正体
新都市の外れ、西側に樹海が広がって居る。
木々の間に、美咲の姿が目に留まった。
何やってるんだ、あの女…。
休日のドライブを楽しんで居た涼は、車を停めて美咲に近付いて行く。
一人では、無かった。話し声が聞こえて来た。大柄な男と対峙して居る。
涼は木陰に身を隠す。
「貴方は、ウルフ族の‥凶族の者かしら…噂通り、凶暴ね。どうして私を襲うのかしら。闘う理由は、無いでしょう?」
「俺はまだ、当主の座を諦めてはいない。ウルフ族の血肉を喰らって妖力を手に入れる。お前は俺の食糧に成るのだ」
「くだらないわ。馬鹿げている。私達ウルフ族の妖力の源は、人の愛情よ。貴方もそれぐらい解っているでしょう?」
「ワハハハ…」
と、大声で笑う。
「何よ、何が可笑しいの?」
美咲は、怪訝な表情を浮かべる。
「我等凶族は、愛情などと言う下らない物が無くても、あるお方に授かった力によって、憎しみや、怒りから妖力を得られる。それにお前達を喰らう事で、もっと手っ取り早く力を得る事が出来るのだ。ウルフ族だけでは無い。人間も、何人も喰って来た。ワハハハ…」
なっ…何て事だ。美咲が、ウルフ族…
当主の座を狙っているって事は、ミラルドが狙われる?。それに人間迄喰ってるって…。おえっ…。吐き気がして来る。
このままじゃ美咲が危ない。何か良い手は無いか…。
と考え、車に飛び乗り、屋根をオープンにする。エンジンをかけ、静かに車を横付けした。
「美咲。飛び乗れ! 逃げるぞ!!」
と叫んで、車を急発進させた。
その声に気付いた美咲は、男の攻撃を交わし、車の横を並走しながら、華麗にジャンプして飛び乗った。
やっぱりウルフ族って凄いや。70キロで走行中の車に飛び乗るなんて…
分家の男は100キロ近くで逃げる車の後を、何時までも追って来る。
「シツコイわね」
美咲は、男目掛け妖力を叩き付けた。それをもろに受けた男は、やっと諦めた様子で森の中へ消えて行った。
美咲は、ホッと胸を撫で下ろす。
「ちょっと。助けるなら、もっと優しくして欲しいわね。こんな、カースタントみたいな事させるなんて、デリカシーって物が無いのかしら」
「助けてやったんだから、文句を言うな。…ウルフ族なら、容易い事だろ?」
「なっ…、何でその事を…」
美咲が、驚いて居る。
「お前達の話しを…立ち聞きした」
「そう…。どうして驚か無いの?」
「何をだ…」
「私がウルフ族だと知って…、まさか貴方もウルフ族なの?」
「俺は人間だ。知り合いにウルフ族が居るんだ」
更に美咲は驚いて居る。
俺って、何でこんなにウルフ族とばっか知り合うんだろうな…運命って奴か?
「…あの涙の訳は、こう言う事だったのか…」
「何の話しかしら」
「お前は生きて行く為に、沢山の男達を騙し財産を奪って来たのか」
「そうよ…悪い?」
「…いくら生きる為とは言え、やっぱりそんな事は許され無い」
美咲は唇を噛みしめ俯いた。
「…あんたに…貴方に何が解るのよ。終わる事の無い人生。只生きる目的も無く…夢も無くて…」
「人を愛したって、生きる時間も…違う…。人間は、すぐに死んでしまうじゃ無いの!」
美咲の頬を涙が伝う。
「…皆は年老いて行くのに、変わらない若さ…。解る? この世にたった独り切り。見た目は同じなのに、心から交われ無いこの苦しみ…。人間なんて利用するだけの存在よ!」
涼は、痛々しい目で美咲を見つめた。
沈黙が流れる。
「私に同情して居るの? これ以上、構わ無いで!」
「そんなんじゃ‥無いけど…」
ほっとけ無いんだ……
ふと、ミラルドの事を思う。
「俺の友人も、同じ様な苦しみを抱いて居る。…力に成りたいんだ…」
何故俺は、こんな女に気持ちを打ち明けてるんだ…
「なのに俺のこの想いは、何時も空回ってばかりで…。何の役にも立て無い…」
悲し気に微笑む。
「そんな事、無いんじゃ無い?」
「えっ…?」
「貴方が想ってくれて居るだけで、きっとその人は救われて居るわ」
と、ほのかに微笑んだ。
涼は驚いた。…美咲が…心から笑った?
