第七話
午後の授業のテーマは「魔法のタイプ」について。先生は黒板に五つの分類を書き出しながら説明を始める。
「魔法には五つのタイプがあります」
・攻撃魔法 タイプアサルト
・支援魔法 タイプアシストリア
・戦術魔法 タイプストラテジア
・付与魔法 タイプエンチャント
・一般魔法 タイプジェネラル
黒板にチョークを走らせ、七つの属性を書き記す。
火、水、風、土、雷、光、闇
「これらは攻撃魔法の属性となっており、それぞれ弱点関係が存在します」
先生は続けて、弱点関係の図を書き出した。
「ただし、光属性と闇属性には明確な弱点は存在しないとされています」
教室内の生徒たちが真剣な表情で黒板を見つめる中、先生はさらに言葉を重ねた。
「実技実習での授業の復習にはなりますが、人にはそれぞれ”適正属性”というものがあります。火属性の適正がある者は、弱点属性である水属性の魔法を学ぶことができても、その威力は著しく下がります」
ザイアスは腕を組みながら考える。
(弱点属性があるとはいえ、決定的な不利にはならない。風魔法に適正のある者でも、水魔法を習得すれば火魔法の弱点を補える……だが――)
そこへ、一人の生徒が手を挙げた。
「じゃあ、弱点属性の弱点属性を覚えればいいってことですよね?」
その質問に、教室内がざわつく。
(まぁ、そう思うよな)
確かに理屈の上では正しい。だが、問題はそう単純ではなかった。
適正属性があるからといって、誰もがそれを活かせるわけじゃない。知識や訓練がなければ、弱点を補うどころか、まともに魔法を扱うことすら難しい。
ザイアスは母であるミリアムの教えのもとで魔法の知識を深めた経験がある。しかし、すべての生徒が同じように魔法について事前に学べる環境で育ったわけではない。
親が魔法使いであれば、基礎を教わることもできる。だが、そうした家庭は決して多くはない。実際、この学園に入学して初めて魔法を学ぶ生徒も大勢いる。
裕福な家庭に生まれた者たちは、幼い頃から家庭教師による教育を受けたり、知識の都市エステラルゴにある学校で魔法以外の幅広い学問を学んだのち、魔法適性があるものはデルタニア魔法学園へと進学する――それが、上流層における一般的な進路となっている。
先生は頷きながら、生徒たちの関心が集まっているのを確認すると、さらに説明を続けた。
「適正属性以外の魔法を習得できたとしても、威力や安定性は適正属性の魔法には及びません。ましてや、弱点属性を扱おうとする場合、より一層の時間と努力を要します。そのため、多くの魔法使いは自分の適正属性をひたすらに伸ばす選択をするのです」
先生は黒板を指しながら続ける。
「ちなみに、来年、つまり二年生になると、属性ごとの選択授業があります。どの属性を重点的に学ぶかは慎重に選んでくださいね」
生徒たちはそれぞれ考え込むような表情を浮かべている。自分にとって最も効率的な道を選ぶことが、今後の魔法の成長に大きく関わるのだ。
先生が説明を続けようとしたその時、授業終了の鐘が鳴り響いた。
「今日はここまでとします。適性属性や弱点属性については、各自しっかり復習しておくように」
授業が終わり、生徒たちはそれぞれ教室を後にした。
ザイアスたちも寮へと戻る道を歩きながら、今日の授業内容について思い返していた。
戦闘では瞬時の判断が勝敗を分ける。そのため、状況に合わせた的確な魔法を発動できるようになることが求められる。
ザイアスは無意識のうちに拳を握りしめた。
(今はまだ目立つわけにはいかないが、いつか本当に力を振るう時が来たら、俺も――)
そんな考えを振り払うように、ザイアスは小さく息を吐いた。今はまだ、その時ではない。
こうして、一日の授業が幕を閉じた。
その夜、ザイアスは静かな寮の自室で眠りにつこうとしていた。部屋の中は薄暗く、外から吹き込む風がわずかにカーテンを揺らしている。しかし、まどろみに落ちかけた瞬間——
【お前は……何者だ……】
かすかな囁きが、耳元で響いた。
瞬時に目を開くと、部屋の中には薄く黒い霧が漂っていた。それはただの霧ではない。空気を歪ませるほどの魔力を帯び、肌にじわりとした冷たい感触をもたらす異質なものだった。
即座に指輪に魔力を込めて魔法陣を展開する。瞬間、霧がざわめくように揺れたかと思うと、一瞬にして窓の外へと散っていった。まるで気配を悟られたことを察し、逃げるように。
だが、霧が消え去った後にも、部屋には何か異様な空気が残っていた。まるでそこに”何か”が確かに存在していたという確証を刻みつけるかのように。
眉をひそめ、慎重に思考を巡らせる。
父から受け継いだ魔王の魔力。
自らその存在を隠し、できる限り目立たぬように学園で過ごしていた。しかしすでに気付かれている可能性がある。
ザイアスの周囲で起こり始めた奇妙な出来事。
鍛冶施設でのアーティファクト盗難事件、そして夜中に現れた黒い霧。これらはすべて偶然なのか、それとも何者かの意図的な仕掛けなのか——。
「これは、ただの学園生活では済まなさそうだな」
これまで以上に、慎重に動かなければならない。魔王の魔力に目をつける者がいるなら、下手に動けば隙を突かれる。だが、何者かが学園内で暗躍しているのは明らかだった。
