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第十八話


三人は、訓練漬けだった休暇の時間を少しでも取り戻すかのように、夏休み最終日の今日、ウィストリアの街へと繰り出していた。


午前中はそれぞれ自由行動とし、好きな店を見て回ることになっていた。クレアは服屋へ、ヴァイルは目を輝かせながら武器店へと足を運び、ザイアスはというと、街の片隅にひっそりと佇む古びた魔道具店の扉をくぐっていた。


薄暗い店内には、どれも年季の入った魔道具が所狭しと並んでいる。精緻な彫刻が施された杖、用途のわからない歯車付きの箱、そして今では廃れた形式の魔法灯――どれも時代の流れを物語るような風格があり、ザイアスは興味深そうに棚を見て回っていた。


ここ数年で魔道具の技術は目覚ましい進化を遂げている。魔法大会で使用されていた音声拡張の魔道具や、中継用の空間転送器具など、その革新は多くの注目を集めた。とりわけ二年前に登場した一部の製品は、魔道具業界において一つの革命とまで評されたほどだ。


もちろん、魔道具は魔力を持つ者でなければ使用できないという前提がある。だが最近では、“魔力を持たぬ者にも使える魔道具”の研究も進められており、実現すれば日常生活が一変する可能性さえある――そんな未来を想像しながら、ザイアスは店内を歩いていた。


と、その時。

ふと目を引かれる一品があった。


木箱の中にひっそりと置かれていたのは、小さな布製の袋――魔法袋だった。限られた空間に複数の物を収納できる希少な品であり、一般市場にはほとんど流通していない。


「珍しいな」


呟きながら店主に話を聞いてみると、どうやらこれは“欠陥品”とのことだった。本来であれば多くの物を収められるはずの魔法袋だが、目の前にあるそれは、せいぜいポーション五つほどしか収納できないという。


それでも、ザイアスは迷わず購入した。


表面的な機能には期待していない。むしろ彼の興味は、その仕組み――魔法袋の構造や理論にあった。欠陥であろうと、むしろだからこそ構造を探る価値がある。手に取った袋の生地に触れながら、彼の中に探究心の灯が静かに燃えていた。


欲しかったものも手に入り、時刻もちょうど良い。ザイアスは集合場所である中央広場へと足を向けた。


まだ誰の姿もない。

日差しは柔らかく、石畳の向こうで噴水が音を立てていた。ザイアスは広場の片隅で香ばしい匂いを漂わせていた屋台に立ち寄り、熱いコーヒーを一杯手に取ると、近くのベンチに腰を下ろした。口元に湯気の立つカップを運びながら、彼はぼんやりと空を見上げる。


そのときだった。


――ドン、と重い音が空気を裂き、次いで煙が空高く立ち昇った。


視線を音の方角へ向けたザイアスは、コーヒーを地面に落とすのも構わず立ち上がり、一目散に駆け出した。


煙の上がる場所へたどり着いた瞬間、彼の目に飛び込んできたのは――クレアが黒装束の男たちに囲まれている光景だった。彼女はローブの裾を翻しながらも冷静に睨み返していたが、明らかに数で劣っている。


「クレア!」


ザイアスが駆け寄ったとき、ほぼ同時に反対側からヴァイルも現れた。あの爆発音を聞きつけ、駆けつけたのだろう。


「大丈夫か!?」


「ええ、怪我はないわ」


息を整えながらも、クレアは気丈に答えた。


「広場に向かう途中で、突然こいつらに襲われたの」


彼女が指差した先には、黒のローブに身を包んだ三人の男たちがいた。その顔は深くフードに隠れ、正体は窺えない。ザイアスとヴァイルが視線を向けると、男たちは無言で剣を構えた。


「お前たち一体何者だ!」


ザイアスの問いに応じるように、三人はゆっくりと詠唱の構えを取る。その中の一人が剣を前に突き出した瞬間、袖から覗いた右手の手首に刻まれた異様な紋様が目に留まった――それは、角の生えた髑髏のタトゥー。

ヴァイルもそれを見逃すことはなかった。背筋をわずかに強張らせながら、鋭利な刃のような眼光で男たちを睨みつけた。


「どうして俺たちを襲うんだよ!」


「そちらが先に攻撃をしてきたのだろう……どうやって我等のアジトを――」


低く唸るような声と共に、三人はそれぞれ異なる属性――雷、火、そして土の魔法を同時に放ってきた。


「っ!?」


ザイアスは即座にクレアの腕を引き寄せ、身体を覆うようにして飛び退いた。背後で爆発が起き、土煙が視界を覆う。


「ヴァイル、大丈夫か!?」


「ああ、平気だ。くそ、服が砂だらけだぜ」


砂埃を払って立ち上がるヴァイル。その隣で、クレアも礼を言いながら服についた砂を払い落とす。


「ありがとう、ザイアス。でも、街中で魔法を使うなんて」


「ダメだ、ここで戦えば周囲に被害が出る。とにかく――学園まで逃げるぞ!」


ザイアスの一声に、二人は無言で頷き、すぐに踵を返して走り出した。幸いにも、学園までの距離はさほど遠くない。彼らはひたすらに走る。背後からは魔力の気配が追いかけてくるが、それを振り切るように全速力で。