「それじゃ…私はここで失礼するわ。…助けてくれて…有り難う…」
と言って、美咲は車を飛び降りた。
…やっぱり、ウルフ族は凄い…
あれから何日か過ぎた。
涼は、タバコを買いに自動販売機に向かって歩いていた。
美咲は、どうして居るだろう。
この数日、涼は美咲の事ばかり考えていた。
あんなに皆に囲まれて、妖艶に微笑んで、金銭的に恵まれていて、凄い美貌の持ち主で…、なのに孤独で、ミラルドと同じウルフ族で、…苦しんでいて…
…そして別れ際にほのかに微笑んだ女…
涼は、空を見上げる。
星も月も、厚い雲に隠れている。
は~と、溜め息を吐く。
俺は、どうかしてしまったのか…
外灯の灯かりに、激しく揺れる二つの影が見える。
ん?喧嘩か?
近付いて見る。
一人の身体が、大きく揺らいだ。もう動け無い様だ。
「とどめだ」
男が、伸ばした爪を構える。
涼は、目を疑った。
「何をして居る。止めろ!」
思わず声が出ていた。
男は、チッと舌打ちをしてその場を離れる。
倒れて居る人の元へ駆け寄る。右肩の辺りが、大きくえぐれている。
「これは酷い」
女性の様だ。
「大丈夫ですか?」
その女性に声を掛けるが、返事が無い。意識が無い様だ。
この怪我、病院じゃ無理だな…。ミラルドに来て貰おう。
その人物の顔を覗く。
「美咲!!」
ハッとして、すぐに携帯を取り出す。
「ミラルド、頼む。すぐ来てくれ! 美咲がっ…。怪我が酷いんだ。お前しか治せない。…流輝さん俺の気配で、来れるか?」
その旨を流輝に伝える。
「今探って貰っている。どの辺りに居る?」
「えっと、ここは…俺の家の近くなんだけど…」
「解った。捜し当てた様だ、すぐ行く」
すぐに涼の前にミラルドと流輝が現れた。傷の具合を確かめる。
…これは…ミラルドは顔を歪める。
すぐに治癒を始めた。
むき出しだった骨を肉が覆って行く。細胞も血管も神経も見る見る元の形成を辿って行く。
「取り敢えずの応急処置はしたが、ここから時間が掛かる。お前の家に移動しよう」
「あぁ、解った」
と言って四人は、消えた。
「もう、これで命の危険は無いよ。かなり出血が有った様だから、暫くは安静が必要だ。…でも、あんな大怪我どうしたんだ?」
「…分から無い…」
「そうか…そろそろ帰るよ…」
「有り難う。ミラルド助かった」
じゃあなと帰っていった。
午後に成り、漸く美咲は目覚めた。
「…ここは…」
「俺の部屋だ」
と、男の声が耳に入った。
首を巡らす。
「…涼…」
肩に触れてみる。傷が無い。
あの時私は、敵の攻撃を避けきれずに、肩の辺りが吹き飛んだと思ったけど…
「…傷が‥無い…」
どうして…?
「俺の友人を呼んで、治療して貰った。あんな大怪我医学で治すには、無理があるからな」
「…まさか…ミラルド様…」
「ミラルド様が、助けて下さったの…?」
独り言の様に言う。涼は無言だ。
それを肯定と受け取り、美咲は話し始めた。
「私は…ミラルド様を、お慕いしていた。狂おしい程に愛して居た。どんなに好きでも、妃には成れ無かった。…適合者じゃ無かったから…」
「どんなに愛しても、振り向いては下さら無かった。…私は…。私はミラルド様の奥様を、何度も亡き者にしようとした。そして、本家に追われる身と成った…」
「じゃあ、ミラルドの奥さんを殺したのは…お前なのか…」
ミラルドは今も、妻を亡くしたのは、自分のせいだと思って苦しんでいる。その元凶が…この女…?
美咲は、首を横に振る。
「いいえ。私の企ては、ことごとく失敗したの。…私が逃げ出した後、分家との対戦で亡くなったのだと聞いたわ」
「私は…裏切り者だから、本家の者に襲われたの…」
美咲は、涙を流した。心から、悔いて居る様に見えた。
ひとしきり話した後、美咲は又眠りに付いた。
涼は自室を後にし、鉄雄の部屋を訪れた。
「何だ涼、仕事じゃ無いのか?」
「うん…そうなんだけど…。実は、頼みたい事が有って…。ちょっと俺の部屋に来てくれる?」
「あぁ…。構わんよ」
二人は、部屋に入った。
鉄雄は、美咲の姿を見て驚いた。
涼の奴、いつの間に女性を家に引っ張り込んで…
と、疑う様な目で涼を見る。
その視線に気付き
「誤解しないでよ。この人は、夕べ、そりゃあもう瀕死の重症を負って道端に倒れてて、それでミラルドを呼んで治療して貰ったんだ」
「そうだったのか…。それで?意識が戻らんのか?」
「いいや、さっき目覚めたよ。でも、出血が酷かったから安静が必要なんだけど…」
「輸血でもすれば良いじゃ無いか。すぐに回復するだろう」
「それが…彼女、ウルフ族なんだ…」
鉄雄は、目を見張る。
「何だって?」
それじゃあ病院へ行っても、血液型がって…何型だろう…。それよりも、人間の血液を輸血しても大丈夫なのか…?
