第三十二話
二学期が始まり、最初の座学授業が始まる頃には、教室の窓から差し込む陽光もどこか落ち着いた色を帯びていた。
生徒たちはそれぞれの席に着き、机の上に筆記用具を整えて講義の開始を待っていた。
この日のテーマは、一年次の内容の復習を兼ねた「魔法の階級」について。
教室前方の黒板には、大きく丁寧な文字で「魔法の階級」と記され、その下に四つの分類――低級、中級、上級、特級魔法の語句が並んでいる。
教壇に立ったのは、落ち着いた声と確かな知識で知られる講師、オリバースだった。
彼は一度教室内を見渡し、生徒たちの視線が自分に集中しているのを確認すると、ゆっくりと口を開く。
「さて、まずは魔法の階級について簡単に復習しておこうか。魔法はその性質と威力、そして術者の魔力量によって、大きく四つの階級に分けられる。そして、それぞれの階級には特徴的な“魔法陣の色”がある。では、ザイアス。答えてみなさい」
突然の指名にも、ザイアスは特に動揺する様子もなく、軽く息をついて口を開いた。
「低級魔法の魔法陣は青、中級は緑、上級は赤、そして特級魔法になると金色になります」
「その通りだ。よく覚えていたな」
オリバースは満足げに頷きつつ、黒板に簡略化した色の一覧を記してから続ける。
「加えて言えば、一般魔法は、すべて白の魔法陣に統一されている。これは、“純粋な魔力の流れ”を視覚化した結果とされている」
生徒たちは黙々と講義の内容に集中していた。
オリバースは一拍置き、話題を先へと進める。
「ここからは、二年の範囲となる“固有スキル”についてだ」
オリバースの落ち着いた声が教室に響くと、空気が一瞬で張り詰めた。前のめりになっていた生徒たちの姿が、今や静寂の中に沈む。教壇に立つ彼は、沈黙を受け入れたうえで、慎重に言葉を紡いでいく。
「固有スキルとは通称“アークスキル”と呼ばれており、現在この学園にいる魔法師で、アークスキルを有している者は三人。その能力は“自動防御”、“超回復”、そして“精霊召喚”だ」
教室の空気が微かに揺れる。筆を止めた生徒の手元に、乾いた紙の擦れる音が残った。
「このアークスキルは、どのようにして手に入るのか……それは“特級魔法”と同じく、"神託"によって授かる。特級魔法と違う点、それは魔力ランクに関係なく授かることができます」
その瞬間、幾人かの瞳に灯ったのは驚きよりも希望の色だった。思わず顔を上げる者、息を飲む者。それぞれの胸に、微かな期待が芽生えていた。
「アークスキルは、強力であるがゆえに“対価”を伴う。威力や効果が高い分、無条件で使えるわけではない」
そう言いながら、黒板に滑らかに線を描く。魔力の流れと、それに紐づく対価の関係性を示す図。説明は丁寧かつ理路整然としていた。
「たとえば、“自動防御”は発動中、継続して膨大な魔力を消費する。“超回復”には回数制限があり、使いどころを誤れば肝心なときに発動できなくなる。どのスキルにも特有の条件や制限があり、それを理解せず使えば命取りになりかねない」
板書を写すペンの音だけが教室を満たす中、生徒たちはひときわ真剣な面持ちで話に耳を傾けていた。一語一句を逃すまいと、まるで魔法の詠唱を学ぶように集中している。
そのとき――
教室の天井から、重厚な鐘の音が静かに降ってきた。
ゆっくりと、確実に時間の終わりを告げるその響きに、教室の緊張がわずかに解ける。
「おっと……時間か」
オリバースが視線を黒板から外し、教室を見渡す。
「では今日はここまでにしよう。次回は《古代魔法》について説明する。各自、資料をよく読み、予習を怠らぬように」
オリバースの言葉を合図に、生徒たちは教科書やノートを片付けながら立ち上がり、次々と教室を後にしていく。
ザイアスたちも荷物をまとめると、昼食を取るために食堂へ向かった。
窓から差し込む昼の陽射しは暖かく、食堂には賑やかな話し声と食器の音が混じり合っていた。だが、彼らの席だけは静かで、どこか張りつめた空気に包まれていた。
「基本的な役割分担はこうしよう」
ザイアスがそう言って、紙ナプキンを取り出すと、その上に即席の配置図を描きながら言葉を続けた。
