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第二話

ザイアスを乗せた馬車は、明日の昼頃にはデルタニア魔法学園へと到着する予定だった。道中、三つの村を経由する旅であり、今夜は最後の村にある宿で一晩を過ごす手筈となっている。


昼下がりの陽光が、揺れる馬車に優しく差し込む。母が心を込めて作ってくれたサンドイッチを手に、穏やかな時間を味わっていた。パンの柔らかさと、ほんのりと香るハーブの風味が、彼の口の中で広がっていく。


馬車の中には、途中の村で同乗した親子連れの姿もあった。

やがて、馬車が突如として止まり、車輪の軋みが不穏な静けさを生み出した。


心配そうに顔を見合わせる親子。ザイアスは腰を上げ、外の様子を確かめるべく馬車を降りた。前方では、馬車を操っていた男が剣を抜き、何かを警戒している。その視線の先には、森の影から現れた異形の影――二体の大柄なゴブリン、そして一体のグランドオークが姿を現していた。


どちらもC級の魔獣。だが、一般の人間にとっては十分すぎる脅威だ。


「うおっ……!」


男は震える手で古びた剣を構え、必死に牽制しようとする。しかし、その刃はグランドオークの前では何の役にも立たず、鈍い音を立ててあっさりと折れた。力を失った男はその場に尻もちをつき、もはや逃げることすらままならない。


その瞬間、獣の唸りと共に、グランドオークが巨大な棍棒を高く振り上げた。標的は、為す術もなく座り込む男――。


『スペルエンゲージ』ザイアスのその言葉と共に魔法陣が浮かび上がり、『タイプアシストリア』と発した瞬間、魔法陣の形が変化していく。

そして――。


『「ルーセントウォール」』


ザイアスの口から紡がれた詠唱が、空気を震わせた。次の瞬間、男の周囲に淡い光が集まり、透明な防壁が瞬時に展開される。振り下ろされた棍棒は見えない盾に弾かれ、大地に転がった。続いて迫ったゴブリンたちの攻撃も、すべてがその結界に遮られ、届くことはなかった。


男は何が起きたのか理解できず、ただ茫然と光の壁を見つめていた。


ザイアスは静かにルーンを握り直し、再び口を開く。


『スペルエンゲージ:タイプエンチャント「フィジカルエンハンス」』


詠唱と共に、青い光が自身を包み込みその光が弾けると同時に、風のように消える。


次にその姿が見えたときには、すでにグランドオークの懐へと肉薄していた。足を軸に全身の回転を乗せた蹴りがゴブリンごと魔獣の群れを吹き飛ばし、宙に浮かせる。息を整える暇も与えず、小さく呟いた。


『レガート:「インフェルノ」』


淡々としたその言葉と同時に、宙に浮かんでいた魔獣たちは一瞬で炎に包まれた。燃え尽きるには時間すら不要だった。炎が収まる頃には、魔核片だけが地面に転がり、残骸すら残っていなかった。


ザイアスはゆっくりと歩み寄り、その魔核片を拾い上げると、腰を抜かしていた男のもとへと戻った。


「怪我はありませんか?」


ようやく我に返った男は、目を丸くしながら立ち上がる。


「お、おう……助かったよ、兄ちゃん。まったく、あんたがいなかったら、今頃俺ぁあの世行きだったぜ。魔法使い様だったんだな」


「まぁ……そうですね。無事で何よりです」


短く応えると、ザイアスは何事もなかったかのように馬車へと戻り、静かに腰を下ろした。


「お兄ちゃんすごいね! とってもかっこよかったよ!」


向かいに座っていた小さな女の子が、きらきらと輝く瞳で笑いかける。ザイアスはふっと表情を緩め、そっとその頭を撫でた。小さな命を守れたことに、何よりの安堵を覚えながら。


その後、道中に大きな波乱はなく、馬車は無事に三つ目の村へと到着した。今宵はこの村で一晩を過ごすこととなり、夜の帳が降りる頃、宿の灯りが安らぎを与えてくれた。


翌朝――陽が昇ると同時に再び馬車は動き出し、昼過ぎにはついに目的地であるウィスリアの街へと辿り着いた。

近隣の小さな街には何度か足を運んだことはあったが、ウィストリアの規模は比べものにならない。馬車から降りた瞬間、その広さと喧騒、そして街を満たす熱気に圧倒され、しばし言葉を失うほどだった。


三大都市のひとつ――「水の都ウィストリア」。その名が示す通り、この街は清らかな水路が張り巡らされ、街全体が水面に浮かぶように築かれていた。豊富な水資源に支えられ、古くから交易の中心地として栄え、今や「ここに来て手に入らないものはない」とさえ言われるほど、あらゆる品と人が集まる巨大な市場都市として知られている。


石畳の広い通りを進むたび、目に映るものすべてが新鮮だった。空を滑るように移動する配送用の浮遊台車、空中に文字が浮かぶ案内板、商人たちが並べる最新式の魔道具――そのどれもが村では見たこともないものばかりで、思わず足を止めたくなる衝動に駆られる。

