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第二十二話

春の若葉のような柔らかな髪が風に揺れ、小柄な体躯ながら背筋を真っ直ぐに伸ばし、圧倒的な存在感を放っていた。胸元には教員の証であるバッジが輝いている。


その背後には、クレアの姿があった。彼女の表情には安堵と驚きが入り混じり、微かに震えている。


「あなたは死なせません」


小さな女性が歩み出ると、足元に大きな虹色の魔法陣が広がった。その中心に立ち、静かに詠唱を始める。

その魔法陣を警戒したのか、黒装束は一旦距離を取る。


『スペルエンゲージ:シークレットアーク「クロノアズール」』


鐘の音と共にまばゆい虹色の光が辺り一帯を包み込み、その温かな輝きは瞬く間にザイアスたちを包み込んでいく。傷つき倒れていた仲間たちが静かに目を開け、ザイアス自身も腕の痛みが消えていることに気づいた。


右腕は、完全に元通りになっていた。女子生徒の胸を貫いていた傷も、もはや跡すら残っていない。命を落としかけていた者たちが、一人残らず癒やされていた。


「おいおいなんて事してくれるのぉ、せっかく痛めつけたのにぃ。ん? そぉの見た目ぇ……あなた、もしや……」


仮面の男がわななく声を上げた。驚愕と警戒が入り混じった目が、彼女に向けられる。


その問いに、静かに答えた。声色は見た目に不釣り合いなほど冷えきっていた。


「抗わず、静かに身を委ねなさい」


その静謐な声音に、一瞬空気が凍りつく。


「学園の犬が調子に乗るなよ!」


仮面の男が吠えるように叫んだ。


だが、その瞬間、空気が再び変わる。


『スペルエンゲージ:タイプストラテジア「ラディアンスチェイン」』


黒装束が一斉にその場を離れようと動き出した。しかし、その動きはすでに想定されていた。

紡がれた瞬間に金色の魔法陣から出現した光の鎖が、彼らの足元を逃さず捕らえる。


「くそっ……覚えて……さい。私たちは……を絶対にゆる――」


仮面の男が呟くが、その声すら光にかき消される。


『レガート:「セレスティアロンド」』


天から降り注いだ神々しい光が、黒装束の者たちを包み込み、絡みついた鎖が彼らの動きを完全に封じた。身体中に巻きついた七本の光の輪が、神罰の如く輝きながら動きを奪っていく。


その一撃は、まさに聖なる断罪だった。


だが――


「一人、逃しましたか」


視線を落とした先に残されていたのは、仮面の男の足だけだった。周囲に残る残滓と瘴気から察するに、男は寸前で自身の足を切断しなんらかの魔法を発動し逃げたのだろう。

そこにあったはずの圧倒的な魔力は、すでに気配すら残っていなかった。


脅威が去ったと知るや否や、クレアは押し殺していた感情を爆発させるようにザイアスの元へ駆け寄った。そして、迷いのない動きでその体に抱きつく。


「良かった……良かった、無事で」


その瞬間、ふわりとした柔らかな感触がザイアスを包み込む。彼の顔は自然と彼女の胸元に引き寄せられ、当たった感触に思わず体が跳ねた。


「ク、クレア! 大丈夫、大丈夫だから……と、とにかく離れてくれ!」


慌てて身を引こうとするも、クレアはなおも彼を離そうとはしない。抱き締める腕に力がこもり、ザイアスの言葉を受け入れる余裕もない様子だった。


困惑しながらも、ザイアスの視界に映ったのは――彼女の頬を伝う涙だった。小刻みに震える肩が、その恐怖と安堵の大きさを何よりも雄弁に物語っていた。


その様子に、ザイアスは静かに息を吐く。そして、迷いを払うように彼女の背に腕を回し、優しく抱きしめ返した。


「落ち着いたか? 心配かけたな」


「ほんとよ……落ちていた右腕を見た時は本当に血の気が引いたんだから!」


ようやく離れたクレアが、涙を拭いながら少し怒ったように言う。ザイアスは苦笑を浮かべ、静かに頷いた。


「俺も流石にあの時は、もうダメだと思ったよ。ところで、あの人は?」


視線を向けた先では、助けてくれた女性が倒れていた生徒たちの様子を一人ずつ丁寧に確認していた。発せられた魔力の尋常ならざる重み――そして一瞬で全員を癒した神業のような回復魔法。


