第二十話
リーダーであるコレットが地図を畳み、きびきびとした声で指示を出す。
「まずは湿地帯から行くわよ、準備はいい?」
誰も言葉を返さなかったが、それは肯定の証だった。全員がうなずき、隊列を整えながら森の奥へと歩を進めていく。
「改めて確認しておくわね」
そう言ったのは班のリーダーを務めるコレットだった。鋭く引き締まった視線に、自然と全員の気が引き締まる。
「今回の訓練は一泊二日。指定された三体の魔獣を討伐し、それぞれの魔核片を回収して持ち帰るのが目的よ」
魔核片は、特別に珍しいものではない。魔獣が倒されれば、例外なくその残骸の中に一つは生成されている。つまり、魔核片とは討伐の証であり、魔獣の力の残滓にほかならない。
内部にはその魔獣固有の魔力が蓄積されており、適切な手順で解析すれば、その魔核片がどの種族の魔獣から得られたものかをすぐに判別することができる。
さらに、この結晶はただ保管されるだけのものではない。鍛冶や錬成に用いれば、武器や防具、あるいは装飾品へと生まれ変わる。そうして生成されるのがあのマテリアルだ。
「食料は現地調達。支給された備品は地図、タープ、笛、そして五人分の水だけ」
そう言うと、コレットは革袋から水筒を一つずつ取り出し、手際よく配り始めた。その動きには無駄がなく、指揮官としての資質がうかがえる。
「まず最初に向かうのは湿地帯。つまり、ゴレイヌセンチピードを討伐するってことになるわね。その後はどうする?」
その問いを口にしたのはクレアだった。戦術を練る上で、次の行動を早めに決めておく必要があると判断したのだろう。
「キャンプの場所を考えると、そのまま湖へ移動するのが最善ね。夜の移動は危険が伴うから、できれば日没前には落ち着きたい。そこでフリッピーフライを討伐できれば、翌日の負担も減るわ。でも……運が悪ければ、姿を見つけられないかもしれない」
現実的な視点で言葉を繋ぐコレットに対し、ニュートは肩をすくめて笑い飛ばした。
「俺は戦えればなんでもいいぜ。ルートとかはリーダーに任せる」
クライルはそんな彼に微笑みを向けるが、どこか慣れた表情だった。おそらく、普段からこの調子なのだろう。続いて彼は一歩前へ出ると、眼鏡を押し上げ、淡々とした口調で語り始める。
「まず、ゴレイヌセンチピード。体長は約二メートル程度の多足類。とにかく機動力が高く、下手に距離を取るとすぐに懐へ潜り込まれる。魔法を正確に当てるのは難しいから、まずは足を止める手段が必要になると思う」
淡々とした説明の中にも、明確な分析と洞察が込められていた。そのまま、彼はフリッピーフライとポップコンガについても言及する。
「フリッピーフライは水中と空中の両方で活動する浮遊型の魔獣で、魔力感知に優れている。強い魔力をぶつけると逃げられる可能性があるから、接近戦で仕留めるのが有効だと思う。ポップコンガは群れで行動する習性がある。単体ではそれほど危険じゃないけれど、数で囲まれないように注意が必要だね」
「魔獣に詳しいんだな」
ザイアスが声をかけると、クライルの目が急に輝きを帯び、眼鏡の奥の瞳が熱を宿す。
「魔獣はね、面白いんだ! 行動パターンも生態も地域ごとに微妙に異なっていて……調べれば調べるほど、謎は深まるばかりなんだよ!」
その語り口はまるで子供のようで、彼の内に秘めた情熱が垣間見えた。話が長くなりそうだと思った瞬間、目の前の茂みから草音が立ち、小型の魔獣が三体姿を現した。
瞬時に全員が戦闘体勢を取った。班の編成はすでに決まっていた。前衛はニュート、中衛にはザイアスとクレア、クライル。コレットは全体の動きを見ながら、臨機応変に対応する。
ニュートが真っ先に動く。武具を収納するアーティファクトである指輪に魔力を注ぐと、空間が一瞬歪み、そこから取り出されたのは一本の剣だった。刀身には淡く光るルーンが刻まれており、魔力の波動が剣全体を包み込んでいる。
彼は剣を振り下ろしながら詠唱を始める。その一閃で魔獣の一体が斬り伏せられ、同時に詠唱していた土属性の魔法が発動。地面から突き上がった岩槍が、もう一体の魔獣を串刺しにし動きを封じたところで、今度は腰に刺していた剣を使い魔獣を切り裂き討伐した。
中衛に構えていたクレアとクライルもすかさず反応する。両者の魔法は、逃げようとした最後の魔獣を見事に仕留めた。
「貴方がそんなに倒したら、私の出番がなくなっちゃうじゃない!」
コレットは肩をすくめ、どこか不満げに呟いた。戦いたかったのだろう、自分の力を見せたかったのかもしれない。
「俺が全部倒してやるから安心しろ!」
