SUPER DRY
https://youtu.be/SxvbM20uhcY
*著者自作のテクノな歌曲のコンセプト紹介です。
網目線描で構築されたる律令パンダ、合理性と正当性を象徴せしめんとす。
然れどパンダ、ビットの作り上げし数子へと収斂しゆき、涙す。
SUPER DRYも臨界点。辿り着く先はwet。bitの拡張が彩りを生む。
涙脆くなりぬるパンダ、今宵も月を眺む。
涙零るる傍ら、酒滴る。
川は全てを包摂し、流る。
私はこの”SUPER DRY”グラフィック(模擬六曲屏風)の元になった絵を、数年前に描きました。月夜に涙するパンダ/ロボット、月に照らされている涙脆いパンダ/ロボットという設定で、題は『朧月』です。ピクセルアート風ながらもそのピクセルという境界の溶けゆく様子を、SUPER DRY過ぎて溢れ出す逆説的湿潤、逆説的実存という意味合いで描き出したつもりでした。硬質なテクノを基調としながら湿潤な風情を浮かばせたこの楽曲に合致する描写なのです。『令和の朦朧体~w』という気持ちで描いていた事を思い出します。何しろ、私は横山大観の「無我」*という絵が大好きですから(*「無我」自体は没線画法で描かれていない笑)。然しこの絵の中のパンダ/ロボットは無我を意図しすぎて孤独になり、遂には「我」が無様にも漏れ出してしまいました。パンダ/ロボットは自らの最適化を志し旅に出るも、辿り着いた先ではリース資産の域を出る事が出来なかったという皮肉というか、悲哀でしょう。
そして、その朧月を再構成したこの『SUPER DRY』グラフィックの中には、自律分散型ネットワークを示唆するような要素もあります。全てが渾然一体となる中で、あくまで形式的な境界線と情緒的な感性は保っている、一応は自律式ノードたるパンダ/ロボットとその外側、さらにその外側…と、まるでシミュレーションかのように宇宙が広がっている様子。一種の平面であり、然し多次元であり。パンダ/ロボットに見えている現実は、それは矮小な、プロトコルの断片のみ。パンダ/ロボットは守られていて、同時に管理されている。されどディストピアと括るのは不適当な、自己を尊重してくれるシステムの中に在るのです。最も効率的で、無駄がないのが(たぶんに)事実です。
「これからシステムは自動化され、人間はまた有機的な無駄のほうに引き戻されるのでは?」という、数年前から思っていた事をまた考えてみたり、「計算力の進化により、これまで以上に物理的に構築可能なものを具体的に突きつけられる中で、人間は連帯する働き虫に戻るのでは?」とか昨年末にふと思ったことに立ち返ってみたり、色々考えさせられる今日この頃であります。