「あの人はね、二年担当のシトリス先生よ。笛の音を聞いて来てくれたの」


ザイアスはふと自分の右手に視線を落とした。

その手は、まるで何事もなかったかのように動いていた。けれど、その感触が今もなおどこか現実離れしていて、脳裏にはあの瞬間の記憶が鮮明に蘇る。


――切り落とされ、止血も追いつかず、意識が遠のいていったあの時。


もし彼女が来てくれていなかったら――

ザイアスは静かに息を吐いた。胸の奥がじわりと冷え、死を覚悟した刹那の恐怖が、再び体の内側から這い上がってくるようだった。


やがて、全員の無事を確認したシトリスがザイアスのもとへ歩み寄ってくる。


「大丈夫ですか? 大変でしたねー。一応、治したつもりですけど……どこか違和感とかありますかー?」


その声は先ほどの冷厳な詠唱の時とはまるで異なり、愛らしさを纏っていた。


ザイアスは立ち上がり、異常のないことを伝えつつ、深々と感謝の意を述べる。


「良かったです」


無邪気な笑顔を浮かべたシトリスは、やがて到着した他の教員たちと共に、倒れていた生徒や捕えた魔人教の者たちを回収し、学園へと運んでいった。

この森は一旦封鎖され、強化合宿訓練はここで幕を閉じた。


今回の一件で、ザイアスは多くを痛感した。魔剣への対策、周囲に影響させる弱化魔法、自身の力の扱い方――

ただ戦うだけでは通用しない現実が、そこにあった。


強化合宿訓練の事件から三日が過ぎた頃、ザイアスとニュート、そして胸を刺されていた少女――リアナの三名は、学園の特別室に呼び出されていた。


コレットは目を覚ましたものの、依然として話ができる状態ではないらしく、いまだ寮の自室に籠もったままだという。目の前で仲間が二人も剣に貫かれるという惨状を目の当たりにしたのだ。それを思えば、今もなお沈黙に包まれているのも無理はなかった。


今回の一件について学園側は重大視しており、関係者への聞き取り調査が実施された。すでにアイリと共に倒れていた生徒からは、意識を急に失い、その後の記憶が一切ないという証言が得られていた。


特別室では、謎の集団について知る限りの情報を明かした。仮面の男の存在。異質な魔剣。――包み隠すことなく、全てを語った。


とりわけ興味深かったのは、リアナが語った内容だった。

彼女の班は、討伐任務の対象であるロックグリズリーを撃破し、森を抜けようと歩を進めていたところで、偶然あの怪しい集団に遭遇したのだという。


リアナは咄嗟に三人を魔法で仕留め、その隙を突いて仲間たちを逃がした。しかし、仮面をつけた男との交戦に手こずっている間に、倒したはずの一人が突如として立ち上がり、逃走した仲間を追っていったのだという。


彼女は最後まで仮面の男と対峙し、深手を負って意識を失った――気がつけば、すでに学園の医療室のベッドの上だった、と語った。


その口ぶりは冷静を装っていたが、内に秘めた無力感は隠せなかった。語るうちに拳を握りしめる指先が白くなり、唇を強く噛みしめていた。


だが――


ザイアスの胸中には一つの疑念が残っていた。

倒れていたアイリたちの身体に外傷はなく、周囲に教団の者の気配もなかった。

それが意味するものは何か、答えはまだ霧の中だった。


すべてを話し終えた三人は、静かに会議室を後にした。


部屋を出るなり、リアナは足を止め、頭を深く垂れた。


「助けに駆けつけてくれたって聞いたよ、ありがとう」


「いや、俺は何もしてない。いや、正確には――何もできなかった。不甲斐ないぜ、本当に」


ニュートは口を噤んだまま拳を握りしめる。その顔には、同じく無力さを噛みしめる苦悶が浮かんでいる。


「俺も結局、何もできなかった。俺たちはただ……シトリス先生に助けられたんだ。礼を言うなら、先生に言うべきだよ」


ザイアスのその言葉に彼女は、首を横に振った。


「君たちが時間を稼いでくれたおかげで、先生が間に合った。私は、そう思っているよ。本当に、ありがとう。いつかこの恩は、必ず返すね」


その言葉を残し、彼女は髪を揺らしながら静かに去っていった。


その背を見送り、ニュートはザイアスの肩に軽く手を置いた。


「じゃあ俺もいくわ」


短く、だが力強いその一言とともに、彼もまた背を向けた。


彼らの足取りに迷いはなかった。敗北に臆することなく、それぞれの決意を胸に、確かに前を見据えていた。


そして――ザイアスは、そのままの足でグリモアの研究所へと向かっていた。


「どうしたザイアス。そんな真剣な顔して。まさか、何か楽しいことでもあったのか?」


軽口を叩いたグリモアに、彼は真っ直ぐな目で応じる。


「頼む。お前の全てを俺に教えてくれ」


「は?」


唖然とする大魔道士を前にしても、ザイアスの決意は揺るがない。


――時間は、待ってはくれない。


あの日感じた無力感を、ただの記憶にしたくなかった。だからこそ彼は一日たりとも無駄にできないという焦燥と共に、訓練に身を投じていく。

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