ニュートは豪快に笑い飛ばし、肩に剣を担いで戻ってくる。その圧倒的な腕力と瞬発力は、もはや魔力の有無以前に、鍛え上げた肉体そのものが武器となっていた。
立ち止まっていたとはいえ、剣を振りながらの詠唱も難なくこなしていたことから、彼が戦闘という場に相当慣れていることは明白だった。
道中、いくつかの魔獣と遭遇したものの、進行を阻むほどの脅威にはならなかった。ニュートの豪快な剣捌きと、コレットの的確な魔法により、そのほとんどが一瞬で蹴散らされていく。彼らの連携には無駄がなく、戦い慣れした者特有の鋭さと余裕が感じられた。
しばらく歩を進めると、空気がじっとりと湿り気を帯び始め、景色は次第に湿地帯の様相へと変わっていく。鬱蒼と茂った草の間をぬってぬかるんだ地面が続き、不意に足を取られる者もいた。そこには、大小さまざまな魔獣たちが姿を潜めており、視界に入っただけでも三体以上が徘徊しているのが確認できた。
「一旦、あの岩陰に隠れましょう」
コレットの指示で、全員が岩陰へと身を潜める。湿地帯の中心部を見渡しながら、目を凝らすと、一際大きな個体が動く気配があった。
「いた。奥の沼地で餌を捕食してるね」
声を潜めて報告したのはクライルだった。眼鏡越しの視線が鋭く敵を捉え、その先には今回の討伐対象――ゴレイヌセンチピードが、泥水の中でうごめいていた。
「でも……その周りにも、他の魔獣が数体いるわ。どうしましょう?」
クレアはコレットのほうへ視線を向け、判断を仰ぐ。
「クライルとクレアは、魔法で周囲の魔獣を引きつけて。私が前に出てその引きつけた魔獣の相手をするから。その間にニュートとザイアスはセンチピードを討伐して。戦闘が終わり次第、私たちも援護に回るわ」
全員が頷き、戦闘の準備を整える。コレットの手のひらが軽く振られたのを合図に、作戦が開始された。
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「ウィンドエッジ」』
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「ヴォルトエッジ」』
クレアとクライルが詠唱を終えると周囲の魔獣たちを鋭く切り裂いた。怒りを覚えた魔獣たちは、咆哮を上げながら二人に襲いかかろうとする。しかし、それを待っていたかのように、コレットがその前に立ちはだかり、淡い光を纏った防御魔法で突進を受け止めた。
その隙に、ニュートとザイアスはゴレイヌセンチピードに向けて駆け出す。沼地に沈むようにして潜んでいた魔獣が、気配を察して頭部をもたげた。無数の脚がうねり、異様な速さで泥の中を滑るように動く。
「行くぞッ!」
ニュートが剣を出し真正面から振り下ろす。だが、刃は空を切った。想像以上の速度――聞いていた通り、尋常な反応では追いつけない。
「くそ、すばしっこいな! 当たらん!」
土魔法による補足を試みるも、魔法陣が展開される頃には、すでに魔獣はその場を離れていた。足場は不安定で、踏み込むたびにぬかるみが脚を奪う。長期戦になれば、体力の消耗は避けられない。
ザイアスは一歩下がると、即座に設置型の魔法陣を複数展開した。視線を走らせて地形を読み、魔獣の逃走経路を予測する。
ニュートが再び剣を構え、横から斬りかかる。しかし、魔獣は動きに反応し、またもや巧みに身を翻してかわす。だが――
踏み込んだその先に、ザイアスが展開した魔法陣が待っていた。
地面に触れた瞬間、炎の鎖が爆ぜるように現れ、魔獣の数本の脚を絡め取る。その一瞬の隙を、ニュートは逃さなかった。
「おらぁっ!」
豪快に振り下ろされた剣が、魔獣の胴体を裂いた。斬撃と同時に付与された土魔法が発動し、傷口から石化が広がる。鈍った動きを見計らい、遅れてやってきたクレア、コレット、クライルの三人が援護に入り、総力をもってゴレイヌセンチピードを仕留めた。
「やるな、ザイアス! 設置型とはよく思いついたもんだ。対人じゃ中々使わないから忘れてたぜ!」
満面の笑みを浮かべたニュートが、勢いよくザイアスの背中を叩く。あまりの力強さに、思わず前につんのめる。
「ちょっと! また背中を叩いて……本当に加減を知らないんだから」
クレアがすかさず間に入り、眉を寄せながらニュートをたしなめる。
「初級魔法だったから動きを止められたのはほんの一瞬だったけど、とっさの判断としては上出来だったわ」
コレットは地面に落ちていた魔核片を拾いながら、振り返ってザイアスを称える。
五人は湿地帯を抜けた先で一度腰を下ろし、冷えた水を口に含みながら短い休憩を取った。そして、次なる目的地――湖へと足を進める。