この学園に、何かが潜んでいる――そう確信せざるを得なかった。
深夜、静まり返った寮の中に、ノックの音が響いた。
汗を拭いながら扉を開けると、そこにはヴァイルが立っていた。
「ちょっと付き合ってくれないか? って、お前、汗やばいな。大丈夫か?」
「寝れなくて筋トレしてたんだよ。それより、こんな時間に何の用だ?」
ヴァイルは興奮した様子で、少し身を乗り出した。
「鍛冶施設の近くで見たんだよ。不思議な痕跡を。あれ、もしかして魔法陣じゃないかと思うんだ!」
その言葉に、ザイアスは眉をひそめた。
「そんなの放っておけばいいだろ? 学園の誰かが調べるはずだ。」
「こんな機会は滅多にないだろ? 俺たちで犯人を捕まえようぜ!」
ヴァイルの目は輝いていたが、ザイアスは深いため息をついた。
その時、隣の部屋の扉が開き、クレアが顔を出した。
「こんな時間に何騒いでるの?」
ヴァイルはニヤリと笑い、すかさずクレアにも声をかける。
「クレアも来いよ! 鍛冶施設の近くに面白いものがあったんだ!」
呆れたように腕を組み、冷ややかな視線を向けた。
「何バカなこと言ってるのよ。こんな時間に外に出たら問題になるでしょ」
しかし、ヴァイルが言い返す前に、クレアはザイアスをちらりと見た。
「ザイアス、行くの?」
ザイアスは少し肩をすくめた。
「いや、正直、面倒だと思ってる。でもヴァイルが一人で行くと、何か問題を起こしそうだからな」
一瞬考え込むように目を細め、クレアは静かに息を吐いた。
「……じゃあ私も行くわ。あなたたちだけで行って何かあったら困るし」
こうして、三人は夜の学園内へと足を踏み出すこととなった。
「そういえばその時にこれも拾ったんだ」
そういうとヴァイルは黒い魔法石が埋め込まれた十字架のネックレスを胸元から取り出した。
「どうして拾ったものを付けているのよ、ちゃんと届けなさいよ」
ヴァイルは渋々返事をする。
「ところでこれなんだろうな、黒の魔法石って珍しくないか?」
「そうだな、黒なんて聞いたことがない」
「鍛冶施設が開いたら、届けるついでに聞いてみたらいいわ」
三人は周囲の様子を慎重にうかがいながら、鍛冶施設の裏手へと向かった。いつもは活気に満ちていた施設も、夜の静寂に包まれると不気味なほどひっそりとしている。月明かりが地面をぼんやりと照らし、夜の冷たい空気が肌をかすめた。
「ほら、あれだ!」
ヴァイルが指をさした先には、黒く焦げ付いたような模様が地面に刻まれていた。それは自然にできたものではなく、明らかに人工的なもの——しかも若干ながら魔力を帯びた”魔法陣”の一部だった。
「こんなのよく見つけたな」
ザイアスが低い声で言うと、ヴァイルは得意げに笑った。
「用を足したあとに土かけてたら、偶然出てきたんだよ」
その言葉にクレアは完全に引いていた。
「……ちょっと、その情報いらなかったんだけど」
彼女は額に手を当て、深いため息をつく。
「これはなんの魔法陣かしら?」
クレアが警戒するような口調で呟き、ザイアスも視線を落とした。
ザイアスは慎重に魔力の残滓がないか探る。一方、ヴァイルは興味深そうに膝をつき、魔法陣の細部を観察し始めた。そして、無造作に手を伸ばそうとした、その瞬間——
焦げ跡から、微かに黒い霧が立ち上る。
「危ない!」
クレアの声が鋭く響く。即座に詠唱が走り、風の魔法が空間を切り裂いた。
渦巻く風が黒い霧を捉え、一気に吹き飛ばす。しかしその霧は抗うように流れを裂き、風の中を抜けるようにしてクレアの方へと向かっていき——音もなく掻き消えた。
「助かったぜ……ありがとう、クレア。おい、大丈夫か!?」
驚いたように後ずさったヴァイルが声をかける。クレアは肩で息をしながら、慎重に周囲を見回した。
「大丈夫よ、平気。私の方に向かってきて、そのまま消えた……わよね? 一体あれは何だったのかしら」
クレアが眉をひそめて問いかけるが、誰も答えを持ち合わせていなかった。
クレアは少し距離をとりながら、魔法陣を不安そうに見つめる。
「これ、絶対普通じゃないわよね。先生に報告した方がいいんじゃない?」
ザイアスはヴァイルに近づき、肩を軽く叩いた。
「確かに報告した方がいいかもしれない。俺たちがこれ以上調べても、分かることはなさそうだ」
三人は鍛冶施設を後にし、静かに寮へ戻ることにした。夜の闇の中を歩きながら、ザイアスはふと空を見上げる。雲の隙間から覗く月は、まるで何かを見透かすように冷たく輝いていた。胸の奥に、説明のできない不安が広がっていく。
その夜、ザイアスはなかなか眠りにつけなかった。
ベッドに横たわりながらも、頭の中には鍛冶施設で見た魔法陣の光景がこびりついていた。
「あの魔法陣は、間違いなく転移陣だ。もし、何者かが転移してきたものだとすれば、すでにこの学園に……しかもあの黒い霧は一体」
次々と湧き出る疑問を振り払うように、ザイアスは目を閉じた。しかし、脳裏にはあの”彼女”の言葉が蘇る。
自分の存在が、何かを引き寄せてしまったのではないかという考えが、胸の奥で燻る。
答えはまだ出ない。だが、確実に何かが動き始めている。
静かな闇の中で、ザイアスはただ一人、考えを巡らせ続けていた。