「ヴァイルは前衛。敵の注意を引きつけて、正面から迎え撃つ。土魔法で敵を分断する役目も担ってくれ」
「俺の役割は、概ねいつも通りってわけだな!」
ヴァイルは頼もしい笑みを浮かべ、拳を軽く握って応えた。
「クレアは、ヴァイルのカバーと支援を頼む。押され始めたら、即座に援護してほしい」
「了解したわ」
クレアは短く返しつつ、昼食のサンドイッチを一口かじる。
「そして俺は、全体の戦況を把握しながら、必要に応じて指示を出す。ヴァイルが分担した敵を遠距離から潰す形になるだろう。必要なら、魔法で視界や展開を補助する」
一つひとつの役割が、綿密に整えられていく。
だが――ここでザイアスの表情がわずかに陰を落とした。
「それと、わかってると思うが……遺跡探索では、俺の“本当の力”は使えない」
言葉の重みに、ヴァイルとクレアの表情も引き締まる。
「誰がどこで見ているかも分からない。もし使えば、ダンジョン自体を破壊してしまう可能性もある。……だから、どうしてもというときは、迷わず緊急用の魔道具を使って離脱してくれ」
「了解した!」
「ええ、理解してるわ」
たとえザイアスが強力な力を秘めていても、それに頼らずに自分たちの力で戦い抜く――その覚悟は、すでにできていた。
「じゃあ、午後の遺跡探索に備えてしっかり食べておこう。かなり骨のある戦いになりそうだからな」
ザイアスの言葉に、ヴァイルとクレアがうなずき、それぞれ手元の食事に箸を伸ばす。
三人の間にあるのは、決して言葉だけではない信頼と、目指す先への同じ覚悟だった。
「それにしても、アークスキルなんて夢のまた夢だよな」
ヴァイルがパンをかじりながら、ぼそりと漏らす。昼食をとる三人の話題は、自然と先ほどオリバースが語ったアークスキルの講義へと移っていた。
「そうね。魔力ランクとは関係ないって聞いたことはあるけど、どうなのかしら」
クレアが慎重に言葉を選びながらそう答えると、彼女とヴァイルの視線が同時にザイアスへと向けられた。
まるで無言の圧を感じたかのように、ザイアスは肩をすくめて苦笑する。
「流石に俺も使えないよ。アークスキルは“選ばれし者”にしか与えられない女神の超恩恵って言われてるくらいだからな」
「ザイアスのことだから、もしかしたらってちょっと期待しちゃった」
「流石のザイアスでもダメか。でも一度でいいから見てみてぇよな、アークスキルってやつを」
その場がほんの少し静まった。ザイアスとクレアは目を合わせ、しかし何も言わずにそっと頷き合う。
以前、シトリスが超回復であろうアークスキルを発動した場面を目撃したこと――あの神秘的で凄まじい力の一端を垣間見たことを、二人は思い出していた。
けれど、ヴァイルにそれを話せば、彼がまたいじけてしまうのは火を見るよりも明らかだった。
だからこそ、あの出来事はこのまま二人の胸の内にしまっておこう。いっそ、墓場まで持っていくつもりで。
目を逸らしたクレアがそっと息を吐き、ザイアスは黙ってスープをすする。三人の昼食は、淡い秘密をひとつ隠したまま、何事もなかったかのように進んでいった。
教室に戻ると、すでに他の生徒たちも集まっており、皆がどこか落ち着かない様子を見せていた。
期待と不安が入り混じったような空気が漂い、これから始まる現実を前に、教室全体がわずかに浮き足立っていた。
その緊張感を包み込むようにして、シトリス先生が教壇に立つ。
いつものように明るく笑う姿ではなく、凛とした佇まいで、生徒たちの視線をしっかりと受け止める。
「みなさん――本日より、いよいよ“遺跡探索”が始まります」
その声は優しく、だが確かな重みを伴って教室に響いた。
「前にも伝えた通り、この探索は“強制”ではありません。遺跡内には危険が潜んでおり、場合によっては命を脅かされる可能性もあります。だからこそ、覚悟を持って参加することが求められます。自分自身の意思で、この道を選んでください」
静まり返る教室。
生徒たちは真剣な面持ちでその言葉を受け止めていた。
その眼差しの一つひとつに、すでに退路はないと決意した覚悟が宿っている。
