誰も居ない」
と、今度は涼の処へ行ってみる。美咲の姿があった。
「あの、美咲さん。ミラルドさんの姿が見えないんですけど、どこに行ったか知りませんか?」
ミラルドが涼に付き添っている間に、お互いの紹介は終わっている。
「ミラルド様と流輝様は、ウルフ族のお城へ行かれました」
「そうですか…」
「美咲さんて、中西先生の彼女?」
突然、銀牙が訪ねた。
「えっ…、いいえ違いますよ」
美咲は頬を染めながら否定する。
「そうなんだ~。中西先生 彼女が出来たって言ってたから、てっきり美咲さんだと思ってたのに」
なんだ~違うのか~
「そう…涼には恋人が居るのね…」
まだぶつぶつ言っている銀牙の横で、美咲はガックリと肩を落とした。
「そうだよな。こんな美人な人が先生の彼女な訳無いよな」
「本当にお美しい方ですわ」
「モテるだろ、美咲さん」
「いいえ…そんな事…」
と目を伏せる。
「何騒いでるの?人のベッドの周りで」
余りのうるささに、涼が目を覚ました。
「あっ、涼さん。大丈夫ですか?」
「先生。心配したよ」
「本当ですわ」
「皆、心配かけたな。もう大丈夫だよ」
「涼…もうあんな無茶しないでね」
美咲が言った。
「…それは約束出来無いな」
「涼!」
「美咲が危ない目に合っていたら、俺は何度でも助けるさ」
「涼…」
お互いに見つめ合っている。
「やっぱり、付き合ってるんじゃ無いか~」
銀牙が口を尖らす。
「ん?何のことだい?」
美咲は、少し赤く成っている。
お邪魔虫は退散しようぜ。そうね。と言いながら三人は病室を出た。
「美咲…」
「何?」
「…いや、何でも無い」
まだ言うべきじゃ無いな…
涼は、天井を見つめた。