涼と同じ考えに行き着いた。
「それで、取り敢えず増血剤貰って来るよ。後は、食事で補うしか無いね」
「そうだな…」
「爺ちゃん、たまに様子を見に来てくれる?」
「あぁ、分かった」
美咲は再び目を覚ました。
涼の居た場所に目を向ける。そこには、白髪の老人が座り読書をして居る。
「…あ…」
と声を出した美咲に気付いて、鉄雄が声を掛ける。
「気分はどうかね、お嬢さん。何か飲むかい?」
「…貴方は…?」
「あぁ…私は涼の祖父で、鉄雄と言います。どうぞよろしく」
と、頭を下げる。君は?と聞かれ
「…私は…美咲と言います。涼…さんとは、医師会のパーティーで知り合って…」
鉄雄は美咲に飲み物を勧め
「そうでしたか。お知り合いだったのですか。涼の奴、何にも言わない物だからね。ミラルドに治療して貰った事しか言わない物だからね。てっきり初対面なのかと思ったよ」
と、笑って居る。
「貴方も、ミラルド様の事をご存じなのですか?」
お茶で喉を潤した美咲が聞いた。
「君も、ウルフ族だそうだね」
「知ってるも何も、涼より先に友人に成ったのは私の方だからね。もう五十年程前に成るかな…」
懐かしむ様な目で、そう語る。
「そう…ですか…」
美咲は俯いて居る。
懐かしむ様な、哀しい様な瞳をして居る。
「夕飯は、何が食べたい物はあるかな?作って貰うよ。内蔵は何処も傷めて無いんだよね。食欲はあるかな?」
と、微笑んで居る。
この家は、とても居心地の良い場所だわ…凄くホッとする。心を太陽の光で温めて居る様に、暖かくて気持ち良い…。何より、私をウルフ族だと知っても当たり前の様に接してくれる…
美咲の頬を後から後から涙が伝う。
それを見た鉄雄は、狼狽える。
「どうした?どこか痛むのか、大丈夫かい?」
と、心配する。
「いいえ…いいえ…。大丈夫…。優しさが…嬉しくて…」
美咲は微笑んだ。
その夜美咲は、お粥を食べて大人しく眠りに着いた。
次の日。夜勤明けの涼は、急いで家に向かった。
美咲はどうして居るだろうか、食事は取ったかな…。まさか、家を抜け出してるって事は無いよな…
「ただいま」
アハハハッと、明るい笑い声と料理を作る音が聞こえてくる。
一人は母親の声だけど…、もう一人は…まさか、美咲?
慌ててキッチンに駆け込む。
「美咲っ…」
「あぁ、お帰り涼。早かったのねぇ、お昼の支度 美咲さんも手伝ってくれたのよ。とっても良いお嬢さんね。何処で知り合ったの?」
母親にからかわれる。
「あの…えっと…その…。美咲は病人なんだぞ。どうして手伝いなんか…」
「良いのよ。私が手伝わせて下さいって、お願いしたんだもの。お世話に成って居るんだから」
と美咲は、ニコッと微笑んだ。
かっ…可愛い…
赤らめた顔を手で覆いながら
「体調はどうなんだ?フラついたりとかは、無いのか?」
と、聞く。
「えぇ大丈夫よ。私って回復力は、凄いのよ」
と、ウインクをする。
なんだかくらくらして来た。
「…俺…、ちょっと一眠りしてくる…」
と、部屋へ向かう。
「私、ここに居ても良いですか?涼さん眠るみたいだし、邪魔したら悪いから…」
「えぇ良いわよ。ずっとこの家に居てくれたら良いのに」
涼の母親は、そう言ってくれた。
美咲は困った様な顔で、ほのかに微笑んだ。
夕方に成り、涼が起き出して来た。
「美咲。まだ寝て無いと駄目だろ?」
ソファーに座って居る美咲に声を掛ける。
「心配性ね。大丈夫よ」
「医者の言う事は聞く物だぞ」
フフフと、美咲が笑う。
「ん?どうした?」
「産まれて初めてだわ。誰かに心配されるのも、誰かに自分の事話すのも…。誰にも知られ無い様に生きて来た。昔は、よく皆の記憶を消して居たわ…」
「今の名前を知っているのは、涼の家族だけよ…他の誰も知らない」
「ミラルドも…?」
「昔は、お雪と呼ばれていた…」