「なんなのよあいつら! どうして私たちが狙われなきゃいけないのよ」


振り返りながら叫ぶクレア。その声にヴァイルが応える。


「こっちが先に攻撃したって言ってたけど、クレアなんかやったのか!?」


「バカを言わないで! 何もしてないわよ、街を歩いていたら突然攻撃されたの」


逃げる三人の前に、突如として黒装束の男たちが屋根の上から舞い降り、音もなく地面へと着地した。

その瞳には一片の迷いもなく、冷ややかな視線をザイアスたちへと向けると、即座に構えを取り、無言で詠唱を始める。


と、その瞬間――別の方向から、ゆっくりと足音が近づいてきた。


[騒がしいと思って来てみれば……まったく、世話が焼けるな]


姿を現したその男は、鍛え上げられた堂々たる体躯に、夜を纏ったような黒髪。

そして、その鋭い双眸には、金と深紅が静かに交錯している。

ただ立っているだけで、空間ごと支配するような凄まじい圧を放っていた。


「そこを退け。さもなくば、お前も一緒にあの世に送ってやろうぞ」


[ふはははは、笑わせるでない。我をどうするというのだ?]


男が手にしていた荷物を無造作に地面へと置いた、その瞬間だった。

黒装束の一人が、何の前触れもなく膝を折り、その場に崩れ落ちる。


「何が起こったの?」


「わからねぇ。あのおっさんが何かしたのか?」


――速すぎる。一瞬で敵の懐に入り込み、顎へ一撃。そして何事もなかったかのように元の位置へと戻っていた。


あの男の動きに気づいたのは、ザイアスただ一人だった。


[さて、あまり目立つわけにもいかない。終わらせるとしよう]


構えを取った途端、その場の空気が一変する。

それは魔力でも魔法でもない、純粋な“重圧”だった。

肌を這うような重苦しさに包まれ、三人は息をすることすら忘れ、ただその場に立ち尽くしていた。


「何なんだお前は! 先ほどのガキといい、ふざけやがって!」


「『スペル……』ぐはっ!」


[戦場において、悠長に魔法を唱えている暇などないぞ]


その言葉が落ちる頃には、すでに黒装束の男たちは地面に倒れ伏し、完全に気を失っていた。

誰一人として、彼の動きを視認できなかった。


男は無言で荷物を拾い上げると、まるで何事もなかったかのようにその場を後にする。


「ぷはっ、息ができなかったぜ」


「すごい重圧だったわね」


「あの人が構えた瞬間、ちょっと怖かったよな」


「でも、かっこよかったわ。何をしたのか全然わからなかったけれど」


「わかるぜ! あの“絶対的強者感”、たまらないぜ!」


興奮冷めやらぬクレアとヴァイルに対し、ザイアスは黙ったまま、視線を伏せていた。


(魔法も魔力も使わずに、あれだけの存在感。一体、何者なんだ――下手をすれば、今まで出会った誰よりも強い)


「遅れて申し訳ない! もう大丈夫だ!」


するとそこへ、一人の男が駆け込んできた。

赤いローブに身を包み、剣と巨大な盾を携えた男の背には、魔法警備隊の紋章が誇らしげに輝いていた。


「魔法警備隊第三部隊所属、マグーレンだ! 観念しろ……って、あれ?」


勢いよく名乗りを上げたものの、彼の目に映ったのは、すでに地面に倒れた黒装束の男たちだった。


「これは……君たちがやったのかい?」


「いえ、急に現れた男の方が一瞬で片付けていきました」


「超強かったです!」


「そ、そうか。ではこの者たちの身柄は、魔法警備隊第三部隊所属のマグーレンが責任をもって預からせてもらう!」


そう言うや否や、彼は持参した魔道具で倒れた男たちを手際よく拘束し、笛を鳴らして応援を呼び寄せる。

やがて仲間たちが到着し、黒装束の男たちはそのまま連行されていった。


その光景を静かに見送った後、三人は騒動の一部始終を報告するため、デルタニア魔法学園へと足を向けるのだった。


夕食を終えたザイアスは、足取り静かにグリモアの研究室を訪れていた。昼間の出来事――あの黒装束の男たちと、手首に刻まれていた奇怪なタトゥー。その記憶が胸の奥で燻り続けており、放っておくにはあまりに不穏だった。


