夕星高校入学前夜
“母”と称する高さ2メートルほどの薄緑色のウニョウニョが入校手続きを済ませている間、おれは待合室のベンチに拘束され、これからクラスメイトになるという異形どもに前後左右を取り囲まれて“質問”責めの憂き目にあっていた。
「昨日真歌謡祭観? 暮一好歌手?」
「●テ、ルルジャ、イ、ワワワ」
すぐ右隣に座っている、胃をひっくり返して頭から被ったような肉色のサボテンめいた物体が“母”の話によると“菲乃”さんらしく、彼女は頂部から体表に沿って列状に生え揃った繊毛をゆらゆら揺らめかせながら星界テレビ局なる知らない局の番組の話をずっと続けている。反対の肩や腰に止まる蜻蛉に似た八枚羽の生き物たちは“須卧”さんを成す群体の一部で、彼女(彼女“ら”?)は前肢を胸の前で高速で擦り合わせて何やら奇怪な音波で囀っているのだが、ただの雑音としか聞こえないそれによくよく耳を澄ましてみるとどうやら菲乃さんの話題に乗って好きなアーティストの名前を答えているらしいことがわかる。背後に立ってまんじりともせずにこちらを見下ろす、おれの認知では光の柱としか認識できない白色の眩い発光躰は“堺”さんらしく、このクラスで最も位階の高い凛天使に座す二名のうちの一柱とのことだが、今のおれでは直視するだけで彼女のあまりの美と光輝に目が灼かれると言われているため絶対に振り向くことはできない。
差し当たり以上の三名がおれの認識しうる限りにおいてのクラスメイトだが、“堺”さんの光の届かない闇の中には得体の知れない気配がまだまだ犇いており、他の学友もこの場に蝟集しているらしいことがわかる。
「ハイハイ、ミナサン、チッテ、チッテ」と、手続きを終えた“母”が巨体を捻ってズルリズルリとこちらににじり寄ってきた。相変わらずどちらが顔だか背中だかいまいちわからない巨大なスライムめいた造形をしている。薄緑色の粘性体の中に、ぜんまいみたいな形の白いぶよぶよしたものや、何だかわからない爬虫類の全身骨格が浮かんでいる。
「コノコハ、マダ、チャンネルノ、キリカエガ、トチュウ、ナノデス」異形たちの中で、“母”の言葉だけが明瞭だ。だいぶカタコトだしどの器官で発話しているのかすら不明だが、一応は理解可能な“日本語”として聞き取ることができる。
“母”の言うチャンネルとやらが関係しているのだと思われるが、そこらへんの事情はおれの理解の範疇を超えている。「アマリ、オドロカセテハ、イケマセン、ヨ」
はーい、という返事なのだろう、名残惜しげな呼吸音や舌音やらを残し、波が引くように異形たちの気配が遠のいていく。いつの間にか“菲乃”さんも“須卧”さんもいなくなっている。眩かった背後の“堺”さんの光輝も徐々にしぼまり、やがて世界が完全に暗転する。
「サア、ハヤクカエリマショウネ」真っ暗な闇の中、耳元で“母”の声が『優しく』囁く。「カエッテ、チャンネルヲアワセナクテハ」
暗闇の中、差し伸べられた“手”に右手を引かれて席を立つ。そして、自分が拘束などされていなかった事実に愕然とする。
おれはただ、怖くて動けなかったのだ。恐怖が冷たい針となっておれの四肢をベンチに釘付けにしていた。怪物どもに前後左右を囲まれ、抵抗する意思すら失っていた。
けれど今は、普通に立っている。“母”に手を引かれるまま歩いている。
……どうして?
………………。
……『安心』?
…………そう、おれは今、確かに『安心』している。
まるで、いつか夕暮れの公園に迎えに来てくれた『母さん』に感じたみたく、おれはこの化け物に親愛の情を覚えている。
おれはこの化け物を、『母さん』と認め始めている。
待合室の戸口を抜けるとき、頭上で明滅する『非常口』と書かれた電灯に照らされて、開け放たれたガラス戸の片面に視線が吸い寄せられる。
まだあどけない、七歳くらいの自分の姿が、そこに映る。
「ーーあっ「ああっ」
声が零れた。
感情が、ようやく動き出した瞬間だった。
やっと発することのできた声は、しかし人語としての意味を持つことはなく、痙攣的に震える喉から、やがて絞り出すような絶叫へと変わる。
「――良い子にしていたご褒美に、帰る途中にお肉屋さんでコロッケ買いましょうね」
母さんは、そんなおれの頭を慈しむように撫でてくれた。