「そうか…、君は雪の降る季節に産まれたんだろうね…」
「なっ…何よ、いきなり。私を口説いて居る積もり?」
「まさか…、冗談じゃ無い」
美咲は、ムッとする。
「でも、名前は親がくれる最初の物だから…お前の事、大事に想って付けてくれたんだろうな」
「俺は夏に産まれたんだけど、その年は今世紀一番の冷夏で、凄く涼しかったんだって。だから涼って名前。単純だよな」
と笑って居る。
美咲は、涼の話しをもっと聞きたく成っていた。
「さっ、病人はさっさと寝ろ!」
と、美咲をベッドに連れて行く。
大丈夫よと言いながらも、少し足元がフラついて居る。大袈裟よと言う美咲をベッドに押し込み、体温計を口に突っ込んだ。
デリカシーの無い人ねと無言で睨み付ける。
その瞳を避けながら
「…そう言えば…ウルフ族も体温は…同じだよな?」
と首を傾げる。
美咲は、体温計をくわえたままコクりと頷いた。
その仕草が余りにも可愛過ぎて、思わず吹き出してしまった。
美咲の顔が、見る見る赤くなる。
「なっ、なっ…、何よ…」
口から体温計を外し、狼狽えて居る。それが又何とも新鮮だ。
笑いを噛みしめながら
「…良いから寝ろ!」
と言って部屋を後にした。
階段を降りながら涼は思った。
会う度に新しい一面を見る事が出来る。
飽きないし…楽しいな…。たぶんあんな顔、俺しか知らないよな…。
俺だけにしか見せない顔。
もっと…もっと、俺だけのモノを増やしたい…
独り占めにしたい
「………」
涼は無言のまま携帯電話を取り出した。
『涼か、どうした?』
「…お前には、報告しとこうかと思って」
『何をだ?』
「…えっと…」
躊躇って居る。
『何だよ…早く言えよ』
「その…。好きな人が出来た」
『えっ…涼に?女にも人間にも興味無さ気だったのに…意外だな…紹介しろよ!!』
「…ミラルドには…まだ会わせ無い…」
『どうしてだ?』
「ミラルドに取られると困るからな~~」
美咲はミラルドを、本家当主として崇拝して居る感が有るからな~
『取る訳無いだろ。瑞希が居るんだから』
「相変わらず、お暑いね~」
う~んと、考える
「…やっぱり、まだ駄目だな」
『どうして?』
「調教中だから」
『…は?…調教中?』
「あぁ…じゃじゃ馬だからね。今俺好みに調教して居るとこ。もう少しで俺の虜かな~」
『すっ…凄い事言うのな、お前…』
「そっか?まぁもうすぐ会わせられるさ。ミラルドも知った顔だと思うよ。その時迄楽しみに待ってろよ!」
『…あぁ…分かったよ…』
『涼の用事ってそれだけ?』
「そう、それだけ。でも俺にとっては、重大な事だったの!」
『そうか…』
「聞いてくれて有り難う」
『あぁ…』
じゃあ又な。と言って電話を切った。
「私…もうそろそろ家に戻ろうかと思って…」
三日後、何かを決意した様な硬い口調で美咲はそう言った。
「…そうか…」
窓の外を眺めながら涼は気の無い返事をする。
本当は止めて欲しい。行くなと…言って欲しい。閉じた瞼が震える。
でも…私には、やらなければ成らない事がある。
それが終わったら…。そう心に決めて、美咲は出て行った。
美咲が出て行ってから一週間が過ぎた。
何だか…心の中に穴が空いたみたいだ…
溜め息を吐いた。長い廊下を歩いて行く。
病院のロビーで懐かしい人を見掛けた。その人物に駆け寄って行く。
「おい、三角じゃ無いか。今までどうしてたんだ」
「あっ、中西じゃ無いか。久しぶりだな」
「久しぶりって…俺はてっきり薔薇の君に騙されて、財産を全部持って行かれたのかと思ってたんだぞ」
「アハハハ、薔薇の君って誰だよ。そんな事より中西には言って無かったっけ?」
「何を?」
「僕、アメリカへ二ヶ月間研修に行っていたんだよ。心配してくれてたのか、悪かったな」
と言って、手を振って去って行く。
アメリカに研修って…それに…美咲の事知らないって…どい言う事だ?