湿地帯から湖までは、思っていたよりも距離はなかった。足元のぬかるみも徐々に乾いた土に変わり始め、柔らかな陽光の下、彼らは互いの故郷の話などを交わしながら、笑い混じりの緩やかな会話と共に歩みを進めた。やがて、視界の先に光を反射する水面が広がる。
このあたりには、ひときわ大きな湖の周囲に、小さな湖が三つ点在している。そのうち最初に辿り着いたのは、静謐な空気に包まれた小ぶりな湖だった。辺りに魔獣の気配はなく、水辺を渡る風も穏やかで、どこか安心感を覚える場所だった。
「ここを拠点にしよう」
全員の同意を得て、彼らはこの場所を今夜のキャンプ地に決めた。ザイアスとクレアは周囲に軽く偵察し、他の者たちは焚き火の準備に取り掛かる。森の縁から手頃な枯れ枝を集め、タープの設置や水の確保も進められていく。そんな中、唐突にクライルの声が空気を裂いた。
「みんな静かに、動かないで」
その声音には、ただならぬ緊張がこもっていた。全員がぴたりと動きを止める中、クライルは目を閉じ、風の中に溶け込むように耳を澄ませた。まるで鼓膜だけを研ぎ澄ませるようにして、音の粒を拾っていく。
「西の方角から微かに羽音がする。しかも複数……こちらに向かってくるよ」
言葉を発しながらも、その瞳は集中を崩さず、音の正体を追い続けていた。
「耳がいいのね、すごいわ」
クレアも同じように耳を澄ませてみるが、その表情は微かな困惑を含んでいた。どうやら彼女の耳にはまだ届いていないらしい。
「やっぱりフリッピーフライだったね。数は三体。クレアさん、僕に合わせて」
クライルは敵影を捉えると、素早くクレアに合図を送り、魔法を発動させて飛来してきた敵を分断した。
「右は私が取るわ。左はニュートに任せる、残りは三人でお願い!」
コレットが迅速に指示を飛ばす。その声音は鋭くも冷静で、全体の動きを瞬時に把握していた。
「了解!」
全員が一斉に応じると、迷いなく各自の持ち場へと動き出す。
ザイアスは背に携えた盾を素早く取り出し、迫りくるフリッピーフライの一撃を正面から受け止めた。鋭利な爪が叩きつけられた瞬間、盾の表面を走る魔力が淡く輝き、衝撃を逸らす。
『スペルエンゲージ:タイプアエンチャント「フィジカルブレイク」』
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「ショックヴォルト」』
詠唱が重なる。クレアの口から紡がれたのは、敵の筋力と反応速度を低下させる弱体化魔法。直後、クライルの雷撃が空を貫き、フリッピーフライの胴体を斜めに焼いた。だが、その一撃でさえ魔獣の頑強な鱗には浅い傷しか残せず、逆に怒りを買ったのか、鋭い羽音と共に反撃が始まる。
襲いかかった魔獣の牙がクレアに迫る――が、その前に再びザイアスが盾を掲げ、軌道を逸らした。
「ありがとう、ザイアス」
クレアが息を整えながら小さく礼を言う。
――二人の攻撃だけじゃやはりパワーが足りないか。
「ニュートとコレットが来るまで、とにかくこのまま攻撃を続けて持ち堪えよう」
ザイアスの冷静な指示に、クレアは無言で頷き、魔法を発動させる。二人は攻撃の手を止めることなく、息を合わせて次々と魔法を放つ。だが、フリッピーフライの鱗に覆われた身体は恐ろしく硬く、魔法の通りも鈍い。空中を縦横に舞う敵に対し、確実に一撃を与えることの難しさが全員を苦しめていた。
そこへ、ようやくニュートが駆けつける。
「すまん、手こずっちまった!」
その声と同時にクライルが雷を放つ。電撃を受けた魔獣が一瞬身をよじった、その隙を見逃さず、ニュートは剣をすぐさま投げ放つ。
合わせるようにクレアはその剣に風魔法を付与し、鋭く回転した刃は敵の口元を正確に貫いた。
これまでの蓄積されたダメージも相まって、魔獣はその場で地に落ち、動かなくなった。
ほぼ同時に、離れた位置で戦っていたコレットも敵を仕留め、魔核片を素早く回収する。
「湖が小さくて助かったわ。もし水中に逃げ込まれてたら、もっと時間がかかってたはずよ」
前髪を払いながらコレットが言うと、ニュートが肩をすくめながら苦笑を浮かべた。
「甘く見てたぜ。鱗のせいで剣が全然通らなかった。次は一撃で真っ二つにしてやるぜ!」
指定された魔獣を二体倒したことで、表情には幾分か余裕が戻っていた。残るはあと一体――明日、奴の生息地である森林へ向かう予定だ。
日が傾く前に、湖の近くの森で山菜を摘み、湖ではコレットの魔法で魚を数匹仕留める。夕陽が赤く水面を染める頃、彼らは少し早めの夕食を取ることにした。
ダンジョン内のようなセーフティポイントはこの場所には存在しない。だからこそ、油断はできない。夜の間は見張りを交代しながら、慎重に、静かに、彼らは眠りについた。