古書や魔道具が無造作に積まれた部屋の奥で、グリモアは変わらぬ様子で書物をめくっていたが、ザイアスの話を聞くと、ふと手を止める。


「そのタトゥー。たしかに角の生えた髑髏だったのか?」


「ああ、そうだ」


ザイアスが頷くと、グリモアは棚の一角から分厚い古書を一冊引き抜き、机の上にトンと置いた。


「間違いない、ネメシズ教団だ」


静かに開かれたその本には、複数の図版と共に“ネメシズ教団”という名が記されていた。

魔神の復活を目的とし、かつて世界を滅ぼしかけた禁忌の存在を再びこの世に呼び戻そうとする危険な教団。そして、その行動の多くは魔法学園を敵視し、直接的な衝突さえ辞さないものだった。


「ネメシズ教団……?」


ザイアスはその名を、重く呟く。


「厄介な連中が、また動き出したものだな。ここ数年は鳴りを潜めていたというのに。心臓を狙っているのだろう...」


世界の理を歪め、命と魂を蹂躙する最悪の魔力の化身。その魔神を再び現世に降ろすために生まれたのが――ネメシズ教団という集団だった。


グリモアの顔に、かすかな陰が差す。

しばし黙考の後、彼は椅子にもたれかかり、静かに語り始めた。


「……あれは魔法技術がまだ未発達だった時代」


部屋の空気が、一段と重くなる。


「今のような大都市ではなかったエステラルゴに、当時は小規模だった魔法学園が存在していた。初等校舎だけの粗末な施設で、魔法適性のある者を集めては、日々研究と実験を重ねていた。あれは……そんな時に起こったんだ」


グリモアは視線を虚空に投げたまま、遠い記憶をたぐるように続ける。


「突然、ネメシズ教団の一団が学園を襲撃した。警戒も不十分だった。防衛もなされていなかった。教員と生徒、合わせて二十四名が殺された……無惨に、だ」


ザイアスの手が、無意識に拳を握る。


「だが、奴らはそれだけでは飽き足らなかった。その遺体を媒介に、現地で魔神復活の儀式を始めたんだ。未完成の魔法だった。結局その場で暴発し、教団の連中も全員巻き添えになって……」


「なんてことを……」


「あれは、あまりに悲惨で愚かな事件だった。それ以来、奴らは水面下に潜った。表立った動きはなかったが……裏ではずっと、何かをうかがっていたのだろう。そして今日、とうとう牙を剥いた――そういうことだ」


グリモアの声には、珍しく感情の色が混じっていた。

ふと手を伸ばし、机の上に飾られていた髪飾りを静かに手に取った。淡い青色の宝石が埋め込まれたその装飾は、長い年月を経てもなお、美しい光を宿していた。


「実はな、その二十四名の中に――私の母が教員としていたんだ」


ぽつりと落ちた言葉は、まるで時間を巻き戻すかのように重かった。


「亡くなったと聞かされたときは……何がなんだかわからなかった。あまりにも突然で、現実だとは思えなかった」


グリモアの目には淡い哀しみが漂っていた。だが、その奥に宿る感情は、静かな憎悪――長い時を経てもなお消えぬ、深い怒りだった。


「奴らは、魔法適性のある若い人間を狙っている。魔神を復活させるには、そういった肉体が必要になるらしい」


彼はそっと髪飾りを元の場所に戻すと、静かにザイアスの方へと目を向けた。


「気をつけろ、お前は特に狙われる可能性が高い。その若さで異常なまでの魔力量――やつらにとって、喉から手が出るほど欲しい“資質”だ」


ザイアスはわずかに眉をひそめ、口を引き結んだ。


「まさか、ここ最近の学園で起きている一連の事件。ネメシズ教団が関わっているのか?」


「それは、まだ断言はできんが、警戒しておくに越したことはない」


「あの遺跡で会った女もネメシズ教団かもしれないな。まぁ気をつけるとするよ」


そう言い残し、ザイアスは立ち上がって部屋を後にした。扉を閉めたあとも、グリモアの言葉が耳から離れない。


ネメシズ教団――その存在を知った今、無視するわけにはいかなかった。

ザイアスは自室へ戻ると、静かに本棚の前に立つ。調べるべきことは多い。

この教団が何を目的とし、何をもって世界を脅かそうとしているのか――その本質を知る必要があると、彼は強く感じていた。

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