だが、今は観光に浸っている暇はない。


身を覆っていたローブを脱ぐと、周囲からは好奇の視線が向けられた。着用していたデルタニア魔法学園の制服が目を引いたのだろう。

それを気にする余裕もなく、ザイアスは目的地へ向けて足早に歩き出す。


デルタニア魔法学園は、魔法適正のある者なら十五の歳で入学が可能だった。

元々は魔力を持つ子供たちに適切な指導を行うために設立されたが、時と共に拡張を続け、今や名実ともに魔法使いを育成する最大の学び舎となっていた。


学園を卒業すれば、進む道は人それぞれだ。冒険者となりギルドに登録し各地を巡る者、あるいは王国に仕えて宮廷魔法師となる者もいる。そして、誰もが一度は憧れるのが――選ばれし者だけが名を連ねる、魔法界の頂「マグヌス」の存在である。


マグヌスとは、魔法協会にその実力を認められた強者のみが所属を許される特別な集団であり、その構成員の多くは学生時代から名を馳せ、数々の逸話を残してきた天才たちばかりだ。戦場においては比類なき力を発揮し、また学術の場では革新的な研究成果を生むなど、その活動は実戦と学問の両面に渡る。まさに、魔法使いたちの理想を体現する存在といえよう。


一方で、そのマグヌスに対抗するかのように創設されたのが、東の魔道大国オルヴェリアが誇る精鋭部隊「セブンスマギア」である。彼らはあくまで戦闘に特化した魔法使いの集団であり、強大な力で国を守る“盾”としての役割を担っている。


戦闘と学術の両輪を担う西のマグヌス。

実戦における頂点として君臨する東のセブンスマギア。

今やこの両者は、それぞれの立場と理念を掲げ、魔法界における双璧として語られている。


しかし、ザイアスの目的はそれとは異なる。

彼は”真実”を知るために、ここへ来たのだった。


やがて街の中心部へとたどり着くと、視界を遮るもののない広場の先に、それは姿を現した。水堀に囲まれ、一点だけ橋が架けられた荘厳な門。

その前に立ち、しばし足を止めてその姿を見上げた。水の都の中心にあってなお、圧倒的な存在感を放つその門は、魔法協会の直轄のもとで運営される厳格な施設。魔法という力を正しく扱い、育て、導く者たちが集う場。

巨大な門をくぐった瞬間、思わず眉をひそめた。そこにあったのは、まるで場違いなほどに素朴な、古びた校舎が一棟。石造りの壁には経年の風雨が刻んだ無数の染みが浮かび、屋根もどこか歪んで見える。誰もが驚きと戸惑いを隠せないまま、その建物へと足を進めていく。


――本当にここが、あのデルタニア魔法学園なのか?


そんな疑念が生徒たちの表情からはっきりと読み取れた。この学園に入学を望む者は後を絶たないと聞かされてきた。荘厳で美しく、まるで魔法そのものが形を取ったような場所だと。だが今、目の前にあるのは、まるで寂れた地方の訓練場のような建物――あまりにも落差がありすぎる。


校舎の中に足を踏み入れると、そこには何人かの教員と思しき者たちが並び、小型の魔道具を手にして新入生を迎えていた。無言のまま、一人ひとりの手の甲にその魔道具を押し当てていく。順番が進み、やがてザイアスの番がやってくる。


金属と水晶が複雑に組み合わされたその器具が、彼の手の甲に触れた瞬間、かすかに温もりが走った――それは、魔法印。何かが身体に刻まれたような感覚はあったが、痛みや違和感はまるでなかった。表面上は何も変わらないまま、彼は次の部屋へと進む。


その奥には、建物の構造には不釣り合いなほど広々とした通路があり、その先に光が差し込む出口が見えた。だが、奇妙なことに、出口に向かって歩を進めた生徒たちは、皆、足を踏み入れた瞬間にふっと姿を消していく。まるで空間そのものに吸い込まれたかのように。


ザイアスは一瞬躊躇したが、やがて静かに目を閉じると、ゆっくりと足を踏み出した。


次の瞬間、頬を優しく撫でる風が彼の肌をくすぐる。微かな花の香り、空気の流れ、そして遠くから聞こえる賑やかな音――彼は外に出たのだと確信し、ゆっくりと目を開けた。


目の前に広がっていたのは、想像を遥かに超える世界だった。


蒼空を背景に浮かぶ魔力を帯びたクリスタルの群れ。空中を漂いながら光を放つそれらは、まるで空の星座が地上に降りたかのように幻想的で、建物と建物の間を走る空中歩道には魔法の力で移動する浮遊式の馬車が行き交っている。石畳の通りには、魔導の力で動く装飾品や機械が静かに回転し、至る所に魔法が息づいていた。


「外から見えていた建物は幻影魔法か何かだったのか……全く気付かなかったな」


思わず息を呑むザイアスの視線の先には、都市そのもののような広大な学園区画が広がっていた。


「それにこの場所、いつ転移したんだ……流石は魔法学園だな」


だが、感嘆に浸る暇はない。入学式が行われるという大聖堂を目指し、彼は人の流れに従って歩き始めた。


大聖堂の扉をくぐった瞬間、荘厳な空気が肌を撫でた。高く弧を描く天井には、精密な魔法文字が刻まれており、壁面には歴代の偉大な魔法使いたちの名前が輝くルーンで飾られている。黄金のシャンデリアが燦然と光を放ち、静謐でありながらも圧倒的な力の気配が場を満たしていた。


「とうとうやってきた……デルタニア魔法学園に。ここに、父さんの手がかりが――」


胸の奥で高鳴る鼓動を抑えながら、ザイアスはゆっくりと辺りを見渡した。

目の前には、新たに学園の門をくぐったばかりの生徒たちが整然と列をなし、静かに始まりの言葉を待っていた。

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