シトリスは一呼吸おくと、さらに言葉を続けた。
「なぜ、遺跡探索が“二年生”から解禁されるのか――その理由についても、少しお話ししておきましょう」
教壇に手を添えながら、視線を緩め、淡く微笑む。
「入学時にも説明がありましたが、一年生では魔法の基礎を徹底的に学びます。そして二年生になった今、ようやくその知識と技術を“応用”へと変える段階に入ったのです」
生徒たちは黙って頷く。その変化は、彼ら自身が実感として感じていた。
「三年生になると、ギルドや各地の自治組織から、直接“応援要請”が学園に届きます。みなさんもご存じの通り、魔法使いというのはこの世界では非常に希少な存在です。そのため、魔法使いとして国やギルドからの依頼に応えるには、“デルタニア魔法学園”の在校生または卒業生であることが、資格として必須になります」
その言葉に、幾人かの生徒が驚いたように目を見開いた。
魔法使いという存在がいかに特別で、そして守られた立場にあるか――その意味を改めて突きつけられたのだった。
「ギルドや国からの要請には、ダンジョンの探索や、魔獣の討伐、さらには災害支援など多岐にわたる任務が含まれています。
これらに対応するためには、ただ魔法が使えるだけでは足りません。状況判断、仲間との連携、そして実践経験。だからこそ、今のこの“遺跡探索”は非常に重要な訓練なのです」
シトリスは、生徒たち一人ひとりの表情を確かめながら、言葉を慎重に選びつつ話を続けた。
「それと……非常に稀なケースではありますが――ギルドへの貢献度が極めて高く、その実力と功績が認められた場合、“四年生への進学”を免除され、三年生終了時点でそのまま“卒業”となることがあります」
その言葉に、教室内が一瞬静まり返った。
ザイアスは、思わず眉をひそめる。
“卒業”――それは学園生活の終わりであり、魔法師して社会に出ることを意味する。
だが、そのタイミングが早まるということは、裏を返せば、その先に待つ現実が目前に迫ってくるということでもあった。
ザイアスの胸には、淡い興味と微かな不安が同居していた。
進路という言葉が、これまで以上に現実味を帯びて迫ってくる。
シトリスは、生徒たちの反応に動じることなく、穏やかに言葉を重ねる。
「もちろん、そのような道を選ばず、魔法の知識を深めたいという方もいるでしょう。四年生まで在学し、魔法研究員や魔法協会、さらには学園の内部職員になるといった選択肢もあります。進む道は多様です。どの未来を選ぶかは、あなたたち自身の意思に委ねられています」
静かな声に込められた真剣さが、教室の空気を引き締めていく。
「この“遺跡探索”は、ただの訓練ではありません。自分に何が向いているのか、どんな進路を選ぶべきか――それを見極めるための貴重な機会でもあるのです」
シトリスは視線を全体に投げかけると、少しだけ声音を強めた。
「決めるのはあなたたちです。もし三年生になって、ギルドの依頼に積極的に参加したいと考えているのであれば、今日から始まるこの遺跡探索授業には“積極的に参加”してください。学園側は、皆さんの取り組みと成果を見て、ギルドからの依頼に参加する許可を判断します」
そして、優しさをにじませるように言葉を添えた。
「もし、不安があるのなら無理をしないでください。班のメンバーや、私にすぐに相談してください。必要があれば班の再編も行います。無理して一人で抱え込まないように」
真摯に語られる言葉に、教室内には重々しい沈黙が流れた。
ザイアスは静かにうなずき、周囲を見渡した。
ヴァイルは黙ったまま腕を組み、まっすぐ前を見据えている。
クレアは口元を引き結びながら、深く頷いていた。
「今のあなたたちにとって、最も大切なのは“経験を積むこと”です。何よりもまず、“実力”を伸ばすこと。それが、あらゆる進路を切り開く鍵になります。……それでは、頑張っていきましょう!」
シトリスの言葉が締めくくられると、教室の空気が一変した。
緊張感はそのままに、どこか背筋を伸ばされたような、前を向く決意の気配が教室中に満ちていく。




